15 / 66
15 黒猫
しおりを挟む
結局のところ、斉藤の屋敷からは何も出てこなかった。
犯行直後から人の出入りは無く、警察としてはお手上げ状態だ。
当時から現在まで、家から運び出されたのは黒猫のエトワールだけ。
そして数日後、予定通り出産を終えたエトワールが小猫と共に帰ってきたのだ。
病院からの連絡によって、迎えに行ったのは執事の山中と藤田刑事だった。
「みいみい鳴くんですね、小猫って」
伊藤が小猫を覗き込みながら囁くように言う。
「そうですね。私も初めてのことで……ほら、こんなに小さいのにちゃんと肉球があるなんて、感動しますよね」
母猫となったエトワールは、自分専用のバスケットの中で子供と一緒に落ち着いている。
伊藤の指先をカリカリと齧っている小猫たちは、見分けがつかないほどそっくりだ。
「こんなのが四つも入っていたんだ。さぞ苦しかったでしょうね」
伊藤が当たり前のことを口にする。
小夜子はフッとこみ上げる笑いを嚙み殺した。
「この子たちはここで育てるのですか?」
伊藤の質問に小夜子が答えた。
「いいえ、みんな引き取り先は決まっているのです。一匹は坂本さんが引き取られますよ」
「坂本さんって植木屋さんの?」
「ええ、種付けをした猫のオーナーの権利なんです。一番最初に一匹選ぶことができるのが父猫オーナーというのがルールなんですよ」
「へぇ……そんなルールがあるんですね」
「今回は四匹でしたから、三匹は予約順にお渡しします。こんな状況ですから、ここに来ていただくのは難しいでしょう? ですから引き渡しも坂本さんにお願いする予定です」
「そうですか。ところで小猫一匹ってどのくらいのお値段なのですか?」
「サイベリアンの小猫は一般的には三十万前後らしいですが、この子は珍しいブラックなのでもう少しお高いようです。五十万くらいじゃないでしょうか」
「五十万……では三匹で百五十万ですか? そりゃ凄いな」
「そうですね。うちの場合は全額寄付しますから関係ないですけどね」
「寄付?」
「ええ、保護猫団体に寄付します。それはこの子のかかりつけ医の先生にお任せします」
「ああ、市場動物病院ですか。優しそうな先生でしたね」
「ええとても丁寧に診て下さる先生です」
「お母さんになったエトワールちゃんに触れても良いですか?」
「ええ、どうぞ」
伊藤がエトワールに手を伸ばす。
「シャァァァァァ」
「痛てっ!」
「あらあら、出産後で気が立っているのでしょうか」
「あんなに大人しい子だったのに……母は強しってことですかね」
「どうかしら。小猫がいなくなったら少しは落ち着くかもしれませんが、授乳中はこんな感じかもしれないですね」
全く気に留めていない小夜子の目を盗んで、伊藤がエトワールの腹を撫でた。
爪の攻撃を避けるため、多少力を入れて首を抑えている。
「どうしました?」
「あっ……いえ。何でもありません」
伊藤は素知らぬ顔で母猫から手を離した。
家探しをした日からすでに一週間が経過している。
何の手掛かりもないまま、時間だけが過ぎていき、三課の中でも焦りが生まれていた。
藤田が中心になってウラをとった関係者の証言からも、何の痂疲も探し出せていない。
今は斉藤の過去を洗い出すことに総力を挙げている状態だ。
そして更に十日。
毎日顔を出しては世間話をするだけの刑事達に、関係者たちはいらだちを隠せないでいた。
「今日も進展なしですか?」
執事である山中の非難めいた声を受け流し、伊藤が愛想笑いを浮かべた。
「持ち出した経路さえ分かれば早いのですが」
「まだ我々は疑われているのですか?」
「そういうわけではありませんが、この家のどこかに隠されている可能性は否めませんから」
その間にこの屋敷から出て行ったのは、産まれたばかりの小猫が四匹だ。
引き取りに来た坂本にも尾行をつけたが、怪しい行動は一切なかった。
引き取り先も同様で、お手上げ状態だ。
出入り業者はもちろん、配達された商品や出されたゴミまで全て厳重にチェックしている。
しかし見事なほど何も出てこない。
「これじゃまるで消えたみたいじゃないか」
帰りのパトカーの中で溜息を吐く伊藤に藤田が言った。
「猫の出産は怪しいと思ったのに……ハズレでしたね」
「ああ、あの猫の腹に手術痕は無かったし、あの腹の弛み具合は自然分娩をした猫の特徴を全て備えていたよ」
「でも妊娠した猫に宝石を飲ませることもできたのではないですか?」
「それはもちろん考えたさ。獣医学の教授にも確認したよ。でも不可能なんだとさ。何でも出産前の母猫はほとんど何も喰わないらしい。それでなくても腹がパンパンなんだ。異物を飲む隙間なんてないだろうということだ」
「毛が長いから大して目立ってなかったけれど、腹パンだったんですね」
「人間みたいに顔まで太る訳じゃないからなぁ……どこに消えたんだろうか」
「俺はまだ屋敷の中って気がします。だって持ち出すのは不可能でしょう?」
「うん……そうなんだが……何かを見落としてるんだろうなぁ」
「なんなら庭も全部掘り返してみます?」
「庭かぁ……ビニール袋に入れて花壇にでも埋めてるってか? 誰がいつどうやって?」
「……」
「それに金庫は誰が開けた? 指紋も斎藤本人のしか出てないし、ジュエルボックスには小夜子夫人の指紋もあったが、それは斉藤も夫人も触ったことがあると証言しているし、第三者のものは無かった」
「金庫を開けられるのは斎藤本人のみで、中身のボックスは夫婦だけですか……お手上げですね。そう言えばあの金庫って警報機ついてないですよね」
「警報機?」
「最近売り出されているじゃないですか。長時間開錠したままだと警報機が鳴るやつが」
「ああ、それは最新機種だけだ。斉藤家の金庫は作り付けで屋敷の壁に埋め込まれているんだ。型は古いだろうぜ?」
藤田の素朴な疑問に答えながら、伊藤は何かが引っかかるのを感じた。
「そうか……開けっ放しなら開錠の必要は無いんだ」
「でもその現場には常に斉藤がいたでしょう? 開けっ放しってことは考えにくいですよ」
「そうだよなぁ……それに、もしそうなら夕方宝石を確認する前に大騒ぎするよな……」
伊藤は自分の頭の隅に浮かんだ疑問を拭えないまま、口では否定する。
「明日は真面目に花壇を掘ってみましょうか」
冗談めかした後輩の言葉に、本当にそうするしかないかと考える伊藤だった。
犯行直後から人の出入りは無く、警察としてはお手上げ状態だ。
当時から現在まで、家から運び出されたのは黒猫のエトワールだけ。
そして数日後、予定通り出産を終えたエトワールが小猫と共に帰ってきたのだ。
病院からの連絡によって、迎えに行ったのは執事の山中と藤田刑事だった。
「みいみい鳴くんですね、小猫って」
伊藤が小猫を覗き込みながら囁くように言う。
「そうですね。私も初めてのことで……ほら、こんなに小さいのにちゃんと肉球があるなんて、感動しますよね」
母猫となったエトワールは、自分専用のバスケットの中で子供と一緒に落ち着いている。
伊藤の指先をカリカリと齧っている小猫たちは、見分けがつかないほどそっくりだ。
「こんなのが四つも入っていたんだ。さぞ苦しかったでしょうね」
伊藤が当たり前のことを口にする。
小夜子はフッとこみ上げる笑いを嚙み殺した。
「この子たちはここで育てるのですか?」
伊藤の質問に小夜子が答えた。
「いいえ、みんな引き取り先は決まっているのです。一匹は坂本さんが引き取られますよ」
「坂本さんって植木屋さんの?」
「ええ、種付けをした猫のオーナーの権利なんです。一番最初に一匹選ぶことができるのが父猫オーナーというのがルールなんですよ」
「へぇ……そんなルールがあるんですね」
「今回は四匹でしたから、三匹は予約順にお渡しします。こんな状況ですから、ここに来ていただくのは難しいでしょう? ですから引き渡しも坂本さんにお願いする予定です」
「そうですか。ところで小猫一匹ってどのくらいのお値段なのですか?」
「サイベリアンの小猫は一般的には三十万前後らしいですが、この子は珍しいブラックなのでもう少しお高いようです。五十万くらいじゃないでしょうか」
「五十万……では三匹で百五十万ですか? そりゃ凄いな」
「そうですね。うちの場合は全額寄付しますから関係ないですけどね」
「寄付?」
「ええ、保護猫団体に寄付します。それはこの子のかかりつけ医の先生にお任せします」
「ああ、市場動物病院ですか。優しそうな先生でしたね」
「ええとても丁寧に診て下さる先生です」
「お母さんになったエトワールちゃんに触れても良いですか?」
「ええ、どうぞ」
伊藤がエトワールに手を伸ばす。
「シャァァァァァ」
「痛てっ!」
「あらあら、出産後で気が立っているのでしょうか」
「あんなに大人しい子だったのに……母は強しってことですかね」
「どうかしら。小猫がいなくなったら少しは落ち着くかもしれませんが、授乳中はこんな感じかもしれないですね」
全く気に留めていない小夜子の目を盗んで、伊藤がエトワールの腹を撫でた。
爪の攻撃を避けるため、多少力を入れて首を抑えている。
「どうしました?」
「あっ……いえ。何でもありません」
伊藤は素知らぬ顔で母猫から手を離した。
家探しをした日からすでに一週間が経過している。
何の手掛かりもないまま、時間だけが過ぎていき、三課の中でも焦りが生まれていた。
藤田が中心になってウラをとった関係者の証言からも、何の痂疲も探し出せていない。
今は斉藤の過去を洗い出すことに総力を挙げている状態だ。
そして更に十日。
毎日顔を出しては世間話をするだけの刑事達に、関係者たちはいらだちを隠せないでいた。
「今日も進展なしですか?」
執事である山中の非難めいた声を受け流し、伊藤が愛想笑いを浮かべた。
「持ち出した経路さえ分かれば早いのですが」
「まだ我々は疑われているのですか?」
「そういうわけではありませんが、この家のどこかに隠されている可能性は否めませんから」
その間にこの屋敷から出て行ったのは、産まれたばかりの小猫が四匹だ。
引き取りに来た坂本にも尾行をつけたが、怪しい行動は一切なかった。
引き取り先も同様で、お手上げ状態だ。
出入り業者はもちろん、配達された商品や出されたゴミまで全て厳重にチェックしている。
しかし見事なほど何も出てこない。
「これじゃまるで消えたみたいじゃないか」
帰りのパトカーの中で溜息を吐く伊藤に藤田が言った。
「猫の出産は怪しいと思ったのに……ハズレでしたね」
「ああ、あの猫の腹に手術痕は無かったし、あの腹の弛み具合は自然分娩をした猫の特徴を全て備えていたよ」
「でも妊娠した猫に宝石を飲ませることもできたのではないですか?」
「それはもちろん考えたさ。獣医学の教授にも確認したよ。でも不可能なんだとさ。何でも出産前の母猫はほとんど何も喰わないらしい。それでなくても腹がパンパンなんだ。異物を飲む隙間なんてないだろうということだ」
「毛が長いから大して目立ってなかったけれど、腹パンだったんですね」
「人間みたいに顔まで太る訳じゃないからなぁ……どこに消えたんだろうか」
「俺はまだ屋敷の中って気がします。だって持ち出すのは不可能でしょう?」
「うん……そうなんだが……何かを見落としてるんだろうなぁ」
「なんなら庭も全部掘り返してみます?」
「庭かぁ……ビニール袋に入れて花壇にでも埋めてるってか? 誰がいつどうやって?」
「……」
「それに金庫は誰が開けた? 指紋も斎藤本人のしか出てないし、ジュエルボックスには小夜子夫人の指紋もあったが、それは斉藤も夫人も触ったことがあると証言しているし、第三者のものは無かった」
「金庫を開けられるのは斎藤本人のみで、中身のボックスは夫婦だけですか……お手上げですね。そう言えばあの金庫って警報機ついてないですよね」
「警報機?」
「最近売り出されているじゃないですか。長時間開錠したままだと警報機が鳴るやつが」
「ああ、それは最新機種だけだ。斉藤家の金庫は作り付けで屋敷の壁に埋め込まれているんだ。型は古いだろうぜ?」
藤田の素朴な疑問に答えながら、伊藤は何かが引っかかるのを感じた。
「そうか……開けっ放しなら開錠の必要は無いんだ」
「でもその現場には常に斉藤がいたでしょう? 開けっ放しってことは考えにくいですよ」
「そうだよなぁ……それに、もしそうなら夕方宝石を確認する前に大騒ぎするよな……」
伊藤は自分の頭の隅に浮かんだ疑問を拭えないまま、口では否定する。
「明日は真面目に花壇を掘ってみましょうか」
冗談めかした後輩の言葉に、本当にそうするしかないかと考える伊藤だった。
6
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる