君と旅をするために

ナナシマイ

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8章 世界の形

閑話 マルク視点 虚像

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 あぁ、うるせぇ。規則正しくも荒い息遣いを聞き続けて、どのくらい時間が経った? ちらりと目を向けると、その空間だけ切り取ったような異質さ。本当に同じ拘置所内にいるのだろうか。
 さっきから、ロイや、もとから収容されていた男らが苛立たしげな視線を向けているというのに、あいつは見向きもしない。というより、オレ達のことなど気にも留めていないようだった。耳障りな身体を動かし続ける音に痺れを切らしたのか、とうとうロイが口を開いた。

「フレッド、と言ったか。……お前、少しは大人しくできないのか」

 ロイにしてはかなり優しい口調だ。……まぁ、オレにはそんな口調であっても、あいつに話し掛ける勇気など出なかっただろうが。少し前、衛兵とのやり取りを思い出しただけで背筋がヒヤリとする。今朝会ったときは、またヌルい奴らが来たなと思ったものだが、それはとんだ勘違いだったのだ。



「俺とリルは無関係だ。出してくれ」

 弁明する時間を与えられたとき、あいつは最初にそう言った。少しの躊躇いも、恐怖心も感じさせないその言葉に、警備兵がたじろいだのがわかる。
 オレ達のような悪ガキが「出せ!」と騒ぐのならまだしも、あのようにきっぱりと言われたことなどないのだろう。あいつらが無関係だというのは本当のことだが、それでも普通、あんなに強くは出られないものだ。この時点で、何か違和感のようなものを感じたのは確かだ。

「あぁ、あの忌み子の連れか。あれも無罪を主張していたらしい。揃いも揃って傲慢だな」

 しかし警備兵はニヤりと口の端を歪める。それは人を貶めるのが愉しくて仕方ないといった様子で、そんな魔兵団を普段のオレは嫌っていたが、このときばかりは同意していた。
 忌み子のくせに、周りの人間を気にすることもなく、のほほんとしていたあのチビ。思い出すだけで嫌悪感が走る。少しは痛い目を見れば良いと思った。

 とにかく警備兵は、あいつの様子に気づかないまま――警備兵だけではない、誰も、この時点であいつの変化に気づけていなかった――、こう続けたのだ。

「忌み子が、よくもまぁ普通に街を歩けるものだ。危険過ぎる。捕らえられても文句は言えないだろう」

 ――ビクッと身体が震える。この場にいる全員が、戦慄を覚えただろう。それほどに濃厚な殺意だった。あいつから溢れ出す“気”にジリジリと皮膚を焼かれるようで、オレは思わず両腕をさすった。
 ちらりと盗み見たあいつの瞳は恐ろしいほどに冷え切っていて、鉄格子を挟んでいるというのに、喉元を掴まれたかのように錯覚する。

「……忌み子だから、危険?」
「……っ!」

 とても同年代とは思えないような低い声に、目を瞠った。どんな信念を持てば、こんな声を出せるのだろうか。

「危険かどうかを判断するのはあんたじゃない」
「し、神殿だ。忌み子は神殿にいるべきだろう……?」

 あぁ、もう何も言わないでくれ、と警備兵を睨む。これ以上、こいつを怒らせてくれるなと。いつこちらに飛び火してもおかしくないのだ。
 しかし意外にも、あいつの怒りはすぐに引っ込んだ。……いや、怒り自体は継続していたが、息苦しくなるほどの“気”は弱まったのだ。「神殿……?」と一瞬首を傾げ、それから嫌そうに溜め息をついただけだ。

 そのことにオレ達はほっとした。この短時間で、今や誰もがあいつの一挙手一投足に注目している。この場を支配しているのが誰なのか、本能的に理解していたのだ。そしてそれは、そう外れてはいなかったのだろう。続いた言葉に、またしても顔が強張った。

「言っておくが、俺達は出ようと思えば、今すぐにここから出られる」

 つうっと鉄格子をなぞるその指には、何の迷いも見られない。本当にそうなのだろうと、少なくともオレは、納得した。脅しでも何でもなく、簡単にオレ達と敵対し、そして必要であれば殺しも厭わないような。そう思わせるだけの迫力があったのだ。



「あぁ、音が気になるなら結界を張ってくれ。俺は魔法を使えない」

 オレの心配をよそに、苦言に返ってきた言葉は穏やかなものだった。……というよりも的外れな感じで、ロイは面食らったような顔をした。「……そうか」などと答えているあたり、本当に戸惑っているに違いない。その間にも、あいつは身体を動かし続けている。

 そんなロイを見かねたのか、今度は顔面に傷のある、いかにも暴力が得意そうな男が口を開いた。

「おい坊主。てめぇ、ここがどこだか分かってんのか?」

 ドスの利いた声に、あいつは小さく溜め息をついた。それはもう、面倒臭そうに。
 ……何だこいつ? どう考えても、肝の据わり方がおかしいだろ。

「当然だろう? 誰もここが宿屋とは思わない」
「うるせぇって言ってんだよ! それくらいわか――」
「あんたらと違って」

 話を遮られた男が口をつぐむと、拘置所の中はシンと静まった。アイツが動きを止めたことに、後から気づく。

「俺はここにいる必要がない。筋違いだ。ま、何も言わずにいるのは良くなかったが……これで納得できない奴に、これ以上時間をかける気はない」

 脅しや挑発も通じない、言っていることは乱暴だが正論。オレ達にできることは何もなく、自然、黙り込むしかなかった。それを確認したのか、また身体を動かし始めるあいつ。
 オレはしばらくの間、目を瞑って、石の床が蹴られる音を聞いていた。ターン、と響いたかと思うと、トトト、と短く鳴ったり、ズッと擦れるような音が聞こえたりして、音だけではどんな動きをしているのか、見当もつかない。

 と、不規則な足音が止んだ。今度はやけに規則的な、金属音を含む重い音が聞こえてくる。すぐに、「おい……」と警戒するような声が聞こえてきて、オレは目を開いた。声の主は、今までずっと黙っていた、引き締まった筋肉を持つ男だった。

「お前……何者だ?」

 その目線の先を追うと、またあいつ。何をしているのかと思えば、自分の目の前にある鉄格子を数本、順に指で突いていた。それは単純な動作だが、とにかく速度がおかしい。動く腕がブレて見えるのだ。

「ただの旅人……見習いだ」

 しかし、薄く笑って呟かれた言葉に、思わず笑いそうになった。慌てて俯く。……何だよ、旅人見習いって。こんな時にも冗談を言ってしまえるあいつに、恐怖心を通り越して親近感が湧いてくる。

 だが、それから改めて動きを見てみると、オレはとんでもないことに気がついた。さっきの親近感云々は撤回する。

「嘘、だろ……?」

 思ったより大きな声が漏れ、あいつがちらりとこちらを見る。それでも。

「なっ……何で、突く高さが変わらねぇんだよ!?」

 さっきから、あいつは自分の肩より少し上――大人の胸がある高さを維持していた。見る限りでは、そこから上下どちらにもズレがないようだ。オレには到底できないだろう。

「音もほとんど変わらない、な」
「……突く強さも同じということか」

 ロイと、いつも夢見魔団の後ろを守っているザックの言葉に、更に驚く。言われてみれば、確かにその通りだ。それがただ軽いものではなく、鉄格子一本一本を震わせるものだと考えると、もうわけがわからなかった。事実、最初に口を開いた男は呆れている。

「……とんでもねぇ奴だということは分かった」
「あぁ、逆にここで大人しくしている理由がわからなくなる。何が目的だ?」

 大人達の困惑を受けて、オレは更に混乱した。

「目的も何も、リルのために決まっているだろう?」
「……?」
「神殿なら、少しは冤罪の不満も解消できるだろうからな」

 は……? 今度こそ本当に意味がわからなくて、思考が止まった。そして次の瞬間、この場を満たした混乱が崩壊する。

「魔法的な欲を満たしておかないと、あいつは何をしでかすかわからないんだよ。そうなったら俺の手には負えない」

 ……こいつの手にも、負えないだと? のほほんとしたあの忌み子が?

 肩を竦めながら器用に身体を動かし続けるあいつ。今度こそ全員が口を閉じる。続いた「街全体に闇魔法を使うとか、そういう無茶はさすがに困るだろ?」という言葉は、聞かなかったことにした。



 その後、母親に感謝したのは言うまでもない。自分を助けてくれたことより、あいつが暴れるところに巻き込まれなくて済んだ、そのことに。

 いつもの癖で余計なことも言ってしまったが、二人が怒ることはなかった。あっぶねぇ、と思いつつその様子を窺っていると、オレはある事実に気づいた。
 忌み子のチビは真剣な表情で母親と話しているが、あいつは基本的にチビのことしか見ていない。無表情だが、時折含まれる気遣うような視線に、舌打ちをしそうになる。

 ……そんなことかよ。

 さっさと街を出ていって欲しい、という願いが通じたのか、あいつらは次の日には荷物をまとめて出発した。もうこんな思いはごめんだ。オレはあいつがやっていたように、空中に思い浮かべた鉄格子に向かい、指を突いていった。
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