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第4話 黒い豚鬼
浴場から部屋へ戻ると、ランプが灯され、テーブルには夕食が置かれていた。左右の椅子のそれぞれの前に、皮がパリパリに焼かれ良い匂いを漂わせている肉の塊と、野菜がごろごろしているスープ。真ん中の皿に掌ほどの丸いパンが盛られ、透明な液体が入った水差しと紫色の液体が入った水差し、そしてコップとグラスが置かれていた。俺は左側の椅子に座った。すぐ後に来たルシルがテーブルの上を見て目を輝かせる。
「ローストオークだぁ」
「今、なんて?」
「ローストオークですよ。わたし大好きなんです」
ルシルは椅子に座りながら屈託なく答えた。
「オークってあの豚鬼?」
「はい。あの豚鬼です。いっただきまーす」
ルシルは肉の端にフォークを突き刺し、ナイフで切り落とす。そして口元にもっていきながら口を開き、少し舌を垂らしながら肉を咥え込んだ。閉じた唇の端から僅かに肉汁がこぼれる。口の中では肉が歯でほぐされ、舌で絡められ、ルシルは喉を鳴らしながら咀嚼した。
「おいしー! この柔らかさ、きっと南で獲れる黒豚鬼ですよ」
ルシルは頬に手を当て目を細めている。俺はつばを飲み込んだ。試してみるか。
「いただきます」
肉を少し切り取り、口に放り込む。ひと噛みで肉汁が溢れ、ふた噛みで肉がほどける。塩の味で肉の旨味が引き出され、胡椒の風味が鼻を抜ける。
「これは!?」
俺は次の肉を切り取っていた。肉にはハーブが添えられている。今度はハーブと一緒に口に含む。肉の柔らかさにアクセントをつけるハーブの食感。そのちょっとした苦味が肉の旨味を一層引き立たせる。
「うまああああい!」
こうなると白いご飯が欲しい。パンはあるけど、ご飯の代わりが務まるだろうか。すでにルシルの肉は半分なくなっていた。ルシルはナイフとフォークを置いてパンに手を伸ばし、二つにちぎる。その片方に皿の上に溢れた肉汁を吸わせて口に含んだ。ルシルの頬が柔らかく動く。それからスプーンを手に取り、まだパンが残っているであろう口の中へスープを運んだ。
そうか、肉から直接スープへ向かうと味がぶつかってしまう。間にパンを挟むことで味の衝突を和らげ、パンを残しながらスープへ向かうことで、味の断絶も抑えている。ご飯の代わりになるかどうかなんて関係ない。パンにはパンの役割がある。
すでに俺の肉も半分なくなっていた。ナイフとフォークを置いてパンを取る。二つにちぎる。結構もっちりしている。肉汁を吸わせて口へ入れる。しっかりした歯応え。口の中に溜まっていた肉汁を絡め取ってくれる。小麦の味と合わさって、唾液の分泌が促される。
さあ、スープだ。スプーンでひとすくい。口の中へ流し込む。じっくり野菜が煮込まれた濃厚な味。しかしパンがその出会いを穏やかなものにしてくれる。スープの中には人参、大根、肉の欠片も浮かんでいる。スプーンで具をすくい、スープを食べる。ほくほくしている人参、しっかりスープが染みている大根、焼いたのとは違う煮込んだ肉の旨味。このスープ、豚汁だぁー!
「豚鬼って美味しいな」
「でしょう? わたし、豚鬼のソーセージも大好きなんです」
「ああ、腸詰ね! 腸詰美味しいよね」
俺達は残りもぺろりと平らげ、紫色の液体を互いにグラスに注いで飲んだ。葡萄ジュースだった。甘味より酸味を活かしてあり、油にまみれた口の中を爽やかにしてくれた。透明な液体はただの水だった。しかし美味しい水だった。
一息ついて、俺達は寝室へ向かった。俺は向かって左側、ベッドの右側の枕元に腰を掛けた。ルシルはベッドの左側の枕元に腰を掛けた。だけどまだ寝るにはちょっと早い。俺はベッドの上に両脚を投げ出し、ルシルのほうへ首を向けた。
「さて、明日は訓練場で魔法の詳細を確認してから一団を組み、いよいよ成長をしたいと思っているんだけど、儀式についてもう少し詳しく教えてくれないかな」
「いいですよ」
ルシルは振り向いてベッドの上で正座した。太腿が剥き出しになる。そして右拳を口に当てて一つ咳払いをすると話し始めた。
「儀式にはまず魔法円が必要です。この辺りでは東の遺跡を使うのが一般的です。あの遺跡には四つの魔法円があるんですよ」
ルシルが右手の指を四本立てる。
「自分で作ることはできないの?」
「儀式のための魔法円を作るには賢者の力が必要なんです」
「ちゃんとした賢者がいるんだね」
俺は腕を組んで唸った。
「魔法円を用意したら、毎日、一日の三分の一を使って祈りを込めていきます。祈りはひと続きである必要はなく、午前と午後に分けるのが一般的です。そうすれば、お昼ご飯を食べることもできますし」
ルシルは両手を合わせて少し傾けた左の頬につけた。
「ルシルはどれくらい祈ったの?」
「三か月半です」
「一か月は何日?」
「二十四日です」
「結構祈ったんだね」
一か月は元の世界より少ないようだ。それでも八十日以上か。
「一週間祈る毎に、魔法のレベルを1、最大10上げられるのですが、一部の魔法は三か月祈ると特別な効果も得られるのです。異世界からも呼び出せるようになったり、魔法の品も直せるようになったり」
「一週間は何日?」
「八日です」
これは一日多い。
「三か月未満の儀式はレベルが上がるだけ?」
「祈った日数の二乗倍だけ持続時間も増えます」
「そうか、持続時間というのもあるんだよな。……〈召喚〉にも?」
俺は顎に手をやりルシルを見た。
「はい。通常の〈召喚〉は一時間です。時間が過ぎると強制的に元居た場所へ帰されてしまいます。三か月半祈れば一年以上になるので、時間は十分にあります。ただ、通常の〈召喚〉は自動的に契約が結ばれますが、異世界から呼び出す場合は交渉次第なので、結んでおかないと勝手に帰られてしまうことも……」
ルシルは俺をじっと見る。もしかして俺も帰れるの? そんな感じはしないけど。
「俺は転生したのだと思っていたが、違うのかな?」
「肉体がある状態でお呼びしたなら転生はされません。魂だけの状態でお呼びしたなら転生されて、帰る世界もこの世界になります」
「俺はどっち?」
俺は自分を指さした。ルシルは言葉を詰まらせた。
「……えーと、今わたしと言葉を交わしているのは勇者様のお力ですか?」
「そんな感じはしないな」
「それなら多分転生されていると思います。転生するとこの世界に合わせた体が与えられ、前世の感覚と馴染むように整えられます」
そういえば、空の青さもさることながら、この世界の空気を普通に吸っているし、時間の流れも元の世界と同じような早さだ。何かで読んだことがある。空が青く見えるのは、人の心で見るからだと。別の心で見るならば、別の世界が広がるのだと。ひょっとしたら今見えるルシルの姿も……。いや、目の前のルシルはかわいい。それがたった一つの真実だ。別の可能性を考える必要はない。俺が帰る世界は、もうこの世界になったのだから。
「今更帰れると言われても困っちゃうけどな。そんなつもりは全くなかったから」
「そうなんですね」
ルシルは微笑んだ。
「だけどなぜ俺なんかを選んだの?」
「え? いえ、〈召喚〉は種族は選べますが、個体は選べないので……」
「じゃあ、俺が選ばれたのは偶然?」
「まあ、そうですね……」
ルシルはうつむいた。
「もう少しレベルが高い奴のほうが良かったよね……」
「そんな!」
ルシルは顔を上げた。
「その気持ちが全くなかったと言えば嘘になりますけど、〈召喚〉は同じレベルの者が同じ種族を選んでも同じ個体は呼ばれないんです。相性があるんです。わたしにとってはあなたが運命の勇者様なんです!」
ルシルは両手を握り締めていた。
「それにわたし、今日ようやく勇者様をお呼びできて、遺跡で勇者様が目覚めるのを待ちながら、すごくドキドキしていたんです。最終的な目的は魔王の攻略ですけど、わくわくもしていたんです。ついに外の世界へ旅立つ時が来たんだなって。わたしの冒険が始まるんだなって」
ルシルは良い笑顔だった。
「そうか。それなら良かった。そろそろ寝よう。明日は朝から行動したい」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
その夜、俺は羊の夢を見た。無数の羊に囲まれて、羊の海に沈んでいく。あったかくて柔らかい。しかし徐々に息苦しい。息苦しいけど抜け出せない。あったかくて抜け出せない。柔らかくて抜け出せない。徐々に意識が沈んでいく。
「ぷはぁ」
目覚めると、目の前におっぱいがあった。朝の光に照らされた神々しいおっぱい。ベッドの左側にガウンが取り残されている。ルシルは両腕を俺の首の後ろに回し、気持ちよさそうに眠っている。俺はルシルの脚の間から、ガウンでテントを張っていた。状況を把握して、テントの屋根が高くなる。
「あ、おはようございま――すみませんっ」
ルシルは左側にどいた。俺はルシルに背を向けて起き上がり、立ち上がった。共に立ち上がっている股間を鎮めねばならない。
「おはよう」
背を向けたまま挨拶をして、トイレへ向かって前進。戦いの朝が来た。
「ほわあああああ!」
トイレから出てテーブルの上を改めて見ると、マントと水を張った湯桶が置いてあった。顔を洗うためのものだろう。ルシルはすでに踊り子の服を装備している。まだツインテールにはなっていない。俺はルシルに背を向けてガウンを脱ぎ、マントを羽織った。振り返るとルシルが湯桶を指している。
「どうぞ」
「ルシルはもう使ったの?」
「いえ」
「じゃあ、ルシルから使いなよ」
俺の邪念を搾り取った右手をつけた水を、ルシルの顔にぶっかけるなんてできない。
「それではお先に失礼します」
ルシルは湯桶に顔を近づけ、パシャパシャと水をすくっては顔に馴染ませるように洗い、傍に置かれていたタオルで優しく水気を拭き取った。
「さあ、どうぞ」
ルシルは椅子に座って櫛で髪をとかし始めた。俺はバシャバシャと顔を洗った。部屋の脇に置いていた革鎧を見たが、今日はまだ出番がない。つまり俺の準備はこれで完了。ルシルは鏡を見ることなく器用にツインテールを作っていく。
しばらくしてロビーへ降り、テーブルに着くと、朝食が運ばれて来た。皿に盛られたパンが真ん中に置かれ、俺とルシルの前に各自のミルクと小皿。小皿には、マヨネーズがたっぷりかかった刻んだキャベツにミニトマトが二つ、そして皿からはみだすくらいのソーセージが一本。
「わあ、いっただきまーす」
ルシルはミルクのコップを口につけた。白い液体を飲み込み、喉を鳴らす。
「いただきます」
俺もミルクで口を湿らせ、パンを手にした。ルシルはミニトマトを一つつまみ、マヨネーズをつけ、目の高さまで持ち上げる。そして下から少し舐め、かぶりついた。俺は口の中のパンを飲み込んだ。
ルシルはパンを取り、ちぎってマヨネーズにつけ、口に入れた。俺はミニトマトを二つとも口へ放り込んだ。ルシルはまたミルクを飲む。俺はププッと茎を出した。
ルシルはフォークを手にしてソーセージに軽く当てた。俺は二つ目のパンを手にした。ルシルは刺し所を探るようにフォークでソーセージを優しく撫でる。俺のパンを持つ手に力が入る。ルシルはソーセージの先端近くまで来たフォークを縦に立て、グリッと刺した。刺した部分から肉汁が噴き出す。俺はパンを握り潰した。
ルシルはソーセージにマヨネーズを擦り付ける。俺は潰れたパンを口に入れた。ルシルはソーセージを少し持ち上げ、頭を下げて口を近づける。ツインテールが前に垂れる。ルシルは左手で左のテールを掻き上げながら、ソーセージを咥え込んだ。俺は口の中のパンを噛み締める。
ルシルが上目遣いでこっちを見た。微笑んだ。そしてガブリと噛み切った! 俺はパンを飲み込――詰まった! 慌ててミルクを流し込む。ルシルは左手を左の頬に当て、満面の笑みでモグモグしていた。ゴクリと飲み込み咀嚼し終わると、フォークに残ったソーセージを、噛み切った部分から溢れ出ている肉汁を舌で舐め取ってから、パクついた。
「俺のソーセージも食べるかい?」
「いいんですかぁ?」
ルシルは目を輝かせた。俺は頷いた。その後俺は、キャベツを咀嚼しながら、俺のソーセージがルシルに食べられていくのを眺めていた。
「朝ご飯って元気が出ますね」
「うん、すっごい元気出た」
「ローストオークだぁ」
「今、なんて?」
「ローストオークですよ。わたし大好きなんです」
ルシルは椅子に座りながら屈託なく答えた。
「オークってあの豚鬼?」
「はい。あの豚鬼です。いっただきまーす」
ルシルは肉の端にフォークを突き刺し、ナイフで切り落とす。そして口元にもっていきながら口を開き、少し舌を垂らしながら肉を咥え込んだ。閉じた唇の端から僅かに肉汁がこぼれる。口の中では肉が歯でほぐされ、舌で絡められ、ルシルは喉を鳴らしながら咀嚼した。
「おいしー! この柔らかさ、きっと南で獲れる黒豚鬼ですよ」
ルシルは頬に手を当て目を細めている。俺はつばを飲み込んだ。試してみるか。
「いただきます」
肉を少し切り取り、口に放り込む。ひと噛みで肉汁が溢れ、ふた噛みで肉がほどける。塩の味で肉の旨味が引き出され、胡椒の風味が鼻を抜ける。
「これは!?」
俺は次の肉を切り取っていた。肉にはハーブが添えられている。今度はハーブと一緒に口に含む。肉の柔らかさにアクセントをつけるハーブの食感。そのちょっとした苦味が肉の旨味を一層引き立たせる。
「うまああああい!」
こうなると白いご飯が欲しい。パンはあるけど、ご飯の代わりが務まるだろうか。すでにルシルの肉は半分なくなっていた。ルシルはナイフとフォークを置いてパンに手を伸ばし、二つにちぎる。その片方に皿の上に溢れた肉汁を吸わせて口に含んだ。ルシルの頬が柔らかく動く。それからスプーンを手に取り、まだパンが残っているであろう口の中へスープを運んだ。
そうか、肉から直接スープへ向かうと味がぶつかってしまう。間にパンを挟むことで味の衝突を和らげ、パンを残しながらスープへ向かうことで、味の断絶も抑えている。ご飯の代わりになるかどうかなんて関係ない。パンにはパンの役割がある。
すでに俺の肉も半分なくなっていた。ナイフとフォークを置いてパンを取る。二つにちぎる。結構もっちりしている。肉汁を吸わせて口へ入れる。しっかりした歯応え。口の中に溜まっていた肉汁を絡め取ってくれる。小麦の味と合わさって、唾液の分泌が促される。
さあ、スープだ。スプーンでひとすくい。口の中へ流し込む。じっくり野菜が煮込まれた濃厚な味。しかしパンがその出会いを穏やかなものにしてくれる。スープの中には人参、大根、肉の欠片も浮かんでいる。スプーンで具をすくい、スープを食べる。ほくほくしている人参、しっかりスープが染みている大根、焼いたのとは違う煮込んだ肉の旨味。このスープ、豚汁だぁー!
「豚鬼って美味しいな」
「でしょう? わたし、豚鬼のソーセージも大好きなんです」
「ああ、腸詰ね! 腸詰美味しいよね」
俺達は残りもぺろりと平らげ、紫色の液体を互いにグラスに注いで飲んだ。葡萄ジュースだった。甘味より酸味を活かしてあり、油にまみれた口の中を爽やかにしてくれた。透明な液体はただの水だった。しかし美味しい水だった。
一息ついて、俺達は寝室へ向かった。俺は向かって左側、ベッドの右側の枕元に腰を掛けた。ルシルはベッドの左側の枕元に腰を掛けた。だけどまだ寝るにはちょっと早い。俺はベッドの上に両脚を投げ出し、ルシルのほうへ首を向けた。
「さて、明日は訓練場で魔法の詳細を確認してから一団を組み、いよいよ成長をしたいと思っているんだけど、儀式についてもう少し詳しく教えてくれないかな」
「いいですよ」
ルシルは振り向いてベッドの上で正座した。太腿が剥き出しになる。そして右拳を口に当てて一つ咳払いをすると話し始めた。
「儀式にはまず魔法円が必要です。この辺りでは東の遺跡を使うのが一般的です。あの遺跡には四つの魔法円があるんですよ」
ルシルが右手の指を四本立てる。
「自分で作ることはできないの?」
「儀式のための魔法円を作るには賢者の力が必要なんです」
「ちゃんとした賢者がいるんだね」
俺は腕を組んで唸った。
「魔法円を用意したら、毎日、一日の三分の一を使って祈りを込めていきます。祈りはひと続きである必要はなく、午前と午後に分けるのが一般的です。そうすれば、お昼ご飯を食べることもできますし」
ルシルは両手を合わせて少し傾けた左の頬につけた。
「ルシルはどれくらい祈ったの?」
「三か月半です」
「一か月は何日?」
「二十四日です」
「結構祈ったんだね」
一か月は元の世界より少ないようだ。それでも八十日以上か。
「一週間祈る毎に、魔法のレベルを1、最大10上げられるのですが、一部の魔法は三か月祈ると特別な効果も得られるのです。異世界からも呼び出せるようになったり、魔法の品も直せるようになったり」
「一週間は何日?」
「八日です」
これは一日多い。
「三か月未満の儀式はレベルが上がるだけ?」
「祈った日数の二乗倍だけ持続時間も増えます」
「そうか、持続時間というのもあるんだよな。……〈召喚〉にも?」
俺は顎に手をやりルシルを見た。
「はい。通常の〈召喚〉は一時間です。時間が過ぎると強制的に元居た場所へ帰されてしまいます。三か月半祈れば一年以上になるので、時間は十分にあります。ただ、通常の〈召喚〉は自動的に契約が結ばれますが、異世界から呼び出す場合は交渉次第なので、結んでおかないと勝手に帰られてしまうことも……」
ルシルは俺をじっと見る。もしかして俺も帰れるの? そんな感じはしないけど。
「俺は転生したのだと思っていたが、違うのかな?」
「肉体がある状態でお呼びしたなら転生はされません。魂だけの状態でお呼びしたなら転生されて、帰る世界もこの世界になります」
「俺はどっち?」
俺は自分を指さした。ルシルは言葉を詰まらせた。
「……えーと、今わたしと言葉を交わしているのは勇者様のお力ですか?」
「そんな感じはしないな」
「それなら多分転生されていると思います。転生するとこの世界に合わせた体が与えられ、前世の感覚と馴染むように整えられます」
そういえば、空の青さもさることながら、この世界の空気を普通に吸っているし、時間の流れも元の世界と同じような早さだ。何かで読んだことがある。空が青く見えるのは、人の心で見るからだと。別の心で見るならば、別の世界が広がるのだと。ひょっとしたら今見えるルシルの姿も……。いや、目の前のルシルはかわいい。それがたった一つの真実だ。別の可能性を考える必要はない。俺が帰る世界は、もうこの世界になったのだから。
「今更帰れると言われても困っちゃうけどな。そんなつもりは全くなかったから」
「そうなんですね」
ルシルは微笑んだ。
「だけどなぜ俺なんかを選んだの?」
「え? いえ、〈召喚〉は種族は選べますが、個体は選べないので……」
「じゃあ、俺が選ばれたのは偶然?」
「まあ、そうですね……」
ルシルはうつむいた。
「もう少しレベルが高い奴のほうが良かったよね……」
「そんな!」
ルシルは顔を上げた。
「その気持ちが全くなかったと言えば嘘になりますけど、〈召喚〉は同じレベルの者が同じ種族を選んでも同じ個体は呼ばれないんです。相性があるんです。わたしにとってはあなたが運命の勇者様なんです!」
ルシルは両手を握り締めていた。
「それにわたし、今日ようやく勇者様をお呼びできて、遺跡で勇者様が目覚めるのを待ちながら、すごくドキドキしていたんです。最終的な目的は魔王の攻略ですけど、わくわくもしていたんです。ついに外の世界へ旅立つ時が来たんだなって。わたしの冒険が始まるんだなって」
ルシルは良い笑顔だった。
「そうか。それなら良かった。そろそろ寝よう。明日は朝から行動したい」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
その夜、俺は羊の夢を見た。無数の羊に囲まれて、羊の海に沈んでいく。あったかくて柔らかい。しかし徐々に息苦しい。息苦しいけど抜け出せない。あったかくて抜け出せない。柔らかくて抜け出せない。徐々に意識が沈んでいく。
「ぷはぁ」
目覚めると、目の前におっぱいがあった。朝の光に照らされた神々しいおっぱい。ベッドの左側にガウンが取り残されている。ルシルは両腕を俺の首の後ろに回し、気持ちよさそうに眠っている。俺はルシルの脚の間から、ガウンでテントを張っていた。状況を把握して、テントの屋根が高くなる。
「あ、おはようございま――すみませんっ」
ルシルは左側にどいた。俺はルシルに背を向けて起き上がり、立ち上がった。共に立ち上がっている股間を鎮めねばならない。
「おはよう」
背を向けたまま挨拶をして、トイレへ向かって前進。戦いの朝が来た。
「ほわあああああ!」
トイレから出てテーブルの上を改めて見ると、マントと水を張った湯桶が置いてあった。顔を洗うためのものだろう。ルシルはすでに踊り子の服を装備している。まだツインテールにはなっていない。俺はルシルに背を向けてガウンを脱ぎ、マントを羽織った。振り返るとルシルが湯桶を指している。
「どうぞ」
「ルシルはもう使ったの?」
「いえ」
「じゃあ、ルシルから使いなよ」
俺の邪念を搾り取った右手をつけた水を、ルシルの顔にぶっかけるなんてできない。
「それではお先に失礼します」
ルシルは湯桶に顔を近づけ、パシャパシャと水をすくっては顔に馴染ませるように洗い、傍に置かれていたタオルで優しく水気を拭き取った。
「さあ、どうぞ」
ルシルは椅子に座って櫛で髪をとかし始めた。俺はバシャバシャと顔を洗った。部屋の脇に置いていた革鎧を見たが、今日はまだ出番がない。つまり俺の準備はこれで完了。ルシルは鏡を見ることなく器用にツインテールを作っていく。
しばらくしてロビーへ降り、テーブルに着くと、朝食が運ばれて来た。皿に盛られたパンが真ん中に置かれ、俺とルシルの前に各自のミルクと小皿。小皿には、マヨネーズがたっぷりかかった刻んだキャベツにミニトマトが二つ、そして皿からはみだすくらいのソーセージが一本。
「わあ、いっただきまーす」
ルシルはミルクのコップを口につけた。白い液体を飲み込み、喉を鳴らす。
「いただきます」
俺もミルクで口を湿らせ、パンを手にした。ルシルはミニトマトを一つつまみ、マヨネーズをつけ、目の高さまで持ち上げる。そして下から少し舐め、かぶりついた。俺は口の中のパンを飲み込んだ。
ルシルはパンを取り、ちぎってマヨネーズにつけ、口に入れた。俺はミニトマトを二つとも口へ放り込んだ。ルシルはまたミルクを飲む。俺はププッと茎を出した。
ルシルはフォークを手にしてソーセージに軽く当てた。俺は二つ目のパンを手にした。ルシルは刺し所を探るようにフォークでソーセージを優しく撫でる。俺のパンを持つ手に力が入る。ルシルはソーセージの先端近くまで来たフォークを縦に立て、グリッと刺した。刺した部分から肉汁が噴き出す。俺はパンを握り潰した。
ルシルはソーセージにマヨネーズを擦り付ける。俺は潰れたパンを口に入れた。ルシルはソーセージを少し持ち上げ、頭を下げて口を近づける。ツインテールが前に垂れる。ルシルは左手で左のテールを掻き上げながら、ソーセージを咥え込んだ。俺は口の中のパンを噛み締める。
ルシルが上目遣いでこっちを見た。微笑んだ。そしてガブリと噛み切った! 俺はパンを飲み込――詰まった! 慌ててミルクを流し込む。ルシルは左手を左の頬に当て、満面の笑みでモグモグしていた。ゴクリと飲み込み咀嚼し終わると、フォークに残ったソーセージを、噛み切った部分から溢れ出ている肉汁を舌で舐め取ってから、パクついた。
「俺のソーセージも食べるかい?」
「いいんですかぁ?」
ルシルは目を輝かせた。俺は頷いた。その後俺は、キャベツを咀嚼しながら、俺のソーセージがルシルに食べられていくのを眺めていた。
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