断末魔の残り香

焼魚圭

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旅館に泊まる者

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 それは8月半ば頃の事。日差しが空気を焼くように降り注ぐ中、車は3人を乗せて走っていく。運転している背の低い女性、冬子の隣りに座る春斗は後部座席に座る秋男と話していた。
「秋男ありがとう。秋男の提案がなかったら旅行なんて行かなかったよきっと」
「春斗が働き始めてから会う事無くなったからな、冬子がたまに心配してたぞ」
 冬子は特に表情を変える事もなく相変わらずの目付きの悪さで運転を続けていた。
 春斗が大学を中退して働き始めてから4ヶ月近く経った今。春斗は社会のツラさと人々の温かさと冷たさを学んで今、3人で旅行に行っていた。春斗にとってはまさに砂漠の中で死に際に水を得たような気分である。
 秋男はニヤつきながら言った。
「今向かってる旅館な、出るらしいぜ」
「出るから選んだんだよね」
「それもある」
 そんなふたりの会話の中、冬子はため息をついた。
「それしかないんだろ。旅行とか言って結局心霊現象狙いか」
 秋男は指を振る。
「まあ待った、人が殆ど来ない、海は綺麗、水着の女性もいる。カンペキだろ」
「水着の女性って私の事か」
 普段から目付きの悪い目のクマがある細いだけで肌が病人のように白い、そんな恐ろしさを強調させる要素ばかりをもっていると自覚している冬子は自身ですら女性としては役者不足だと思っていた。そしてひとつ付け加える。
「あとお前彼女に一回怒られろ」
 秋男は笑って言った。
「小春は寧ろ俺に冬子の魅力を語って来た方だぜ?」
 その言葉だけで冬子は呆れて黙る。脳裏にて小春の名前通りの穏やかで可愛らしい笑顔が輝いて見えていた。
 やがてガードレールの向こう側に濃い青に染められた海が見えて来た。美しい景色を眺めながら車は旅館へと向かって行く。自然が多い斜面の中、一部土砂崩れを起こした跡が残っているのを春斗はその目に映した。



 旅館へとたどり着く。とても幽霊が出そうな雰囲気の古びた旅館はまさに心霊スポットの名を冠するに相応しかった。
 戸を開いて入ると若き中居たちが駆けて来てお辞儀で出迎える。
 それを眺めつつ秋男は春斗にこそりと呟く。
「美人さん来たぜ、やったな」
 それから案内されてある部屋へと向かって行く。
「多分霊が出る部屋じゃあないぜ」
「俺は期待してないからね」
 疲れた身体と心に心霊スポットなど大きな負担としか思えなかった。
 古びた白い壁や木の柱、踏む度に軋む音を立てる床。今にも壊れてしまいそうな恐ろしい場所。そこを通って着いた部屋は畳が敷かれた部屋であった。
「流石に冬子も一緒は良くないと思うんだ」
 春斗のひと言に秋男は何度も頷いていた。
「確かに良くねえな、流石に女同伴はな。つまり男は心霊スポットに忍び込むんだぜ」
 冬子は秋男を鋭い目付きで睨み付けた。その瞳から滲み出る怒りの感情はいつもより色濃く強かった。
「春斗、別に私は構わないから一緒にいて、アイツに振り回されてたらいくつ命があっても足りたものじゃない」
 春斗は笑顔を浮かべて言う。
「大丈夫、心霊現象なんてよく遭ってる俺たちだから何とかなるよ」
 その笑顔はあまりにも不安定で今にも崩れてしまいそう。無理をして張り付けているのは丸分かりであった。しかし、そこまで言われては冬子も無理やり引き止める事など出来やしない。おまけにふたりの会話に口を挟む者まで現れるのだから尚更止められない。
「取り敢えず海行こうぜ。そんなに心配するな。ちょい怖い目見ておしまいだからな」
 結局のところ、全てが秋男の想像通りに進んでいたのであった。



 日差しは刺すような暑さで最早痛いと感じる程であった。ガラス細工のように輝く綺麗な海は美しく、吸い込まれそうである。
 そんな輝きを眺めて裸足で砂浜を踏む男ふたりはあまりにも熱い砂浜に驚いていた。
「俺ら砂で焼かれて今夜の目玉料理にされそうだな」
「冗談キツいよ」
 そんな無駄な言葉のやり取りの後、遅れて来た冬子は白と薄い緑色のビーチサンダルを履いて、涼しさを感じさせる水色のパレオを身に着けて、そして薄い上着を羽織っていた。春斗は冬子の白く弱々しく見える肌に見蕩れていた。表情や声、そして言葉は強そうでも運動不足の細い身体は正直であった。春斗の肩を小突いて何やら春斗の心の内に秘められた感想を崩壊させようとしている男がひとり。
「色気ねえよな、もっと太って肌ももう少し焼いて目のクマも消さねえと色気は出ねえぜ」
「埋めるぞ」
 早々たる切り返しに秋男は笑い、春斗は便乗する。
「そうだよね、こんないい格好した子のセンスが分からないなら埋めるのが1番」
 秋男は驚愕のあまり口を開いて春斗から離れる。
「裏切ったな春斗」
 そうして作った砂山に秋男を生き埋めにしてから三度謝らせて解放した後で春斗と冬子は綺麗な海を眺めつつ歩いて最近の出来事などを話したのであった。



 海の色、空の色、心の色、全てが夕日に照らされて変わって行って寂しくなってきた夕方。3人は旅館に戻って少し休んでいた。そこで秋男は春斗に今日起こるであろう心霊現象について話す。
「右足の無い霊がその部屋に泊まった人の右足をつかんで『寄越せ寄越せ』と懇願してくるらしい。何件か上がってたがひとりだけ右足を怪我したとか言ってたな」
 冬子は呆れのあまり言葉を出せずにいた。
 そんなやり取りの後での晩ごはん。冬子はその間ずっとどこからか視線を感じていた。注目しているようで、でも愛のある視線と言うよりは冷たいもので。気味の悪い視線に貫かれて冬子は地味ながらも美味しいであろう晩ごはんを楽しむ事すら出来なかった。
 その後風呂から上がりコーヒー牛乳を飲んでいる春斗の所に冬子が来て訊ねるのであった。
「晩ごはんの時、何か視線を感じなかったか」
「いや、別に」
 冬子は念を押して言った。
「本当にあのいわく付きの部屋に泊まっていいんだな? 折角の旅行が台無しになるかも知れないのに」
 春斗はただ一度頷いて上がってきた秋男について行ったのであった。
 中居たちには内緒で入る部屋。そこには初めから布団が敷いてあってふたりがそこで眠るのを待ち構えているようであった。
「さあ、寝るぞ」
 それだけ言って秋男は電気を消したのであった。



 何やら足を掴まれるような感覚に襲われた。春斗は目を開いて闇の中、目を凝らして自分の足の方を見つめるとそこには秋男が立っていた。見えない闇の中であるにも関わらず、恨めしそうな表情をしているであろう事は容易に想像出来た。
「よこせ、よこせ」
 秋男が言っていた。ただのイタズラなのか寝ぼけているのか春斗には全く分からない。ただ、秋男がその言葉を言っている事だけは間違いなかった。
「よこせ……よこせ」
 よく見てみると秋男の後ろには右足の無い女が立っていた。女もまた、苦しそうな声で呻くように言う。
 「寄越せ……寄越せ」
 ふたり揃って言うその光景に春斗は意識を失った。



 朝になり、目を覚ました春斗は秋男を無理やり起こした。
「大丈夫? 昨日のは一体」
「分からねえ。それより春斗も悪ノリ辞めろよな。昨日俺の右足引っ張りにきやがって」
 どちらが本当なのか分からない。もしかするとどちらも本当だったのかもしれない。春斗は秋男が寝ていた敷布団を調べ始めた。
 そして枕に違和感を得て、枕カバーを開けて手を入れてみる。
 何かを掴む感触がして取り出してみるとそれは血まみれのハンカチであった。



 旅館を出るその時に秋男は中居に女性霊の事を訊ねてみた。
すると中居は女将を呼んで現れた女将は語り出した。
「昔近くで土砂崩れがあって、ある女性がその土砂崩れにあって右足を失った状態でこの宿に来たの。血みどろなその姿に驚きながらもハンカチで血を拭いてたけど、ざんねんながら助からなかった」
 それ以来、その部屋に泊まった人の前に霊は現れて、その度に枕に血みどろのハンカチが入っていたのだという。敷布団を変えても心霊現象は収まらず、ハンカチも入っていたので誰も泊めていなかったのだとか。
 その話を聞いて春斗は思い出していた。
 あの時の霊は右足をもらいに来ていたのだと。無念の呻きをこぼしながら次こそはと。
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