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終.烏道士は死神皇帝の仮初妃になる
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晨玲の大好きな神話の神々の御名を唱えるところから、儀式が始まった。
分厚い経文を滞りなく、唱えるには、どんなに省略しても昼過ぎまでは掛かる。
晨玲は丁寧に読経するので、特に時間が掛かるのだ。
(亡くなった二人のお妃様を慰め、冥府に導き、神を降ろしてから、場を綺麗にして頂く。私に出来るのは、祈ることだけ)
霊験あらたかな経は、万人に癒しをもたらす。
長い儀式中、集中しきっている晨玲を見て、誰もがその神秘性に息をのんだ。
――晨玲には、神が降りている。
そう評したのは、晨玲の叔父の師だった。
「……敵わないな」
後ろで一緒に拝んでいた未泉が、小声で呟いたのが聞こえたような気がした。
(きっと、幻聴でしょうけど)
死者の霊を慰め、この国を造った太祖に礼を述べ、神々に感謝する。
そのすべてを滞りなく終えたら、すでに、太陽は中天を越えていた。
晨玲の額には汗が滲み、声が掠れ始めていたが、まだ最後の仕上げが残っている。
ちりん。
ちりん。
儀式終了を告げる合図の鈴を、晨玲が高らかに鳴らす。
魔を祓い、安寧を祈る厳かな音色が、後宮内に響き渡った。
(届いて。天上に……)
晨玲は願いながら、分厚い経典を閉じた。
と、その時だった。
鴛鴦池の端と端を結ぶように、大きな虹が架かったのだ。
「……きれい」
「奇跡?」
「どうしたら、こんな芸当できるのよ?」
晨玲たちを訝る者、賞賛する者、様々な人の声が飛び交う。
理解不能な摩訶不思議なことに対する困惑と好奇心が、さざ波のように見学者の間を伝播していった。
(いい気分)
晨玲には、周囲の雑音なんて聞こえていなかった。
儀式を無事執り行うことができた開放感に浸っていたのだ。
この手応えなら、二人をちゃんと、あの世に送り出すことが出来ただろう。
「精一杯、祈らせて頂きましたよ。夕李様、香雨様」
祭壇に一礼した晨玲は、気持ちを切り替えてから、後ろを振り返る。
途端、ぴしりとした緊張感が満ち、妃嬪、女官、宦官は一気に静まり返った。
何とも言えない表情で、皆、晨玲を凝視している。
この隙に「皆さん、ごきげんよう。さよなら」と、手を振って、颯爽と後宮を去るところまでが、晨玲の脳内の台本だったのだ。
――しかし。
「見事だった。晨玲」
何処からともなく、晨玲の眼前に登場したのは、本日も女神の如く美しい……。
「へ、陛下?」
榮翔だった。
(何で、この方がここにいるのよ?)
一瞬、宦官としてお忍びで見学に来ていたのではないかと、淡い期待もしたが、絶対にそうではない。
本日の榮翔は、頼んでもいないのに皇帝の正装をしていた。
「一体、どうされたのですか? へい……。うっ」
供手する間もなく、晨玲は突然、榮翔に抱き締められてしまった。
「な、何!?」
具合でも悪いのか?
しかし、悪かったのは身体の方ではなかった。
榮翔の頭の中だった。
「私には、今、亡くなった夕李と香雨が確と視えた。感動したよ。我が妃」
「……妃?」
なぜ、その忘れかけていた肩書きを、注目を浴びる場で、わざわざ言うのか?
(大体、私の妃生活は、今日で終了のはずなのよ?)
すぐさま、榮翔の手を振り払おうとしたものの、相手は皇帝だ。強引な真似はできない。されるがまま、諦めるしかなかった。
それを良いことに、榮翔は色惚け気味に熱く語ってみせたのだった。
「褒美として、正一品。三夫人の位を、黎 晨玲に与える。今の儀式を見た者であれば、異論はないだろう。烏道士如きなど、誰にも言わせやしない」
「はあっ!!!???」
――三夫人?
(そんな、莫迦な)
晨玲には異論しかないのだが……。
「ああ、私は賛成だよ」
またしても、何処からやって来たのか、ふらりと明蘭が現れて、挙手していた。
黄土色の羽織を肩に引っかけ、長髪を一つに高く結い上げている姿は、美しいものが好きな晨玲が、見惚れるくらい凛々しい。
(……て、今はそれどころじゃないのよ)
「あの、黄貴妃さま……。私」
「晨玲。心配いらない。貴方の後ろ盾には、私がなろう。貴方の力は素晴らしい。その能力があれば、皇帝が死にかかっても、冥府から奪い返してくれるそうだ。三夫人の一人として、申し分ないよ」
(いや、勝手に決められましても?)
まるで、二人が打ち合わせしたかのような会話。
もしかして、いや、もしかしなくても……。
(嵌められた? 私)
ここで、晨玲を妃として迎えたことを喧伝してしまえば、後日、誰かに反対されても、既成事実で逃げ切ることができる。
(いや、待って)
そもそも、最初から妃として後宮に入れと言われた時点で、おかしかったではないか?
最初から、榮翔と明蘭は手足になる下僕=妃が欲しかったのではないか?
「やっぱりな。そうなるんじゃないかって思ってたよ」
未泉が両手を合わせて、晨玲を拝んでいた。
(嫌だ。まだ死んでないわよ。私)
だけど、このまま流されたら、今後の生存率は著しく下がってしまいそうだ。
「陛下。私には烏道士の御役目と、皇城の廟巡りが待っているのです」
「本当に君はぶれないよね。そういうところが好ましいんだけど」
断ったつもりが、かえって愛の告白をされている恐怖。
そうして、榮翔は晨玲の耳朶に耳を寄せて、色っぽく囁いたのだった。
「私は君が気に入った。今まで妃なんて娶るつもりはなかったけど、君となら、面白くなりそうだから」
「へ、へ、陛下?」
かあっと頬が熱くなる。
だけど、これはおそらく、榮翔の顔面の女神効果のせいだ。
「陛下。私には大層な、もったいないお話なのですが、私には三夫人など、到底務まりません」
「ああ、晨玲がそう言うだろうことは、分かっていたよ」
「でしたら?」
「そう。だから、晨玲。私と賭けをしてもらえないかな?」
「……は?」
何がどうなって、そんなことになってしまうのか?
頭がまったく追いついていかなかった。
「今、この瞬間から三カ月。この間に、君が私を好いてくれたら、君は私の正式な妃になる。でも、無理だと思ったら、君を手放してあげる。君についている健気な従者君も、今回は特別に後宮滞在を認めよう。どう?」
(何、健気な従者君って?)
榮翔は、未泉が男の子であることに気づいているのだ。
………そうだ。
つまり、晨玲は脅されているのだ。
「手放すって、この世から手放すとかですかね?」
「嫌だな。君だけは、殺さないって誓ったじゃないか」
「出来れば、その誓いをもっと大人数にして下さいね。恨みは買わないことが一番。浄霊する方の身にもなって下さい」
「何だ、浄霊を頑張るくらい、私の傍にいてくれるのか?」
「その発想自体が、危険でして」
混乱状態で、ぐるぐる目を回している晨玲を、榮翔はきつく抱擁した。
悲鳴と歓声が轟いているが、さすが皇帝。黙殺するのが上手かった。
「晨玲。これは、君にとっても、利のある話だ。君が私の寵妃となれば、鳳王族の太廟への出入りは自由だ。正一品の妃でいる間は、好きなだけ入り浸ることができる。皇城の廟と合わせて、どうかな?」
「……皇城の廟と太廟」
ごくりと、晨玲の喉が鳴った。
鳳国の皇帝一族の廟。
素晴らしい神像と神図、圧巻の祭壇が待っている。
(絶対に太廟だけは無理だって、諦めていたのよ。これを逃したら、私、一生後悔するかも)
「あー、もう……」
「太廟」の一言で、晨玲の冷静な思考は見事に霧散してしまった。
「さ、三カ月……ですよね?」
「ああ、三カ月。少し今の契約を延長する程度だと思えばいい」
「そうですよね。たかだか、三カ月だもの」
「そう。たかだか三ヶ月。でも、逃すつもりはないけどね」
「えっ?」
何だか良く聞こえなかった。
未泉が特大の溜息を吐いて、明蘭は暁和殿の方を一瞥してから、密やかに微笑した。
二人の賭けを知らない者達は、その日「ケガレ」と忌み嫌われていた烏道士の娘が、正一品の三夫人の位に昇格したという、有り得ない夢物語を目の当たりにして、大いに盛り上がったのだった。
【 終 】
分厚い経文を滞りなく、唱えるには、どんなに省略しても昼過ぎまでは掛かる。
晨玲は丁寧に読経するので、特に時間が掛かるのだ。
(亡くなった二人のお妃様を慰め、冥府に導き、神を降ろしてから、場を綺麗にして頂く。私に出来るのは、祈ることだけ)
霊験あらたかな経は、万人に癒しをもたらす。
長い儀式中、集中しきっている晨玲を見て、誰もがその神秘性に息をのんだ。
――晨玲には、神が降りている。
そう評したのは、晨玲の叔父の師だった。
「……敵わないな」
後ろで一緒に拝んでいた未泉が、小声で呟いたのが聞こえたような気がした。
(きっと、幻聴でしょうけど)
死者の霊を慰め、この国を造った太祖に礼を述べ、神々に感謝する。
そのすべてを滞りなく終えたら、すでに、太陽は中天を越えていた。
晨玲の額には汗が滲み、声が掠れ始めていたが、まだ最後の仕上げが残っている。
ちりん。
ちりん。
儀式終了を告げる合図の鈴を、晨玲が高らかに鳴らす。
魔を祓い、安寧を祈る厳かな音色が、後宮内に響き渡った。
(届いて。天上に……)
晨玲は願いながら、分厚い経典を閉じた。
と、その時だった。
鴛鴦池の端と端を結ぶように、大きな虹が架かったのだ。
「……きれい」
「奇跡?」
「どうしたら、こんな芸当できるのよ?」
晨玲たちを訝る者、賞賛する者、様々な人の声が飛び交う。
理解不能な摩訶不思議なことに対する困惑と好奇心が、さざ波のように見学者の間を伝播していった。
(いい気分)
晨玲には、周囲の雑音なんて聞こえていなかった。
儀式を無事執り行うことができた開放感に浸っていたのだ。
この手応えなら、二人をちゃんと、あの世に送り出すことが出来ただろう。
「精一杯、祈らせて頂きましたよ。夕李様、香雨様」
祭壇に一礼した晨玲は、気持ちを切り替えてから、後ろを振り返る。
途端、ぴしりとした緊張感が満ち、妃嬪、女官、宦官は一気に静まり返った。
何とも言えない表情で、皆、晨玲を凝視している。
この隙に「皆さん、ごきげんよう。さよなら」と、手を振って、颯爽と後宮を去るところまでが、晨玲の脳内の台本だったのだ。
――しかし。
「見事だった。晨玲」
何処からともなく、晨玲の眼前に登場したのは、本日も女神の如く美しい……。
「へ、陛下?」
榮翔だった。
(何で、この方がここにいるのよ?)
一瞬、宦官としてお忍びで見学に来ていたのではないかと、淡い期待もしたが、絶対にそうではない。
本日の榮翔は、頼んでもいないのに皇帝の正装をしていた。
「一体、どうされたのですか? へい……。うっ」
供手する間もなく、晨玲は突然、榮翔に抱き締められてしまった。
「な、何!?」
具合でも悪いのか?
しかし、悪かったのは身体の方ではなかった。
榮翔の頭の中だった。
「私には、今、亡くなった夕李と香雨が確と視えた。感動したよ。我が妃」
「……妃?」
なぜ、その忘れかけていた肩書きを、注目を浴びる場で、わざわざ言うのか?
(大体、私の妃生活は、今日で終了のはずなのよ?)
すぐさま、榮翔の手を振り払おうとしたものの、相手は皇帝だ。強引な真似はできない。されるがまま、諦めるしかなかった。
それを良いことに、榮翔は色惚け気味に熱く語ってみせたのだった。
「褒美として、正一品。三夫人の位を、黎 晨玲に与える。今の儀式を見た者であれば、異論はないだろう。烏道士如きなど、誰にも言わせやしない」
「はあっ!!!???」
――三夫人?
(そんな、莫迦な)
晨玲には異論しかないのだが……。
「ああ、私は賛成だよ」
またしても、何処からやって来たのか、ふらりと明蘭が現れて、挙手していた。
黄土色の羽織を肩に引っかけ、長髪を一つに高く結い上げている姿は、美しいものが好きな晨玲が、見惚れるくらい凛々しい。
(……て、今はそれどころじゃないのよ)
「あの、黄貴妃さま……。私」
「晨玲。心配いらない。貴方の後ろ盾には、私がなろう。貴方の力は素晴らしい。その能力があれば、皇帝が死にかかっても、冥府から奪い返してくれるそうだ。三夫人の一人として、申し分ないよ」
(いや、勝手に決められましても?)
まるで、二人が打ち合わせしたかのような会話。
もしかして、いや、もしかしなくても……。
(嵌められた? 私)
ここで、晨玲を妃として迎えたことを喧伝してしまえば、後日、誰かに反対されても、既成事実で逃げ切ることができる。
(いや、待って)
そもそも、最初から妃として後宮に入れと言われた時点で、おかしかったではないか?
最初から、榮翔と明蘭は手足になる下僕=妃が欲しかったのではないか?
「やっぱりな。そうなるんじゃないかって思ってたよ」
未泉が両手を合わせて、晨玲を拝んでいた。
(嫌だ。まだ死んでないわよ。私)
だけど、このまま流されたら、今後の生存率は著しく下がってしまいそうだ。
「陛下。私には烏道士の御役目と、皇城の廟巡りが待っているのです」
「本当に君はぶれないよね。そういうところが好ましいんだけど」
断ったつもりが、かえって愛の告白をされている恐怖。
そうして、榮翔は晨玲の耳朶に耳を寄せて、色っぽく囁いたのだった。
「私は君が気に入った。今まで妃なんて娶るつもりはなかったけど、君となら、面白くなりそうだから」
「へ、へ、陛下?」
かあっと頬が熱くなる。
だけど、これはおそらく、榮翔の顔面の女神効果のせいだ。
「陛下。私には大層な、もったいないお話なのですが、私には三夫人など、到底務まりません」
「ああ、晨玲がそう言うだろうことは、分かっていたよ」
「でしたら?」
「そう。だから、晨玲。私と賭けをしてもらえないかな?」
「……は?」
何がどうなって、そんなことになってしまうのか?
頭がまったく追いついていかなかった。
「今、この瞬間から三カ月。この間に、君が私を好いてくれたら、君は私の正式な妃になる。でも、無理だと思ったら、君を手放してあげる。君についている健気な従者君も、今回は特別に後宮滞在を認めよう。どう?」
(何、健気な従者君って?)
榮翔は、未泉が男の子であることに気づいているのだ。
………そうだ。
つまり、晨玲は脅されているのだ。
「手放すって、この世から手放すとかですかね?」
「嫌だな。君だけは、殺さないって誓ったじゃないか」
「出来れば、その誓いをもっと大人数にして下さいね。恨みは買わないことが一番。浄霊する方の身にもなって下さい」
「何だ、浄霊を頑張るくらい、私の傍にいてくれるのか?」
「その発想自体が、危険でして」
混乱状態で、ぐるぐる目を回している晨玲を、榮翔はきつく抱擁した。
悲鳴と歓声が轟いているが、さすが皇帝。黙殺するのが上手かった。
「晨玲。これは、君にとっても、利のある話だ。君が私の寵妃となれば、鳳王族の太廟への出入りは自由だ。正一品の妃でいる間は、好きなだけ入り浸ることができる。皇城の廟と合わせて、どうかな?」
「……皇城の廟と太廟」
ごくりと、晨玲の喉が鳴った。
鳳国の皇帝一族の廟。
素晴らしい神像と神図、圧巻の祭壇が待っている。
(絶対に太廟だけは無理だって、諦めていたのよ。これを逃したら、私、一生後悔するかも)
「あー、もう……」
「太廟」の一言で、晨玲の冷静な思考は見事に霧散してしまった。
「さ、三カ月……ですよね?」
「ああ、三カ月。少し今の契約を延長する程度だと思えばいい」
「そうですよね。たかだか、三カ月だもの」
「そう。たかだか三ヶ月。でも、逃すつもりはないけどね」
「えっ?」
何だか良く聞こえなかった。
未泉が特大の溜息を吐いて、明蘭は暁和殿の方を一瞥してから、密やかに微笑した。
二人の賭けを知らない者達は、その日「ケガレ」と忌み嫌われていた烏道士の娘が、正一品の三夫人の位に昇格したという、有り得ない夢物語を目の当たりにして、大いに盛り上がったのだった。
【 終 】
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