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第5話  木華の誘惑

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 俺は、自分の勘を信じて左の区画へと向かう道を選んだ。マッピングを行いながら道を進み、念の為に周囲に注意を払いながら歩き続けた。
 体力に自信はあったが、流石に4時間近く、水分補給無しに歩き通しだと堪える。お腹もかなり空いている。何せ飛ばされたのが日が暮れた頃だった。
 本当なら、今頃家の晩御飯をとっくに頂いていた筈だ。そう思うと余計腹に堪える。

「ハァ~……勘が当たってくれるといいが……」

 行く先に水と食料がある事を祈って、通路を進む。すると、部屋らしき開けた場所が通路の先に見えてくる。俺は期待を抱き、少し足早にその部屋へと進む。そして、部屋の手前まで進むと中を慎重に覗き込んだ。
 そこは、天井から太陽の様に光源が照らす光に溢れた部屋だった。中央には、階段が付いた円形の大きい台座が鎮座しており、その上に緑が生い茂ったちょっとした庭園が有った。水の音も聞こえる。
 見付けた! と思い、部屋に入ろうとするが、すぐに足を止めた。庭園の中心付近に何かがいたからだ……あれは、人? ……いや、違う。

 そこにいた者は、頭の上に薔薇の様な花を飾った女性だった。緑色の少しウェーブが掛かったロングヘアーがとても鮮やかで綺麗だ。
 服装は、葉を何枚にも重ねて作った様なドレス風の服を着ていて、パッと見は人間の女性にしか見えないが、服の裾付近から足の代わりに生えていたのは、完全に木の根っこだった。
 そして、頭上に表示されているステータス表示には、こう書かれていた。


レベル68 ドリュアス
HP 57000/57000
MP  4200/ 4200


「(あの女~……)」

 心の中で恨み言を呟き、思わずその場にしゃがみこんで、頭を抱える……。守護者は最初のアレしかいないと思っていたが、俺の予想は見事に外れた。
 確かにあの女は、守護者は1体なんて言っていなかったし、こうも言っていた「守護者は、大事な物を守る」と、あそこの庭園に居るのは水と食料を守る守護者という訳だ。
 という事は、もう1つの武器がある区画にも、同様に守護者がいる可能性が高い。

「(参ったな……戦うのは不可避という事なのか?)」

 レベルは最初の奴に比べれば低いが、俺とは歴然の差がある。まともに戦っては勝ち目は無いだろう……おまけに武器もない素手だ。絶望的である。
 そんな陰鬱な考えを抱いていると、部屋の中から花の香りの様な甘い匂いが少し漂ってきた。そして――

「もし、そこにいるお方……」

 と、その守護者はこちらに対して話し掛けてきた。

「(な!? 喋った? おまけにここにいると気付かれている!)」

 俺は不味いと通路を引き返そうと思うが、何故か足が動かない……いや、そもそもそこから離れようという選択を体がしようとしなかった。

「逃げなくても大丈夫です。どうかこちらに来て下さい」

 花の香りがより一層強くなって鼻腔に届き、その香りに誘われる様に、無防備に部屋の中へと体が歩みを進める。

「(な、何をやってる!? 何で俺は部屋に入った!!?)」

 完全に俺の意思に反して体が動いている。俺は何とか抵抗しようとするが、花の香りがする度にその選択をしようとする意思を奪われる。

「(不味い、不味い、不味い!!?)」

 俺の体は進み続け、階段を上って庭園へと入っていく。そして、とうとうドリュアスの目前まで来てしまう。
 遠くて顔は確認出来ていなかったが、近くで見るドリュアスは美人だった。彼女は、微笑みながら話し掛けてくる。

「ようこそ、私の庭園へおいで下さいました。歓迎致します」

「来たくて来た訳じゃないけどな……俺に何をした?」

 体はいう事を利かないが、意識は有り、喋る事も出来た。

「まあ、私の香りをここまで吸い込んでいながら、しっかりと自分の意思で喋れるのですね。とても強い意志をお持ちです」

 少し驚きながら微笑むドリュアス。やはり、あの甘い匂いが原因か。とは言え、どうする事も出来ない。抵抗する意思を体が完全に拒絶している。

「……俺をどうするつもりだ」

「そうですね……基本は、私の苗床になって頂くのですが……」

 そう言い、シュルシュルと蔦を背後から延ばして、俺の頬を撫でる。

「貴方はとても美しいですから、私の種子を植え込んで植物となり、一生私の傍で生きるというのはどうでしょう?」

 優しそうな微笑みを浮かべながら、物騒な事を言う。

「それは出来れば勘弁して貰いたい」

「では、苗床ですか? 私はそれでも構いませんが……」

「それも嫌だ」

「我儘ですね……」

 困った様に溜息を付く。随分と感情が豊かだ。守護者というのは、ここまでしっかりとした意思を持った存在なのか?
 かなりやばい状況なのに、何故か俺は好奇心の方が先に立っていた。彼女の事が知りたいという気持ちが、心の奥底から湧いてくる。
 それに意思疎通が出来るなら、話次第では交渉も可能かも知れない。その一縷の望みに賭けて、話を振ってみる。

「なあ」

「何でしょうか?」

「話をしないか?」

「話ですか?」

 ドリュアスは、少し不思議そうに首を傾げる。

「ああ、君に興味がある」

「まあ、口説いていらっしゃるのですか?」

 少し頬を染めて恥ずかしそうにする。お姉さんっぽいが、意外に可愛らしい部分もある様だ。

「そうだな……そうとって貰っても構わない」

 そう言って笑う。興味があるのは嘘じゃない。出来る限り関心を持って貰う為に、敢えて向こうの言葉に乗る。

「フフッ……面白い方ですね」

 そう言って笑うドリュアス……悪くない反応だ、行けるか? と、期待を抱くが――

「でも私、今とてもお腹が空いているんです。だから、最後の選択肢として精気を吸い取って、私の糧になって頂きます」

 そう言って俺の体を蔦でグルグルと巻いて拘束し、彼女の傍まで引き寄せられる。

「さあ、受けて下さい。死の接吻を……」

 そう言って、俺の頬に両手を添えて顔を近付けてくる。体はいう事を利かないし、避ける事は不可能……どうしようもない。頭の中に諦めの言葉が浮かぶ。
 終わりか……ファーストキスが、死の接吻とは未練が残る。でも、こんな美人に奪われるなら、それも悪くないのか? と何故か焦りの気持ちは浮かばず、妙な余裕があった。おまけに、心はとても静かだ。そして、間近にあるドリュアスの瞳を見つめる。
 綺麗な金色の瞳だ……だが、何だろう? 彼女の瞳を見ていると左目がとても熱くなってくる。
 左目の視線が彼女の瞳の奥を覗き込み、更にその向こうまでを覗き見る様に視界が集束して行く。やがて、俺の意識は彼女の中へと入っていった。そして――

「そうか……君はここで生まれたのか……」

 と、無意識にポツリと呟いた。その言葉を聞いて、ドリュアスの唇がこちらに触れる数センチというところで止まり、すぐさま顔を離す。そして驚きの表情を浮かべながら聞いてくる。

「……どうしてそれを?」

「見えるんだ……君の過去が……」

 そう言って、俺は彼女の瞳を見続ける。左目が更に熱を増して行くのを感じた。そして、ドリュアスが驚愕の声を上げる。

「その左目……まさか!?」

「ドリュアス……いや、違う……君の本当の名前は……」

「や、やめて!? それ以上、その目で私を見ないで!!」

 彼女は怯える様に震え、俺を引き離そうとするが時既に遅く、俺は彼女の本当の名を口にする。

『フラン・リデュエール』

 パキン! という音が頭の中で鳴り響き、その瞬間、俺の意識は途切れた。
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