異世界風聞録

焼魚圭

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第五幕 風を嫌う者

不可視

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 それは唯一の道を閉ざしてしまえば恐ろしいほどまでに閉じられた密室。地下を灯すのは壁に掛けられた太いロウソク、テーブル毎に置かれた燭台に鎮座して頭を輝かせる三本の細いロウソクたち。幹人はこの書物だらけの世界に飛び込んだ途端に軽い息苦しさを感じていた。
 苦い表情を見て取ったのだろう、そんな少年を包む優しい自然のような手で背中をさする魔女がそこにはいた。

「大丈夫? あんまり無理はしないで欲しいな、大切なキミだからさ」

 息苦しさに混じる荒い呼吸。それは互いに絡み合って幸せだけを感じさせつつも意識は揺れる火のように景色に溶け込んで行く。

「ないかな、出来ればあって欲しいんだけど。幹人の心が書かれた本」

――あるわけないじゃん!!
 リリが探し求める本があまりにも具体的な対象の専門書、それもこの世界に行き着いたばかりも同然の一般人を記した書物で、まず存在すること自体がおかしなシロモノだった。

「リリはなにを求めてるんだよ」
「ん? 幹人の……幹人、幹人かな」

 思考はただ流れる水のようで、知性のひとつも感じさせなかった。とはいえ幹人は気分が軽くなるようなその言葉に救われていた。
 深く深く、染みわたり澄みわたり、激しい波風を立てながらもおどろおどろしい色気に魅せられのぼせてしまいながらも、気が付けば初めからそこにあったように馴染んでいる。それこそが幹人にとってのリリという人物だった。
 すっかりと元気を取り戻して、イナンナの偉業を綴った本を探す。
 一方でアナは本を取り出してページを素早くめくっては棚に戻し、それを続けてやがては大きなため息をついてリズを揉み始めていた。

「可愛いよな、アタシと違って可愛い過ぎるのズルいんだけど」

 人間以外の生き物に対して謎と呼べるほどの大きな嫉妬を見せてリズを揉み続ける。リズもされるがままに揉まれ続けてただただ癒されている様を周りに振りまいているだけだった。
 そんな自由の世界に住まう人たちのことなど放っておいてリリと幹人は一冊の本に出会っていた。

 それはこの世界で見かけることなどない薄い紙の表紙をしたもので、開いたそこにはリリにとっては記号にしか見えない形の文字で何かが綴られていた。

「幹人には読めるかい? なにか東の方で使う文字が混ざってるみたいだけど」

 それは幹人がどこの世界の如何なる文字よりも見慣れた例のあの言語で書かれていた。

「三月六日、これから作戦を決行しよう、誰にも見えない不可視、Invisibleをもじったイナンナ・ヴァイシ・ブルーを名乗って貯め込み放出作戦を決行する」

 そこからこの仲間の間では幹人だけが読み進められる日記に目を当てて、次第に呆れを募らせて行った。

「五月十八日、順調順調! 民から徴収した銭が貯まる貯まる。どうせ建設する時俺死んでるから関係ないもんねー!!」

――悪い政治だなおい!
 そう、国民から税金を徴収して貯めて無理やりこの建造物を作ったのだということ。消費税や住民税による貨幣の徴収だけでなく、鉱物や宝石などの贅沢品にも一年に一度の多額の税金をかけて、払いきれないのであれば押収。そのやり方を貫き通して陰でイナンナを名乗る男は死するその時まで姿を現すことなく税金や財宝を地下に眠らせ続けたのだという。そこから読み進めて内容を汲み取るからに諸外国との交易や財宝の高額押し売り、海外の建設企業への委託など、元の世界の幹人が生きる時代の中学生が思いそうな政策の数々が軽い口語文体に紛れて散りばめられていた。
 そして最後のページ、そこにはこう綴られていた。

「八月二十二日、ダメ、そこは、お、俺……逝っちまいそう。ああ! 逝く! 逝く! 逝くーー!! 計画が無事に進むことを祈りながら、あっ、あっ……あの世界にっ、神隠しに遭って以来帰ることも許されずに。今ここでっ……逝くーーー!!!」

――うるせえ!
 なんて晩年だろうか。きっと自棄を起こして感情の赴くままに小躍りしながら書いたに違いないその内容に幹人の呆れは噴火を起こしていた。

「どうしたのかな、変なことでも書いてあった?」

 心配して顔を覗き込むリリに対して幹人は顔を左右に振る玩具と化しながら伝えた。

「いや……変た、ううん、大変愉快なことが書いてあったよ」

 結果としては不可視の人物は上の人々に命令して国民から税金や財宝を巻き上げて金を集めて諸外国とだけで、建設が始まったのは彼の死後なのだと説明を添えて日記を閉じた。

「なるほど、イナンナさんは下準備だけ済ませて死んで、計画の名前、そこにはいない参謀として残っただけなのね」

 全くもって正確、誤りひとつない理解に幹人は安心しきっていた。
 重要な話が進んでいる中、隣で目を輝かせる少女は話のひとつも聞いていなかった。

「リズ、見てくれよ、タヌキめっちゃ可愛くね? アタシ欲しいんだけど」

 愉快な様、魔獣に動物の可愛らしさを説く少女。本を開いて挿し絵に指を向けて飛び切りの笑顔を浮かべるその姿は歳相応なのか否か。花に囲まれた空気感と可愛い魔獣の組み合わせは見るからに微笑ましさだけで埋め尽くされていた。
 そんなアナのことは置いておいて、リリは話を続けた。

「神隠し、その原因は分からなかったってことね」

 そればかりは今ここにいるメンバーで探す他なかった。
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