お覚悟のほどはよろしくて?

志波 連

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19 前世の出来事

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 ソフィアはフッと大きく息を吐いてからバルコニーに出た。
 見上げれば満天の星があり、少し視線を下げれば王城の森が黒く浮かび上がっている。
 この美しさをあの子にも見せてやりたかったとソフィアは思った。

「少し肌寒さを感じるような日だったわね。思っていたより湖はきれいだったけれど、水が冷たくて驚いたわ」

 レオが辺境へと旅立ち、第一王子であるアランと第三王子であるロビンに、その仕事が振り分けられた。
 日ごろはそれほどの仕事量を任されているわけではないロビンが、夕食の時間に遅れるほど頑張っていることを知っていたソフィアは、なんとかその心を癒したいとおもっていたのだ。

「ごめんね、今日も遅くなっちゃった」

「いいえ、お疲れさまでした。さあ食事にしましょう。今日はもう終わったのでしょう?」

 少しせり出してきた腹を抱えたソフィアは食堂にロビンを迎え入れた。

「いや、もう少し残っているんだ。食事が終わったら執務室に戻らなくちゃ」

「手伝えることがある?」

「え? 手伝ってくれるの? でもソフィアはブリジッドの仕事を回されているのでしょう? ソフィアこそ休まなくちゃ。体だって大変でしょ?」

 ロビンが優しくソフィアの手に手をのせた。

「仕事は大丈夫よ。それほど難しい内容でもないもの。それよりあなたを心配しながら寝室で一人待つ方が辛いわ。ロビンのお役に立ちたいのよ」

「ありがとうソフィア。では仕事が終わるまで一緒にいてくれる?」

「ええ、ぜひそうさせてほしいわ」

 そうやって仲良く過ごしていた過去を思い、ソフィアは悲しい顔で笑った。

「あの頃は何も知らなくて、ただロビンと一緒に国のために頑張ろうって思ってたなぁ……」

 今思い出してもソフィアは確かにロビンを愛していたのだろうとは思う。
 それは恋愛感情というより家族愛に近かったかもしれないが、ソフィアにとってロビンは唯一無二の人だったことは間違いない。
 星が一つ長い尻尾を揺らしながら流れて消えた。
 ソフィアの回想は続く。

「なあ、ソフィア。たまには休まないといけないよね。遠出は無理だけれど王城内なら問題ないと思うんだ。どこか行きたい場所はないかな?」

 今日の仕事を終え、ペンを片づけながらロビンが聞いた。

「バラ園も噴水も何度も行っているし……逆にどこか連れて行きたいところは無いの?」

 本を棚に戻していたロビンが振り返った。

「あるよ。森を抜けた先にある湖だ。草原の向こうにきれいな湖があってね、その向こうには山脈が見える。湖畔には鹿がいたり真っ赤な羽をした小鳥なんかもいるんだ」

「まあ! 素敵ね。そこがいいわ」

「では明後日とかどう? ソフィアのお陰で仕事も捗ったから、明後日なら休めると思う」

 そして約束の朝、厨房に頼んでランチボックスを用意したソフィアは、ウキウキしながら馬車乗り場に向かった。
 数人の侍女と侍従、そして護衛騎士たちも準備万端で二人の到着を待っている。

「何事かしら?」

 悪阻を理由に全ての仕事を放棄しているブリジッドが通りがかった。

「ああ、お義姉様。今日はお加減が良いのですか?」

 ソフィアの言葉を皮肉にとったのか、ブリジッドが嫌な顔をして横を向いた。

「何をしているの? どこかに行くのかしら?」

「ええ、久しぶりのお休みですので、ロビンとピクニックに行くのです」

「ピクニック? 夫が視察に行ってしまって、一人で悪阻に耐えなくちゃいけない私を置いて二人で楽しもうっていうの? 随分酷いことをするのね」

「いえ……それは……」

 ロビンがやってきた。

「やあ、待たせちゃったねソフィア。あれ? ブリジッドじゃないか。今日は調子が良いのかな?」

 ブリジッドの顔色が変わった。

「ロビン! あなたまで! 私は独りぼっちなのよ? あなた達だけ楽しいことをするなんて酷いわ」

「え? いや、そういうわけじゃないよ。ブリジッドは悪阻が酷くて仕事もできないって聞いたから……誘えばよかったね」

「仕事ができないのは本当よ。でもピクニックに行くなんて酷いわ。私はレオに冷遇されている可哀そうな第二王子妃なのよ? みんなもっと私を気遣うべきだわ」

「えっと……みんな気遣っているとは思うけど……だったら君も一緒に来るかい? 良いでしょう? ソフィア」

 ここで嫌だと言えば、この我儘な義姉と同じになってしまうと思ったソフィアは、精一杯の作り笑いを浮かべた。

「ええ、もちろんよ。ランチもたくさん用意したから大丈夫だわ」

 途端にブリジッドの機嫌が直る。

「そう? そこまで言うなら付き合わないでもないわ。今日はいつもよりずっと体調が良いからラッキーだったわね」

 そう言うと、従えていた侍女から日傘を受取り、さっさと馬車に乗り込んでしまった。
 それを見たロビンがソフィアに言う。

「ごめんね、ソフィア。彼女も兄上がいなくて寂しいのだろう」

「ええ、大丈夫よ。今日は三人でゆっくりしましょう」

 今思えばそこで確認するべきだったのだ。
 いつも護衛してくれている騎士の中に、見知らぬ顔がいたことに気づきはしたが、ピクニックが楽しみすぎて確認を怠ってしまった。

「昔のままね、ロビン」

 毎日悪阻で苦しんでいるとは思えないほどのはしゃぎぶりを見せるブリジッドに呆れながらも、ソフィアも来てよかったと思っていた。
 湖畔に敷いたシートの上にサンドイッチを広げ、同行した者たちにもそれぞれ食事をするように伝える。
 屋外とはいえここは王城の敷地内だ。
 そうそう危険なことなど起こるはずもないと、全員がどこか油断をしていたのだろう。

「食事はまだなの?」

 ロビンと一緒にボート遊びに興じていたブリジッドが戻るなりそう言った。

「準備はできていますわ。ロビンもこっちへ来て食べましょう」

 ソフィアの言葉に頷いた二人がシートへ向かっていた時、ソフィアの後ろで何かが動いた。
 新しいお茶を取りに行こうと腰を浮かせたソフィアが振り返ると、そこには護衛の制服に身を包んだ初めて見る顔の男が立っていた。

「あなた何を……」

 ソフィアが問いただそうとした時、その男は懐から小型のナイフを取り出し、それを両手で構えて駆けだした。
 声を出す暇もなく、ブリジッドの背中に向かっていく男の前に飛び出したソフィア。

「うっ……」

 ブリジッドしか見ていなかった男は、ソフィアを突き飛ばす形で動きを止めた。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!」

 弾かれたソフィアの体がブリジッドに後ろからぶつかるような形になり、ブリジッドは湖に落ちた。
 近くにいた護衛達はソフィアを突き飛ばした男に殺到し、侍女たちは湖に落ちたブリジッドに駆け寄る。

「ブリジッド!」

 一瞬だけソフィアを見たロビンは、迷わずブリジッドの救出に向かった。
 上着を脱ぎ湖に飛び込むロビンの後姿を、ソフィアは確かに見たのだ。

「ロビン……なぜ……」

 ソフィアが目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。
 その日に限って赤いワンピースドレスを着ていたため、暴漢に刺されたわき腹からの出血に気づくのが遅かったという騎士長の言い訳など、今となってはどうでもよいことだ。

 泣きながら土下座をする侍女に聞くと、湖から助け出されたブリジッドを連れてロビンは馬車ですぐさま城へ向かったらしい。
 刺されていたとは気づかないまでも、その場に我が妻をおきざりにするなどとんでもないことだと、侍女はロビンを責めていた。

 倒れていたソフィアを助け起こしたのは、捕縛を終えた騎士たちで、その時になって初めてソフィアが刺されていたことが分かったらしい。
 その時にはすでに馬車は出発しており、ソフィアは止血できないまま騎士に背負われ馬で帰らざるを得ない状況となる。

「妃殿下……お子はもう……残念です」

 その言葉を聞いたソフィアは、再び意識を失ったのだった。
 
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