恋喰らい 序

葉月キツネ

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恋喰らいとして

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 見慣れた自宅の門が見えてくる。自分が家を飛び出した時に門を閉じていたかまでは覚えていない。だが目の前にある門はしっかりと閉じている。
「昨日の事なのよね」
 門を隔てて家を見ると昨日あったことが頭をよぎる。今となってはもう二度と堪能できない味。思い返すだけでも唾を飲みこんでしまう。時間にしてみるとそうでもないが、昨日の問答もあり、随分前の事のように感じてしまう。
 門を開けてドアノブを引くと力のままにドアは何事もなく軽く開いた。
 背後から差し込んだ光が家の中を照らす。見慣れた玄関の風景に一点見慣れない物があった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 私の姿を見るや否や正座のまま頭を床につけながら「ごめんなさい」をひたすらに唱え続ける男がそこにいた。ずっと一晩そこにいたのだろうか着ている服も昨日と変わっていない。
「いつからそこにいたの?」
「…奏が出て行ってからすぐ」
 頭も上げず震えた声が返ってくる。
「犬みたい」
 主人の帰りを待つような犬のようだ。
「昨日の事は何かおかしかったんだ。頭の中がふわふわして、ついあんなことをいって、奏に近づいて、触ろうとして、奏に嫌な思いをさせてしまった。頭を下げて謝罪の言葉を言って許してもらうことはできないとは思う。だけど謝らせてほしい」
「今日仕事は?」
「奏がいつ帰ってきてもいいように休みをもらった。こんな状態で仕事なんか行けない」
「ズル休みだ。私と一緒だね」
 返事はない。音もなくただ時間が過ぎていく。
「明日は学校行きたいから制服と荷物を取りに来たの、通らせて。それと今日も友達の家に泊まらせてもらうから、明日まで帰ってこないつもりでいてね。」
 やっと頭を上げたかと思えば目も合わせずに玄関の端へと身を寄せた。本当に犬のようだ。
「先に言っておくけどお母さんには昨日事言わないでね。私も言う気はないし。いつも通りに少しでも近づけたいから。そこが一番心配だったんでしょう?」
「そ、そんなことはない。一番心配なのは奏だ」
「そう、なら言ってもいいの? お父さんに身体を触られて迫られたって」
 目が泳いでいるのがわかる。当然だろう。あちらにも立場があるし、私にも立場があるのはわきまえている。それになによりお母さんは知らない方がいいだろう。私が原因ともいえる気の迷いとは言っても、娘を襲いかけた男にいつも通り接することはできないだろう。
「でも、お父さんを見る目はもう戻らないと思ってね。それじゃあ私荷物とってくるから」
 男はすべからく皆私の餌。それは私の今の根底であり、揺るがない。
 後ろから喉を鳴らす嗚咽が聞こえてくる。その声にならない声はまるで痛みを我慢しているかのようにも聞こえた。


「今からどうしよう…」
 思わず今の悩みを口に出してしまう。もちろん周りには答えてくれるもいないし、そもそも言葉を聞いている人もいないだろう。
 荷物を取って家から出たもののまだ事務所には帰れないし、銭湯で一時間ゆっくりと入ったがそれでも時間はあまり潰れていなかった。時間はお昼前、お昼をどこかで食べるとしてもそれでもすぐに終わってしまう。そうなるとまた時間つぶしを考えなければならなくなってしまう。悩ましい問題だ。
 幸いにお財布の中にはそれなりの資金がある。元々持っていたお金と家を再度出るときに父が渡してきたお金だった。これでご機嫌取りのつもりだったのか、それとも単純に何をするにしてもお金がいるからと考えた結果なのかは分からないが、手元が心もとないよりかは良かった。
 普段は平日のこの時間に街を歩くことはないから、見る風景はどことなく新鮮に感じる。人通りは少なく、歩いている人も高齢の方が多い、同じ年くらいの人はほとんどいない。ようやく自分が今日は学校を休んだのだと実感した。そして自分がこの空間における異物のような感覚に陥りそうだ。
 いつも街中に出るときは友達と一緒に出てその時に合わせた動きをしていたからこそ、一人で時間をつぶそうと思うと手段がなにも浮かばなかった。
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