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四重奏連続殺人事件
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亀井綾乃に電話をかける
電話をかけるのにこれ程、緊張したことはない。倉科は震えそうな指先でスマート・フォンを操作して亀井綾乃の番号を検索した。例のブラームス作曲ピアノ四重奏曲第一番ト短調の第一楽章が呼び出し音になっている。懐かしい声が聞こえた。
「はい……。久しぶりね」
かつて聞きなれていた低いトーンだ。倉科は綾乃の声調バロメータを思い出した。低い場合は、不機嫌、不安、警戒を示し、高くなれば、上機嫌、安心、受容のサインだ。倉科は二人の関係が良好かどうか、綾乃と交際していたころ、声の高低に細心の注意をはらっていた。
「元気? 貴女に少し聞きたいことがあって電話したのですが…」
暫しの沈黙があった。クスッと笑う声に続いて、
「随分、丁重な喋り方ね。昔は『おう、俺だ』からだったのに」
二年ぶりの会話だ。倉科の胸は甘さと苦さが入り交じる複雑な感情に支配された。
「昔は、そんなに不作法な電話のかけかただったかなぁ…。それより、沢山嫌な思いをさせたから着信拒否にされていないか不安だったよ」
倉科は素直に心中を話した。綾乃の声が少し高音に移った。
「あら、どうして? もう全然こだわってないわよ。それより、倉さんの聞きたいことって何?」
(もう、こだわってない……か)倉科は心の中で反復した。女は男よりも恋愛に関して切り替えが早い、と聞いてはいたが…。あんなに何度も愁嘆場を演じておきながら、果ては、神経に異常をきたした、と一時は精神科に通院していた綾乃だが…。やはり、綾乃との関係と別離の感情をいつまでも心の奥で清算できずにこだわり、引きずっていたのは俺だけだったのか。倉科は落胆とも安堵とも形容しがたい気分に襲われた。精一杯、気持ちを切り替えて、探偵としての仕事を始めた。
「貴女が所属していた『夢想花』のことについて聞きたいんだけど、亡くなった榊江利子さん鈴木正恵さんも同じだったよね? 君たちのホームページにも掲載されているんだけど?」
声のトーンがと低くなり、倉科には心配、警戒を示している綾乃の様子が目に浮かんだ。
「私も含めて、四人とも一年ほど前に辞めたわ。それ以来『夢想花』とは全く関係ないわよ」
「それは四重奏の演奏活動のことでしょう? 事務所とは演奏以外の関係も全くなくなったの?」
「演奏以外の関係……? 何のこと?」
綾乃の声調が一段と低くなり、高度の警戒態勢に入った。倉科は何かあるな、と確信したが、ズバリ切り込んだ質問は控えた。電話でのインタビューは相手の顔色を窺えない難点があり、問題の核心を突くには、どうしても対面して話す必要がある。倉科は話題を代えて、綾乃の周辺で連続して起こっている三件の出来事について尋ねることにした。
「知っていると思うけど、二件は自殺と事故で処理されて、残りの三村里香の件は殺人事件として捜査中だよ。君は三人全員と知り合いなんだよね」
少しの間があった。
「里香さんのことで警察から電話があったわ。殺された時に着ていた白いレインコートは貴女が貸したのですか?って」
「それ以外では?」
「以前からの知り合いでビオラを教えていたことや、よくお互いの部屋を行き来したことも話したわ。そしたら、誰かに恨まれているとか、心配なことがあるとか聞いてないかって。私、全然聞いたことが無いって答えたら、では、六月十九日の夜はどちらにいましたかって質問されたので、鎌倉の友人宅に泊まっていたから、その人の名前と電話番号を教えたの」
「それだけ? 刑事が訪ねて来なかった?」
「その電話だけよ。後は何もないわ」
倉科はこれだけの会話で、警察は亀井綾乃に全く関心を持っていないと判断した。さもありなん、既に処理された名古屋の交通事故と九州博多の自殺と三村里香殺人事件の関連に注目する捜査員などいないのだろう。
亀井綾乃を中心にして考えれば、当然、三件の出来事に何か関連があるのでは? と疑う優秀な?刑事はいないのだろうか……?
警察の捜査能力、情報収集力をもってすれば、容易に辿りつく推論のはずだが……。警察では事件についての想像力とか、発想力の自由な展開は捜査をミス・リードするとの考え方が支配的なのかも知れない。大半の事件は、当該事件に関する捜査事実の積み重ねで解決に至る。
しかし、複数の事件が複雑に絡み合っている場合に、一つの事件だけに限定して捜査を進めると、「木を見て森を見ない」の弊害が出る可能性もある。
特に処理済み事件と捜査中の事件に関連が有る場合は慎重に捜査する必要があると思うが……。今回の一連の事件がこのようなケースでなければ良いが……。
電話をかけるのにこれ程、緊張したことはない。倉科は震えそうな指先でスマート・フォンを操作して亀井綾乃の番号を検索した。例のブラームス作曲ピアノ四重奏曲第一番ト短調の第一楽章が呼び出し音になっている。懐かしい声が聞こえた。
「はい……。久しぶりね」
かつて聞きなれていた低いトーンだ。倉科は綾乃の声調バロメータを思い出した。低い場合は、不機嫌、不安、警戒を示し、高くなれば、上機嫌、安心、受容のサインだ。倉科は二人の関係が良好かどうか、綾乃と交際していたころ、声の高低に細心の注意をはらっていた。
「元気? 貴女に少し聞きたいことがあって電話したのですが…」
暫しの沈黙があった。クスッと笑う声に続いて、
「随分、丁重な喋り方ね。昔は『おう、俺だ』からだったのに」
二年ぶりの会話だ。倉科の胸は甘さと苦さが入り交じる複雑な感情に支配された。
「昔は、そんなに不作法な電話のかけかただったかなぁ…。それより、沢山嫌な思いをさせたから着信拒否にされていないか不安だったよ」
倉科は素直に心中を話した。綾乃の声が少し高音に移った。
「あら、どうして? もう全然こだわってないわよ。それより、倉さんの聞きたいことって何?」
(もう、こだわってない……か)倉科は心の中で反復した。女は男よりも恋愛に関して切り替えが早い、と聞いてはいたが…。あんなに何度も愁嘆場を演じておきながら、果ては、神経に異常をきたした、と一時は精神科に通院していた綾乃だが…。やはり、綾乃との関係と別離の感情をいつまでも心の奥で清算できずにこだわり、引きずっていたのは俺だけだったのか。倉科は落胆とも安堵とも形容しがたい気分に襲われた。精一杯、気持ちを切り替えて、探偵としての仕事を始めた。
「貴女が所属していた『夢想花』のことについて聞きたいんだけど、亡くなった榊江利子さん鈴木正恵さんも同じだったよね? 君たちのホームページにも掲載されているんだけど?」
声のトーンがと低くなり、倉科には心配、警戒を示している綾乃の様子が目に浮かんだ。
「私も含めて、四人とも一年ほど前に辞めたわ。それ以来『夢想花』とは全く関係ないわよ」
「それは四重奏の演奏活動のことでしょう? 事務所とは演奏以外の関係も全くなくなったの?」
「演奏以外の関係……? 何のこと?」
綾乃の声調が一段と低くなり、高度の警戒態勢に入った。倉科は何かあるな、と確信したが、ズバリ切り込んだ質問は控えた。電話でのインタビューは相手の顔色を窺えない難点があり、問題の核心を突くには、どうしても対面して話す必要がある。倉科は話題を代えて、綾乃の周辺で連続して起こっている三件の出来事について尋ねることにした。
「知っていると思うけど、二件は自殺と事故で処理されて、残りの三村里香の件は殺人事件として捜査中だよ。君は三人全員と知り合いなんだよね」
少しの間があった。
「里香さんのことで警察から電話があったわ。殺された時に着ていた白いレインコートは貴女が貸したのですか?って」
「それ以外では?」
「以前からの知り合いでビオラを教えていたことや、よくお互いの部屋を行き来したことも話したわ。そしたら、誰かに恨まれているとか、心配なことがあるとか聞いてないかって。私、全然聞いたことが無いって答えたら、では、六月十九日の夜はどちらにいましたかって質問されたので、鎌倉の友人宅に泊まっていたから、その人の名前と電話番号を教えたの」
「それだけ? 刑事が訪ねて来なかった?」
「その電話だけよ。後は何もないわ」
倉科はこれだけの会話で、警察は亀井綾乃に全く関心を持っていないと判断した。さもありなん、既に処理された名古屋の交通事故と九州博多の自殺と三村里香殺人事件の関連に注目する捜査員などいないのだろう。
亀井綾乃を中心にして考えれば、当然、三件の出来事に何か関連があるのでは? と疑う優秀な?刑事はいないのだろうか……?
警察の捜査能力、情報収集力をもってすれば、容易に辿りつく推論のはずだが……。警察では事件についての想像力とか、発想力の自由な展開は捜査をミス・リードするとの考え方が支配的なのかも知れない。大半の事件は、当該事件に関する捜査事実の積み重ねで解決に至る。
しかし、複数の事件が複雑に絡み合っている場合に、一つの事件だけに限定して捜査を進めると、「木を見て森を見ない」の弊害が出る可能性もある。
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