異世界風聞録

焼魚圭

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第二幕 時渡りの石

リズの行方

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 大きな音を立てて崩れる地下の部屋。小さな体、小さな頭から伸びる長い耳に入るその音はあまりにも迷惑なもの。鬱陶しさを感じながらもふと目に入った少年、目を覚まして慌てる幹人の頭に安心した様子で乗っかって耳を塞ぐように丸まった。
 やがて見えてきた暗闇。リズにとってはその景色の全貌を見通すのはあまりにも容易いものだった。遠くから現れる騎士、金属の不快な音を立ててながら近づいてくるそれに耐えられるはずもなく、リズは幹人の頭から飛び降りて遠ざかりゆく。静けさと金属の擦れ合う音、組み合わせが絶望的だったのだ。
 走って風のような速度で進む柔らかな生き物。かわいらしさの塊の魔獣は駆けて通った果てに見える先。そこにある宿の中へと忍び込んだ。小さな体は夜遅くのドアもない宿の入り口で見つけられることもなく、すんなりと忍び込むことが叶った。暗闇にかき消されたその姿を目にするものなどこの場にはリズ自身の他にはいるはずもなかった。
 リズは覗き込む、すぐ近くの部屋の中をその目で確実に。
――ごはんないかな
 リズは腹が減っていた。あの戦い、元教師の男との争いはそれほどまでにリズに負担を与えていた。
――うぅ、幹人会いたいよ
 騎士の立てる音に耐え切れずに逃げ出したリズ。不快な音、あれはいったいどこから出ている物なのだろう。思い出すだけでも耳が引きちぎれてしまいそうな苦痛に襲われていた。
 いくつか覗き込んだ時、ようやくリズの目には食べ物が映されていた。その名はリンゴ。リリの好物だっただろうか。身体よりも大きな赤い果物を回しながら頬張り、途中で放置して進み始めた。
 闇の中に見た明かり、夜遅くまで起きて火を灯している宿泊客の姿に身体を震わせていた。
――こんな時間まで?
 人間はお眠りの時間、そんな遅い時まで起きている姿、その服装を見てリズは全身の毛を震わせながら跳びはねた。
 その姿に見覚えがあった。この辺りの住民とは明らかに異なる服、旅行の経験すらないリズの知る異国の服などこの前の騒動を起こした人々くらいなものだった。
――盗賊だよ、なんでいるの
 不満を頬に貯め込むように抑えこみ、リズはすぐさま宿を抜け出した。身体が壁にぶつかろうともお構いなし、階段でつまずいても転がり落ちても今は知らないフリを続けて逃げていた。
 宿を抜けて進むこと、何時間、分からなかったが未だに空は暗くて辺りは静か。故に、騎士の歩く音が響いてくる度に全身の毛を立たせて震え上がらせながら落ち着きなく駆け回っていた。金属が擦れあう音があまりにも苦痛を運んで来るために、リズは昼頃に幹人たちと訪れた海へと向かっていた。
 そんなリズを待っていたように波が砂に当たって引きずるあの音が出迎えてくれた。波が奏でる調は心地よくて、リズはそのまま意識を闇の中に溶かして疲れに身を任せて意識を落としていた。


 何時間が経っただろう。気が付くと辺りは日差しに塗られていた。闇は薄れて陽を避けて建物の裏で縮こまっていた。
 人々の足は遠く、リズだけが切り離されてしまったよう。隔てられた壁を乗り越えるようにリズは人だかりへと進み始めた。
 そこにいる人々の姿、大人はもちろんのこと幹人よりも幼い子どもたちまでもが毎日やっていることのように、当然のように働いていた。
――あんなに小さい子どもまで働かせなくても
 そう思い首を傾げたリズだったが、きっとなにをしようにも無駄でしかないであろう、全てが徒労、この王都の中では全てが王の道具のひとつでしかないのだから。
 それに気が付いたわけでもないリズだったが、不要な行ないは避けることにして幹人たちを探し始めた。
 4つの脚は地を蹴り跳ね歩き、その身を素早く運んで行ってしまう。人だかり、にぎやかな人々のざわめき、そのすべてを無視して、目指すはあの地下室跡。
――昨日のところに行けば分かるかな、幹人の居場所
 心の叫び、欲望が暴れ狂い、あっという間にその場へと至っていた。地下室を上から囲む鉄の塊たち。無言を貫いて人間らしさのひとつも見当たらなくて不気味さを感じさせた。
 地下室から伸びて残された魔力の気配、それを視てリズは走って城の近くの朽ちかけた建物を目指した途中でのこと。
 魔力の伸びが交差して、絡み合っていた。
――なんて動線、いやになっちゃう
 そう思いながらこの場で最も濃い魔力をたどり、城へとたどり着いた。しかし、そこの門番もまた厳重な監視をしていてとてもではないが中に入ることなど出来そうにもなかった。
 そこから伸びる魔力の気配は城の中で折り返して再び外へと出ていたようだった。
――幹人の頭の上で耳揺らしていたい
 寂しさ、人に馴れるということが本来の魔獣にはなかった想いを呼び起こしていた。
 リズの動き、心の向き、全てが幹人の元へと向かっていた。

 会いたい

 単純な想いは特に何かをしたわけでもなく気が付けば得ていたもの。
 本来素敵なオスの同族と将来のために子を産むことが役割のはずだったが、本能は全く別のものへと書き換えられてしまっていた。

 恋とはまた違った好き、友情ともまた違った好き。

 独特な感情にリズは惑わされながら門番によって出ることを許されずに幹人のことを待つ他なかった。
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