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第二章 取材
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遡ること、10年前――――
その日は、僕が初めてのヴァイオリンの発表会を迎えた日だった。
自分の出番が終わり、緊張から解放されてホワイエを一人で探検していた時、いきなり誰かがものすごいスピードで走ってきて僕に飛びついてきた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間、僕は床に倒れていた。
「いててて……」
「あっ、ごめん。大丈夫?」
見上げると、僕を心配そうに見つめる同い年くらいの子がいた。
その子こそ【彼】であった。
【彼】は僕と目が合った刹那、その目を輝かせ、興奮した様子で言った。
「君のヴァイオリン、虹みたいだね!」
「えっ、ニジ? どういうこと?」
「君の演奏、 凄く感動した! 本当に綺麗な虹だった!」
「……なにそれ? フフッ、変なの」
虹はもちろん当時の僕でも知っていたが、【彼】の言う『ニジ』がどういう意味か、この時は分からなかった。けれども、恐らく褒めてくれているらしいということは【彼】の表情から分かった。
【彼】のその独特な褒め言葉は、当時の僕の耳にはとても新鮮な響きだった。何より、【彼】がそのことを言う為だけに僕に飛びついてきたことが面白かったので思わず笑ってしまった。
「俺、ピアノ習ってるんだ!」
「へー!」
当時、僕の周りの同級生でピアノを習っている人は、男子こそ少なかったが、そこそこいた。なので【彼】の言葉には、さほど驚かなかったが、次の一言は予想外だった。
「いつか俺、君のヴァイオリンと一緒に弾きたい!」
「えっ?」
驚いた。
今まで、ピアノを習っている同級生でこんなことを言ったのは、【彼】が初めてだった。
「君のヴァイオリンと合わせたらもっと綺麗な虹が出来そうな気がするんだ。だからいつか合わせてみようよ! 俺、それまで頑張るからさ」
今回の発表会では、伴奏の先生がいて、その先生が伴奏を弾いてくれた。だから、伴奏は先生が弾くものなのだと、僕は思っていた。その先生に代わって【彼】が伴奏を弾くのは、何かいけないことのように思えたが、【彼】は少しも悪怯れる様子はなく、それどころか目をキラキラさせていた。
これが勘というものだろうか。そのうち、【彼】のキラキラした目をみていると、なんと無く悪いことではないような気がしてきた。
「うん、いいよ」
気がつくと、笑顔でそう答えていた。
「おーい、【彼】! なにしてんだ? 行くぞー!」
その時、【彼】が誰かに呼ばれた。
「今行く!」
【彼】はそう言うと、僕の方に向き直って言った。
「ごめん、友達が待ってるから。じゃあ、さっきの、約束だぜ!」
「うん!」
【彼】はそういうと、友達の方へと戻っていった。
「……っとまぁ、【彼】との出会いはこんな感じ」
「その日、【彼】はどうして発表会に来てたのかしら?」
「ああ、それは後で分かったことなんだけど、【彼】は本当は他の友達の演奏を聴きに来てたんだって。でも、僕の演奏を聴いて、目の色を変えて飛んできたらしいよ」
「それだけ水城くんの演奏が素晴らしかったってことね」
「いや、そういう訳じゃないんだと思う。と言うのも、後で先生には演奏を酷評されたから……」
「その先生が毒舌だっただけじゃなくって?」
「いや、毒舌じゃないと思うよ。他の上手に弾いていた生徒にはきちんと褒めてたから。それに自分でも、緊張してあまりうまく弾けたとは思わなかったし」
「えっ? じゃあどうして【彼】はそんなに褒めたのかしら」
「その理由は随分後になって分かるんだ」
「ふーん。で、その後は?」
「うん、次に【彼】と会ったのは、小学校の入学式だった」
「やぁ、ニジくん!」
僕は心臓が飛び出そうな程驚いた。
周りは知らない人だらけで緊張していた中、急に肩を叩かれたからだ。しかもよく分からない名前で呼ばれている。
恐る恐る振り返ってみると、そこには【彼】がいた。
「えっ? あの時の……」
「まさか同じ小学校で同じクラスになるなんてね! よろしくな!」
「う、うん。よろしく。てか、〝ニジくん〟って、もしかして僕のこと?」
「うん、そうだよ!」
「……やっぱり君変わってるよね」
「えっ? そう?」
「でも君がいて良かった! 周りの人全然知らないから」
「うん。俺も!」
「じゃあ君が小学校での初めての友達だね!」
「おう!」
「へー、水城くんから〝友達〟って言い出したんだ。意外!」
彼女はニヤニヤしながら、からかうようにして言った。
「そう?」
「だって、水城くんそういうの言わなそうじゃん」
「……」
確かに今の僕だったら絶対にそんなことは言わないだろう。でも当時はまだ友達という概念を理解していなかったところがあった。だから気軽に友達と言えたのだろう。
「続けて」
そうして小学校で初めての友達となった【彼】とは、よく遊ぶようになった。また、小学校ではたくさん友達ができた。ほとんど【彼】のお陰だった。元々人見知りなところがあった僕を、いろんな人と仲良くなれるようにしてくれた。
小学六年生のとき、ようやく【彼】のピアノと合わせる機会が巡ってきた。
初めてのヴァイオリンの発表会のときと比べると、見違えるほど上達した僕は、ダメ元でヴァイオリンの先生に訊いてみた。
「今度の発表会、お友達と一緒に弾きたいと思うのですがいいですか?」
すると、意外な答えが返ってきた。
「もちろんよ! あなたにそんな友達がいたとは知らなかったわ! どんどん合わせなさい!」
僕は嬉しくて仕方がなかった。
その日のレッスンを終えると、すぐに【彼】に電話をして、いち早くそのことを伝えた。
すると、彼も喜んで、
「やったー! やっとあの約束が果たせるね!」
と言ってくれた。
それからほぼ毎日、僕と【彼】はお互いの家に行って練習した。始めのうちは、ずれて合わないことが多かったが、何度も合わせていくうちに、次第にお互いの間合いを摑んでいき、だんだん合ってくるようになった。
そうして、本番前日。全てが万全の状態だった。あの電話が来るまでは。
ブー、ブーと僕の携帯が震えた。【彼】からだった。電話にでると、【彼】が震える声で言った。
「ごめん……、出られなくなった…………」
「えっ……」
聞き間違えかと思った。さもなくば、夢か何かだと。でも、聞き間違えでも夢でもなかった。
【彼】が体調を崩してしまったのだ。風邪だと【彼】は言っていたので、ひとまず安心はした。
【彼】は何度も何度も僕に謝っていた。自分の体調管理の問題だ、合わせるの楽しみにしてくれてたのにごめん、と。
僕が辛うじて掛けてあげられたのは、
「こっちは大丈夫だから、早く風邪、直してね」
という言葉だけだった。
発表会は代わりに、急遽伴奏の先生が弾いてくれた。
結局こうして初めてのチャンスは、儚く水に流れてしまった。
中学生になると、【彼】は眉目秀麗な容姿に社交的な性格も相俟って、女子からはもちろん、男子からも人気者になった。そんな【彼】のお陰で中学でもたくさんの友達をつくるようになった。けれども、【彼】が人気になればなるほど次第に話す機会も減り、僕は【彼】との間に距離を感じるようになっていった。
そのうち、【彼】には彼女ができたという噂が流れた。【彼】はその噂の真偽について、何も話さなかったので、僕も何も訊かなかったし、問い質すようなこともしなかった。正直、少し寂しかった。今までずっと傍にいた【彼】がどこか遠くに行ってしまうのではないかと思った。もしかしたら少し嫉妬していたのかもしれない。
そういうこともあって、僕は【彼】と合わせるのを半ば諦めかけていた。
そんなときだった。中学三年生の秋頃、ふと、こんな話が持ち上がった。
卒業記念発表会――――
卒業式の後、卒業生の有志が卒業記念に何かパフォーマンスを発表し合うというものだ。
この発表会で【彼】と合わせられたらなぁとは思ったが、まぁ無理だろうなと思っていた。一人でヴァイオリンを弾くのも億劫なので不参加にしようと思っていた。ところが……、
「なぁ、ニジくん。発表会、一緒に弾かないか?」
「……!」
なんと、【彼】の方から弾こうと言ってくれた。僕は物凄く嬉しかった。もちろんOKをして、すぐさま弾く曲を相談した。
【彼】と僕とで曲を相談した結果、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ『春』に決めた。
ヴァイオリンソナタはヴァイオリンとピアノの曲で、ピアノは伴奏としての扱いではない。ヴァイオリンとピアノが対等な演奏者として扱われている。それがこの曲を選んだ理由の一つだ。もう一つは、お互いこの曲が好きだから。
こうして卒業式の日まで、また毎日のようにお互いの家に行って、高校受験の勉強の合間を縫って、一緒に合わせた。小学生の頃よりも更にお互い上達し、息もピッタリになっていたので、すぐに合うようになった。
二月、僕たちは高校受験を迎えた。僕と【彼】は同じ高校を受験し、無事に受かることができた。これで今回の発表会が終わっても、いつでもまた一緒に弾けるなと、僕は安心した。
ある時、僕は長年疑問に思っていたことを、【彼】に訊いてみた。
「そう言えばさ、【彼】、僕と初めて出会った時から、〝ニジ〟って僕のこと呼ぶじゃん? あれってどういう意味なの?」
「それはねぇ、虹って何色ある?」
「七色?」
「じゃあ音階は?」
「七音」
「でしょ? だから、音楽と虹って繋がってるんだよ。もちろん、虹が七色だって言われるようになったのは、ニュートンが音階に倣って七色に決めたからなんだけど、そのことを踏まえても、俺は音楽と虹には深い関わりがあると思うな」
「ほう」
「音楽は人と人を繋ぐもの。虹は空の架け橋。ほら、関係してる」
「なるほど」
「でね、確かに初めて君の演奏を聴いたとき、実力はまだまだだと思ったんだ。でも、君の演奏には人と人を繋ぐ架け橋のようなものが垣間見えたんだ。だからあの時、君の演奏を虹と言ったり、それ以来君のことをニジくんと呼んだりしたんだよ」
「そうだったんだ」
こうして長年の疑問が一つ解決した。
三月になり、いよいよ卒業式が間近に迫ってきたある日、【彼】はあるものを僕に渡した。
「これは、俺の大切なもの。だけどニジくん、君に持っていてほしいんだ。君が持っていてくれ」
そう言って【彼】が渡したのは、鍵だった。
「これは何の鍵?」
僕が尋ねると、【彼】はそれには答えずに、
「いつか必要になる時が来るよ」
と言って、はぐらかされてしまった。
そして遂に、卒業式、延いては卒業記念発表会を迎えた。
今度こそ正真正銘、一緒に合わせることができた。
ようやく、九年越しの約束を果たせた。
弾き終えた後の達成感は今でも忘れられない。
あの時以上のベストパフォーマンスはもう出来ないと思う。【彼】と一緒だったからあれだけ弾けたのだと思う。
人生で一番幸せな一時だったと言っても過言じゃないかもしれない。
けれども、それが【彼】と合わせた最初で最後の機会となってしまった。
その七日後、訃報が届いた。
【彼】が死んだ、と。
その日は、僕が初めてのヴァイオリンの発表会を迎えた日だった。
自分の出番が終わり、緊張から解放されてホワイエを一人で探検していた時、いきなり誰かがものすごいスピードで走ってきて僕に飛びついてきた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間、僕は床に倒れていた。
「いててて……」
「あっ、ごめん。大丈夫?」
見上げると、僕を心配そうに見つめる同い年くらいの子がいた。
その子こそ【彼】であった。
【彼】は僕と目が合った刹那、その目を輝かせ、興奮した様子で言った。
「君のヴァイオリン、虹みたいだね!」
「えっ、ニジ? どういうこと?」
「君の演奏、 凄く感動した! 本当に綺麗な虹だった!」
「……なにそれ? フフッ、変なの」
虹はもちろん当時の僕でも知っていたが、【彼】の言う『ニジ』がどういう意味か、この時は分からなかった。けれども、恐らく褒めてくれているらしいということは【彼】の表情から分かった。
【彼】のその独特な褒め言葉は、当時の僕の耳にはとても新鮮な響きだった。何より、【彼】がそのことを言う為だけに僕に飛びついてきたことが面白かったので思わず笑ってしまった。
「俺、ピアノ習ってるんだ!」
「へー!」
当時、僕の周りの同級生でピアノを習っている人は、男子こそ少なかったが、そこそこいた。なので【彼】の言葉には、さほど驚かなかったが、次の一言は予想外だった。
「いつか俺、君のヴァイオリンと一緒に弾きたい!」
「えっ?」
驚いた。
今まで、ピアノを習っている同級生でこんなことを言ったのは、【彼】が初めてだった。
「君のヴァイオリンと合わせたらもっと綺麗な虹が出来そうな気がするんだ。だからいつか合わせてみようよ! 俺、それまで頑張るからさ」
今回の発表会では、伴奏の先生がいて、その先生が伴奏を弾いてくれた。だから、伴奏は先生が弾くものなのだと、僕は思っていた。その先生に代わって【彼】が伴奏を弾くのは、何かいけないことのように思えたが、【彼】は少しも悪怯れる様子はなく、それどころか目をキラキラさせていた。
これが勘というものだろうか。そのうち、【彼】のキラキラした目をみていると、なんと無く悪いことではないような気がしてきた。
「うん、いいよ」
気がつくと、笑顔でそう答えていた。
「おーい、【彼】! なにしてんだ? 行くぞー!」
その時、【彼】が誰かに呼ばれた。
「今行く!」
【彼】はそう言うと、僕の方に向き直って言った。
「ごめん、友達が待ってるから。じゃあ、さっきの、約束だぜ!」
「うん!」
【彼】はそういうと、友達の方へと戻っていった。
「……っとまぁ、【彼】との出会いはこんな感じ」
「その日、【彼】はどうして発表会に来てたのかしら?」
「ああ、それは後で分かったことなんだけど、【彼】は本当は他の友達の演奏を聴きに来てたんだって。でも、僕の演奏を聴いて、目の色を変えて飛んできたらしいよ」
「それだけ水城くんの演奏が素晴らしかったってことね」
「いや、そういう訳じゃないんだと思う。と言うのも、後で先生には演奏を酷評されたから……」
「その先生が毒舌だっただけじゃなくって?」
「いや、毒舌じゃないと思うよ。他の上手に弾いていた生徒にはきちんと褒めてたから。それに自分でも、緊張してあまりうまく弾けたとは思わなかったし」
「えっ? じゃあどうして【彼】はそんなに褒めたのかしら」
「その理由は随分後になって分かるんだ」
「ふーん。で、その後は?」
「うん、次に【彼】と会ったのは、小学校の入学式だった」
「やぁ、ニジくん!」
僕は心臓が飛び出そうな程驚いた。
周りは知らない人だらけで緊張していた中、急に肩を叩かれたからだ。しかもよく分からない名前で呼ばれている。
恐る恐る振り返ってみると、そこには【彼】がいた。
「えっ? あの時の……」
「まさか同じ小学校で同じクラスになるなんてね! よろしくな!」
「う、うん。よろしく。てか、〝ニジくん〟って、もしかして僕のこと?」
「うん、そうだよ!」
「……やっぱり君変わってるよね」
「えっ? そう?」
「でも君がいて良かった! 周りの人全然知らないから」
「うん。俺も!」
「じゃあ君が小学校での初めての友達だね!」
「おう!」
「へー、水城くんから〝友達〟って言い出したんだ。意外!」
彼女はニヤニヤしながら、からかうようにして言った。
「そう?」
「だって、水城くんそういうの言わなそうじゃん」
「……」
確かに今の僕だったら絶対にそんなことは言わないだろう。でも当時はまだ友達という概念を理解していなかったところがあった。だから気軽に友達と言えたのだろう。
「続けて」
そうして小学校で初めての友達となった【彼】とは、よく遊ぶようになった。また、小学校ではたくさん友達ができた。ほとんど【彼】のお陰だった。元々人見知りなところがあった僕を、いろんな人と仲良くなれるようにしてくれた。
小学六年生のとき、ようやく【彼】のピアノと合わせる機会が巡ってきた。
初めてのヴァイオリンの発表会のときと比べると、見違えるほど上達した僕は、ダメ元でヴァイオリンの先生に訊いてみた。
「今度の発表会、お友達と一緒に弾きたいと思うのですがいいですか?」
すると、意外な答えが返ってきた。
「もちろんよ! あなたにそんな友達がいたとは知らなかったわ! どんどん合わせなさい!」
僕は嬉しくて仕方がなかった。
その日のレッスンを終えると、すぐに【彼】に電話をして、いち早くそのことを伝えた。
すると、彼も喜んで、
「やったー! やっとあの約束が果たせるね!」
と言ってくれた。
それからほぼ毎日、僕と【彼】はお互いの家に行って練習した。始めのうちは、ずれて合わないことが多かったが、何度も合わせていくうちに、次第にお互いの間合いを摑んでいき、だんだん合ってくるようになった。
そうして、本番前日。全てが万全の状態だった。あの電話が来るまでは。
ブー、ブーと僕の携帯が震えた。【彼】からだった。電話にでると、【彼】が震える声で言った。
「ごめん……、出られなくなった…………」
「えっ……」
聞き間違えかと思った。さもなくば、夢か何かだと。でも、聞き間違えでも夢でもなかった。
【彼】が体調を崩してしまったのだ。風邪だと【彼】は言っていたので、ひとまず安心はした。
【彼】は何度も何度も僕に謝っていた。自分の体調管理の問題だ、合わせるの楽しみにしてくれてたのにごめん、と。
僕が辛うじて掛けてあげられたのは、
「こっちは大丈夫だから、早く風邪、直してね」
という言葉だけだった。
発表会は代わりに、急遽伴奏の先生が弾いてくれた。
結局こうして初めてのチャンスは、儚く水に流れてしまった。
中学生になると、【彼】は眉目秀麗な容姿に社交的な性格も相俟って、女子からはもちろん、男子からも人気者になった。そんな【彼】のお陰で中学でもたくさんの友達をつくるようになった。けれども、【彼】が人気になればなるほど次第に話す機会も減り、僕は【彼】との間に距離を感じるようになっていった。
そのうち、【彼】には彼女ができたという噂が流れた。【彼】はその噂の真偽について、何も話さなかったので、僕も何も訊かなかったし、問い質すようなこともしなかった。正直、少し寂しかった。今までずっと傍にいた【彼】がどこか遠くに行ってしまうのではないかと思った。もしかしたら少し嫉妬していたのかもしれない。
そういうこともあって、僕は【彼】と合わせるのを半ば諦めかけていた。
そんなときだった。中学三年生の秋頃、ふと、こんな話が持ち上がった。
卒業記念発表会――――
卒業式の後、卒業生の有志が卒業記念に何かパフォーマンスを発表し合うというものだ。
この発表会で【彼】と合わせられたらなぁとは思ったが、まぁ無理だろうなと思っていた。一人でヴァイオリンを弾くのも億劫なので不参加にしようと思っていた。ところが……、
「なぁ、ニジくん。発表会、一緒に弾かないか?」
「……!」
なんと、【彼】の方から弾こうと言ってくれた。僕は物凄く嬉しかった。もちろんOKをして、すぐさま弾く曲を相談した。
【彼】と僕とで曲を相談した結果、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ『春』に決めた。
ヴァイオリンソナタはヴァイオリンとピアノの曲で、ピアノは伴奏としての扱いではない。ヴァイオリンとピアノが対等な演奏者として扱われている。それがこの曲を選んだ理由の一つだ。もう一つは、お互いこの曲が好きだから。
こうして卒業式の日まで、また毎日のようにお互いの家に行って、高校受験の勉強の合間を縫って、一緒に合わせた。小学生の頃よりも更にお互い上達し、息もピッタリになっていたので、すぐに合うようになった。
二月、僕たちは高校受験を迎えた。僕と【彼】は同じ高校を受験し、無事に受かることができた。これで今回の発表会が終わっても、いつでもまた一緒に弾けるなと、僕は安心した。
ある時、僕は長年疑問に思っていたことを、【彼】に訊いてみた。
「そう言えばさ、【彼】、僕と初めて出会った時から、〝ニジ〟って僕のこと呼ぶじゃん? あれってどういう意味なの?」
「それはねぇ、虹って何色ある?」
「七色?」
「じゃあ音階は?」
「七音」
「でしょ? だから、音楽と虹って繋がってるんだよ。もちろん、虹が七色だって言われるようになったのは、ニュートンが音階に倣って七色に決めたからなんだけど、そのことを踏まえても、俺は音楽と虹には深い関わりがあると思うな」
「ほう」
「音楽は人と人を繋ぐもの。虹は空の架け橋。ほら、関係してる」
「なるほど」
「でね、確かに初めて君の演奏を聴いたとき、実力はまだまだだと思ったんだ。でも、君の演奏には人と人を繋ぐ架け橋のようなものが垣間見えたんだ。だからあの時、君の演奏を虹と言ったり、それ以来君のことをニジくんと呼んだりしたんだよ」
「そうだったんだ」
こうして長年の疑問が一つ解決した。
三月になり、いよいよ卒業式が間近に迫ってきたある日、【彼】はあるものを僕に渡した。
「これは、俺の大切なもの。だけどニジくん、君に持っていてほしいんだ。君が持っていてくれ」
そう言って【彼】が渡したのは、鍵だった。
「これは何の鍵?」
僕が尋ねると、【彼】はそれには答えずに、
「いつか必要になる時が来るよ」
と言って、はぐらかされてしまった。
そして遂に、卒業式、延いては卒業記念発表会を迎えた。
今度こそ正真正銘、一緒に合わせることができた。
ようやく、九年越しの約束を果たせた。
弾き終えた後の達成感は今でも忘れられない。
あの時以上のベストパフォーマンスはもう出来ないと思う。【彼】と一緒だったからあれだけ弾けたのだと思う。
人生で一番幸せな一時だったと言っても過言じゃないかもしれない。
けれども、それが【彼】と合わせた最初で最後の機会となってしまった。
その七日後、訃報が届いた。
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