マルヴィナ戦記2 氷雪の歌姫

黒龍院如水

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第13話 貧民街

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 状況があわただしさを増していた。

「ホールの裏口から出てください!」
黒服の担当者に促されて、控室から出て走るマルーシャ、ヨナタン、そしてヒスイ。

「不審者は、我々のような黒服に、覆面をして武器を持っているようです……」
控室が集まる一角の狭い廊下には、何人かの出演者やその従者が右往左往している。

別の控室からは、くせものだであえであえ、という甲高い声も聞こえてきた。

「こちらです!」
ホールの出口だ。

出口から外には誰もおらず、安全そうだ。ひととおり見渡してそれを確認すると、その黒服の担当者がマルーシャに手を差し出した。

「姫、今回はこういうかたちになりましたが、ぜひまたいっしょに演りましょう!」
手を力強く握ったまま、その黒服が続けた。

「我々は……、舞台裏の、様々な思惑を知っています。汚い部分も、駆け引きも知っています。そして、あまり実力がないのに舞台に上がる演者がいることも知っています……」

だけど、と強いまなざしを向けた。
「我々は、この仕事に誇りを持っている。よいパフォーマンスを観て観衆が喜ぶことが、生きがいなんだ」
黒服は手を離して鼻を押さえた。

「わかった、ありがとう!」
そう答えつつ、何か言い足りないまま、マルーシャは急いだ。

黒服は、ホールの裏口から再び中へ戻っていき、マルーシャたちは逃げる方角を確認する。

「とりあえず、隠れ宿に走ろうか」
と走り出そうとしたそのとき、

「あのう……」
ヒョウ柄の服を着た、髪の毛の一部が紫色の派手な格好のおばさんが目の前に現れた。

「え? こんな時に……」
手に大きな紙袋を下げ、もう片方の手にはマルーシャ姫と書かれたうちわ。

「ファンかな? でも、相手してる時間無いのよね……」
かわいそうだけど、とやり過ごそうとしたとき、

「ちょ、ちょっと待って、わたしよ!」
そのファンのおばさんが追いかけてきた。

「わたしよ、マリーよ!」

「え? マリー!?」
それは、よく見ると確かにマルーシャの養育係のマリーだった。

「ごめんね、変装がうま過ぎるから……」
走りながらある方角を指さすマリー。

「あなたたちは、隠れ宿の方角へ走って!」
もちろんそのつもりよ、とマルーシャ。

「でも、宿には入らないで、裏手の雑踏に走りこむのよ。そこに支援者がいるから……」
何人かが後ろから追ってくる音が聞こえた。

「不審者の狙いはあなたたちだわ。わたしとギルバートは、あなたたちを追っている不審者をうしろから狙って、できるだけ数を減らす!」
立ち止まったマリー、

ファンなんだから、サインぐらいくれてもいいじゃない! と大声で悔しそうに叫んで、別の方角へ消えていった。

「たしかに、追ってきてるね」
最後尾を走りつつ、ちらちらとうしろを確認するヒスイ。

「前にもいる!」
住宅街がちょうど途切れた人影がない場所で、二人の黒い覆面が現れた。

「しゃあっ!」
ヨナタンとマルーシャの背後から、一気に地面を蹴って加速するヒスイ。二人を追い抜きつつ、両足を揃えた飛び蹴りを覆面のひとりにかます。

「とぅあっ!」
起き上がりながらもう一人に後ろ回し蹴り。

「街中であまり魔法を使いたくないからね……」
手をはたいて、もう一度走り出す。


 一方、こちらはマリー。

「このままでは目立つね……」
速足のまま、服を脱ぎ捨てる。下から、うすいピンクのクノイチの衣装が現れた。

フードをかぶると、マリーの目つきが変わった。

「どうだ?」
そこにギルバートが追いついてきた。同じような、明るい水色のニンジャ衣装で息を切らせている。

「あそこよ!」
そのターゲットの前に一気に回り込む。

「なんだおまえらは!」
任務を邪魔されて、声を荒げる覆面の二人。どちらも、右手に刃渡りの大きなナイフ。

覆面の斬り下ろしを、右に避けるギルバート。さらに横切りをしゃがみ込み、立ち上がったところに来た突きを、紙一重でかわす。その一瞬止まった相手の手首をつかんだ。

「うぐぁ! う、動けん……」
覆面はそのまま地面に倒れた。

しゃがんだ姿勢のまま、くっと顔をあげるギルバート、
「経絡のギルバート!」

もうひとりがマリーに斬りかかるが、マリーが手のひらをかかげると、

「おわっ、なんだ!」
触れてもいないのに体の動きが止まる。

「おわっ、わっ、わっ、どうなってんだ……」
そのままマリーの手の動きに合わせて、体のバランスを崩し、一度も触れていないのにそのまま円を描いて投げ飛ばされる別の覆面。

きっと顔を向けたマリー、
「気功のマリー!」

「お、おまえたち、もしや……、伝説の夫婦仕事人、マフノ一家……」
横たわった男の首が、がくっと落ちた。

「あなた、次よ!」
しゃがんで息を整えているギルバートを立たせた。


 いっぽう、隠れ宿にたどり着いたマルーシャたち。

「宿の裏ね……」
そのまま宿に入らずに、裏手へ回っていく。

「雑踏に支援者がいるってマリーが言ってたね……」
裏の雑踏は、自分たちが隠れ宿で泊まっていた櫓からは見えない位置だったのだが、その櫓から見えた首都の荘厳な街並みとはまるで様相が異なっていた。

「まるで……」
平屋建ての、ボロボロの家が続く狭い路地。もうあたりは真っ暗で路地に人影は見えず、雨もしとしと降ってきた。

「まだ追ってくるかしら?」

「わからない、もうすこし進もう!」
入り組んだ路地の奥深くへ入り込めば、追っ手をまけるかもしれない。

しばらく走っていると、確かに追っ手の姿は消えた。だが、自分たちがどこにいるかもわからない。

「どうしよう?」
宿に戻れないとすると、今夜泊まる場所もない。

だが、

「あれ? もしや……」
ヨナタンが何かに気づいた。

「うむ……」
ヒスイも気づいた。

周囲から、無数の気配。
「え? 囲まれてる?」

少し広めの空き地のような場所に出た。何か汚い、みすぼらしい恰好の者たち、それも遠巻きに、かなりの数がいる。

「武装しているな……」
これは厄介だぞ、という表情のヒスイ。

「あれ? マルーシャ?」
ヨナタンは、マルーシャの姿が見えなくなったことに気づいた。

「やつら、くるぞ!」
ヒスイが言う通り、徐々に遠巻きな位置から距離を詰めてくる謎の集団。

「どうしよう……」
ヨナタンは、意を決したように腰に差した濃い紫鞘の剣を取り出した。

「うむ……」
ヨナタンがヒスイのほうを見て、ヒスイも頷く。

ヨナタンが、剣の束と鞘口近くを握る。そして目をつぶった。同時に、集団がさらに包囲の輪を縮めてきた。しかし、まだ仕掛けてこない。

「はやく……」
数メートルの位置にまで大人数に囲まれて、構えるヒスイ。

集団のほうも武器を構えたとたん、ヨナタンがゆっくり鞘から剣を抜いた。

「この者ども……、殺気がない」
たんっ、と剣を鞘に戻し、ヨナタンの目つきと声音がいつもと違う。

周囲から、うっとかおうっとかの呻き声。なぜか、手に持った武器が地面に落ちている。どこか肩か胸あたりを打たれて膝をつく者も。

「安心せい、すべて鞘打ちじゃ」
ヨナタンは低い声でそう告げると、鞘に入った剣を抱えて地面にどっかと座り込んだ。

チャンスと判断したヒスイ、どの相手から片付けようかと周囲をさっと見渡すが、

「待て!」
相手の側から制止の声がかかった。

出てきたのは、一人の男。背が高く痩せて、青黒い肌にギラギラした目。何日も洗っていないような、ところどころ黒く汚れたボロボロの服。

「待て、我々はおそらく敵ではない」
その男は、あまり見たことがないタイプの、おそらく飛び道具であろう手に持った細長い武器を地面に捨て、両手を見せた。

「おれはイスハーク・サレハ。このジュディス流民街のリーダーだ」
そう名乗って、集団の他の者にも武器をしまうように命じた。

「リュドミーラ!」
男が叫ぶと、わかったわ、と言ってもう一人が前に出てきた。イスハークと同じような肌の色、攻撃的な瞳。そして珍しいかたちの細長い武器を地面に置いて両腕を組んだ。

「わたしは副リーダーの、リュドミーラ・サレハよ!」
おれの妹だ、とイスハークと名乗った男が付け加えた。

「わたしはマルーシャ、こっちはヒスイ、こっちのはヨナタンよ」
マルーシャがいつの間にか姿を現わしていて名乗り、ヨナタンも目をこすりながら立ち上がった。

「マリーから話は聞いている」
イスハークが言った。

「ただし、条件がある……」
支援するのに条件があるようだ。マルーシャがいったん聞く姿勢になった。

「宮廷で行われる、ダンス武闘会にいっしょに出てくれ!」

「ダンス舞踏会!?」
いきなりの要望に、思わず聞き返すマルーシャ。

イスハークが、確信の表情で頷いた。

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