沈黙の鼓動 ― 痛みを失った少女と偽りの聖女 ―

ひい

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第1話:痛みなき鼓動、異世界の森で

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アメリアはゆっくりと目を開けた。
見上げた空は、どこか不自然なほど澄み切って青い。
「……こんな色、見たことない」
思わず小さくつぶやく。

風が頬をなでた。けれど、その匂いもまた馴染みがなかった。甘いような、草とも花とも違う香り。胸がざわつく。

耳を澄ませば、木々の間から鳥の声が聞こえる。けれど、そのさえずりはどこか異国めいていて、彼女の知る世界のものとは違っていた。

「ここ……どこなの……?」
心臓が早くなる。恐怖と好奇心が入り混じり、足がすくむ。

ゆっくりと足を進めるが、地面の根や落ち葉で何度も躓きそうになる。
「大丈夫、落ち着いて……」アメリアは自分に言い聞かせる。

小道を進んでいると、かすかな声が聞こえた。
「……大丈夫?」

アメリアは周囲を見回す。木々の影から、一人の少女が現れた。栗色の髪を揺らし、柔らかい茶色の瞳がアメリアを見つめている。

「あなた、一人?」
「え、うん……突然ここに来ちゃって」
アメリアは少し言葉を詰まらせた。

少女はにっこり微笑んだ。
「そう……それなら心細いよね。私はリリア。少しなら案内できるよ」
「ありがとう、リリアちゃん」
「リリアでいいよ」
「私はアメリア。よろしくね、リリア」

二人で森の小道を歩きながら、リリアは森のことを教えてくれた。
「この辺りの森は木が多くて道が分かりにくいけど、落ち着いて歩けば大丈夫。足元には気をつけて」
「うん……でも、迷ったらどうしよう」
「大丈夫、私がいるから。ほら、まずはこの小道をまっすぐ進んでみよう」

アメリアは足元を見つつ、周囲の木々や小川の水面を眺める。
小川の水は透き通っていて、光を受けてキラキラと揺れていた。
「きれい……」
リリアは笑って肩をすくめる。
「初めて見た?森の水って透き通っててきれいでしょ?」
「うん……でも、ちょっと怖いかも」
アメリアは小さく笑った。

歩いている途中、小さな枝が折れて落ちてきた。
「うわっ!」アメリアは反射的に身をかわす。
リリアは少し笑って言った。
「この辺りは魔物も出るから気をつけてね。小道を外れると危険だし、夜は特に冷える」
「そ、そうなんだ……前の世界にはこんなことなかったから」
「ええ、でも慣れれば怖くなくなるよ」

リリアは首をかしげながらアメリアを見た。
「ところで、アメリアはどこから来たの?」

アメリアは少し考えて答えた。
「えっと……遠い国……かな?だから、この辺りのことは何も知らないし、知り合いもいないんだ」
「そう……じゃあ、ここに来てまだ日が浅いんだね。大丈夫、少しずつ覚えればいいよ」

アメリアは肩の力を抜いて、少しだけ安心した。
「うん、そうだね」

森を進むにつれ、木漏れ日が地面に柔らかく降り注ぐ。

突然、茂みの中から小さな影が動いた。アメリアは一瞬身を固くする。
「な、なに……?」
リリアはすぐにアメリアの肩に手を置き、落ち着かせる。
「大丈夫、小さな動物よ。森にはこういうこともあるけど、慣れれば気にならなくなる」
「ふぅ……よかった」アメリアはほっと息をつく。

「リリア、この森、夜はどうなるの?」
「夜はね……森の音が全部違って聞こえるの。風も強く感じるし、動物の声も昼間と全然違う」
「……それ、ちょっと怖いかも」
リリアは笑った。
「でも大丈夫。夜になる前に街につくわ。」
アメリアは少し微笑む。

歩きながら、アメリアは小さな草の匂いをかいで顔をしかめた。
「ん……ちょっと変な匂い?」
「森の香りは人によって感じ方が違うの。アメリアは敏感なのかな?」
「ううん……ただ新しい匂いで、ちょっと驚いただけ」
アメリアは照れくさそうに笑う。
リリアも笑って「ふふ、慣れれば平気になるよ」と答える。

二人の足音だけが、森の奥まで小さく響く。
時折、風が葉を揺らし、どこからか小鳥の声がする。
アメリアは耳を澄ませながら、心の中で思った。
「知らない世界……でも、こうして誰かがいてくれるだけで少し心が軽くなる」

やがて森を抜けると、視界が開け、草原が広がった。
アメリアは深呼吸して、初めて少し落ち着いた気持ちになった。
「……広いなぁ」

リリアはにっこり笑った。
「そうね、この辺りの草原は見通しがいいから、森より歩きやすいよ」
アメリアは胸の奥で、まだ不安もあるけれど、少しだけ勇気をもらった。

草原を進むにつれ、風が頬を優しく撫でる。
足元の小さな花や、風に揺れる草の音。アメリアは目を細め、心の中でつぶやく。
「何が起きているのかは、わからないけれど……前に進もう。私なら、大丈夫」

「リリア、あの花、きれい……」
「そうね、風に揺れて輝いてるね」
「触っても大丈夫かな?」
「もちろん」
アメリアはしゃがんで花に手を触れる。柔らかくて、温かい。
「……こういうの、前の世界でも好きだったな」
リリアは笑顔で「ふふ、アメリアは少し可愛いところもあるんだね」と軽く言った。
アメリアは赤くなりながらも笑い返す。

二人の足音だけが、広い草原に小さく響く。
森も草原も、この世界の景色も、まだすべてが未知だけれど、アメリアは確かに一歩を踏み出したのだ。
そして、リリアという新しい友がそばにいることが、少しだけ心を強くしてくれる。

夕陽が草原をオレンジ色に染め、二人の影が長く伸びる。
アメリアは深呼吸して、草原の向こうに広がる未知の世界に、ゆっくりと目を向けた。
「……これから、どんなことが待っているんだろう」
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