裏切りの代償

志波 連

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 キャンディ・シルバー伯爵令嬢の婚約者であるニック・レガート侯爵令息は、入学式の席で同じ新入生の侯爵令嬢ソニア・マクレンに恋をした。
 ほんのひと月ほどは、罪悪感に苛まれたのか、婚約者であるキャンディと行動を共にしていたが、昂る恋心を抑えることはできなかった。
 いつしかキャンディは独りぼっちになり、ニックはソニアとの距離を縮めていった。

 しかしソニアは隣国の第二王子の婚約者。
 性に目覚めるお年頃とはいえ、婚約者が王族ともなれば、処女であることは必須だ。
 あれほどイチャイチャと体を寄せ合っていても、一線は超えていないのだろう。
 そんな枷が恋のエッセンスになるのかもしれない。
 ニックは自分の婚約者が見ているとわかっていても、体を寄せるソニアを引き剝がそうとはしなかった。

 定期的な茶会も定例デートも一方的にキャンセルされ、最近では断りの連絡さえ無い。
 ニックが全く訪問をしなくなったことを、キャンディの責任のように責める両親。
 キャンディの心はどんどん疲弊していった。
 ある日のこと、婦人会の茶会から帰った母親に、いきなり頬を打たれた。

「お前! ニックからの誘いをすべて断っているのですってね! レガート侯爵夫人に嫌味を言われたわ! あれほどの婚約者をなぜ蔑ろにするの! このバカ娘!」

 キャンディの言葉など待たずに、何度も何度も彼女の肩に振り下ろされる扇子。
 数回目でボキッと折れる音が響いた。
 こちらを見ていたのだろう弟が、プッと笑いを漏らしている。
 肩で息をする母に、キャンディは本当のことを言うが信じてくれない。
 そればかりか、言い訳をするだの、噓を吐くだの言われ、折れた扇子を投げつけられた。
 こんなことが続くと殺されてしまうと思ったキャンディは、父親に婚約の白紙を願い出たが、結婚と同時に事業提携を約束していることを理由に即座に却下されてしまった。

「お前がいうことが全て本当だとしても、政略結婚なんてそんなものだ」

 キャンディは自分の未来に絶望した。
 今日もソニアと寄り添い、ランチをとるためにバラ園に向かう婚約者ニックを眺めながら、友人であるリリアと学食のA定食をテーブルに置いた。
 真っ赤なバラに囲まれたベンチに座り、顔を寄せあいながら食べさせあっているキャンディの婚約者と隣国第二王子の婚約者という異質なカップル。
 それを、呆れた顔で見ながらリリアが言った。

「あなたの親は毒親よ。もう逃げた方が良いわ。このまま従っていても絶対に不幸にしかならない。それにあのクソ虫男も捨ててしまいなさい!」

 爵位は同じでもリリア・デモンズの家は格式が高い。
 それでもキャンディを唯一無二の友として寄り添ってくれるリリアの存在だけが、今のキャンディの心の支えだった。
 至極真っ当なリリアの言葉に曖昧に頷きながら、なぜ自分はそれに踏み切れないのだろうと考える。

 もちろん生活費を稼がなくてはいけなくなるし、家事も自分でしなくてはいけない。
 家を出るとはそういうことだ。
 お湯さえも沸かしたことが無いキャンディにとって、それだけでもハードルが高い。
 そして踏み切れない最大の理由、それはキャンディの心の中にはニックへの愛が燃え残っているという事実だ。
 すでに風前の灯ではあるが……
 帰宅後、ベッドに体を投げ出し、リリアに言われた言葉を思い返す。

「リリアのいう通りだと思うけど……ニック……戻ってきてよ。まだ間に合うから」

 そんなキャンディの願いも空しく、時間だけは確実に過ぎてゆく。
 そして卒業式の前日、何の前触れもなく謝恩パーティに着ていくためのドレスだろうものが、ニックから送られてきた。
 なぜニックからだとわかったかというと、配達したものがそう言ったからだ。
 メッセージカードも何もない。
 リボンさえもかけられてはいない。
 それでも心がときめいたキャンディ。
 両親も喜び、使用人たちも張り切ってパーティーの準備を手伝ってくれた。

「それにしてもレガート侯爵令息様は、お嬢様の似合う色はピンクだと思っておられるのですね。もう少し大人びた感じをお好みなのかと思っておりましたが」

 キャンディの髪を編み込みながら、メイドの一人が言った。

「ええ、私もそう思うわ。ニックはいつも渋い色を着ているからそういうのが好みだと思っていたの。まさかこの歳でベビーピンクのドレスを着るとは想像もしてなかったから、少し恥ずかしいわ。まあデザインは至ってシンプルだし、装飾も少ないから……」

「いえ、お嬢様のお顔立ちなら大丈夫ですわ。とても可愛らしく仕上がると思いますよ。少しサイズ調整が必要ですね。胸元だけでもレースを足しますか?」

「いいえ、このままで結構よ」

 あまりにもシンプル過ぎて、安物では無いかと感じているとはおくびにも出さず、メイドはせっせとサイズ調整をしていく。

「お迎えは何時ですか?」

 キャンディはグッと拳を握って笑顔を作った。

「お迎えは無いの。私はリリアと一緒に行く約束をしているから」

「まあ! 左様でございましたか」

 惨めだ……キャンディはそう思ったが、歯を食いしばって笑顔を見せた。
 馭者に手を借りながら馬車に乗り込み、リリアを迎えに行く。
 本当ならリリアは自分の婚約者にエスコートされるはずだったが、いつまでたっても誘ってこないニックを睨みながら、一緒に行こうと言ってくれたのだ。
 それなら学園に行く途中なので、自分が迎えに行くと言ったのは、少しでもリリアの負担を減らしたかったからだ。
 デモンズ伯爵邸に到着すると、リリアと一緒に彼女の婚約者も乗り込んできた。
 三人は顔なじみだ。
 休日を一人寂しく過ごしているキャンディを慮ったリリアの婚約者が、二人のデートにキャンディを誘ってくれたのが始まりだ。
 二人の邪魔はできないというキャンディを無理やり連れだし、一緒に楽しませてくれる彼らには心から感謝していた。

「今日もお邪魔虫でごめんね。会場に着いたら二人で過ごしてちょうだい。私は壁に大輪の花を咲かせているから」

「何言ってるの! 今日は色気より食い気よ。学食では出ない豪華メニューだって聞いてるもの。楽しみだわ」

 そういうリリアの横で、優しそうな笑顔を浮かべる婚約者の名はクリス・エヴァン。
 国内でも有数の名門侯爵家の嫡男だ。
 同じ侯爵令息でも、こうも違うのかと情けなくなるキャンディだったが、今日は学生でいられる最後の日。
 目いっぱい楽しもうと心に決めた。
 そんなキャンディの決意を見事なほど砕くシーンが、その後すぐに目の前で展開される。

「わあぁ! 華やかな会場ね」

 リリアが目を輝かせる。
 スッとキャンディの前に立ち、視線を遮るように動くクリスに違和感を覚えたキャンディは、体をずらして前を見た。
 そこには煌びやかなドレスを身に纏ったソニアが立っていた。
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