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風使いと〈斬撃の巫女〉

終焉の鍵

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 見るからに普通の景色、素通りするのが当たり前のような光景。那雪はそんな景色を眺めて歩く。美しい絵のような葉をつけた木々や遠くて手も届かない澄んだ空、公園で元気走り回る子どもたち。何もかもが惨めな自分より輝いて見える。
 中学生の頃から高校の初め頃まではよく読んでいたマンガも今となっては続きを買う金もなく、とは言えどバイトは校則によって禁止されていた。父の仕送りは確実に減額されていた。いつ頃から減っていたのだろうか、中学三年生、受験の頃だ。別の住まいの妹が中学に入ってから。妹に仕送りのひとつでもしているのだろうか。しかし、そこについては母がどうにかすると言っていた。そう、夜中話していたのを聞いた為に。あの時魔法など知りもしなかったが何を話していただろう。

 那雪は思考を巡らせる。

 何か思い出せる事は。

 何も思い出せない。

 過去に大切なことが眠っている気がするにも関わらず。

 それを掘り起こす事がどうしても出来ない。

 やがて那雪は考える事をやめて諦めて歩き出す。飛ぶ鳥は羽ばたいて自由に空を泳いでいる。ずっと飛んでいて疲れないのだろうか。
「いつも頑張ってるね」
 思わず零した言葉。きっと那雪には鳥たちの生活の全ては見えていないであろう。しかし、それでも楽な事ばかりではない、そんなことはわかり切っていた。
-今日も、『生きていく』んだ-
 那雪はその想いを心に叩き付けて今日も身が殆ど着いていないようなみすぼらしい身体を引き摺るように歩いていくのであった。



 アジサイの花も枯れ始めていて、那雪はまたひとつ癒しを失っていた。アジサイの咲く時期に雨がよく降る、それが嘘と化したのはいつの事だろうか。季節は年々ズレて行って、これから来る暑さは年々厳しくなっていて、愛しいあの季節感は失われ始めていた。
 環境はいつでも変わっていく。大好きなアジサイも咲いては枯れていく。那雪自身もいつの日か枯れていくのだろう。それまでにどのような人生を歩んでいくのか。
 昔は普通に大人になって普通に社会人になって普通に働いて普通にひとりで死んでいく。決まり切ったことだと思っていた。しかし、今は分からない。何も見通せない。普通ではないことに巻き込まれて普通ではない人だと知って普通ではないことをして、普通ではない世界の住人と生きている。分からないことで溢れていた。
 アジサイの花、移ろいの心と辛抱強さ、ツラくても生きる現代人に語りかけるような花言葉。那雪にとってはその花の全てが愛おしく思えていた。
「また来年、よろしくね」
 さよならの挨拶を残して枯れかけたアジサイに背中を向けて歩いていくのであった。
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