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第三幕 竜の少女を信仰する国
島
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リリと幹人がいつも通りに愛に溺れている間にアナは子どもたちと仲良くなっていた。少女よりもわんぱくな子どもと仲良くなって走り回っていた。
「こっちだこっち、奪ってみせろよあはは」
走り回るアナの手に握られていたものは幹人のカッターシャツ、この世界では貴族ほどの位の高さでなければ手に渡らないとまで言われている代物だった。
追いかけまわして逃げて、引っ張り合って地面に落ちて。すっかりと汚れてしまっていた。
少女は楽しそうなアナに半目で横やりを、ひとつのお訊ねを入れていた。
「それ、汚して大丈夫なの?」
おうよ、応えを返して誰のものなのかどのような価値があるのか、全て問うことなくお構いなしに振り回し続けてひたすら笑って。おまけに「アイツは何しても許してくれるから土で顔にラクガキしてもいいんだ」などとあからさまな嘘を塗り付けていた。
明らかに高価だと分かり切った服は農民の色に染められて、高貴という言葉の塗装はすっかり剥がれ落ちていた。
素のままありのまま見渡したアナは少し離れたそこにひとりぼっちの男の子の姿を見た。
「おーい、そこでなにやってんだ? こっち来いよ楽しいからさ」
呼ばれはしたものの、彼は動くことなくただ見守るだけ。石像のように動かない。
「私も一緒に遊びたいんだ」
「やめときなよ」
アナの言葉に少女は口をはさんだ。続けられた言葉に思わず眉をひそめていた。
「あの子嘘つきなんだよ。あんなところに島なんかあるわけないよ」
「そうだそうだ、なにもない海にいきなり島が現れて消えるなんてそんなの嘘に決まってる」
嘘つきは相手にされない。誰からも信じてもらえず近寄りがたくなってしまってただひとりで生きる男の子。嘘だと断定されては最早何を言ってもムダにしかなりえなかった。
――信じてもらえないかあ
ひとりで立っている男の子の元へとゆっくりと歩み寄り、これまで一度たりとも浮かべたことのないぎこちない作り笑顔を向けて投げかけて、声を届けて伝えて。
「どうしたんだ? 聞かせてみろよ」
しかし、男の子は首を横に振るのみ。
「大丈夫だ、私は旅行者だからおかしなものはいくらでも見て来てんの」
おまけに時たま私もわけわかんないおかしな口癖出てるしな、そう付け加えて男の子の目をしっかりと見つめ続けていた。見つめられ、うつむいて、消え入りそうな声で話を繋ぐ。
「どうせみんな信じてくれないんだ」
「安心しろ、私は信じる。ひとりぼっちになってまで訴えて」
肩に手を置いて、軽く二度叩いて言葉を続けた。
「嫌われても意見を曲げないのならホントウなんだろ」
なんて純粋な意見だろうか、それとも旅をして来たからこそ分かる本音なのだろうか。
「いいからさ、私はアンタに訊いてんだからさっさと答える。手遅れになる前にね」
ひとりぼっちにはさせない、そう締めくくられて男の子はようやく話し始めた。
「実は向こうの海にたまにいきなり島が現れるの」
「おうおう」
「それはある朝のこと」
「ほうほう」
「霧に覆われた風の強い日のことで」
「おうおう?」
「いつもは海一色なのにその日は砂地が見えたんだ」
「おう?」
「一歩踏み出せばそこは海だったから絶対離れたところにあったんだよ」
「おおう……」
相づちがこの上なく雑ではあったものの、決して疑っているわけではない真剣な表情を浮かべていた。分かることと言われれば霧が酷かったことと風が強かったのだということに加えて時間が朝なのだということだった。
「教えてくれてサンキューな」
親指を立てるその仕草も言葉も男の子にはその意味を理解できなかったものの、表情と声の明るみに触れて悪い意味ではないのだと悟っていた。
「私が明日調べに行ってやるよ」
胸を張って意気込んで、男の子から聞かされて。
「でも、この前霧の朝にみんなで見に行ったんだけど出てこなかったんだよ」
つまり簡単には見られない現象なのだという。それを聞いて豪快な笑いを浮かべながら言ってのけた。
「任せろ任せ。この場で信じる最後の砦がすぐさま真実を持ってきてみせる」
その目は燃え滾るやる気と変わった噂に対する興味と明るみに染められて、人間模様の美しさを見せつけていた。
☆
そこはある女の家、特に金をもらっているわけでもなければ何か食料をもらっているわけでもなく、ただ子どもたちのために日々授業を行っているマーガレットの住む家。この家に入った途端、マーガレットを抱き締めてお帰りと言って出迎えた若い男が恐らくはジェロードなのだろう。
太陽が空を走り上がっていた昼手前、そんな優しい家の中にまで差し込む明るさとは裏腹に陰に覆われ突っ伏す少女がいた。
「どうすりゃ見れるのさ……未知の島」
朝から気合を入れて歩いて家を出て、帰ってきてからはずっとこの調子だった。彼女の明るさは空にでも奪われてしまったのだろうか。死にかけた貌はいつものアナからは想像も付かない暗くて心すら沈んで見えないものだった。リリは落ち込むアナの背中を優しく撫でる。
「ありり、見つかりやしなかったのね。やっぱりあの子の見間違いじゃないかしら」
オトナの言葉、変わったことを何ひとつ信じてくれない人間の発す言葉にアナは顔を上げる。
「信じてやらなきゃ、あの子の『ホント』はただのウソになっちまう」
負の風聞、あの子はホラ吹きなんだといってついでに吹くのは法螺だけにしとけよと付け加えられてしまいそうなこの状況、アナには見ているだけで耐えられないものでしかなかった。
「誰も信じないなんて悲しすぎるぜ。きっと『ホント』を言ってるだけなのに。たまたま見かけた不思議に人生滅ぼされるなんて悲しすぎるぜ」
異様に入った気合い、その理由など分からないがリリは仲間のことを見捨てることもなく、大きなため息をつきながら一度頷いた。
「分かったよ、次は一緒に調べよう」
夕方まで待ち、帰ってきたマーガレットに断りを入れて箒を借りて、次の朝を待つ。
「こっちだこっち、奪ってみせろよあはは」
走り回るアナの手に握られていたものは幹人のカッターシャツ、この世界では貴族ほどの位の高さでなければ手に渡らないとまで言われている代物だった。
追いかけまわして逃げて、引っ張り合って地面に落ちて。すっかりと汚れてしまっていた。
少女は楽しそうなアナに半目で横やりを、ひとつのお訊ねを入れていた。
「それ、汚して大丈夫なの?」
おうよ、応えを返して誰のものなのかどのような価値があるのか、全て問うことなくお構いなしに振り回し続けてひたすら笑って。おまけに「アイツは何しても許してくれるから土で顔にラクガキしてもいいんだ」などとあからさまな嘘を塗り付けていた。
明らかに高価だと分かり切った服は農民の色に染められて、高貴という言葉の塗装はすっかり剥がれ落ちていた。
素のままありのまま見渡したアナは少し離れたそこにひとりぼっちの男の子の姿を見た。
「おーい、そこでなにやってんだ? こっち来いよ楽しいからさ」
呼ばれはしたものの、彼は動くことなくただ見守るだけ。石像のように動かない。
「私も一緒に遊びたいんだ」
「やめときなよ」
アナの言葉に少女は口をはさんだ。続けられた言葉に思わず眉をひそめていた。
「あの子嘘つきなんだよ。あんなところに島なんかあるわけないよ」
「そうだそうだ、なにもない海にいきなり島が現れて消えるなんてそんなの嘘に決まってる」
嘘つきは相手にされない。誰からも信じてもらえず近寄りがたくなってしまってただひとりで生きる男の子。嘘だと断定されては最早何を言ってもムダにしかなりえなかった。
――信じてもらえないかあ
ひとりで立っている男の子の元へとゆっくりと歩み寄り、これまで一度たりとも浮かべたことのないぎこちない作り笑顔を向けて投げかけて、声を届けて伝えて。
「どうしたんだ? 聞かせてみろよ」
しかし、男の子は首を横に振るのみ。
「大丈夫だ、私は旅行者だからおかしなものはいくらでも見て来てんの」
おまけに時たま私もわけわかんないおかしな口癖出てるしな、そう付け加えて男の子の目をしっかりと見つめ続けていた。見つめられ、うつむいて、消え入りそうな声で話を繋ぐ。
「どうせみんな信じてくれないんだ」
「安心しろ、私は信じる。ひとりぼっちになってまで訴えて」
肩に手を置いて、軽く二度叩いて言葉を続けた。
「嫌われても意見を曲げないのならホントウなんだろ」
なんて純粋な意見だろうか、それとも旅をして来たからこそ分かる本音なのだろうか。
「いいからさ、私はアンタに訊いてんだからさっさと答える。手遅れになる前にね」
ひとりぼっちにはさせない、そう締めくくられて男の子はようやく話し始めた。
「実は向こうの海にたまにいきなり島が現れるの」
「おうおう」
「それはある朝のこと」
「ほうほう」
「霧に覆われた風の強い日のことで」
「おうおう?」
「いつもは海一色なのにその日は砂地が見えたんだ」
「おう?」
「一歩踏み出せばそこは海だったから絶対離れたところにあったんだよ」
「おおう……」
相づちがこの上なく雑ではあったものの、決して疑っているわけではない真剣な表情を浮かべていた。分かることと言われれば霧が酷かったことと風が強かったのだということに加えて時間が朝なのだということだった。
「教えてくれてサンキューな」
親指を立てるその仕草も言葉も男の子にはその意味を理解できなかったものの、表情と声の明るみに触れて悪い意味ではないのだと悟っていた。
「私が明日調べに行ってやるよ」
胸を張って意気込んで、男の子から聞かされて。
「でも、この前霧の朝にみんなで見に行ったんだけど出てこなかったんだよ」
つまり簡単には見られない現象なのだという。それを聞いて豪快な笑いを浮かべながら言ってのけた。
「任せろ任せ。この場で信じる最後の砦がすぐさま真実を持ってきてみせる」
その目は燃え滾るやる気と変わった噂に対する興味と明るみに染められて、人間模様の美しさを見せつけていた。
☆
そこはある女の家、特に金をもらっているわけでもなければ何か食料をもらっているわけでもなく、ただ子どもたちのために日々授業を行っているマーガレットの住む家。この家に入った途端、マーガレットを抱き締めてお帰りと言って出迎えた若い男が恐らくはジェロードなのだろう。
太陽が空を走り上がっていた昼手前、そんな優しい家の中にまで差し込む明るさとは裏腹に陰に覆われ突っ伏す少女がいた。
「どうすりゃ見れるのさ……未知の島」
朝から気合を入れて歩いて家を出て、帰ってきてからはずっとこの調子だった。彼女の明るさは空にでも奪われてしまったのだろうか。死にかけた貌はいつものアナからは想像も付かない暗くて心すら沈んで見えないものだった。リリは落ち込むアナの背中を優しく撫でる。
「ありり、見つかりやしなかったのね。やっぱりあの子の見間違いじゃないかしら」
オトナの言葉、変わったことを何ひとつ信じてくれない人間の発す言葉にアナは顔を上げる。
「信じてやらなきゃ、あの子の『ホント』はただのウソになっちまう」
負の風聞、あの子はホラ吹きなんだといってついでに吹くのは法螺だけにしとけよと付け加えられてしまいそうなこの状況、アナには見ているだけで耐えられないものでしかなかった。
「誰も信じないなんて悲しすぎるぜ。きっと『ホント』を言ってるだけなのに。たまたま見かけた不思議に人生滅ぼされるなんて悲しすぎるぜ」
異様に入った気合い、その理由など分からないがリリは仲間のことを見捨てることもなく、大きなため息をつきながら一度頷いた。
「分かったよ、次は一緒に調べよう」
夕方まで待ち、帰ってきたマーガレットに断りを入れて箒を借りて、次の朝を待つ。
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