異世界風聞録

焼魚圭

文字の大きさ
上 下
182 / 244
第八幕 日ノ出ズル東ノ国

味方だから

しおりを挟む
 ランスとふたりきり、王と隣り合うという幹人の常識の中では遠くて現実味のない出来事。つまり、ある種の幻想の味がしていた。
 ランスは幹人の顎に触れ、瞳を覗き込んで顔を近付ける。美しい顔をした王の芯の通った瞳に射貫かれて、幹人はついつい顔を赤らめてしまう。この時ばかりはどこかの国でランスに叶わぬ恋心を抱く乙女の気持ちを理解したつもりになれた。

「あなたは、なにを迷っているのか」

 情は感じさせるものの、どこか人間離れした声が澄みわたって幹人の心をかき乱していた。ランスという人物はもはや男か女か、性別は、年齢は、などといった俗な価値観で測ることの出来ない不可思議な雰囲気を纏っていた。
 そんな人類の神秘を具現化したような人物の言葉、問いかけの意思に抗おうといった考えなどすぐさま流されてしまって口から正直な気持ちが自然と零れ落ちてしまう。

「最近、オンナノコを目の当たりにしてしまったんです。あの子は男でも女でも関係なく恋をして、明るく積極的に話しかけに行って」

 静嬉によって一瞬にして気づき築かれた視点はランスの耳によって共有されて行く。幹人が抱く想い、それを一滴たりとも隠してはならないような罪悪感の霧が蔓延っているような気がして、喉まで充たしてきているような気がして、早く救われたいという願望が自然と湧いてくるのだ。

「リリもたまに女の子と妙に距離感が近くて、そういうこと思ってるのかなって思わずにはいられないんです」
「つまり、同性同士なのに、かな」

 柔らかな口調は自然と入り込んで固まって溜まり込んで明るみを塞ぎこんでしまっている想いを溶かして揉み解して行った。ランスの言葉は続けられる。

「ネコと戯れるのは好きか? だとしたらそんなものかも知れないな。あの子とやらはホンモノだったようだし、そういった人々も時たま見かけるものだが。男同士でもな」

 耳を疑った。話には聞くものの、現実に存在するなどと思ってもいなかった、というよりは実感が湧いていなかった。

「いい顔。私も初めて見た時はそのような反応をしていただろうか」

 それから話は元に戻る。幹人は完全に聞き入っていた。いつまでも聞いていたい、そう想わずにはいられなかった。

「リリという魔女、あの子は可愛いものなら大体は好きだとみた。それでいて品定めはある程度できる人間なのだともな」

 これまでの旅の中でリリばかりが活躍している様を思い返していた。あれは人との関わり方を多少は学んでいるから出来ることなのだろうか。あの妖しい笑みの艶やかな様や幹人に向けるねっとりとした愛の裏にどのような人生が隠れているのだろう。
 ランスは己の意見を更に出して行く。

「可愛いものが好き、ただ幹人に注ぐ愛情はホンモノなのだがな。どうして彼女の裏ばかりを視ようとするのだろうな」

 幹人はまたしても、心に抱いた言葉を隠し通すことも出来ずに口に出してしまっていた。

「裏ばかりもなにも、分からないんです。何を考えてるんだろう、実は俺のことなんてそんなに本気じゃないんじゃないかって、思うんです」

 幹人の目を再び覗き込んでいた。思いを見透かすように、言葉を引き出すように。その全てを視た時、ようやく幹人に対しての言葉がその不可思議な声で語られる。

「そうか、それがあなたの意見なのか、だとしたら私から言わせていただこう。彼女の愛情を信じろ。あなた以外の男に好きの想いを向けたことはあっただろうか? きっと彼女はそう言った線引きは出来ているはずだが」

 きっとうわさで聞いたのだろう。連れの少年を溺愛している魔女などと。当事者にしか分からないことがいくらでもある、そう言いたかった。

「知った口を、という顔をしている。別にしっかりと分かってるわけではないが、私からの意見としては『目の前の彼女を信じろ』と言いたかったのだよ」

 厳しくも優しい、しかしなにを理由にそこまで幹人に物を申すのだろう。交渉などに使うことなどあっただろうか。

「不服かな?」
「いいえ、どうしてここまで色々と言ってくれるのかなって。何か見返りを求めて来るんじゃないかって」

 それを聞いた途端、ランスは思い切り笑っていた。

「なんだ、そんなことか。なにも理由がなければ手を差し伸べてはいけないなどということはないのだ。私が味方したいって思うからこうやって話を聞いてたとえ少し厳しくなってでも意見を述べているのさ」

 この世界に迷い込んでからというものの、幹人の目の前に立ちはだかる交渉や見返りの数々に埋められて忘れていた。そう、無償の愛情は恋愛だけから発するものではないのだ。

「私、霧国の王から言えることはそれだけだ。これで何も解せぬはずはないだろう、さあ、戻ろう、あなたは好きな人の元へ、私は霧国へ」

 所謂外交というものなのだろうか、それとも敵国の視察なのだろうか。出張なのか旅行なのか、とにかくランスは用事を終えて帰っているところなのだという。

「では、また会おう。次は霧国で」

 そう言って、歩き始める。その時幹人の手に金属の塊を手渡して、何も語ることはなく、ただ立ち去る。王としての振る舞い佇まい、それはどこまでも感情を殺した姿だった。
 幹人はランスの背に目を向け、一度決して見えない深いお辞儀をして手渡された物に目をやる。
 剣が交差した獅子のエンブレムが刻まれしくすんだ塊。かつては騎士の道の通ずる国と呼ばれていたらしいということを、誰かが語っていたことを思い出した。
 手に収まるそれはきっと霧国で役に立つものなのだろう。幹人はそれを握りしめてリリの元へと歩き出した。
 きっとそこで待ちくたびれているであろう大好きなあの魔女の元へと。
しおりを挟む

処理中です...