最も不幸な人は

新田小太郎

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最も不幸な人は

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 皇帝は、病に倒れた。寝室のベッドに横になり、動くことが出来なくなる。身体は高熱で熱くなっていた。
 皇帝の専属の医師が診察をしているのだが、原因が、分からない。世界から名医と言われる人たちを呼んで、皇帝の診察をされてみても、やはり、原因は、分からなかった。
 皇帝は、寝室のベッドの中で眠り続けた。周囲には、皇帝の看病をするための従者たちが控えている。
 深夜、寝室の明かりは、落とされていた。わずかなロウソクの火だけが、広い寝室の中を照らす。その時、皇帝が、意識を取り戻した。朦朧とした頭で、ぼんやりと照らされた室内を見回す。
 皇帝は、寝室の奥の壁際に、一人の老女が居ることに気がついた。皇帝は、側に居るはずの従者を呼ぼうと思ったのだが、声が出ない。
「安心をしなさい。私は、あなたの命を奪うためにここに来たのではありませんよ。皇帝陛下」
「誰だ、お前は」
「私は、この世の闇の世界を支配する魔女です。この世界は、皇帝陛下でさえも、手を出すことは出来ません」
「何を、馬鹿なことを」
「その証拠に、今、私とあなたは、時間の外に居ます。これをご覧なさい」
 老女は、ベッドの傍らで燃えるロウソクの炎を指さした。
 確かに、そのロウソクの炎は、揺れていない。そして、老女が作り出す影も、同じである。
「何をしに来た。私に、何か、要望でもあるのか」
「それは、あなたの驕りですよ、皇帝陛下。むしろ、あなたの方が、私に、要望があるのではないですか」
「私が、お前に、何の要望があると言うのだ。お前に、私の病が治せるとでも言うのか」
「治せますよ。その方法を、教えて差し上げようと思って、ここに来ました」
 皇帝は、身体を起こそうと思ったが、それは、無理のようだった。そして、老女は、言った。
「皇帝の位を、この世で、最も、不幸な人に差し上げれば、あなたの病は治るでしょう。それ以外、あなたの病を治す方法は、ありません。さあ。どうしますか」
「馬鹿な。そのようなことが出来る訳がない」
「じっくりと、よく考えて下さい。あなたの命は、あと一ヶ月。それまでに、結論を出し、実行をして下さい」
 老女は、そう言うと、わずかに微笑んで、姿を消した。そして、止まっていたロウソクの炎が動き出す。
 翌日、皇帝の病の状態は、少し、良くなり、ベッドから起き上がり、周囲の人たちと話をすることが出来るようになった。しかし、体調は、万全に回復をした訳ではない。昨夜の老女のことを、誰かに話したものかどうか、皇帝は考えた。もし、このまま、身体が回復をするのなら、誰にも話す必要はない。しかし、あの老女の話を信じれば、自分の命は、後、一ヶ月で終わる。これは、本当のことなのだろうか。
 あの老女は、自分のことを魔女だと言った。魔女という存在は、この世に、本当にあるのかどうか。魔女の存在を信じる人も多い。そして、実際に、魔女だという人間もいるようである。しかし、本物の魔女というものに、皇帝は出会ったことがない。昨夜、目の前に現れた老女が、本当に、魔女なのかどうか。
 しかし、魔女でなければ、あの時、あの場所に現れるということは不可能だろう。自分が見たものを信じるとすれば、魔女は、実在し、実際に、それを見たということになる。
 魔女の予言は、当たるのか。少なくとも、魔女が実在をするとすれば、超常的な力を持っていることも、また、確かである。
 皇帝は、寝室から、全ての人を下がらせ、信頼の出来る側近を呼んだ。彼は、皇帝の子供の頃からの補佐役であり、今も、政治参謀として、皇帝を支える存在である。参謀は、皇帝の命令により、一人、寝室の中に入った。皇帝が病に倒れてから、参謀は、宰相と共に、この帝国の政治を担っている。
「お呼びでしょうか、皇帝陛下。体調が、少し、回復をされたと伺い、何よりです」
 参謀は、一礼をする。
「私が、意識の無い間、帝国の政治は、どうだ。変わりはないか」
「はい。これといって、問題は、起こっておりません。何か、気がかりなことでも、お有りですか」
「うむ。お前に、一つ、相談がある。これは、真面目に、聞いて欲しい。お前は、魔女の存在を、信じるか」
 参謀は、魔女という言葉を聞いて、おかしな表情をした。一体、何事だろうかという顔である。しかし、皇帝の真剣な目を見て、参謀も、皇帝が、真面目に質問をしているということを理解した。すでに、長い付き合いで、相手の感情は、多少、察する事も出来る。
「魔女は、この世に存在をするとは言われていますが、私は、まだ、見たことがありませんので、何とも、言えません。居るのか、居ないのかと言われれば、それは、私には判断の出来ないことです」
「なかなか、冷静で、慎重な意見だ。お前らしい」
「皇帝陛下は、魔女の存在を信じるのですか。そのようなお話をなさるということは、何か、特別なことでもありましたか」
「さずがは、察しが良い。実は、昨夜、この寝室に、魔女が現れた。実際に、この目で見て、この耳で、声を聞いた」
 参謀は、驚く。皇帝が、自分をからかっているという訳ではないのは、明らかに、その様子から、感じることが出来た。
「魔女が、この寝室に現れたというのですか。一体、どうやって」
「それは、分からない。魔女が、もし、本当に存在をするのなら、不思議な力を持っているだろうから」
 参謀は、腕を組、天井を見上げた。参謀が、何かを考える時の癖である。魔女が、本当に実在をするのか。そして、実在をするとすれば、どうするべきか。参謀は、考えているのだろうと皇帝は思う。しかし、今、それは、皇帝にとって重要な問題ではない。今、直面をしている問題は、その魔女の言った言葉である。
「その魔女が、私に言った。私の命は、後、一ヶ月だと。しかし、助かる方法が、一つある。それは、この世で、最も、不幸な人間に、皇帝の位を譲ることだと」
 皇帝の言葉を聞き、参謀は、それを一笑に付した。
「まさか、そのようなことは無いでしょう。失礼ながら、皇帝陛下は、夢でも見られたのではないですか」
「いや、あれは、夢ではない。しかし、私は、自分が見たもの、聞いたことを信じられない気持ちだが、万が一、と、言うこともある。どう対処をすれば良いか、悩んでいる」
 参謀は、また、しばらく、考える。そして、一つの結論を出した。
「もし、仮に、魔女の存在を信じ、魔女の言ったことを信じるとすれば、この世で、最も、不幸な人間に、皇帝の位を譲らなければ、皇帝陛下の命は、あと一ヶ月だということなのですよね。だったら、まずは、この世で、最も、不幸な人間というものを探してみてはどうでしょうか。位を譲るのかどうかは、それから考えてみても、良いでしょう」
「それは、良い案だ。どうやって、この世で、最も、不幸な人間を見つけるのか。その方法は、お前に任せよう」
「分かりました。お任せ下さい」
 参謀は、また、一礼をして、皇帝の寝室を出た。
 参謀は、その足で、自分の執務室に向かった。これは、帝国の政治として司る問題ではない。宰相や大臣に話を伝える必要な無いだろうと参謀は、判断をした。皇帝の側近として、あくまでも個人的な仕事として処理をする方が良い。魔女の存在を信じ、その言葉を信じるのならば、皇帝の命は、後、一ヶ月。皇帝が亡くなるのは困るが、世の中で、一番、不幸な人間に皇帝の位を譲るというのもまた、無理な話である。
 皇帝がどういう選択をするのか。今のところは、分からないが、取りあえず、この世で、一番、不幸な人間というものを探さなければならない。時間は、後、一ヶ月。急がなければならない。
 まず、不幸な人間とは、どういう人間なのか。金が無く、貧しい人。そして、病で、明日の命をも知れない人。親戚縁者はもちろん、他の誰とも、つながりのない孤独な人。多くの人から蔑まれ、差別をされている人。そういったところだろうか。しかし、その中で、最も、不幸な人間など、どうやって決めれば良いのか。
 参謀は、ある計画を立てた。帝国全土に、
「我こそは、最も、不幸だと思う人は、名乗り出るように。最も、不幸な人間に、莫大な褒美を出す」
 と、書かれた立て札を出すことにした。そすれば、我こそは、最も、不幸だという人間が、集まって来ることだろう。
 更に、
「この人間が、世界で一番不幸だという人間を紹介した者にもまた、莫大な褒美を出す」
 と、言う立て札も出した。
 これで、帝国全土、つまり、この世の中から、最も、不幸な人間をあぶり出すことが出来るのではないか。参謀は、早速、自身の家臣たちを使い、この方法を実行に移した。もちろん、真意を伝えることなく、帝国の内政を司る宰相の許可も得なければならない。
「何のために、そのようなことをするのだ」
 と、宰相は、言った。
「慈善事業のようなものです。最も、不幸な人間を救いたいと」
 宰相は、参謀の言うこと、することには、何か、裏がると思いながらも、干渉はしないと思ったようである。しかし、これで、宰相の監視は、付くことになる。それは、それで、当然の話で、避けるべきことでもない。
 帝国全土に伝令が走り、十日のうちに、立て札が立てられた。すると、即座に、我こそは不幸だという人間や、あの人が、最も、不幸に違いないという人が、帝国の行政施設に集まって来る。
 しかし、その中から、最も、不幸な人間を探し出すということは、相当に困難なことであるということに、すぐに気がついた。どの人間の不幸も、似たり寄ったりで、優劣をつけることは難しい。そして、これほど、不幸な人間が、大量に居るとは思わなかった。あまりにも、不幸な人間が多すぎる。
 何も決められないまま、日々は過ぎて行った。そして、二十日が過ぎると、皇帝の体調は、著しく、悪化をして行った。
 やはり、魔女は、存在し、魔女の言うことは、正しいのだろうか。
 参謀は、皇帝の寝室を訪れ、他の人たちに寝室から出るように命じた。そして、また、意識が朦朧とし始めたベッドの上の皇帝に話しかける。
「この世で、一番、不幸な人間というものを探すのは、難しいかと思います、皇帝陛下。魔女は、一体、皇帝陛下に何をさせようと、そのようなことを言ったのでしょう」
 参謀の言葉に、皇帝は、薄く、目を開ける。
「それは、私に、分かるはずがない。しかし、どちらにしろ、私は、皇帝の位は、誰にも譲らないと決めた。このまま、死ぬことにしようと思う」
 参謀は、皇帝の決意に、驚くと共に、感心した。皇帝が亡くなれば、皇帝の位は、嫡男が引き継ぐことになる。嫡男は、幼い頃から、優秀と評判である。皇帝の位を受け継いでも、何の問題もなく、誰もが、納得をすることだろう。
 参謀は、この世の中には、多くの不幸な人が存在していることを皇帝に話した。皇帝が初めて耳にする帝国の現状である。
「この帝国には、それほど多くの不幸な人が溢れているというのか。それは、私自身の責任に違いない」
「いいえ。それは、皇帝陛下の責任ではありません。皇帝陛下は、素晴らしい政治を、これまで行ってきたはずです。それでも、全ての人々を、不幸から救い出すことは不可能です。ある意味、仕方の無いことです」
「しかし、それでも、人々を安心して暮らすことが出来るようにするのが、皇帝である私の仕事だ。そして、そのことは、次の皇帝にも、十分に伝えてあるつもりだ。私が亡くなった後は、次の皇帝を、支えてやってくれ」
 皇帝は、そう言って、また目を閉じた。
 参謀は、また、皇帝に呼びかけたが、皇帝の反応は、何も無い。
 そして、魔女が予言をした一ヶ月、最後の日が来た。皇帝は、目を覚まさない。寝室野中には、皇帝の世話をする従者たちが居る。が、魔女は、また、その寝室に、姿を現した。それは、時間の外。闇の中の世界である。
 皇帝は、魔女の支配する闇の中で目を覚ました。時間は止まり、ロウソクの火もまた、動かない。魔女の影も、動かない。皇帝は、その闇の中で、身体を起こした。
「また、来たか。私を、あの世に、迎えに来たのか」
「それは、私の仕事では、ありません。私は、皇帝陛下の運命を予言しただけです」
「私は、このまま、死ぬのだろう。もう、覚悟は決めたぞ」
「最も、不幸な人間に、皇帝の位を譲るということは、諦めましたか」
「それは、最初から、無理な話だということに気がついた。誰が、どのように不幸なのか。そのようなことを比べてみたところで、意味がない。それに、もし、仮に、最も、不幸な人間に、この皇帝を譲ったとしても、その人間に、皇帝の位が守れるはずもない。皇帝の位とは、厄介なものだ。並の人間では、皇帝の位は務まらない。そして、皇帝の位に相応しくない者が、皇帝になれば、この帝国に、ますます、不幸な人間が増えることになるだろう。それは、今、皇帝の位にある身として、選択するべきではないということに気がついた」
「ならば、皇帝の位を、他人に譲るくらいならば、自分が死んでも良いと」
「それが、運命だというのなら、仕方が無い。それに、私は、幼い頃から、生まれた時から、常に、命の危険に見舞われて来たことを思い出した。皇帝の位を争った、血を分けた兄弟との対立と殺し合い。家臣の裏切りによる、暗殺の危機。最大の敵国だった王国との決戦の中で、九死に一生を得たこと。他にも、数え上げれば、キリが無いくらいだ」
「その中で、皇帝陛下が、最も、苦しく、最も、悲しかったことは何ですか。私に、話してもらえませんか」
「それは、母を殺されたことだ。子供の頃、私は、皇帝の位を狙う者による刺客に、私の母を殺された。母は、私を守って、死んだのだ」
 皇帝は、その時のことを思い出し、涙を浮かべた。
 すると、魔女の隣の闇の中に、亡くなった母の姿が、ぼんやりと現れた。そして、母が、息子である皇帝に言った。
「これまで、よく、皇帝という重責を果たしましたね。もう、皇帝の位を、降りても良い頃です」
 母は、子供に戻った皇帝を、闇の中へと導いた。
 そして、皇帝は、息を引き取る。
 皇帝の死は、間もなく、世話していた従者によって、医師に知らされ、確認された。
 次の皇帝の即位に向けて、宮殿の中は、動き始めることになる。

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