断末魔の残り香

焼魚圭

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 それは桜も散ってしまって涼しさが暖かさへと変わってからの事。
 車はある山を走っていた。冬子の運転は心地よく身体を揺らす。男性アイドルグループの甘い歌声が流れる車内で冬子の運転に揺られる春斗は思うのであった。
ー冬子さんやっぱり女の子だよ、秋男のやつ何が女っぽくないから話しやすい、だよ普通に女の子してらっしゃるー
 女性にかける言葉すら選ばない秋男は後部座席で眠っていたのであった。女性と話すことが極端に苦手な春斗が会話を持ちかける事など出来るはずもなかった。
ーちょい気まずいなぁー
 秋男が眠って置き物と化しているための2人きり、その気まずさは友だちの友だち故のものであろうか。否、恐らく男性であればとうに打ち解けて2人きりでも話せていたであろう。そんなもどかしさに襲われていた。胸にかかる霧に息を詰まらせていた春斗に対して冬子はひと声かける。
「春斗、今から揺れる」
「えっ?」
 どう見ても広い道路の緩やかな下り道、揺れる理由などないように思えた。
ーまさか、また幽霊?ー
 突然冬子の運転が荒くなり、車はその視界を激しく揺らす。
「んん……なんだよ」
 目を擦りながら訊ねる秋男に冬子は固い声で言葉を投げる。
「起きろ、まだ行きだ」
「あ? 帰り寝てる姿見る方が地獄だろ」
 冬子はただただ呆れていた。
「よくもまあ寝起きでそんな事言えたものだな」
 それから3分と経たずに秋男は再び夢の世界へと意識を落とすのであった。



 太陽の光と熱気は目の前を流れる川を輝かせていた。木々の湿った匂いは美しく、生を感じさせる。
「たまには3人で心霊スポット以外のドライブも良いと思わないか」
 冬子の言葉に春斗は黙って頷く。冬子は珍しく優しい目を向けていた。それは目のクマや普段の態度も相まってとても弱々しく思える。
「春斗もそろそろ慣れてくれと言いたいが、ムリ?」
 いつもとの違いに春斗はますます照れるばかり。これまで女の子との関わりが極端に少なかった事が恐ろしい程の災いとなっていた。
 そんな会話を他所に、秋男は1人で川で遊んでいた。
「元気なやつ。さっきまで寝てたくせに」
 冬子が苔むした岩に腰掛けるのを確認した春斗は冬子が隣りの空いた所を叩くにも関わらず秋男の方へと走っていくのであった。
「春斗ようやく来たな! バトルしようぜ」
 春斗は靴と靴下を脱ぎ、裸足で川へと入って行く。その澄んだ水は春斗のふくらはぎの半分を沈める程度でそれほど深いというわけでもない。そんな川を歩く春斗に秋男は手ですくった水をかける。
「冷たっ」
 そう、まだ暖かい程度であるこの季節。川の水はまだ冷たいのであった。
「お前らあんまり濡れてたら置いて帰るからな!」
 冬子のそんな叫び声を聞いて春斗は震え上がる。一方で秋男は笑っていた。
「安心しろ! どんなにびしょびしょでも絶対に乗ってやるから」
「強行突破かよ」
 ツッコミを入れる春斗は秋男の背後、川の底で怪しい影が漂っているのを目にした。
ーもしかして、出た?ー
 影は川底を這って秋男の方へと近付いて行く。
「秋男!」
 春斗は必死に影を指すものの、秋男は一切気にも留めない。やがて秋男の元へとたどり着いた影は秋男の足首をつかみ引っ張り始める。
 一瞬よろめいた秋男はしかし、笑うだけ。
「この川そんなに深くないのに引っ張られるな。もしかして勢い強いのか?」
「ふくらはぎ半分浸かってるから、充分深いから。ほら行こう秋男」
 秋男の手を引いて川から上がる春斗。冬子は苔むした岩から降りて仁王立ちして待ち構えていた。
「持って帰りかけたな、幽霊」
 秋男は自身の頭に手を当てて言った。
「今どき幽霊もテイクアウトできる時代なんだ」
「バカ、ふざけてないでどうにかしないと」
「にしても運が悪かったな。よく水場に霊が集まりやすいとはいうがまさかテキトーに行った川でエンカウントだなんてよ。もしかして俺幽霊と婚活する天才か?」
「お前、早死にするぞ」
 そんな厳しい言葉たちも恐らくは友の事を思ってのものであろう。冬子はふたりを乗せて車を走らせた。



 車は山道を走って行く。冬子の顔には緊張が張り付いていた。
「まさかあんなところにいるなんて。断末魔の残り香は消えたな」
 春斗にはもう幽霊の気配の一つも感じる事は無くなっていた。
「大丈夫、俺も幽霊の気配は感じてない」
 秋男は反省でもしているのか特に何も話す事もなく妙に静かであった。その光景は春斗からすればとても不自然に思えてくる。反省する必要性も感じられない今回の件で黙っているのだから。
 車は山を抜け出し、辺りは夕日に包まれていた。そして車はファミレスで停り、3人はそこで晩ごはんを食べるのであった。
 どれだけそうしていたであろう。春斗は秋男が妙に静かである事を冬子にも確認してみる。
「と、冬子さん、あきは、秋男は大丈夫……ですか」
 たどたどしい口調の春斗に対して冬子は淡々と答える。
「タメ口でいい。多分精気でも吸われたんだろ。どうせ明日にはまたうるさくなってる」
 そうして過ごしている内に辺りは暗くなっていた。
「じゃあ、帰るか。秋男も元気ないしな」
 3人が立ち上がり、春斗と冬子がレジへと向かう中、秋男だけが先に外へと出て行った。
「アイツ……後で請求してやるか」
 そうしてふたりで代金を支払い、店を出て車へと向かう。
 車が見えて来たその時、春斗は気が付いてしまった。
「秋男いないけど」
 流石に不審に思ったのか、冬子は携帯電話を取り出し秋男にかける。何度かのコールの後、秋男は電話に出たのであった。
「もしもし」
 冬子はそれに答えようとするも、耳に入る微かな違和感。
「もしもし……もしも、うひゃひゃひゃひゃひゃ」
 冬子は携帯電話を閉じると駆け出した。
「春斗、川だ。多分やつは秋男の中に潜んでたんだ」
 春斗は冬子に着いていく。
 必死に走った。頑張った。息を切らして足が訴える痛みも無視して。
 見えて来た川、秋男は川へと向かって歩みを進める。川の向こうにいたのは顔すら見えない細い人型の影。闇に溶け込むそれは秋男に手招きをしていた。
「くそが!」
 冬子と春斗は必死で地を踏み、秋男に迫って行く。秋男は少しづつゆっくりと確実に川に入って行く。靴が濡れたにも関わらずその歩みは一切止まる気配を見せない。
 そして影とわずか数センチのところ、そこで春斗はようやく追いつき秋男の手を取るのであった。
ー良かったー
 春斗は秋男を引き上げ、安堵のあまり崩れ落ちる。力の抜けた身体はまるで精気を失った秋男のようであった。
 そんな姿を確認してか秋男は振り返り、顔を向けた。その顔に春斗は飛び上がるような恐怖を得たのであった。
「もしもし……もし、うひゃひゃひゃひゃひゃ」
 それは秋男などではなく骸骨。身体の隅から隅までその全てが骨へと変わって行く。
 秋男が魅入られていたのかと思っていた春斗、しかし狙われていたのは他でもない春斗なのであった。
 そのショックに耐えられない春斗はそのまま地に伏した。



 目を覚ましたそこに広がるのは白い何か、身体が受ける感触から恐らくベッドの上から天井を見上げていた。
「目、覚ましたか」
 冬子は春斗の目を覗き込む。
「良かった、もう大丈夫だから」
 それから語られる冬子の話によればドライブの帰りで秋男は寝ていた。ファミレスで秋男はよく話していたにも関わらず春斗が「静かだ」と言ったためその時点で違和感を持ったのだという。それからファミレスを出る時金も払わずに急に外へ出たため追いかけて行くと春斗が川へと向かう姿とそれを待ち構えていた幽霊の姿があったのだという。
 春斗は辺りを見回す。その寝室は薄桃色のカーテンによって彩られており、どう見ても女の子の部屋であった。春斗は殆ど確信を持ちつつも、現実を否定すべく訊ねる。
「ここ……どこ?」
 軽い笑い声をあげながら冬子は優しく答えた。
「私の家だ」
 春斗の頭は茹で上がりそうな程に暑く感じられた。
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