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第三幕 竜の少女を信仰する国
鮭
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少女と男のふたりの会話を覗き見て顔を合わせるふたり。自ら牙を剥いて滅ぼした神話、どのような意味を持っているのだろう。
「幹人、竜の神話って」
「俺に言われても。竜の少女の信仰から知らなきゃ」
結局のところ、それ以降に重要な話は得られないと判断したふたりは別の店へと向かうことにした。腹ごしらえ、それは生きること。命をつなぐことそのものとも言えるだろう。何を食べよう、話し合って歩いて眺めて周って。六軒目だろうか。瞳に映るもの、それはこの地域としては物珍しいものだった。
「いらっしゃいませ、北の海で獲れた美味しい鮭の塩焼きはいかがかな」
鮭売りの若い男に呼ばれて吸い寄せられて、幹人は二切れ頼んでいた。
「鮭、この世界にもあったんだ」
感激するような美味。あれに触れるべくリリにも手渡し手元で湯気を上げるそれを頬張った。
こみ上げる懐かしさと味わい、いつもとは異なるしょっぱさは強くはあれども強すぎず、舌も腹も心も少しだけ充たされていた。
「ああ、やっぱ鮭はうまい、これぞ故郷の朝ごはん!」
久々にありついた懐かしい食事に幹人は心を弾ませていた。これまでのものに知っているものこそはあってもなじみ深いとは言えなかった。作ってみてもどこか異なる味を持っていて、不便と新しいなにかを経験として積んでいたのだった。
食べ物を買ったついでに鮭売りに竜の神話のことを訊ねるものの、分からないといった様子で首を傾けていた。どうにも竜の少女の信仰が地を覆うとともに廃れてしまったらしく、詳しいことは何一つ分からなかった。ならばこれだと竜の少女の信仰について訊ねてみた。異界の者の幹人と以前の旅では目的一直線だったリリには竜の少女の逸話のひとつの知識すらなかった。
鮭売りの話によれば時を大きく時を遡ったそこに小さな国があったのだそうだ。竜の神を信じて平和に暮らしていたひとつの国。しかし、ある日を境に全てが塗り替わる。血と脅威によって、救いと裏切りによって変えられてしまう。
竜が国へと入り込んで来たのだ。
国の地を踏みつけ我が物顔で畑を踏みつけ作物を踏みにじり、人々を食らって表情は何一つ変わらない。竜にとっては畑など質が異なるだけの地面、作物などただ生えているだけの植物、人など馳走のひとつに過ぎないのだった。
槍を持った兵士たちは竜を迎え撃つものの、討つことなど到底叶いやしない。鱗の固さは一流の鎧よりもはるかに硬く、身体は人類を大きく超越していた。そんな竜が外から一頭二頭と流れるように国へと入ってくる。彼らに境界線など初めからないのだ。
踏み入れてからの彼らの行為は分かりやすく恐ろしかった。
人々をその牙で食い破り飲み干してかっ食らっていった。口は牙は身体は心は鮮やかな赤に身を染めて、罪色を被って人々をエサに変え続けた。
人々は喚き嘆き逃げ惑う。そうした心情も構わずただただむさぼり続け、気が付けば郊外から都へと突入していた。
人々は口々に竜を暗黒の生物だと罵り、かつてあったとされている竜の神話を記憶の底に封じて消し去ったのだった。絶望に打ちひしがれながら必死に生を願い、どこにとなく祈りを捧げる。祈る対象などもうすでにどこにもいないのだということに気が付いていて、それでもなお、どこにとなく祈ることをやめられなかったのだそうだ。
そうした行ないに答えたのだろうか、都の中から勢いよく飛んで空へと舞い上がって地に降りるとともに竜の頭を潰した者がいた。
トカゲのような右手にコウモリのような翼、独特な形をした尻尾。顔を上げるとそこにいる者はトカゲのような眼と自信に満ち溢れた少女だと見て取れた。それはまさに竜の混ざった少女の姿。人々の味方なのだろうか、次の行動を人々は待った。人々の想いの通りにすぐさま次の行動へと移った。他の竜を蹴り上げて生命をも吹き飛ばし、またしても竜を殺し。
人々は感激して竜の少女を讃えて、応援に入った。それから一時間程度で竜を狩り終えた少女を信仰し、飛び去る彼女を神として崇め始めた。
それが竜の少女の英雄譚。鮭売りの男に礼を言ってふたりは立ち去って、次の料理を堪能すべく動いていた。獣の肉を使ったスープを飲み、貝の串焼きを頬張って、海へと続く道に整列した市場を全力で楽しむ。まさに生きるための息抜きだった。
「どうかな、とてもいい料理ばかりだったけど、幹人も満足できたかい?」
「もちろん」
幹人は首を縦に振って、とっておきの笑顔を咲かせて見せた。
ならよかった。そう答えてリリもまた、太陽に照らされた明るい笑顔を見せていた。満足感と満腹感、このふたつに揺られて幹人はよろめきリリに寄りかかった。
「そうかい、おねむかな」
これまでの三つの地を巡る出来事に旅の疲れ、リリに対する明るい感情とそれによる弊害、それらによって溜め込まれ続けた疲労に加えて船での移動による不安定な感覚。元の世界はあまりにも便利で体力も使わずに生きて育ったもので世界が異なる以前の問題として慣れないこともあったのは間違いのないことで。
もう既に幹人の身体は限界を迎えていた。
おや、大丈夫かい? リリの優しい言葉に包まれて、ほんの少し柔らかで心地良い温かさに埋もれて、もう動くことなど出来なくて。
「疲れたんだね、異界から来てずいぶんと頑張ったキミだから休みは必要かな」
リリの一週間近くの眠りの間、ずっと看ていた幹人、リリは当然その話を街の住人に聞かされていた。
「本当に休みを求めていたのは、幹人の方だったのかも知れないね」
ムリはしなくていいんだ、さあおやすみなさい。贈られた言葉に抗う力も残されておらず、幹人の意識はゆっくりと薄らいで。やがては闇の中へと落ちて行った。
「幹人、竜の神話って」
「俺に言われても。竜の少女の信仰から知らなきゃ」
結局のところ、それ以降に重要な話は得られないと判断したふたりは別の店へと向かうことにした。腹ごしらえ、それは生きること。命をつなぐことそのものとも言えるだろう。何を食べよう、話し合って歩いて眺めて周って。六軒目だろうか。瞳に映るもの、それはこの地域としては物珍しいものだった。
「いらっしゃいませ、北の海で獲れた美味しい鮭の塩焼きはいかがかな」
鮭売りの若い男に呼ばれて吸い寄せられて、幹人は二切れ頼んでいた。
「鮭、この世界にもあったんだ」
感激するような美味。あれに触れるべくリリにも手渡し手元で湯気を上げるそれを頬張った。
こみ上げる懐かしさと味わい、いつもとは異なるしょっぱさは強くはあれども強すぎず、舌も腹も心も少しだけ充たされていた。
「ああ、やっぱ鮭はうまい、これぞ故郷の朝ごはん!」
久々にありついた懐かしい食事に幹人は心を弾ませていた。これまでのものに知っているものこそはあってもなじみ深いとは言えなかった。作ってみてもどこか異なる味を持っていて、不便と新しいなにかを経験として積んでいたのだった。
食べ物を買ったついでに鮭売りに竜の神話のことを訊ねるものの、分からないといった様子で首を傾けていた。どうにも竜の少女の信仰が地を覆うとともに廃れてしまったらしく、詳しいことは何一つ分からなかった。ならばこれだと竜の少女の信仰について訊ねてみた。異界の者の幹人と以前の旅では目的一直線だったリリには竜の少女の逸話のひとつの知識すらなかった。
鮭売りの話によれば時を大きく時を遡ったそこに小さな国があったのだそうだ。竜の神を信じて平和に暮らしていたひとつの国。しかし、ある日を境に全てが塗り替わる。血と脅威によって、救いと裏切りによって変えられてしまう。
竜が国へと入り込んで来たのだ。
国の地を踏みつけ我が物顔で畑を踏みつけ作物を踏みにじり、人々を食らって表情は何一つ変わらない。竜にとっては畑など質が異なるだけの地面、作物などただ生えているだけの植物、人など馳走のひとつに過ぎないのだった。
槍を持った兵士たちは竜を迎え撃つものの、討つことなど到底叶いやしない。鱗の固さは一流の鎧よりもはるかに硬く、身体は人類を大きく超越していた。そんな竜が外から一頭二頭と流れるように国へと入ってくる。彼らに境界線など初めからないのだ。
踏み入れてからの彼らの行為は分かりやすく恐ろしかった。
人々をその牙で食い破り飲み干してかっ食らっていった。口は牙は身体は心は鮮やかな赤に身を染めて、罪色を被って人々をエサに変え続けた。
人々は喚き嘆き逃げ惑う。そうした心情も構わずただただむさぼり続け、気が付けば郊外から都へと突入していた。
人々は口々に竜を暗黒の生物だと罵り、かつてあったとされている竜の神話を記憶の底に封じて消し去ったのだった。絶望に打ちひしがれながら必死に生を願い、どこにとなく祈りを捧げる。祈る対象などもうすでにどこにもいないのだということに気が付いていて、それでもなお、どこにとなく祈ることをやめられなかったのだそうだ。
そうした行ないに答えたのだろうか、都の中から勢いよく飛んで空へと舞い上がって地に降りるとともに竜の頭を潰した者がいた。
トカゲのような右手にコウモリのような翼、独特な形をした尻尾。顔を上げるとそこにいる者はトカゲのような眼と自信に満ち溢れた少女だと見て取れた。それはまさに竜の混ざった少女の姿。人々の味方なのだろうか、次の行動を人々は待った。人々の想いの通りにすぐさま次の行動へと移った。他の竜を蹴り上げて生命をも吹き飛ばし、またしても竜を殺し。
人々は感激して竜の少女を讃えて、応援に入った。それから一時間程度で竜を狩り終えた少女を信仰し、飛び去る彼女を神として崇め始めた。
それが竜の少女の英雄譚。鮭売りの男に礼を言ってふたりは立ち去って、次の料理を堪能すべく動いていた。獣の肉を使ったスープを飲み、貝の串焼きを頬張って、海へと続く道に整列した市場を全力で楽しむ。まさに生きるための息抜きだった。
「どうかな、とてもいい料理ばかりだったけど、幹人も満足できたかい?」
「もちろん」
幹人は首を縦に振って、とっておきの笑顔を咲かせて見せた。
ならよかった。そう答えてリリもまた、太陽に照らされた明るい笑顔を見せていた。満足感と満腹感、このふたつに揺られて幹人はよろめきリリに寄りかかった。
「そうかい、おねむかな」
これまでの三つの地を巡る出来事に旅の疲れ、リリに対する明るい感情とそれによる弊害、それらによって溜め込まれ続けた疲労に加えて船での移動による不安定な感覚。元の世界はあまりにも便利で体力も使わずに生きて育ったもので世界が異なる以前の問題として慣れないこともあったのは間違いのないことで。
もう既に幹人の身体は限界を迎えていた。
おや、大丈夫かい? リリの優しい言葉に包まれて、ほんの少し柔らかで心地良い温かさに埋もれて、もう動くことなど出来なくて。
「疲れたんだね、異界から来てずいぶんと頑張ったキミだから休みは必要かな」
リリの一週間近くの眠りの間、ずっと看ていた幹人、リリは当然その話を街の住人に聞かされていた。
「本当に休みを求めていたのは、幹人の方だったのかも知れないね」
ムリはしなくていいんだ、さあおやすみなさい。贈られた言葉に抗う力も残されておらず、幹人の意識はゆっくりと薄らいで。やがては闇の中へと落ちて行った。
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