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マーラ亭でリリアと別れたルジェは自らが仕える主人の屋敷であるヴァルフ辺境伯家に戻っていた。
すれ違った部下に軽く挨拶を済ませ、真っ直ぐに執務室で公務を遂行している主人の元へ向かう。
リリアとの楽しかった時間が脳裏から離れないルジェの口元は緩んでおり、それを目敏い部下に指摘されたが、一度引き締めようとすぐに元に戻っていることにルジェは気づいていなかった。
(本当に美しい人だった)
子爵家の後継である長子のルジェは主人であるヴァルフ辺境伯に同行する以外にも社交界に顔を出す機会はあったが、リリアのように美しい女性を目にしたことは初めてだった。
淡く輝いて白い肌を染めるホワイトブロンドの髪は繊細で緩やかに流れ、華奢な体を包み込む服は飾りのない平凡な服装だというのに、リリアが着ればそれだけでドレスを着ているような品のある雰囲気へと変わる。
リリアが微笑むだけで視線が奪われ、女性に全く免疫のない幼い子供のようにルジェは顔を赤くして動揺を抑えきれなかった。部下に目撃されれば当分の間揶揄う材料になることは間違いないだろう。
(仕事に関してはマーラ亭を考えていたわけではなかったけど、住む場所も仕事も決まってリリアも喜んでいたから良かった)
労働経験がないことを正直に告白してマーラの申し出を嬉しそうに受けていたリリアの様子を思い出してルジェは笑みを浮かべる。たまたま通りがかった使用人は挨拶をしようとしてルジェを見た瞬間固まるが、ルジェは気付かずに通り過ぎる。
(ただ……やはり彼女は没落貴族というわけには見えなかった。故郷は遠いといっていたし、訛りもない口調や無意識の振る舞いといい、恐らく住んでいたのは王都付近だろう)
仕事を探していたリリアだったが、金銭に困っている様子は見受けられなかった。二人分の会計を済ませようとしたルジェに、躊躇いもなく金貨を差し出そうとした様子は没落前の贅沢な暮らしが忘れられない没落貴族というよりは、それが杞憂することのない自然な振る舞いだったのだ。
ルジェは社交界が苦手だった。父親である子爵や母親の夫人は後継であるルジェに隙さえあれば相手を取り繕うとするが、地位を理由に社交界パーティーの参加を断ったりとルジェは逃げ回っており、両親が喜んでルジェを餌にしようとする王都のパーティーは、騎士団が関係するもの以外は数えられる程度にしか参加したことがない。
騎士団が関係するものですら、意思が挟めるのなら、副団長に代行してもらっているぐらいだ。幸い、そんな騎士団長を自らが留守の間の領地のこともあり懐の大きい主人は許してくれている。
(パーティは参加してすぐに逃げてたからな。参加者の顔なんて見てなかった。リリアはいたんだろうか)
そう思うと勿体ないことをしたかのような後悔が湧いてくる。
装飾を身につけ、ドレスを身に纏ったリリアが微笑む姿を想像して、思わずルジェは足を止めてしまう。
(すごく綺麗だっただろうな本当に)
後悔が強くなり、ルジェは思わず重たいため息を吐いてしまった。
執務室前に到着しノックをして挨拶をすれば、短い入室許可が返ってくる。入室すれば、ルジェの主人でありチェスタの領主である辺境伯、サイラス・ヴァルフ・ノアディアが正面にある執務机で大量の書類を決裁していた。
半日の休暇を終えて戻ってきた部下にサイラスは無駄なく動かしていた筆を止めて視線を向ける。
「随分とご機嫌のようだな。そんなにも今日の休暇が楽しかったのであれば、もう一日休暇を与えてやろうか。私の騎士団は優秀だが、特に騎士団長は休暇に疎いところがあるからな。存分に休むといい」
「ありがとうございます。もし可能でしたら、休暇の日程は選ばせて頂けたら有難く思います」
「……珍しいな。こちらが休暇を与えようとしても返上してきたそなたが休暇を求めるとはな。日程に関しては好きにするといい。今日の休暇すら本来であれば一日の予定をそなたが半休でよいと泣くからそうしたまでだからな」
ふっと笑うサイラスにルジェは頭を下げて受け流す。
サイラスに厚い忠誠を誓っているルジェは騎士団長としてサイラスに尽くしている時間は誇りであり、休暇を得てサイラスの元を僅かな時間でも離れたいと考えたことはなかった。
そんな部下を心配するサイラスに強引に休暇を与えられても考えることはサイラスと騎士団のことばかりであり、街に出向こうとすぐに足は騎士団が集っている訓練所や宿舎に向かってしまい、まともに休暇になったことなど皆無だ。途中でサイラスに見つかって呆れられるのが流れであり、今ではサイラスもほとんど諦めている。
今日もせめて街で外食にしようと出かけただけですぐに戻るつもりだったのだがリリアと出会い、ルジェは騎士団に入団してから初めてサイラスや騎士団のことを考えることなく休暇を過ごした。
リリアのことを思い出し、ふと目の前にいる主人のサイラスをじっとみつめる。
一点の曇りもない夜空よりも深く染まった艶やかな髪に、切れ長のアイスブルーの瞳はサイラスをよく知らない人間には怜悧な印象を持たれがちだが、その鋭利な印象の奥に部下や自らの領民に対する寛大な優しさが溢れていることをルジェは知っている。
凛々しい眉とスッと鼻筋の通った高い鼻梁、堀の深い顔立ちは黒の英雄であるサイラスの完全無欠な人柄を際立たせている。
部下が休まないことをサイラスは心配するが、そんな主人こそ自らの立場に真摯でない瞬間がないことを部下であるルジェは案じているぐらいだ。
(サイラス様に相応しい女性を想像するとしたら、リリアはすごくお似合いだ)
今まで着飾った令嬢たちが勇気を振り絞りサイラスに話しかける様子をそばで見つめていたルジェだったが、美しい容姿をしているサイラスの存在にたちまち霞んでしまい、冷やかす周囲に逃げ出す令嬢もいた。だが、リリアほど美しい女性ならばたちまち押し黙らせることは想像するよりも明らかだろう。
「私の顔を見つめたまま口元を緩ませるのはやめろ」
「え!?す、すみません……!」
まさか表情に出していたと思っていなかったルジェは慌てて顔を引き締める。サイラスが本気で引いているように見えるのは気のせいではないとルジェは気恥ずかしくなる。
そんなルジェをからかうようにサイラスが笑う。
「随分と楽しい休暇だったようだな。そなたがすぐに戻ってくるのは珍しくもないが、なにか私に報告があってきたのだろう?話せ」
聡いサイラスが本来のルジェの目的を言い当てられ、ルジェは気を引き締める。
(リリアがなんらかの犯罪を犯すような危険人物だとは思わないが、引っかかることがある)
出会ったばかりでリリアという人間をよく知らない現状では具体的にはなにが引っかかるのかまでは説明できないが、念のためにサイラスにも報告しておく必要があると判断したのだ。
「実は街で、この街にやってきたばかりのリリアという女性と出会いました。帰る場所を失い、チェスタの評判を聞いて移住目的でやってきたということだったのですが少し引っかかることがあり」
続いてリリアがマーラ亭で世話になることに決まったことなど今日の出来事を余すことなく報告しようとしたルジェだったが、サイラスの眉が動いて神妙な顔つきになったことに気がついて言葉を止める。
サイラスはなにかが引っかかったような表情をしていたが、ルジェにはなしを続けるように促す。
ルジェは報告を続けて、リリアの容姿や没落貴族の出身とは思えないことや訛りのない口調なども含めて詳細に告げた。その間サイラスの表情は厳しくなっていき、ルジェは自らの勘が正しかったのではないかと考え始めた。
サイラスは深くなにかを考えている様子だったが、鋭い視線をルジェに向ける。
「その娘、確かに引っかかるな。そなたが説明したその者の詳細に該当する者を一人心当たりはあるが、その者の立場を考えれば可能性は低いが……少し確認したいことがある。王都に忍ばせている密偵に、マグノア伯爵家の一人娘の現状を探るように連絡を取れ」
すぐさま頷くルジェだが、想定内の階級とはいえ王太子の婚約者がいる伯爵家の名前が出たことに驚く。だがすぐに以前話に聞いたことがある王太子の婚約者がリリアという名前だったことを思い出した。
(リリア、君はまさか……)
長旅で疲労しながらも笑顔で全てを楽しんでいたリリアの様子が脳裏にうかぶ。
出会ったばかりではあるが、理由もなく家を捨てるような無情な人間には思えず、家門から破門されていたとしても悲痛な様子は見受けらず、そんな放蕩者にも思えなかった。
だとしたら、王太子の婚約者でもある伯爵令嬢が護衛どころか共の使用人すら連れずに一人旅をする理由など、家出以外に可能性が高い理由など思い当たらない。
それよりも、なによりもルジェが引っかかるのは考え事をしているサイラスの様子だ。表情は険しく、何かを思い出すかのように瞳が憂い気に伏せられたのをルジェは見逃さなかった。
(もしリリアがマグノア伯爵の令嬢だとしたらサイラス様と面識があったとしても不思議じゃないが、サイラス様の様子はそれとは少し違っている気がする)
すると、以前にもサイラスの同じ表情を目撃したことをルジェは思い出す。あれは半月前にサイラスが王城で開催されたパーティーから領地に帰還した際のことだ。領地を理由に招待を度々断るサイラスに、招待状とは別に国王自ら必ず参加するように書状でサイラスは召集されパーティーに参加していた。
その時もルジェは領地の留守を預かり副団長がサイラスに同行したため当時サイラスになにがあったのかはわからないが、帰還した際に今のように何かを考えている様子だったサイラスが同じ表情をしていた気がするのだ。
「ルジェ、そなたはリリアという娘と約束を取り付けているのであったな」
「はい。ですが彼女が王太子殿下の婚約者である可能性がある以上、距離を置こうと考えております」
「いや、その必要はない。今日と同じように接しろ。その女がマグノア伯爵令嬢であるという確信もない。加えて、もし仮にそうであるとすれば、保護を目的とした意味でも可能な限りお前が側にいる方が安全だ」
「承知いたしました。警戒されない程度に俺も彼女に探りを入れようと思います」
「ああ、そうしてくれ。念のため、後者の可能性を考え護衛と監視を兼ねた騎士をその女につけておけ」
すぐに承知しようとしたルジェは言葉に詰まる。
よく知っている人間がサイラスの命令とはいえリリアの側に張り付くのを考えると、急に言葉が出てこなくなったのだ。
形容しがたい複雑な心境に、ルジェは戸惑う。
「どうかしたのか?何かあるなら構わず言ってみろ」
「……リリアの監視ですが、俺が引き受けても構わないでしょうか?俺は彼女の知り合いでもありますし、万が一姿を見せることがあっても偶然を装うことができ必要であれば警戒されることなく接近できるので適任かと思います」
考えるよりも先に口が動き、流暢に話す内容にルジェ自身が驚いていた。
脳裏に浮かんでいるのは微笑むリリアの姿。リリアのことを思うと、譲りたくないと考えてしまう。
「構わない。お前ほど信頼の置ける者もいないからな」
信頼という言葉にルジェの胸は熱くなる。世間では冷酷だとサイラスは思われているが、そんなのはサイラスを快く思わない者やよく知りもしない人間が勝手に決めつけた噂であることをルジェは知っている。
(俺はサイラス様だからこそ仕えているんだ)
片時も離れることなくサイラスのために剣を振るっていたい。そう思わせるほどの魅力がサイラスにはあるのだ。それはルジェ以外の騎士団員全員が感じていることだろう。
いかなる戦況だろうと、決してサイラスは自らの部下を切り捨てない。そんなサイラスだからこそ、仕える側としても絶大な信頼を置けるのだ。
ルジェは頭を下げ、すぐに命令を遂行する為に動いた。
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