贅沢な悩み

新田小太郎

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贅沢な悩み

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 大学一年の中村葉子は、九月に入り、夏休みが終わった頃から、アルバイトを始めた。週に三日、午後の六時から九時まで。飲食店で、皿洗い。接客というのは、あまり好きではない。高校生の時に、少しだけ、実家の近くのスーパーマーケットで店員のアルバイトをしたことがあるが、自分には向いていないと、すぐに辞めてしまった。
 同じアルバイトには、同じ大学の一年先輩である本多俊介という人が居た。俊介がこのアルバイトを始めたのは、一年ほど前からということである。葉子は、俊介から仕事を教わった。優しく、良い先輩である。
 仕事を始めて一ヶ月ほどが経ち、店の中で、一緒に、夕食を食べている時、唐突に、俊介が、葉子に言った。
「中村さんって、モテるでしょう」
 葉子は、俊介の、突然の言葉に、驚き、戸惑った。確かに、自分は、男の子にモテる方だと思う。これまでに、何人もの男の子に告白をされて来た。しかし、どの男の子も、自分の好きなタイプとは言えなかったため、これまで、一度も、男の子と交際をしたことはない。
 葉子は、俊介の言葉に、どう返事をしたものか、迷った。肯定をするのも、思い上がっている印象を与えるようで、良くない気がする。かといって、そんなことはないと謙遜をするのも、わざとらしいかも知れない。
 葉子が、曖昧な笑顔を見せると、俊介は、話を続けた。
「彼氏は、居るの」
「居ない」
「何で。選り取り見取りでしょう」
「本多さんだって、モテるんじゃないんですか。彼女は、居るんですか」
「俺が、モテる訳がないじゃないか。見れば、分かるだろう」
 確かに、俊介は、容姿としては、あまり、モテる訳ではないのだろうということは、葉子の目から見ても、分かる。やはり、異性にモテるには、見た目、容姿というものは、かなり重要な部分が占めるのは仕方が無い。しかし、それを口に出せば、自分の容姿が優れているということを認めるようで、歯がゆい気がする。少なくとも、葉子は、自分の容姿が、あまり好きではない。不細工ではないが、綺麗でも、可愛くも無いと思っている。そのような自分が、なぜ、男の子にモテるのか。不思議である。
「何も答えないということは、中村さんも、俺のことを女の子にモテる男じゃないってことを理解している訳だ。やっぱり」
「いや、そんなことはないけど」
 葉子は、慌てて、否定をした。しかし、そのようなことを葉子の言うということは、何か、他に、言いたいことがあるのだろうかと葉子は、考えた。例えば、俊介が、自分に好意を持っているとか。だとすれば、どうやって、告白を断ろうかとも思う。もっとも、それは、自分の心の中だけの話で、表情にも、言葉にも、葉子は出す訳ではない。そういう事には、慣れていた。
 大学の構内は広く、葉子は教育学部で、俊介は法学部に居た。学年も違うので、大学の中で顔を合わせるということは、ほぼ、無い。葉子は、サークル活動にも参加をしていなかったので、大学の中での友達というものは、限られていた。そして、数少ない友達でも、それほど、親しいという訳でもなく、顔を合わせれば話もするが、わざわざ、連絡を取り合って、行動を一緒にするというほど、仲が良い訳ではない。
 同じ学年で、同じ教育学部、同じ語学クラスの河合昌子は、葉子にとって、そのような友達の一人だった。そして、その日、昌子は、葉子のことを、
「一泊で、旅行に行こうよ」
 と、誘って来た。
 昌子の話では、友達、数人と、電車で二時間くらいの場所にある観光地に、土曜日、日曜日に、遊びに行こうということのようだった。よく聞けば、それは、昌子を中心にした女の子数人と、昌子の友達だという同じ大学の男子学生、数人と一緒に、と、言うことのようである。葉子は、それは、断った。どうも、そういうグループでの行動というものは好きではない。ましてや、男の子が一緒だというのは、どうしても避けたいことでもあった。
 友達と一緒に楽しみ、恋人を作り、青春を満喫する。恐らく、普通の大学生なら、そういうことを望むのだろう。しかし、葉子には、自分が、友達と一緒に、恋人と一緒に、青春を楽しむということを、なかなか、想像をすることが出来なかった。一人で、静かに、平凡な日常を送ることが出来れば、それで良い。葉子は、そういう性格である。
 が、その昌子から、葉子は、一人の男子学生を紹介された。昼に、大学の学生食堂で、一人、昼食を食べていると、そこに、昌子が、その男子学生を連れて来たのだ。
 彼は、昌子が所属をしているテニスサークルの先輩で、渡辺浩二という学生だった。今、経済学部の三年生だということで、二つ、年上である。紹介という大袈裟なものではない。ただ、その時は、学生食堂で、同じテーブルに座り、三人で雑談をしながら、一緒に昼食を食べたという、それだけのことである。
 しかし、どうも、自分が、この渡辺浩二という先輩に、好意を持たれたらしいということを葉子は察した。それから、浩二は、何かと、自分の前に現れ、話しかけて来るようになった。このような広い大学構内で、違う学部の先輩と、そう度々、顔を合わせるということは、あまり無いことだろうと思う。それは、恐らく、浩二が、意図的に、自分に会おうと画策をしているのに違いないと、葉子は思った。
 何とか、この渡辺浩二のことを避けたいが、先輩でもあり、数少ない友達である昌子とも親しいということで、無碍に避ける訳にも行かないだろう。第一、浩二は、自分に悪意のあることや、迷惑なことをしている訳ではない。客観的に見て、普通に、好意のある人に接触をしているだけである。そして、浩二は、葉子に、交際を申し込んでいる訳でもないし、好きだということを言葉にしている訳でもない。もしかすると、自分が好意を持たれているということは、自分自身の勘違いの可能性もあると葉子を思っている。そのために、もし、それが、自分の勘違いなのだとすれば、自分自身が、恥をかくことにもなると葉子は思う。
 何か、良い考えが浮かばないものかと思っていた頃、葉子は、浩二と一緒に学生食堂に居た時、たまたま、そこに、俊介が入って来たことに気がついた。アルバイト先では、よく話もするが、大学構内で、時々、顔を合わせることはあっても、互いに、気がつけば、軽く会釈をする程度で、一緒に時間を過ごしたり、雑談をしたりということもない。しかし、その時、葉子は、俊介の姿を見て、ひらめいた。
「本多さん、ちょっと」
 と、少し、前を、自然と通り過ぎようとした俊介を呼び止め、自分と浩二が居るテーブルに呼んだ。本多は、葉子の呼ばれたことを、意外な表情をして立ち止まる。
「何だよ。何か、用か」
「これから昼ご飯? 一緒に、食べようよ」
「ああ、持って来るよ」
 俊介は、自分の食事を取りに行く。俊介の手を借りて、浩二から自然と距離を取るのは良い考えかも知れないと葉子は思った。問題は、俊介が、それを承知してくれるかどうか。
それは、アルバイトの時にでも、詳しく話すことにする。
 その日、アルバイトに出かけた時、葉子は、さっそく、昼の事情を話す。渡辺浩二が、自分に好意を持っているらしく、頻繁に、接触をして来ること。その相手をするのが面倒なので、俊介に、間に入って、緩衝材の役割を果たして欲しいということ。
「まあ、それは、構わないけど、その渡辺って言う人、なかなか、二枚目で、スマートじゃないか。どこに、不満がある」
「何だか、よく分からない。ああいう感じの人は、好きじゃない」
「だったら、どういう人が、好きなの。好きな人と付き合えば、嫌いな男は、寄ってこなくなると思うけど」
 確かに、俊介の言う通りである。そして、それは、これまでも、何度か、考えたことがある。
 しかし、考えたところで、結論は出なかった。どういう男が、自分の好きなタイプなのか。自分でも、よく分からない。
 しかし、嫌いなタイプなら、分からない訳ではない。自己中心的な人、相手に干渉をし過ぎる人は嫌いである。自分に近づいてくる男は、得てして、そういう感じの人が多い。渡辺浩二も、そういう感じの男である。少なくとも、葉子は、そう浩二のことを捉えている。
「取りあえず、深く、考えることなく、適当な人と、気軽に、付き合ってみれば良いんじゃないかな。そうすれば、色々と、分かることもあると思うよ。せっかく、モテるんだし」
「そんな、適当に、付き合うなんて、出来ないよ。そもそも、私、誰かと居るより、一人の方が好きな性格だから」
「そうなんだ。じゃあ、モテるということは、中村さんにとって、重荷になっているということなんだ。贅沢な悩みだね。そんなこと、他の人に話すと、反感を買うかもよ。特に、自分の好きな男が、君に好意を持った、なんて場合は」
「でしょうね。それは、分かっているつもり。だから、誰にも、話さない」
 葉子は、自分の心の中で、色々なことに心の整理がつかなかった。自分は、何を、どうすれば良いのか。
 アルバイトが終わり、いつものように店を出る時、俊介が言った。
「面白いことを考えたよ。もし、誰か、また、つきまとってくる男、告白をして来る男が居て、気に入らなかったら、俺を、呼べば良い。俺を、彼氏ということにしておけば、他の男も、寄って来ないだろうから」
「それは、有り難いけど、良いの? それで。本多さんの迷惑じゃないの」
「俺もまた、一人が好きだし、そもそも、俺は、女にはモテないから、嫉妬をする人も居ない。別に、迷惑なんかじゃないよ」
「でも、もし、本多さんに好きな人が出来たら、どうするの。その役目は、務められないでしょう」
「心配ない。それは」
 葉子は、その時、俊介の様子を見て、何か、特別なものを感じた。もしかすると、俊介もまた、自分に好意を持っているのではないか。しかし、それは、自分の錯覚かも知れないと思う。あまりにも、色々な男に告白をされて来たために、正常な判断をすることが出来なくなってしまったのかと思わない訳でもない。が、なぜか、葉子は、俊介には、他の男に感じたような不快な感じは、しなかった。
 もしかすると、自分は、俊介に好意を持っているのかも知れない。葉子は、そう思わないでもなかった。
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