黒恵の感覚

焼魚圭

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黒恵の認識編

天使

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 ねえ、いつまでキミはヒトのつもりでいるの

 分かっていないのはキミだけ、みんな知ってるよ

 キミはもう、ヒトでは無いこと


 それはある人物の死が産み落とした存在。悲しい程に無欲で誰にも迷惑をかけない美しき理想を歩んだ者が行き着いたひとつの過ち。
 これから他人に非情に大きな迷惑をかけようとしていることに本人は気が付いているのだろうか。もしかすると全くもって気が付いていないのかも知れない。
 それは、既にヒトのカタチを失い、同時に心をも失ってしまっているのだから。

 黒恵は感覚を振り絞っていた。これがこの世界が破滅に隣接したときの空気感なのだと今この場で思い知らされる。
 人々の熱は絶え間なく弾けては更なる熱量を産む。張り裂けてしまいそうなはずの緊張はどうしてだろう、いつまでも同じ貌をしてこちらを睨んでいた。あまりにも大きな情の揺れに思わずため息をついてしまう、緊張に身体が疲れているのか実は精神の方は一旦限界を迎えているのか欠伸までもがこぼれ出てしまう。
 目の前のそれを指しては美しい天使が世界を滅ぼすのだと語る人物から恐ろしい、イケメンが浮いている、落ちてこないのか。などと応えが返ってくる見込みの無い言葉を吹いていた。
 羽を動かしていない男に見えるらしい。
 黒恵は天使と呼ばれた者をしっかりと見つめ、ため息をついた。
――どうなされば、この物体がイケメン天使とやらに見えるのかい
 きっと訊ねたところで独り言に化けてしまうことだろう。黒恵に映る姿はどこまでも人から離れた存在、この世界と寄り添い合うことすら知らない物体だろう。
 目の前のそれは輪を幾つも重ねて出来ていた。蒼黒くて沈んだ色をしていながらもそれが明るい輝きを放っては空を濃く深く暗い色で照らしてしまう。
 そんな生物の形から大きく外れた物体が天使なのだという。目の前のそれが元々人間だった、言われなければ分からないだろう、否、どれだけ聞かされたところで信じられる自信がなかった。
 人々はよく見たら俳優のよう、いやいやスポーツ選手、口々にうわさを立てては放り込んでみせるものの、黒恵からすれば全てが滑稽で仕方がなかった。
――あれがヒトだなんて口が裂けても言えないんじゃないかい
 そうは想ってみたものの、あれだけの人々が人間の姿をしていると言ってのける様を目にしては自分の認識が誤りなのではないかと今更ながらに疑い始めた。かけられた容疑、とでも言うべきだろうか。
 姿を偽った罪で天界からここを踏み入れることを禁じてみよう。
 そう思って見つめてはみたものの、そこに確かな存在を感じることなど出来なかった。
 それは紛れもなく青空に溶け込む幻。実体を薄らと持った不完全な降臨だった。
――だったら、容易く処理できるか
 そう告げて力を込めたのは左の目。生と死を重ねた彼女が日頃から非日常を感じている右目とは反対に居座るモノだった。
――生の魔法を扱う
 誰にともなく心の中に放った言葉は黒恵の内側を向いていた。
 手繰り寄せるべく、思考を巡らせる。立ったままの旅、一歩たりとも動かずに行われた冒険の舞台は記憶だった。
 そこはつい三日前に訪れた場所だろうか、それとももう一日前だっただろうか。この身近な日にちすら覚えていない記憶力が忌々しく想えて仕方がなかった。
 そんな思いと共に足を運んだ記憶の場、そこは商店街だった。本来そこにあるはずのないチェーン展開をしているカフェを通り過ぎて更に進んでそこに待つもの。それもまたそこにあるはずのない物質だった。
 角が枝となり見事な梅の花と藤を咲かせている鹿の像に触れ、黒恵は告げる。
「この像を呼び起こす。現実世界に生を」
 途端の出来事だった。
 今ここに、現実に立っている黒恵の目の前に宣言通りに銅で出来た鹿が立っていた。
 目にしてから間を置くこと一瞬、次の言葉が唱えられた。
「生を与えよう、天使の幻像と実像の銅像の間に次の生を与える」
 息継ぎは濃い蒼、破滅の滲んだ空気を取り入れる。焼けるように熱く感じられたのは人々の喧噪の成した姿だろうか。吸い込むにしては破滅の存在はあまりにも遠すぎた。
「この像とその幻の命は繋がっている」
――認識だ、そう、あのふたつは繋がってる、思い込み、繋げる
 黒恵の認識は繰り返し己の中に刷り込まれる。きっと像も有るのは黒恵の中でだけ。認識によって限定的に与えられた生、これから与えるのは形無き生。それから幾度となく唱え多声かだろうか、無事に繋がりという事象に命は与えられた。
 それを確認し、黒恵はどこかから大きな鎌を取り出して構える。
 闇色、死の右目と同じ色をしたそれ、あの夜の山にいたり人々の背に立っていたそれと同じ色を持つもの。
 黒恵の姿勢はいつでも変わりなかった。いつまでも受け身でどのような存在とも向き合おうとしなかった。今もそう。所詮は世界を守れ、そんな使命感を持つ自分とは異なる自分に命令されて流されるように動いているに過ぎなかった。
 鎌を振り下ろし、像を砕く。
 途端に像は、幻像は、共に消え去った。
 人々は目を疑い口々に浮いた人の存在がいなくなったことを嘆いていた。
 黒恵はほっと胸を撫で下ろし、その場にへたり込む。目の前の彼らが持つ雰囲気は先程と何も変わりない。
 飽くまで熱気の色が変わっただけに過ぎなかった。
 黒恵の目に先程過去となったものを写し出す。あれは所詮は幻。だからこそ黒恵の術が効いた。
 仮にあれが実体だった時、果たして黒恵の力で解決することは出来ただろうか。
――考えたくもない
 心に留め、その目を逸らし、やがて閉じられた。
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