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出会い
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まだ大名一行は到着せず、道場に通いつつ町や港の様子を探っていた久秀は、久しぶりにゆっくり風呂を楽しもうと、日が暮れぬうちから湯殿に向かった。
「ごめんなさいよ」
両肩を湯船の縁に預けて目を閉じていた久秀に、声を掛けるものがいた。
「おお、どうぞどうぞ」
湯船から湯をすくって体にかけているその声の主に目を遣ると、背中に大きな傷がある。
あれは背後から袈裟懸けに切られたのだろうが、迷いのない太刀筋でしか作れない傷だと久秀は思った。
「よっこらしょっと……ああ、いい湯だ。生き返るねぇ」
その男は久秀の隣でコキコキと首を鳴らした。
「お疲れのご様子ですな」
「へえ、ちょいと無理をしてしまいました。寄る年波には勝てませんや」
「そう言われるほどの年でもありますまい?」
「いやいや、こう見えて孫が三人もおりやすよ。一番下が三つになりやす」
「へぇ! そんな風には見えませんね。私とあまり違わないと思いましたよ」
与太話を装い男が久秀を探っているのが、ヒシヒシとわかる。
「お武家様はお国許へ?」
「いや、そういうわけでもないのです。この町に共に剣を学んだ旧友が居ましてね。最近めっきり腕が鈍っちまったもので、修行をさせてもらおうと思いまして。ちょいと訳アリで今は暇を持て余している身でね。暇に任せてやってきたというところです」
「そりゃ羨ましいご身分だ。どちらの道場です?」
それには答えず久秀は少しだけ殺気を含んだ視線を飛ばした。
それに気づいた男が慌てて手を振る。
「いやいや、差し出たことを聞きました。ご無礼をお許しください」
「なんの。無礼とは思わんが、今のに気づいたお手前こそ何者だろうかと思いましてね」
「ははは、私は三河の者ですよ。ちょいとした商いに出向いてきたのです。日にちを指定されたものだから、大急ぎでやってきたのに、あちらさんが遅れるなんて文が届きまして。仕方が無いから暇つぶしに散歩ばかりしております」
「なるほど、それは難儀なことでしたな。まあ、これも骨を休めろという神仏の思し召しと思うてゆっくりなされ。それではお先に」
久秀がザバッと湯から出た。
手拭いで体を拭っていると、妙な視線を感じる。
「お武家様、いつまでいらっしゃるのですか?」
「そうさなぁ……二月ばかりは居ようかとおもうておるが」
「左様ですか。どうぞごゆっくりお過ごしください」
「そちらも」
久秀は湯殿の気配を探りながら、手早く浴衣を身につける。
動く気配は無く、気のせいだろうと思いながら部屋に戻ると、仲居が二人待っていた。
「何事だね? 給仕が二人とは偉くなったような気分だが、俺は文無しだから心付けはできないよ?」
もじもじとしていた二人のうち、年嵩の方が口を開いた。
「あの……聞いてほしい事があって……」
「聞いてほしいか……俺は聞くだけしかできないが、それでも良ければ言うがいいぜ?」
花も飾られていない床の間を背に、久秀がドカッと座った。
一人が膳を運び込み、一人が徳利の首をつまむ。
「俺は酒など頼んでないよ?」
「これは私たちからです」
二人は顔を見合わせて、頷きあっている。
「話を聞くだけなのに酒まで付けて貰っちゃあ申し訳ないね」
といいながら膳に伏せてあった盃を手に取る。
慣れた手つきで酒を注ぎながら、年嵩の女が話し始めた。
「お武家様は腕っぷしがお強いのですか?」
久秀は口に含んだばかりの酒を、危うく吹き出してしまいそうになる。
「強いか弱いかっていうのは、実に曖昧な基準だが」
「もし強いならこの子を助けてやっておくれでないかねぇ」
そう言ってもう一人の娘の方へ視線を投げた。
その娘は俯いて、上目づかいで久秀を見ている。
「助ける? 命でも狙われているのかい?」
「違うんですよ、この子がちょっと目をつけられていて……もうすぐそいつがやって来るんですよ。今まではなんだかんだと言い訳をして袖にしてたけれど、いよいよ断り切れそうに無くて。ねえ、およしちゃん」
どうやら若い娘の名はおよしというようだ。
「今の話じゃ滅多に来ないみたいじゃないか。それなら逃げてしまえば良いんじゃない?」
「それができれば苦労しませんよ。この子は病気の弟を抱えていて、ここを離れるわけにはいかないんですよ。おとっつぁんとおっかさんが帰ってくるまでは絶対にダメだよ」
「ご両親が留守なのか……そいつは困ったね。で? なんて言い寄られてるの?」
「それが、お前は器量よしだから江戸の店で働かせてやるって……ねえ、およしちゃん」
どうやらおよしという女は相当な口下手なのか、恥ずかしがり屋なのか。
付添いの女しか口をきいていない。
久秀はおよしの顔をじっと見た後、およしに話しかけた。
「およしは幾つだい?」
「おらっちゃあ、じゅにだ。したがおらぁあわっくいもんで、とってもお江戸じゃつとまらねし、弟をはねらかすこともおえんしの」
久秀は目をパチパチと瞬いた。
「すまん……さっぱりわからん。要するにおよしは十二歳で、江戸には行きたくないってことかな?」
襖の向こうで吹き出す声がした。
「どちら様か?」
「これはとんだご無礼を。宿の亭主でございます」
「ああ、ご亭主か。どうぞ」
雇い主が来たとわかった二人は、みるみる顔色を悪くした。
「失礼いたしますよ。どうもうちの者がご迷惑をおかけしたようで」
「いやいや、迷惑などかかっていませんよ。むしろ酒を奢ってもらって喜んでいます」
「そう言っていただけると助かります。実は安藤様にお引き合わせしたいお人を連れてまいったのですが、お時間をいただけますか?」
ふと先ほどの男かと思ったが、何食わぬ顔で久秀は頷いた。
立ち上がって出て行こうとする女たちを主人が呼び止める。
「お前たち。何をお話ししていたのだね?」
年嵩の女が迷いながらもかい摘んだ話をした。
「なるほどの。その話は私が聞こうよ。今は仕事に戻りなさい」
二人は頷いて部屋を出た。
「ご亭主、しからないでやって下さいね。話を聞いただけだし、実は何を言っているのかさっぱりわからなかったんだ」
亭主は頷きながら、体を捻って廊下に声を掛ける。
顔を出したのは湯殿で出会った男だった。
「先ほどぶりでございます」
久秀は男の視線を正面から受けた。
「ごめんなさいよ」
両肩を湯船の縁に預けて目を閉じていた久秀に、声を掛けるものがいた。
「おお、どうぞどうぞ」
湯船から湯をすくって体にかけているその声の主に目を遣ると、背中に大きな傷がある。
あれは背後から袈裟懸けに切られたのだろうが、迷いのない太刀筋でしか作れない傷だと久秀は思った。
「よっこらしょっと……ああ、いい湯だ。生き返るねぇ」
その男は久秀の隣でコキコキと首を鳴らした。
「お疲れのご様子ですな」
「へえ、ちょいと無理をしてしまいました。寄る年波には勝てませんや」
「そう言われるほどの年でもありますまい?」
「いやいや、こう見えて孫が三人もおりやすよ。一番下が三つになりやす」
「へぇ! そんな風には見えませんね。私とあまり違わないと思いましたよ」
与太話を装い男が久秀を探っているのが、ヒシヒシとわかる。
「お武家様はお国許へ?」
「いや、そういうわけでもないのです。この町に共に剣を学んだ旧友が居ましてね。最近めっきり腕が鈍っちまったもので、修行をさせてもらおうと思いまして。ちょいと訳アリで今は暇を持て余している身でね。暇に任せてやってきたというところです」
「そりゃ羨ましいご身分だ。どちらの道場です?」
それには答えず久秀は少しだけ殺気を含んだ視線を飛ばした。
それに気づいた男が慌てて手を振る。
「いやいや、差し出たことを聞きました。ご無礼をお許しください」
「なんの。無礼とは思わんが、今のに気づいたお手前こそ何者だろうかと思いましてね」
「ははは、私は三河の者ですよ。ちょいとした商いに出向いてきたのです。日にちを指定されたものだから、大急ぎでやってきたのに、あちらさんが遅れるなんて文が届きまして。仕方が無いから暇つぶしに散歩ばかりしております」
「なるほど、それは難儀なことでしたな。まあ、これも骨を休めろという神仏の思し召しと思うてゆっくりなされ。それではお先に」
久秀がザバッと湯から出た。
手拭いで体を拭っていると、妙な視線を感じる。
「お武家様、いつまでいらっしゃるのですか?」
「そうさなぁ……二月ばかりは居ようかとおもうておるが」
「左様ですか。どうぞごゆっくりお過ごしください」
「そちらも」
久秀は湯殿の気配を探りながら、手早く浴衣を身につける。
動く気配は無く、気のせいだろうと思いながら部屋に戻ると、仲居が二人待っていた。
「何事だね? 給仕が二人とは偉くなったような気分だが、俺は文無しだから心付けはできないよ?」
もじもじとしていた二人のうち、年嵩の方が口を開いた。
「あの……聞いてほしい事があって……」
「聞いてほしいか……俺は聞くだけしかできないが、それでも良ければ言うがいいぜ?」
花も飾られていない床の間を背に、久秀がドカッと座った。
一人が膳を運び込み、一人が徳利の首をつまむ。
「俺は酒など頼んでないよ?」
「これは私たちからです」
二人は顔を見合わせて、頷きあっている。
「話を聞くだけなのに酒まで付けて貰っちゃあ申し訳ないね」
といいながら膳に伏せてあった盃を手に取る。
慣れた手つきで酒を注ぎながら、年嵩の女が話し始めた。
「お武家様は腕っぷしがお強いのですか?」
久秀は口に含んだばかりの酒を、危うく吹き出してしまいそうになる。
「強いか弱いかっていうのは、実に曖昧な基準だが」
「もし強いならこの子を助けてやっておくれでないかねぇ」
そう言ってもう一人の娘の方へ視線を投げた。
その娘は俯いて、上目づかいで久秀を見ている。
「助ける? 命でも狙われているのかい?」
「違うんですよ、この子がちょっと目をつけられていて……もうすぐそいつがやって来るんですよ。今まではなんだかんだと言い訳をして袖にしてたけれど、いよいよ断り切れそうに無くて。ねえ、およしちゃん」
どうやら若い娘の名はおよしというようだ。
「今の話じゃ滅多に来ないみたいじゃないか。それなら逃げてしまえば良いんじゃない?」
「それができれば苦労しませんよ。この子は病気の弟を抱えていて、ここを離れるわけにはいかないんですよ。おとっつぁんとおっかさんが帰ってくるまでは絶対にダメだよ」
「ご両親が留守なのか……そいつは困ったね。で? なんて言い寄られてるの?」
「それが、お前は器量よしだから江戸の店で働かせてやるって……ねえ、およしちゃん」
どうやらおよしという女は相当な口下手なのか、恥ずかしがり屋なのか。
付添いの女しか口をきいていない。
久秀はおよしの顔をじっと見た後、およしに話しかけた。
「およしは幾つだい?」
「おらっちゃあ、じゅにだ。したがおらぁあわっくいもんで、とってもお江戸じゃつとまらねし、弟をはねらかすこともおえんしの」
久秀は目をパチパチと瞬いた。
「すまん……さっぱりわからん。要するにおよしは十二歳で、江戸には行きたくないってことかな?」
襖の向こうで吹き出す声がした。
「どちら様か?」
「これはとんだご無礼を。宿の亭主でございます」
「ああ、ご亭主か。どうぞ」
雇い主が来たとわかった二人は、みるみる顔色を悪くした。
「失礼いたしますよ。どうもうちの者がご迷惑をおかけしたようで」
「いやいや、迷惑などかかっていませんよ。むしろ酒を奢ってもらって喜んでいます」
「そう言っていただけると助かります。実は安藤様にお引き合わせしたいお人を連れてまいったのですが、お時間をいただけますか?」
ふと先ほどの男かと思ったが、何食わぬ顔で久秀は頷いた。
立ち上がって出て行こうとする女たちを主人が呼び止める。
「お前たち。何をお話ししていたのだね?」
年嵩の女が迷いながらもかい摘んだ話をした。
「なるほどの。その話は私が聞こうよ。今は仕事に戻りなさい」
二人は頷いて部屋を出た。
「ご亭主、しからないでやって下さいね。話を聞いただけだし、実は何を言っているのかさっぱりわからなかったんだ」
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