恋喰らい 序

葉月キツネ

文字の大きさ
12 / 14
恋喰らいとして

恋喰らいとして

しおりを挟む
 見慣れた自宅の門が見えてくる。自分が家を飛び出した時に門を閉じていたかまでは覚えていない。だが目の前にある門はしっかりと閉じている。
「昨日の事なのよね」
 門を隔てて家を見ると昨日あったことが頭をよぎる。今となってはもう二度と堪能できない味。思い返すだけでも唾を飲みこんでしまう。時間にしてみるとそうでもないが、昨日の問答もあり、随分前の事のように感じてしまう。
 門を開けてドアノブを引くと力のままにドアは何事もなく軽く開いた。
 背後から差し込んだ光が家の中を照らす。見慣れた玄関の風景に一点見慣れない物があった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 私の姿を見るや否や正座のまま頭を床につけながら「ごめんなさい」をひたすらに唱え続ける男がそこにいた。ずっと一晩そこにいたのだろうか着ている服も昨日と変わっていない。
「いつからそこにいたの?」
「…奏が出て行ってからすぐ」
 頭も上げず震えた声が返ってくる。
「犬みたい」
 主人の帰りを待つような犬のようだ。
「昨日の事は何かおかしかったんだ。頭の中がふわふわして、ついあんなことをいって、奏に近づいて、触ろうとして、奏に嫌な思いをさせてしまった。頭を下げて謝罪の言葉を言って許してもらうことはできないとは思う。だけど謝らせてほしい」
「今日仕事は?」
「奏がいつ帰ってきてもいいように休みをもらった。こんな状態で仕事なんか行けない」
「ズル休みだ。私と一緒だね」
 返事はない。音もなくただ時間が過ぎていく。
「明日は学校行きたいから制服と荷物を取りに来たの、通らせて。それと今日も友達の家に泊まらせてもらうから、明日まで帰ってこないつもりでいてね。」
 やっと頭を上げたかと思えば目も合わせずに玄関の端へと身を寄せた。本当に犬のようだ。
「先に言っておくけどお母さんには昨日事言わないでね。私も言う気はないし。いつも通りに少しでも近づけたいから。そこが一番心配だったんでしょう?」
「そ、そんなことはない。一番心配なのは奏だ」
「そう、なら言ってもいいの? お父さんに身体を触られて迫られたって」
 目が泳いでいるのがわかる。当然だろう。あちらにも立場があるし、私にも立場があるのはわきまえている。それになによりお母さんは知らない方がいいだろう。私が原因ともいえる気の迷いとは言っても、娘を襲いかけた男にいつも通り接することはできないだろう。
「でも、お父さんを見る目はもう戻らないと思ってね。それじゃあ私荷物とってくるから」
 男はすべからく皆私の餌。それは私の今の根底であり、揺るがない。
 後ろから喉を鳴らす嗚咽が聞こえてくる。その声にならない声はまるで痛みを我慢しているかのようにも聞こえた。


「今からどうしよう…」
 思わず今の悩みを口に出してしまう。もちろん周りには答えてくれるもいないし、そもそも言葉を聞いている人もいないだろう。
 荷物を取って家から出たもののまだ事務所には帰れないし、銭湯で一時間ゆっくりと入ったがそれでも時間はあまり潰れていなかった。時間はお昼前、お昼をどこかで食べるとしてもそれでもすぐに終わってしまう。そうなるとまた時間つぶしを考えなければならなくなってしまう。悩ましい問題だ。
 幸いにお財布の中にはそれなりの資金がある。元々持っていたお金と家を再度出るときに父が渡してきたお金だった。これでご機嫌取りのつもりだったのか、それとも単純に何をするにしてもお金がいるからと考えた結果なのかは分からないが、手元が心もとないよりかは良かった。
 普段は平日のこの時間に街を歩くことはないから、見る風景はどことなく新鮮に感じる。人通りは少なく、歩いている人も高齢の方が多い、同じ年くらいの人はほとんどいない。ようやく自分が今日は学校を休んだのだと実感した。そして自分がこの空間における異物のような感覚に陥りそうだ。
 いつも街中に出るときは友達と一緒に出てその時に合わせた動きをしていたからこそ、一人で時間をつぶそうと思うと手段がなにも浮かばなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

処理中です...