新選組徒然日誌

架月はるか

文字の大きさ
上 下
32 / 46

雨と虹の間(沖田+土方+永倉+原田+斎藤+近藤)

しおりを挟む
 雨が降る。
 しとしとと、かと思えば時にすべてを洗い流す様に激しく。
 まるで私の心を映し出すかのように、雨は止まない。

 この身は近藤さんの為だけにあるのに、鉛の様に重い身体は日を追う度に動かなくなって行く。
 いっそこの身体を捨てられたなら。魂だけになってでも、傍に駆けつけられたなら。
 きっと、役に立ってみせるのに。

 縁側で、どこからともなく雨から逃れて来た小さな黒猫が、不機嫌そうに鳴いた。



******



「総司、具合はどうだ」

 今が一番忙しい時なはずなのに、何かと理由をつけては一番様子を見に来るのは、土方さんだった。
 陣を離れられない近藤さんに、私の様子を知らせるためだとか、一番隊の皆が心配しているからとか、ぶっきらぼうに自分以外の誰かの為と言い募ってはいるが、誰より心配してくれている事を、私は知っている。
 私を動乱の京都に連れて行った事や、多くの人を斬らせた事を、きっと一番気にしている事も。

 新選組の為、引いては近藤さんの為に必要だった。
 「私自身が納得して、役に立てるのならと願った事なのだから、土方さんが心を痛める必要はない」そう言ってしまいたいけれど、私に心の内にある優しさを悟られる事を、土方さんが隠したがっているから、そう笑う事も出来ない。

 抱えてしまうその心を軽くする為に出来る事はただ、これ以上心配をかけない事だけになってしまった自分が、情けなくもある。
 支えるというほど役には立たなくても、ただいつも傍にいられたら、笑っていられたら、土方さんの負担はどれほど違うだろう。

「だいぶ良くなりました。すぐにでも、近藤さんの所へ行けますよ」
「無理はするな。焦らなくても、治ったらまた十分に動いてもらう」
「はい」

 この身体が、再び十分な働きを出来る未来はきっとない。
 お互いにそれはわかっていたけれど、違う未来を語いながら微笑む。
 せめてこのひと時だけは、それが現実であるように。

「皆さん、お元気ですか?」
「……あぁ。うちの奴らは、そう簡単にくたばるような連中じゃねぇしな」
「確かに、そうですね。皆が元気のなくなった姿なんて、想像も出来ませんよ」

 苦笑交じりの回答に、一瞬の間があった事には気付かない振りをする。
 土方さんの隠したがる事は、昔から何故か手に取る様にわかってしまう。
 誰も気付かなくても、気のせいだと言われても、例え本人が否定していたって。

 だから今回も、きっと間違ってはいない。
 土方さんの隠された表情は、ここ最近ずっと曇っている。

 近藤さんに、何かあったんですか?
 皆と、何かもめました?
 また心にもない事を言って、怒らせでもしたんじゃないんですか?

 聞きたい言葉を、何事もない様に飲み込む。
 何も知らない振りをして、私と話している時だけは、何の憂いも持たない様に、穏やかだった日々に戻っていられる様に、そして願わくば、少しでも心の安寧を。

「悪いな、あまり時間がないんだ」
「わかっています。それでも顔を出してくれる、優しい土方さんが大好きですよ」
「……うるせぇよ」
「痛いです、土方さん」
「お前が悪い」

 照れ隠しの言葉と一緒に、額にぺちんと指が飛んで来る。
 そっぽを向くその顔で、全然照れているのを隠せていない事を、きっと本人は知らない。
 けれどこれ以上からかうと変に臍を曲げてしまうから、この辺りで止めておく。
 対土方さんに関しての匙加減というか引き際は、誰よりも心得ている。

「送ります」
「いや、いいから寝てろ」
「大丈夫、今日は本当に体調が良いんです。玄関先まで、見送らせて下さい」
「……わかった、頼む」
「はい」

 ゆっくりと身を起して立ち上がろうとする私を、慌てて止めようとする土方さんの手を制して笑う。
 それだけで私の意思が変わらない事を悟ってくれるのも、土方さんだけだ。
 そう、私が土方さんの巧みに隠された心を感じられるように、土方さんも私の隠しておきたい内側を読むのが上手い。

 だからこそ、これが最期の別れになると確信せずにいられなかった。
 きっと、もう二度とこの世で顔を突き合わせる事は無い。
 お互いそれがわかっていて、それでも何事もない様に、また明日にでもすぐ会えるように別れる。

「じゃあ、またな」
「お気をつけて」

 迷うことなく、振り返ることなく、ただ真っ直ぐ去り行く背中。

 いつか。
 追いつきます、例え身体は滅びても。その隣に、必ず。



******



「よう、元気か?」
「調子はどうだ?」

 永倉さんと原田さんが、二人で私の元を訪れたのは初めてだった。
 二人が私を避けて、訪ねてくれていなかったという事ではない。
 むしろ気遣ってくれているからこそ、それぞれ江戸へ来るたびに立ち寄ってはくれていた。

 「二人で」という事が、今までなかったというだけだ。
 この混乱した時勢の中、気の合う二人とは言え、今までの様につるんで歩く事も少なくなっていたのだろう。
 そう納得していたけれど、久しぶりに二人揃った顔を見ると、やはり今まで別々だった事の方が不自然だったのかもしれないと、そう思わずにはいられなかった。
 と同時に、この状況こそが不自然だという気もする。

(何故この時期に、二人は気軽な顔をして、ここにいる?)

 それはきっと二人が揃って、いや揃わずとも二人が私に会いに来るのは、これが最後だという事に他ならない。
 静かに一人で過ごす時間が多くなってから、今まで以上に人の気配に敏感になった。
 今までと違う雰囲気を纏った瞬間を感じ取る事に関しては、特に。

「私は大丈夫ですよ。お二人は、お変わりありませんか?」
「……実はな、俺たちは新選組を抜けたんだ」
「新八!」

 直球でいきなり真実を告げてしまった永倉さんの言葉を、私が驚くよりも早く、恐らく私の事を思って止めてくれた原田さんの制止声は、ひどく鋭かった。

「何だよ」
「お前な、もうちょっとさ……」
「大丈夫です。ありがとうございます、原田さん。永倉さんも」

 何故怒鳴られたのかわからない永倉さんの不満の声に、原田さんの呆れた表情が重なる。
 そして、二人らしいその姿に私が微笑んで頷くと、仕方がないと言わんばかりに、原田さんの表情が苦笑に変わった。

「何の礼だ? 総司」
「……お前のそういう所、いっそ尊敬するよ」

 溜息交じりの原田さんの気遣いがあるからこそ、多分私は冷静に永倉さんの言葉を受け止められた。
 そして同時に、真っ直ぐに隠さず話してくれた永倉さんに感謝する。

 二人が新撰組を抜ける、それはとても大きな事だ。
 ずっと一緒にやってきた、古くからの仲間。
 どうしても譲れない物があったに違いない。多分だけれど、近藤さんとの間で。

 他の誰かとの間に何かあったのならば、絶対にそれを近藤さんが放っておくはずがないし、永倉さんが近藤さんに話さない訳がないから。
 それが例え、土方さんとの間の事だったとしても。

 原田さんは、いつも遠くから物事を見る事が出来る人だ。
 いくら昔から仲が良かったとしても、長い付き合いだとしても、それだけで選択を誤る人じゃない。
 その原田さんが、永倉さんを選んだ。
 それだけで、何も聞かなくても、どこか納得できる気がした。

 そして永倉さんは、近藤さんが一番大事だと知っている私に、全てを隠さず話してくれた。
 事の重大さを、わからないはずがない。
 その苦痛の表情から、沢山悩んで話し合って、それでもどうしても動かせない何かが、近藤さんと永倉さんの二人の間にあった事がわかってしまったから。
 納得するしか、私に残された選択は残されていないも同然だった。

 「どうしてですか?」そう、聞けばよかったのかもしれない。
 けれどその言葉は、きっと何の意味も持たない。

「これから、お二人はどうするんですか?」
「戦うぜ、このまま諦めるつもりはない」
「俺も、八っつあんと一緒に行くよ。そしていつか京に残して来た、まさに会いに行きてぇな」
「おまささんも、茂も、きっと原田さんを待っていますよ」
「茂は総司に懐いてたからなぁ。またいつか、遊んでやってくれよ」
「はい。もちろん」
「そうそう、早く病なんか治して一緒に戦おうぜ。総司がいねぇと、張り合いがねぇってもんだ」
「永倉さんには、負けませんよ」

 二人はそれぞれ、両側から私の背中をぽんっと叩いて立ち上がる。
 それは、永遠の別れにしてはあまりにも軽く、絶対にそうはさせないという意思の現れの様でもあった。
 決して過去を振り返らない、前だけを見詰め続ける仲間の強さに、負けられないと思う。

「ご武運を」
「またな」
「元気でいろよ」

 道は違えども、目指す先に変わりは無い。
 二人の後姿は、大きく温かった。
 試衛館に居た頃と同じ、お日様に包まれているような気持ちを思い起こさせてくれる。

 いつか。
 皆と共に笑顔で溢れる日々を、届けたい。



******



「邪魔をする」
「こんにちは、斎藤さん」
「島田さんから預かって来た、菓子だそうだ」
「わ、ありがとうございます。美味しそうだなぁ、一緒に食べますか?」
「……いや、遠慮する」
「ですよね」

 見舞いというよりは、「ふらりと立ち寄った」そんな雰囲気で、斎藤さんがこの場所を訪れるのは、いつもの事だ。
 様子を見に来るという感じでもないのに、かといって誰かに頼まれた感じでもない。
 ただ近くに来たから知人に挨拶でも、という様相だ。

 病人に掛ける言葉としては定番の、身体の調子はどうだとか、具合は良くなったかだとか、そう言った言葉を掛けられた覚えもない。
 かといって気にしていないという訳でもなく、少しでも調子が悪い日には、早々に何も言わず何も聞かず帰って行く。
 病人と見舞い人という関係ではなく、ただ同等の友人として付き合ってくれる感じが心地良い。

 無口な斎藤さんは、いつも誤解を受けやすい。
 私と一緒に居るのは不自然だと言われる事も、ままあった。
 けれど、周りに正反対だと言われようが、仲違を疑われようが、一緒に居て一番気楽でいられる友人と呼べるのは斎藤さんだと思う。

 近藤さんや土方さんの隣にいるのは好きだけれど、友人というよりは尊敬する人だし。
 永倉さんや原田さんは、無茶をする兄のような存在だ。
 護る必要も護られる必要もない、同年代で気兼ねなく等しく付き合える、そう迷いなく言える関係なのは斎藤さんだ。

 相手もきっと、そう思っていてくれるとわかる。
 だからこそ、斎藤さんの言葉はただ真実だけを紡ぐ。
 何を隠す事も、気遣うこともなく、ただ事実だけを。

「会津に行く事になった。もう、ここには来られないだろう」
「そうですか。……出発はいつ?」
「数日中には立つ」
「皆、一緒ですか?」
「……言えない」
「違う、とは言わないんですね」
「沖田さんなら、察していると思ったが」
「察しているから、聞いたんです」
「それに俺が答えると?」
「思っては、いませんけどね」

 「一応聞いてみるだけはと思って」そう笑うと、斎藤さんも「そうか」とだけ頷いて、それきりこの話は終わってしまう。
 けれど、私にとってはそれで十分だった。
 そしてこれで十分な事を、斎藤さんは知っていたからこそ、ただ端的に事実を告げてくれたのだ。

 現実はいつだって残酷だ。
 全然思う様にならない。この身体も、人の心も。
 それを突きつける様に、斎藤さんの言葉に希望はない。
 けれどその言葉には、いつも絶望もなかった。

 考えてみれば、斎藤さんだけが「身体が治ったら……」という仮定の話を持ちかけてはこなかった。
 皆が、本当に心から治ればいいと思ってくれている事は知っている。自分だって、まだその想いを消した訳じゃない。
 けれど、笑ってその細く遠い見えない未来を語るのは、辛い事もあった。

「斎藤さんは、もし私の身体が良くなったら……という話はしませんよね」
「無駄だからな」
「…………」
「沖田さんは、俺の言う事など聞かないだろう? その身体が動く様になったら、勝手に追いついて来るに決まっている」
「そうですね」

 そう。だから斎藤さんは、新選組が今後向かう先を、告げに来てくれたのだ。
 治るはずがないから、ではない。治ると信じているからこそ。

「では、そろそろ行く」
「斎藤さん」
「何だ」
「土方さんを、頼みます」
「……承知した」

 近藤さんをではなく、土方さんを。
 そう告げた私の言葉を受け、斎藤さんは重く頷く。
(そう、一緒に行かない皆の中には、永倉さんや原田さん以外にも、きっと……)

 背筋の伸びた背中は、斎藤さんが最期の時まで実直であるだろう事を示していた。

 いつか。
 再びその膝をつき合わせて、満月の下で友の杯を。



******



 いつの間にか、雨は小降りになっていた。
 私の心を映す鏡が、少しずつ悲しみから溶かされて行く様に。
 明るさを取り戻そうとする空を不思議に思いながら、縁側に出る。

「総司」
「……近藤、さん」

 そこに立っているはずのない人物の姿に、目を見張る。
 それと同時に、悟った。

 この雨は、きっと止むだろう。
 私の心が、晴れるのと同時に。

「本当は、私がお傍に行くはずでした。すみません」
「何を謝る必要がある。お前は、お前の為に生きればいいんだ」
「近藤さんの為にある事が、私の生きる理由なんです」
「困った奴だな」
「連れて行って、くれますよね?」
「駄目だと言っても、付いてくるんだろう?」
「もちろんです」
「では、一緒に行こう」
「はい」

 縁側から降りる身体が、やけに軽い。
 まるで病にかかる前の様な、いや多分それ以上に、この身体は自分の意思通りに動く。
 今なら、何者からも近藤さんを守る事が出来るだろう。

 幾度となく見送って来た、皆の背中を追いかけられず、無事を祈りながらただ視線で追う事は、もうしなくていい。
 笑顔で迎えてくれる近藤さんの正面に立って、穏やかに頷く。
 そして、大切な人を守る為に隣を歩く。
 ずっと、ずっと、願って来た様に。

 私が後にした縁側で、小さな黒猫が欠伸をする。
 そして空には、大きな虹が掛かった。




しおりを挟む

処理中です...