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おまけの章 ヨースケの一日
ヨースケの一日・前編
僕の一日はエディの匂いと体温で始まる。
裸で抱き合っている時もあれば、そうじゃない時もある。後ろから腰を抱かれている時もあれば、腕枕をされている時もあるし、お互いにくっつき合っている時もある。
どちらにしても、僕らの朝は必ず一緒のベッドの中だ。
「おはよう、ヨースケ」
僕が起きたことに気付くと、エディはすぐにキスしてくれる。
「おはようございます、エディ」
僕は甘い気持ちを抑えきれなくて、ふにゃっと崩れたように笑ってしまう。
その場でギューッと抱きつきたいのだけど、起きてすぐはやることがあるので、僕はちょっと我慢して体の力を抜く。
エディはカーテンを開けてから僕の顔色をチェックして、首を触って体温と脈を診てから、次に僕の寝間着をはだけさせる。朝からエッチする……ことがないわけじゃないけど、胸の真ん中にある3㎝くらいの小さな魔法陣に指を当てて魔力の状態を診るのが日課だからだ。
「う……」
体の内側と外側がひっくり返るようないつもの感覚に襲われる。目を閉じてシーツをつかんで耐えていると、エディはすぐに指を離した。
首の後ろにあった魔力の封印は、僕が奴隷ではなくなったので消してもらえた。でも、僕は普通の人と違って、常に魔力を補充してもらわなくてはならないので、魔力の通り道をエディが胸に作ってくれた。心臓に近い方が魔力の補充に効率がいいし、服の下に隠れるからちょうどいいのだとエディが言っていた。難しいことは分からないけれど、胸に魔法陣があるのはエディとおそろいなので、僕はちょっと嬉しいと思っている。
「少し魔力を入れますね」
「はい」
エディは僕の胸の真ん中に唇をつけた。
「ん……」
魔力が入ってくる。また体がひっくり返るような感覚が来る。シーツを握ろうとすると、エディが手を握ってくれてニギニギと動かしてくる。その指先に意識を向けている間に、すっと唇が離れた。
「今日の分は終わりです。どこか調子の悪いところはありませんか」
「ありません……」
エディは微笑んで、僕の上半身を起こした。僕はその背中に腕を回してきつく抱きつき、思う存分エディの匂いを嗅ぐ。
「ありがとうございます。エディ、大好き」
『名前』の力が無くなったので、今のエディは以前の十分の一以下の魔力しかないという。だから、一度にたくさん補充できないので、前よりも頻繁に少しずつ補充してくれている。
「僕の中にエディの魔力が流れているって思うと、いつも一緒にいる感じがして嬉しいです」
エディはちょっと驚いたように目を開いて、そしてふわっと花が開くように笑った。
「ええ、私も同じ気持ちです……」
僕はエディに生かされている。魔力的にも、経済的にも、精神的にも。
エディがいないと、僕は生きていけない。
でも、そのことを申し訳ないとか、僕なんかのためにとか、今はそういうことを考えなくなった。
僕は知っている。
エディも僕と同じだ。
僕がいないと、エディは生きていけない。
エディと僕は今、エディのお父さんである男爵様が治めているシルヴェストルという領地にいた。僕はエディと正式に結婚することはできないので、街の中心にある領主の館には入れない。だから、そこから少し離れた別のお屋敷でエディと暮らしている。
湖のほとりに研究用の屋敷を建てるという計画は現在保留中だ。なぜなら、湖を取り囲む森の中にはたくさんの魔物がいて、エディがいなければ僕は屋敷から一歩も出られない生活になるから。それだとまるで僕を監禁するようなものなので、魔物を全駆除するか、森の中に安全な道を通すか、エディは解決策を思案中らしい。
僕はエディと暮らせるなら、森の中でも街の中でもかまわないのだけど。
エディが自分のお金で買った街中のお屋敷は、貴族が住むにしてはかなり小さなものらしく、エディに仕えるはずだった使用人さんの半数以上を領主の館に戻してしまった。確かに、王都にあったレオやフィルのお屋敷と比べれば小さいけれど、僕から見ればここでも十分広すぎるくらいだ。
一階にはエントランスホールと応接室とキッチンと食堂、二階にはエディの書斎と大小の寝室がある。小さめの寝室は本来その屋敷の奥様のためのものらしいけど、今は使われていない。僕は大きい寝室の方でいつもエディと一緒に寝ているからだ。
寝室は寝るだけにしてはやたらと広くて、リビングみたいにソファやテーブルのあるスペースがあるし、身支度をする部屋もついている。イメージとしてはホテルのスイートルームみたいな感じだ。
身支度をする部屋は、寝室側にも廊下側にもドアがついていて、廊下側から使用人さん達が入れるようになっている。使用人さん達の住居は同じ敷地内に建っている離れで、朝早くにお屋敷へ来て夕方には離れへ帰っていく。毎朝、僕らが起きる前に、水桶と布と当日着る服を一式、下着まできれいに揃えて用意してくれている。
普通は着替えの手伝いをする使用人さんがいるものらしいけど、エディはそれを断っていた。以前は胸に隠した秘密を見られないようにするためだったけど、今は僕の裸身を誰にも見られたくないからだと言っていた。前から少し思っていたけど、エディはけっこうやきもち焼きだ。
国境沿いのテントではいつも裸同然のスケスケローブ姿だったのが嘘みたいに、今の僕は良家のお坊ちゃん風に上品な服を着せられている。ブラウスにベストにズボン、そしてクラヴァットというひらひらレースのネクタイだ。ベストは刺繍も控えめで宝石が縫い付けられたりはしていないけれど、こんな格好をすると裕福な家の子みたいだなって思う。
エディは水桶の水にちょいちょいと指で触る。すると、それがお湯になる。魔力が少なくなったはずなのに、エディは僕を甘やかすためには魔力を惜しまない。僕の体を洗うのにも洗浄薬は使わず、いつもエディの水魔法だ。
「そういえば、どうして顔だけは水魔法を使わないんですか?」
顔を柔らかい布で拭きながら聞くと、エディがちょっと苦笑した。
「うまくやらないと鼻がツーンと痛くなるんです。この魔法を覚えたての頃、自分の顔を洗おうとして、ひどい目にあったんです」
「ええ? そんな理由だったんですか?」
「はい、そんな理由です」
僕達はくすくす笑いながら着替えを終えて、絨毯が敷いてある立派な広い階段を下りて、一階の食堂へ向かう。
「おはようございます。エドゥアール様、ヨースケ様」
食堂では執事みたいな服を着た年嵩の男の人が挨拶をしてくれる。
「おはよう、スチュアート」
「おはようございます、スチュアートさん」
『様』をつけて呼ばれるのも、やっと少し慣れてきた。
ついこの間まで奴隷だったのに、今は使用人さん達があれこれと僕のお世話をしてくれる。僕は男なのでエディの奥さんにはなれないんだけど、この屋敷に住む使用人さん達はそれに準じる対応をしてくれているらしい。僕はエディと暮らすようになったら雑用でも何でもしようと思っていたんだけど、そうすると使用人さん達の仕事を奪ってしまうから何もしないでくれと言われてしまった。
傅かれる立場っていうのは、まだちょっと慣れない。みんな僕が幼い見た目と違ってもう19歳と知っているはずなのに、焼き菓子をくれたり飴玉をくれたりいつも子供扱いをしてくるし……。その優しさはとても嬉しいけれど、実は何となく面映ゆい。
「ヨースケ様にはオカユがありますよ」
椅子を引いて座らせてくれながら、ニコニコとスチュアートが言う。
「お粥? ほんとう? ありがとうございます!」
エディは首を傾げてスチュアートを見る。
「オカユ……?」
「はい。勇者様よりレシピを教えていただきました」
「勇者殿が」
「はい、ヨースケ様はいつもパンだと飽きるだろうとおっしゃっておられましたよ」
「ああ、勇者殿とヨースケは同郷ですからね」
スチュアートはエディが子供の頃からのお世話係で、あの戦地にも一緒に来ていた。
だから僕が『愛玩奴隷リュカ』だったことも知っているのだけど、兵士B君みたいに嫌な顔をしたりしないで、いつも礼儀正しく接してくれる。
僕はありがたくお粥を味わいながら、向かい側に座るエディと話をする。
長方形のテーブルの端っこの、いわゆるお誕生席にご主人様が座るものと思っていたら、この国では長い辺の真ん中に偉い人が座って、その次に偉い人が向かい側に座るのだとか。エディの顔を見ながら食事が出来るので、この座り順で良かったと思う。
エディは僕のことを何でも聞きたがる。僕も話を聞いてもらえるのが嬉しいので、食事の時はいつも僕が話している気がする。
「ヨースケ、学校はどうですか」
「はい、すごく楽しいです。たくさん友達が出来ました」
「友達……ですか。どんな友達が出来たのか、詳しく教えてもらえますか?」
「はい! 学校の人達はみんな優しいんですけど、特によく話すのがガスパルという男の子で……」
ここで暮らすようになってから、僕は学校に通わせてもらっている。それは日本の義務教育の学校とは全然違っていて、なんというか、寺子屋みたいな感じの場所だ。小さい子供から働いている大人まで通っていて、文字や計算や一般常識やこの国と領地の歴史などを教えてくれる。毎日来られる人もいるし、たまにしか来られない人もいるから、一律に授業をするわけでは無くて、一人一人のペースに合わせて教えてくれる。授業料はすごく安くて、学校の経営はほとんどが寄付で賄われているらしい。
貴族の子息が通うような学校は別にちゃんとあって、たとえ平民でも優秀なら入学することができる。エディのお父さんがそこへ僕を入学させるように勧めたみたいだけど、全寮制だったのでエディが頑強に反対したと聞いた。『ヨースケは格別優秀ではないし、もしもこの子を男子寮なんかに入れたら恐ろしく大変なことになる』とエディが真っ青になって主張したとか……。優秀じゃないことはその通りなんだけど、大変なことって何だろうか?
食事を終えて洗浄薬で口の中を洗って身支度をすると、エントランスでエディは僕の体を強く抱き寄せる。
「気を付けて行くのですよ……」
「はい、気を付けます」
この街は治安もいいし、学校も歩いて行ける距離にある。最初はエディが馬車で送り迎えをしてくれていたんだけど、学校の先生が過保護すぎると諭したらしくて、途中から徒歩通学に切り替わった。それでエディは毎朝、こんな風に僕との別れを惜しむ。
「怖いことがあったらすぐに助けに行きますからね」
「はい」
報せの術は今、僕の右足首にかけられている。アランに気付かれて焼かれたことがあったので、今度は見えない場所にしたらしい。
僕は背伸びして、エディにキスをする。
そして、名残惜しそうにするエディに手を振ってスチュアートと一緒に屋敷の門を出た。
シルヴェストルの街並みはとてもかわいい。壁にバッテン印みたいに交差した模様がある木組みの家々が立ち並んでいて、お店の軒先には金属で出来たかわいい看板が下がっている。石畳の道は意外にデコボコしていて歩きにくいけれど、僕は学校までの10分くらいの道のりがすごく楽しい。
「よう、ヨースケ、今日も爺や連れか」
元気のいい声とともに、ポンと肩を叩かれた。
「おはよう、ガスパル。爺やじゃないよ、スチュアートさんだよ」
ガスパルは学校で出来た僕の友達の一人だ。まだ13歳なのに僕より背が高くてしっかりしている。おうちは商売をしているので、計算の勉強を特にがんばっている。
「おはようございます、ガスパル様」
スチュアートは誰にでも礼儀正しい。
平民の子供相手でも、きちんと挨拶をする。
「あ、は、はい、オハヨウゴザイマス」
ガスパルはどぎまぎした様子で挨拶を返してから、僕の腕を引っ張ってスチュアートから少し離れた。そして、僕に顔を近づけて、こそこそと小さな声で聞いてくる。
「なぁ、ヨースケ、お前ってほんとは何者なんだ?」
「ナニモノって、別に何者でもないけど?」
「貴族の隠し子とかなのか?」
「まさか、ただの平民だよ」
「平民……そうか、ヨースケの身分は平民か」
「うん、そうだよ」
ジュリアンとレオがややこしい手続きをしてくれたみたいで、僕は奴隷じゃなくなった。エディと一緒にいられるなら身分はどうでも良かったんだけど、平民になったことをエディの方が喜んでいた。そして『愛玩奴隷リュカ』だったことを人に話さないようにと強く言われた。僕は愛玩奴隷だったことを恥ずかしいとは思わないけれど、エディもレオもジュリアンもフィルも必死に言うから、僕は誰にも言わないと約束をした。
「隠し子じゃないならなんであそこのお屋敷に住んでいるんだ? あそこには今、領主様の息子が住んでいるんだろ?」
「それってエディのこと? 僕と一緒に住んでいるよ」
にっこり笑って答えると、ガスパルはなぜかちょっと顔をひきつらせた。
「エディって……。お貴族様をそんな風に呼ぶってことは……つまり、そういう関係なのか」
「そういう関係?」
「だから、お前は領主さまの息子に、ええと、囲われている……ってことだろ」
「囲われているんじゃないよ、一緒に暮らしているんだよ」
「何が違うんだ。つまりは愛人なんだろ?」
「愛人……?」
愛する人? それともガスパルが言っているのは、お妾さんみたいな意味だろうか?
「ええとね、僕とエディは恋人同士なんだ。お互いに相手は一人しかいない。僕はエディが大好きだし、エディも僕を想ってくれているから……」
口に出して説明すると、照れ臭くてなんだか顔が熱くなってくる。両手で頬を押さえると、ガスパルの目が今度は同情するようなものに変わった。
「いやいや、貴族と対等な恋人のわけがない。お貴族様ならその内にどっかのご令嬢と結婚するに決まっているんだ。奥方様から見れば、平民の、しかも男の子のお前は夫の飼っている慰み者ってことになるだろうが」
僕はぶんぶんと大きく首を振った。
「エディは結婚したりしない。エディには僕だけだから」
「はぁ? そんなん言われて信じているのか? お前、騙されてるぞ」
僕はまた首を振った。
「ガスパルはエディを知らないからそう思うんだよ」
何を言われたって、今の僕は揺らがない。
僕はエディの書いた百枚のラブレターを読んだ。
僕の容姿について書かれていたのは百枚中一枚にも満たない短い文だけだった。
後の50枚くらいで僕と出会ってからの思い出と、僕のどんなところをどういう風にかわいく思っているのかを事細かく書いてあって、後の20枚には僕への想いを素敵に詩的な文章で表してあって、最後の30枚は僕とエディのこれからについてどう思っているのかを詳しく書かれていた。
「エディは死ぬまで僕を大事にしてくれる」
「そりゃヨースケはめちゃくちゃきれいな顔をしているし、素直で無垢で純粋でかわいくて、誰でもお前を好きになるけどさ」
「え、あ、う、うん」
「でも、貴族ってやつはあまり信用しない方がいいぞ」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」
僕がニコニコしているのを見て、ガスパルは呆れたようにため息をついた。
裸で抱き合っている時もあれば、そうじゃない時もある。後ろから腰を抱かれている時もあれば、腕枕をされている時もあるし、お互いにくっつき合っている時もある。
どちらにしても、僕らの朝は必ず一緒のベッドの中だ。
「おはよう、ヨースケ」
僕が起きたことに気付くと、エディはすぐにキスしてくれる。
「おはようございます、エディ」
僕は甘い気持ちを抑えきれなくて、ふにゃっと崩れたように笑ってしまう。
その場でギューッと抱きつきたいのだけど、起きてすぐはやることがあるので、僕はちょっと我慢して体の力を抜く。
エディはカーテンを開けてから僕の顔色をチェックして、首を触って体温と脈を診てから、次に僕の寝間着をはだけさせる。朝からエッチする……ことがないわけじゃないけど、胸の真ん中にある3㎝くらいの小さな魔法陣に指を当てて魔力の状態を診るのが日課だからだ。
「う……」
体の内側と外側がひっくり返るようないつもの感覚に襲われる。目を閉じてシーツをつかんで耐えていると、エディはすぐに指を離した。
首の後ろにあった魔力の封印は、僕が奴隷ではなくなったので消してもらえた。でも、僕は普通の人と違って、常に魔力を補充してもらわなくてはならないので、魔力の通り道をエディが胸に作ってくれた。心臓に近い方が魔力の補充に効率がいいし、服の下に隠れるからちょうどいいのだとエディが言っていた。難しいことは分からないけれど、胸に魔法陣があるのはエディとおそろいなので、僕はちょっと嬉しいと思っている。
「少し魔力を入れますね」
「はい」
エディは僕の胸の真ん中に唇をつけた。
「ん……」
魔力が入ってくる。また体がひっくり返るような感覚が来る。シーツを握ろうとすると、エディが手を握ってくれてニギニギと動かしてくる。その指先に意識を向けている間に、すっと唇が離れた。
「今日の分は終わりです。どこか調子の悪いところはありませんか」
「ありません……」
エディは微笑んで、僕の上半身を起こした。僕はその背中に腕を回してきつく抱きつき、思う存分エディの匂いを嗅ぐ。
「ありがとうございます。エディ、大好き」
『名前』の力が無くなったので、今のエディは以前の十分の一以下の魔力しかないという。だから、一度にたくさん補充できないので、前よりも頻繁に少しずつ補充してくれている。
「僕の中にエディの魔力が流れているって思うと、いつも一緒にいる感じがして嬉しいです」
エディはちょっと驚いたように目を開いて、そしてふわっと花が開くように笑った。
「ええ、私も同じ気持ちです……」
僕はエディに生かされている。魔力的にも、経済的にも、精神的にも。
エディがいないと、僕は生きていけない。
でも、そのことを申し訳ないとか、僕なんかのためにとか、今はそういうことを考えなくなった。
僕は知っている。
エディも僕と同じだ。
僕がいないと、エディは生きていけない。
エディと僕は今、エディのお父さんである男爵様が治めているシルヴェストルという領地にいた。僕はエディと正式に結婚することはできないので、街の中心にある領主の館には入れない。だから、そこから少し離れた別のお屋敷でエディと暮らしている。
湖のほとりに研究用の屋敷を建てるという計画は現在保留中だ。なぜなら、湖を取り囲む森の中にはたくさんの魔物がいて、エディがいなければ僕は屋敷から一歩も出られない生活になるから。それだとまるで僕を監禁するようなものなので、魔物を全駆除するか、森の中に安全な道を通すか、エディは解決策を思案中らしい。
僕はエディと暮らせるなら、森の中でも街の中でもかまわないのだけど。
エディが自分のお金で買った街中のお屋敷は、貴族が住むにしてはかなり小さなものらしく、エディに仕えるはずだった使用人さんの半数以上を領主の館に戻してしまった。確かに、王都にあったレオやフィルのお屋敷と比べれば小さいけれど、僕から見ればここでも十分広すぎるくらいだ。
一階にはエントランスホールと応接室とキッチンと食堂、二階にはエディの書斎と大小の寝室がある。小さめの寝室は本来その屋敷の奥様のためのものらしいけど、今は使われていない。僕は大きい寝室の方でいつもエディと一緒に寝ているからだ。
寝室は寝るだけにしてはやたらと広くて、リビングみたいにソファやテーブルのあるスペースがあるし、身支度をする部屋もついている。イメージとしてはホテルのスイートルームみたいな感じだ。
身支度をする部屋は、寝室側にも廊下側にもドアがついていて、廊下側から使用人さん達が入れるようになっている。使用人さん達の住居は同じ敷地内に建っている離れで、朝早くにお屋敷へ来て夕方には離れへ帰っていく。毎朝、僕らが起きる前に、水桶と布と当日着る服を一式、下着まできれいに揃えて用意してくれている。
普通は着替えの手伝いをする使用人さんがいるものらしいけど、エディはそれを断っていた。以前は胸に隠した秘密を見られないようにするためだったけど、今は僕の裸身を誰にも見られたくないからだと言っていた。前から少し思っていたけど、エディはけっこうやきもち焼きだ。
国境沿いのテントではいつも裸同然のスケスケローブ姿だったのが嘘みたいに、今の僕は良家のお坊ちゃん風に上品な服を着せられている。ブラウスにベストにズボン、そしてクラヴァットというひらひらレースのネクタイだ。ベストは刺繍も控えめで宝石が縫い付けられたりはしていないけれど、こんな格好をすると裕福な家の子みたいだなって思う。
エディは水桶の水にちょいちょいと指で触る。すると、それがお湯になる。魔力が少なくなったはずなのに、エディは僕を甘やかすためには魔力を惜しまない。僕の体を洗うのにも洗浄薬は使わず、いつもエディの水魔法だ。
「そういえば、どうして顔だけは水魔法を使わないんですか?」
顔を柔らかい布で拭きながら聞くと、エディがちょっと苦笑した。
「うまくやらないと鼻がツーンと痛くなるんです。この魔法を覚えたての頃、自分の顔を洗おうとして、ひどい目にあったんです」
「ええ? そんな理由だったんですか?」
「はい、そんな理由です」
僕達はくすくす笑いながら着替えを終えて、絨毯が敷いてある立派な広い階段を下りて、一階の食堂へ向かう。
「おはようございます。エドゥアール様、ヨースケ様」
食堂では執事みたいな服を着た年嵩の男の人が挨拶をしてくれる。
「おはよう、スチュアート」
「おはようございます、スチュアートさん」
『様』をつけて呼ばれるのも、やっと少し慣れてきた。
ついこの間まで奴隷だったのに、今は使用人さん達があれこれと僕のお世話をしてくれる。僕は男なのでエディの奥さんにはなれないんだけど、この屋敷に住む使用人さん達はそれに準じる対応をしてくれているらしい。僕はエディと暮らすようになったら雑用でも何でもしようと思っていたんだけど、そうすると使用人さん達の仕事を奪ってしまうから何もしないでくれと言われてしまった。
傅かれる立場っていうのは、まだちょっと慣れない。みんな僕が幼い見た目と違ってもう19歳と知っているはずなのに、焼き菓子をくれたり飴玉をくれたりいつも子供扱いをしてくるし……。その優しさはとても嬉しいけれど、実は何となく面映ゆい。
「ヨースケ様にはオカユがありますよ」
椅子を引いて座らせてくれながら、ニコニコとスチュアートが言う。
「お粥? ほんとう? ありがとうございます!」
エディは首を傾げてスチュアートを見る。
「オカユ……?」
「はい。勇者様よりレシピを教えていただきました」
「勇者殿が」
「はい、ヨースケ様はいつもパンだと飽きるだろうとおっしゃっておられましたよ」
「ああ、勇者殿とヨースケは同郷ですからね」
スチュアートはエディが子供の頃からのお世話係で、あの戦地にも一緒に来ていた。
だから僕が『愛玩奴隷リュカ』だったことも知っているのだけど、兵士B君みたいに嫌な顔をしたりしないで、いつも礼儀正しく接してくれる。
僕はありがたくお粥を味わいながら、向かい側に座るエディと話をする。
長方形のテーブルの端っこの、いわゆるお誕生席にご主人様が座るものと思っていたら、この国では長い辺の真ん中に偉い人が座って、その次に偉い人が向かい側に座るのだとか。エディの顔を見ながら食事が出来るので、この座り順で良かったと思う。
エディは僕のことを何でも聞きたがる。僕も話を聞いてもらえるのが嬉しいので、食事の時はいつも僕が話している気がする。
「ヨースケ、学校はどうですか」
「はい、すごく楽しいです。たくさん友達が出来ました」
「友達……ですか。どんな友達が出来たのか、詳しく教えてもらえますか?」
「はい! 学校の人達はみんな優しいんですけど、特によく話すのがガスパルという男の子で……」
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貴族の子息が通うような学校は別にちゃんとあって、たとえ平民でも優秀なら入学することができる。エディのお父さんがそこへ僕を入学させるように勧めたみたいだけど、全寮制だったのでエディが頑強に反対したと聞いた。『ヨースケは格別優秀ではないし、もしもこの子を男子寮なんかに入れたら恐ろしく大変なことになる』とエディが真っ青になって主張したとか……。優秀じゃないことはその通りなんだけど、大変なことって何だろうか?
食事を終えて洗浄薬で口の中を洗って身支度をすると、エントランスでエディは僕の体を強く抱き寄せる。
「気を付けて行くのですよ……」
「はい、気を付けます」
この街は治安もいいし、学校も歩いて行ける距離にある。最初はエディが馬車で送り迎えをしてくれていたんだけど、学校の先生が過保護すぎると諭したらしくて、途中から徒歩通学に切り替わった。それでエディは毎朝、こんな風に僕との別れを惜しむ。
「怖いことがあったらすぐに助けに行きますからね」
「はい」
報せの術は今、僕の右足首にかけられている。アランに気付かれて焼かれたことがあったので、今度は見えない場所にしたらしい。
僕は背伸びして、エディにキスをする。
そして、名残惜しそうにするエディに手を振ってスチュアートと一緒に屋敷の門を出た。
シルヴェストルの街並みはとてもかわいい。壁にバッテン印みたいに交差した模様がある木組みの家々が立ち並んでいて、お店の軒先には金属で出来たかわいい看板が下がっている。石畳の道は意外にデコボコしていて歩きにくいけれど、僕は学校までの10分くらいの道のりがすごく楽しい。
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「おはようございます、ガスパル様」
スチュアートは誰にでも礼儀正しい。
平民の子供相手でも、きちんと挨拶をする。
「あ、は、はい、オハヨウゴザイマス」
ガスパルはどぎまぎした様子で挨拶を返してから、僕の腕を引っ張ってスチュアートから少し離れた。そして、僕に顔を近づけて、こそこそと小さな声で聞いてくる。
「なぁ、ヨースケ、お前ってほんとは何者なんだ?」
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「貴族の隠し子とかなのか?」
「まさか、ただの平民だよ」
「平民……そうか、ヨースケの身分は平民か」
「うん、そうだよ」
ジュリアンとレオがややこしい手続きをしてくれたみたいで、僕は奴隷じゃなくなった。エディと一緒にいられるなら身分はどうでも良かったんだけど、平民になったことをエディの方が喜んでいた。そして『愛玩奴隷リュカ』だったことを人に話さないようにと強く言われた。僕は愛玩奴隷だったことを恥ずかしいとは思わないけれど、エディもレオもジュリアンもフィルも必死に言うから、僕は誰にも言わないと約束をした。
「隠し子じゃないならなんであそこのお屋敷に住んでいるんだ? あそこには今、領主様の息子が住んでいるんだろ?」
「それってエディのこと? 僕と一緒に住んでいるよ」
にっこり笑って答えると、ガスパルはなぜかちょっと顔をひきつらせた。
「エディって……。お貴族様をそんな風に呼ぶってことは……つまり、そういう関係なのか」
「そういう関係?」
「だから、お前は領主さまの息子に、ええと、囲われている……ってことだろ」
「囲われているんじゃないよ、一緒に暮らしているんだよ」
「何が違うんだ。つまりは愛人なんだろ?」
「愛人……?」
愛する人? それともガスパルが言っているのは、お妾さんみたいな意味だろうか?
「ええとね、僕とエディは恋人同士なんだ。お互いに相手は一人しかいない。僕はエディが大好きだし、エディも僕を想ってくれているから……」
口に出して説明すると、照れ臭くてなんだか顔が熱くなってくる。両手で頬を押さえると、ガスパルの目が今度は同情するようなものに変わった。
「いやいや、貴族と対等な恋人のわけがない。お貴族様ならその内にどっかのご令嬢と結婚するに決まっているんだ。奥方様から見れば、平民の、しかも男の子のお前は夫の飼っている慰み者ってことになるだろうが」
僕はぶんぶんと大きく首を振った。
「エディは結婚したりしない。エディには僕だけだから」
「はぁ? そんなん言われて信じているのか? お前、騙されてるぞ」
僕はまた首を振った。
「ガスパルはエディを知らないからそう思うんだよ」
何を言われたって、今の僕は揺らがない。
僕はエディの書いた百枚のラブレターを読んだ。
僕の容姿について書かれていたのは百枚中一枚にも満たない短い文だけだった。
後の50枚くらいで僕と出会ってからの思い出と、僕のどんなところをどういう風にかわいく思っているのかを事細かく書いてあって、後の20枚には僕への想いを素敵に詩的な文章で表してあって、最後の30枚は僕とエディのこれからについてどう思っているのかを詳しく書かれていた。
「エディは死ぬまで僕を大事にしてくれる」
「そりゃヨースケはめちゃくちゃきれいな顔をしているし、素直で無垢で純粋でかわいくて、誰でもお前を好きになるけどさ」
「え、あ、う、うん」
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なんで、俺の体に入った魔王様が、俺の幼馴染みの勇者とできちゃってるの⁉️
エブリスタにも、掲載しています。
オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
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召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
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閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。