異世界風聞録

焼魚圭

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第一幕 リリとの出会い

平和

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 鳥が鳴いて木々が鳴いて家の中まで届いてやがてそれはひとりの少年をたたき起こした。心地よい目覚めに身をゆだねて一度身体を伸ばし、寄り添うように眠っているリズを抱えて外に出る。
 家を出た途端、木々から漏れて入り込む細くて優しい光の雨が出迎えていた。
「はあ、生き返る」
 腕の中では茶色の毛に覆われた柔らかな生き物が微かに動いていた。
「リズも目が覚めたね」
 緩やかな表情で長い耳を振って幹人の腕に収まり続けていた。
「やっぱりかわいいよなあ」
 リズの柔らかな身体を揉む。ただただ揉み続けて、気持ちのいい感触を楽しみ続けて。そして気が付いた。
――魔力、ちゃんと操れるようになってるな
 以前は感情の赴くままに魔力が注がれてリズのチカラが暴走していたが今ではこの通り。成長をしっかりと感じることでこれまで知ることのなかった満足感に浸り、その一方で世界の隅にて燻り続けるあの影を思い出さざるを得なかった。
――生きるだけで必死な人もいるんだよなあ
 盗賊団に望まぬ形で入ることでどうにか生きて来た少女は今頃どうしているだろう。想像も付かない。誰もが幸せになることのできる、そんな暖かい結末はあり得ないのだろうか、つい昨日のこと、遠くはない過去を想う。手を伸ばすことすらはばかられるようなそれは幹人の頭を揺らしてかき乱し、そしてとても心地よいとは言い難い想いを充満させる。
――ダメだ、いちいち気にしていたら身がもたない
 分かっていながらも、記憶の波を鎮めることなど到底できなくて。
 苦い世の中に浸っている幹人の視界は突然闇に覆われた。柔らかな感触と緩い暗闇。その主に幹人は気が付いていた。
「リリ姉だよね、どうしたんだよ」
 その正体は森に住まう魔女のリリ。幹人の目を手で覆ったまま耳元で語りかける。
「そんなに思い詰めてどうしたんだか。もしよかったら相談に乗るよ」
 耳にかかる息が生ぬるくて得も言えない気持ちを呼び出して、本音を閉じようとする口を緩めていた。
「昨日の女の子がかわいそうだって思うんだ。あんなにもツラそうにしていてさ」
 リリは微笑んで微かな笑みをこぼして答える。
「あの子はきっと幸せになれると思う」
 断言するものの、それに対しての根拠を感じられない幹人は首を傾げる。
「いいかい幹人、盗賊はいなくなった、じきに王都の門は開かれて村人たちも元の生活に戻るはず」
 幹人はなにも分からない、答えは暗闇の中。
 リリは手を放して言葉を続ける。
「村ではきっと噂が広がるはずだよ。盗賊にさらわれた少女がいたってね」
「そんな噂広がるわけ……ってまさか」
 気が付いた、その事実を確認して満足気な表情を浮かべて一度頷いた。
「私が広めるのさ、人を救うための嘘の風聞を」
 これで平和だろう。その言葉は陽気の中を優しく漂い続けていた。
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