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21 取り下げられた被害届
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それから伊藤と藤田は、関係者全員の過去を洗い直すことに集中した。
斎藤雅也の過去については闇の部分が多く、正規のルートで得た回答も肝心なところは黒塗りにされている。
詳細はまだわからないが、国家機密という名のもとにかなり際どいことをしていたようだ。
「小夜子の実家って元華族家だったんですね。なるほどお上品なはずだ」
藤田がお道化て言う。
「元華族っていえば聞こえはいいが、制度廃止後の生活は悲惨だったらしい。うまく立ち回った連中はそれなりの暮らしを手にしたそうだが、本当の華族……何て言うかな、社会の現実を知らないで暮らしてきた本当の上流階級の人たちは、筍の皮を剝ぐように没落していったんだそうだ。お前『斜陽』読んでないの?」
「なんすか? ああ、あの大文豪の? 俺、理系なんで」
「関係ないだろ。小夜子の実家である烏丸家はまさに斜陽族だったってことだ。父親は自殺しているしな」
「ああ、玉川上水に入水したんですよね」
「バカ! それは作者本人だ。烏丸信也は首を吊ったんだよ」
藤田が肩を竦めて見せた。
「自殺か……原因は?」
「育ってきた環境と生きていかなくてはならなくなった環境とのギャップに壊れていったみたいですね。最後の大博打で投資して全財産を失ったのが直接原因です」
「なるほどな……出征は?」
「してないです。学徒出陣前の年齢でしたから」
「斉藤との接点は?」
「大ありですよ。烏丸に最後の賭けを持ちかけた張本人が斉藤だ」
「小夜子夫人はそれを知っているのかな」
「どうでしょう。養父である田坂もその妻もすでに鬼籍ですが、調べてみましょう」
「知っていたすると動機にはなるな」
表情を変えずにそう言った課長の顔を見て、伊藤は自分の仕事の非情さを思い出した。
「そうですね」
それからひと月ほど、伊藤と藤田は様々なところに足を運んだ。
斎藤と山本、そして小夜子の養父である田坂との繋がりは大方把握できた。
彼らは軍事物資の横流しで財を築き、それを使って政財界に深く食い込んでいた。
それらを記載した書類を机の上に投げ捨てるようにして藤田が言う。
「全て今更ですよね」
「ああ、全部過去の闇だ。関係者はみんな死んじまってる。生きているのは山本充だけだ」
「ああ、そう言えば山本のおっさん、今年もインドネシアに行くみたいですね。あの何て言ったっけ、お祭りはもう終わってるっていうのに何しに行くんでしょう」
「山本が? 本当に何しに行くんだろうな……あの祭りが目当てじゃなかったってことか?」
二人が顔を見合わせていた時、資料室の扉が勢いよく開いた。
課長が眉間に皺を寄せて一枚の紙を握っている。
「やられたよ。被害届を取り下げやがった」
「えっ!」
伊藤が駆け寄り課長の手から紙を奪う。
「取り下げ……」
藤田が伊藤が握った紙を読んだ。
「小夜子未亡人……諦めちゃうんだ。保険金は?」
「そっちも放棄だとさ。捜査は打ち切りだ」
「そんな!」
伊藤が悔しそうな顔をして課長を睨む。
課長が肩を竦めた。
「どうしようもない」
課長がそう言い残して去って行った資料室を痛いほどの沈黙が包む。
藤田は机の上に広げた書類を、まるで仇の顔を見るように睨みつけていた。
「行くぞ」
伊藤が動き藤田が追う。
行く先は言わずもがなだろう。
恐ろしいほどの形相で署の廊下を進む二人に、同僚たちは声を掛けることもできなかった。
「お邪魔します」
久しぶりの斉藤邸は、当主がいなくなったこと以外何も変ってはいない。
落ち着いた声で山中が対応に出てきた。
「そろそろお見えになると思っていましたよ」
無表情で客間に案内する山中。
その背中を睨みつけるように進む二人の刑事。
まるで犯罪が発生した直後のような緊張感だ。
「奥様を呼んできます。丁度橘先生もおられますので同席していただきますよ」
伊藤がドカッとソファーに座った。
ふと見ると、客間の窓枠に黒猫が横たわっている。
「エトワール、ここにいたのか」
子供を産んだばかりの頃に比べたら一回り小さくなっているような気がする。
伊藤は立ち上がってエトワールを抱き上げた。
「あれ?」
エトワールの腹を撫でながら、伊藤の表情が険しくなった。
藤田に声を掛けようとした時、客間の扉が開いた。
「ようこそ。お忙しいのに申し訳ございません」
小夜子が伊藤からエトワールを受け取りながら優雅に微笑んだ。
「こちらこそ急にお伺いしまして。被害届を取り下げられた件です。なぜですか?」
性急な伊藤の声に、弁護士の橘が眉を寄せた。
「それは被害者本人の自由意思ですよ? 警察のあなた方がとやかく言う話じゃない」
「それはそうですが、窃盗犯を野放しにすることになります。さらなる犯罪を助長する行為だとは思いませんか?」
困った顔で小夜子が橘を見た。
「なるほど、あなた方の理論ではそうなのでしょう。しかし被害者であるこちら側の気持ちはどうなのです? ご主人の命を間接的とはいえ奪った事件に巻き込まれ続けるのですよ? それによる未亡人の精神的負担を考えるべきではないですか? 被害者がもういらないと言っているんだ!」
「それは……ご心痛は理解しているつもりです。しかし!」
橘が伊藤の言葉を遮った。
斎藤雅也の過去については闇の部分が多く、正規のルートで得た回答も肝心なところは黒塗りにされている。
詳細はまだわからないが、国家機密という名のもとにかなり際どいことをしていたようだ。
「小夜子の実家って元華族家だったんですね。なるほどお上品なはずだ」
藤田がお道化て言う。
「元華族っていえば聞こえはいいが、制度廃止後の生活は悲惨だったらしい。うまく立ち回った連中はそれなりの暮らしを手にしたそうだが、本当の華族……何て言うかな、社会の現実を知らないで暮らしてきた本当の上流階級の人たちは、筍の皮を剝ぐように没落していったんだそうだ。お前『斜陽』読んでないの?」
「なんすか? ああ、あの大文豪の? 俺、理系なんで」
「関係ないだろ。小夜子の実家である烏丸家はまさに斜陽族だったってことだ。父親は自殺しているしな」
「ああ、玉川上水に入水したんですよね」
「バカ! それは作者本人だ。烏丸信也は首を吊ったんだよ」
藤田が肩を竦めて見せた。
「自殺か……原因は?」
「育ってきた環境と生きていかなくてはならなくなった環境とのギャップに壊れていったみたいですね。最後の大博打で投資して全財産を失ったのが直接原因です」
「なるほどな……出征は?」
「してないです。学徒出陣前の年齢でしたから」
「斉藤との接点は?」
「大ありですよ。烏丸に最後の賭けを持ちかけた張本人が斉藤だ」
「小夜子夫人はそれを知っているのかな」
「どうでしょう。養父である田坂もその妻もすでに鬼籍ですが、調べてみましょう」
「知っていたすると動機にはなるな」
表情を変えずにそう言った課長の顔を見て、伊藤は自分の仕事の非情さを思い出した。
「そうですね」
それからひと月ほど、伊藤と藤田は様々なところに足を運んだ。
斎藤と山本、そして小夜子の養父である田坂との繋がりは大方把握できた。
彼らは軍事物資の横流しで財を築き、それを使って政財界に深く食い込んでいた。
それらを記載した書類を机の上に投げ捨てるようにして藤田が言う。
「全て今更ですよね」
「ああ、全部過去の闇だ。関係者はみんな死んじまってる。生きているのは山本充だけだ」
「ああ、そう言えば山本のおっさん、今年もインドネシアに行くみたいですね。あの何て言ったっけ、お祭りはもう終わってるっていうのに何しに行くんでしょう」
「山本が? 本当に何しに行くんだろうな……あの祭りが目当てじゃなかったってことか?」
二人が顔を見合わせていた時、資料室の扉が勢いよく開いた。
課長が眉間に皺を寄せて一枚の紙を握っている。
「やられたよ。被害届を取り下げやがった」
「えっ!」
伊藤が駆け寄り課長の手から紙を奪う。
「取り下げ……」
藤田が伊藤が握った紙を読んだ。
「小夜子未亡人……諦めちゃうんだ。保険金は?」
「そっちも放棄だとさ。捜査は打ち切りだ」
「そんな!」
伊藤が悔しそうな顔をして課長を睨む。
課長が肩を竦めた。
「どうしようもない」
課長がそう言い残して去って行った資料室を痛いほどの沈黙が包む。
藤田は机の上に広げた書類を、まるで仇の顔を見るように睨みつけていた。
「行くぞ」
伊藤が動き藤田が追う。
行く先は言わずもがなだろう。
恐ろしいほどの形相で署の廊下を進む二人に、同僚たちは声を掛けることもできなかった。
「お邪魔します」
久しぶりの斉藤邸は、当主がいなくなったこと以外何も変ってはいない。
落ち着いた声で山中が対応に出てきた。
「そろそろお見えになると思っていましたよ」
無表情で客間に案内する山中。
その背中を睨みつけるように進む二人の刑事。
まるで犯罪が発生した直後のような緊張感だ。
「奥様を呼んできます。丁度橘先生もおられますので同席していただきますよ」
伊藤がドカッとソファーに座った。
ふと見ると、客間の窓枠に黒猫が横たわっている。
「エトワール、ここにいたのか」
子供を産んだばかりの頃に比べたら一回り小さくなっているような気がする。
伊藤は立ち上がってエトワールを抱き上げた。
「あれ?」
エトワールの腹を撫でながら、伊藤の表情が険しくなった。
藤田に声を掛けようとした時、客間の扉が開いた。
「ようこそ。お忙しいのに申し訳ございません」
小夜子が伊藤からエトワールを受け取りながら優雅に微笑んだ。
「こちらこそ急にお伺いしまして。被害届を取り下げられた件です。なぜですか?」
性急な伊藤の声に、弁護士の橘が眉を寄せた。
「それは被害者本人の自由意思ですよ? 警察のあなた方がとやかく言う話じゃない」
「それはそうですが、窃盗犯を野放しにすることになります。さらなる犯罪を助長する行為だとは思いませんか?」
困った顔で小夜子が橘を見た。
「なるほど、あなた方の理論ではそうなのでしょう。しかし被害者であるこちら側の気持ちはどうなのです? ご主人の命を間接的とはいえ奪った事件に巻き込まれ続けるのですよ? それによる未亡人の精神的負担を考えるべきではないですか? 被害者がもういらないと言っているんだ!」
「それは……ご心痛は理解しているつもりです。しかし!」
橘が伊藤の言葉を遮った。
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