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蒲生定秀の来訪① 主君との対峙

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「ところで蔵之丞。寺倉郷の発展は蒲生家、ひいては六角家の発展にも繋がること故、喜ばしいことではある。しかしどうしても申しておかねばならぬことがあってな」

そう言うと、先ほどまで穏やかな笑みを浮かべていた蒲生定秀が、厳しい表情に変わった。

「はっ、一体何でございましょう?」

「うむ。最近周辺の村から多くの領民が板ヶ谷に移ってきたであろう? 領民の数は石高と兵力に繋がることは蔵之丞も分かっておろうが、少しばかり苦情があってな。それ故、こうして参った訳だ」

今では移民は70人近くに増えているが、半分は同じ蒲生家配下の領地からの移民で、他家の領地からは最も多い家でも5人しか移っていないはずだが、……なるほど、そういうことか。他家からの苦情は急速な発展で殷賑いんしんを極める寺倉郷への妬みと、主家である蒲生家に対する嫌がらせなのだろう。いつの時代も"隣の芝は青く見える"というところか。

「左様でございましたか。確かに寺倉郷では来る者拒まずで、罪を犯して逃げた者以外は誰でも受け入れておりましたが、そこまでは考えておりませなんだ。某の浅慮により下野守様にご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませぬ」

「いや、お主を責めるつもりはない。蒲生家配下の領地からの移民はさして問題ではないが、六角家中での諍いは避けたい故な。他家からの移民の受入が軋轢を生む危険も考慮して貰いたい」

どうやら六角家中での実権を巡って、絶大な権勢を誇る蒲生家に対して、「六角六宿老」の他の5人や重臣たちとは政治的な対立もあるようだな。寺倉郷への移民が派閥間の足の引っ張り合いの材料にされるのは、こちらも願い下げだ。

それと同時に、俺に釘を刺す牽制の意図もあるのだろう。この戦国乱世では下剋上なんて珍しくもない。寺倉家が目の上のたん瘤のような存在にならないか、蒲生家が気にしないはずはないのだ。仮に俺が大名だったとしても、家臣が急速に力を付けて制御不能になるのは恐れるに違いない。

ただ俺は下剋上による寺倉家の領地拡大など考えていない。今はただ領内の発展と領民たちの生活向上を望んでいるだけだ。史実の蒲生家は六角家から織田家、豊臣家、徳川家と主君を替えて存続したため、史実どおりであれば下剋上の必要はない。

万一何かが起こるとすれば、蒲生家が力を落とすか、六角家が凋落した時だろう。その時には寺倉家も生き残る道を探さざるを得なくなる。

「ははっ、肝に命じておきまする」

父は気まずそうに返答して頭を下げた。背後で平伏する家臣たちも肩身が狭そうだ。

「だが、先程も申したが、寺倉家の発展は目覚ましいものがある。我ら蒲生家にとっても心強いと考えておるのだ。今後も期待しておるぞ」

そう言うと、定秀の話は幕を下ろし、寺倉家の主従は胸を撫で下ろしたのだった。



◇◇◇



その夜は、蒲生定秀の来訪を知ってから大急ぎで準備された歓迎の宴が催されることになった。もちろん子供の俺は酒を楽しむつもりもなく、料理を食べ終えた後は酒宴の喧騒から逃れるように庭に出ると、夏の夜風に当たって涼んでいた。

「お主が淀峰丸か?」

俺はハッとして振り返った。リラックスしている時に背後から話し掛けられたため、俺は動揺の色を隠せなかった。

「その若さでここまで領地を繁栄させるとは、さすがは"神童"というところか」

「……下野守様。何のことでございましょうか?」

警戒して額に脂汗を滲ませながらも、俺は首を傾げて惚けてみせるが、無意識に顔が強張り、身が竦むのが自分でも分かった。

「そう警戒せずとも良い。儂はお主のことを買っておるのだ。昼間、稲が綺麗に並んだ田を見掛けたが、あれもお主の仕業であろう?」

正条植えを試行している田を見たのか。蒲生定秀は俺が寺倉郷を発展させた張本人だと疑う素振りも見せない。

「……はい。誠に勿体ないお言葉にございます」

褒められているとは素直に受け取れない言葉に、俺は形だけの感謝を述べると頭を垂れた。こめかみの辺りがピクピクと震えるのを感じながらも、俺は何とか平常心を意識しようと努める。

「不意打ちで儂から言葉を掛けられて、そこまで落ち着いていられる者などそうはおらぬ。まだ11歳と聞いたが、なるほど曠世之才を伺わせる。”神童"の噂は真のようだな」

相手は主家であり、六角家の実力者だ。虚をつかれた一対一の対峙には緊張して会話どころではないと思われたが、意外にも俺の口からはすぐに次の言葉が出た。

「わざわざ宴を抜け出して来られたということは、私に何かご用件があるのでしょうか?」

手汗が滲む掌を握り締めるのとは裏腹に、俺の胸懐は淡海の水面が如く不思議と落ち着いていた。夜更の朧月が放つ面妖な雰囲気がそうさせるのか、むしろ頭の中は冴え渡る。

「ふっ、そう邪推するでない。今回は寺倉郷と"神童"を見に立ち寄っただけだ」

口ではそう言うが、定秀の目を見れば一目瞭然だ。この俺と話をするためにわざわざ訪ねて来たのだ。ならば千載一遇のチャンスだ。

「左様ですか。……ですが、私は大それた野心など持ち合わせておりませぬし、興味もございませぬ。"今のところは"領地の発展と領民たちの暮らしを豊かにすることだけが望みにございます」

言葉を濁したとは言え、やや反抗的な物言いになってしまったのは、「たとえ主家であろうと、このまま舐められたままで終われるか」という俺の負けず嫌いな性格が若さ故に無意識に出てしまったのだろう。だが、主家に対してこれ以上の反抗的な態度は身を滅ぼしかねない。

「はっはっは、"今のところは"、か。面白い。よもやその歳で『六角六宿老』であるこの儂相手に一歩も引かぬとはな」

予想外の俺の抗弁に定秀は一瞬目を瞠ったが、却って煽ってしまったのか、カッと威圧的な眼光を放った。俺は定秀の威圧に負けじと奥歯を噛み締める。

「下野守様。勝ち目のない戦をするのは只の愚者でございますれば、蒲生家や六角家に弓引くつもりなど毛頭ございませぬ。ただ、先ほどの父上とのお話ですが、他家と不要な諍いを起こすつもりなど元よりございませぬ。ですが、他家の嫉妬や妨害を恐れて、領地の発展を諦めるつもりもございませぬ故、何卒ご承知おきくだされ」

俺が定秀の目を見返しながら答えると、定秀は「ふっ」と息を漏らした。

「ほぅ。父親は儂の言葉に脂汗を掻いておったが、息子の方は随分と肝が太いようだな。悪くない、気に入ったぞ。ならば好きにやるが良い」

定秀は笑みを浮かべると、俺を諭すが如く闊達な口調で続ける。

「だが、淀峰丸よ。一つ忠告しておこう。我が主君の六角左京大夫(義賢)は強欲で度量が小さく、虚栄心と嫉妬心の強い男だ。一介の陪臣に過ぎない国人の領地が不相応に繁栄していると知れば、面白いはずもなかろう。儂の家臣であろうとも"出る杭は打ち"、この地を我が物にしようとしかねん。努々油断するでないぞ」

定秀から自由にやっていいとの言質を得て、俺は内心で安堵の溜息を吐いたのも束の間、頂門の一針を突かれて再び褌を締め直すことになった。
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