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第1章 ストーカー、まだ始めてません。

4.ストーカー、影に隠れる。

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 ロゼッタが保護されてから、一週間が経過した。

 一週間はあっという間で、ラザラス達はどう考えても裏社会系な仕事の合間に時々ロゼッタの顔を覗きに来てくれた。他の面々も同様だ。
 特にエマは事実上の主治医ということで、何かとロゼッタの世話を焼いてくれる。もう、彼女に身体を触られるのもすっかり慣れてしまった。というより、優しさに慣れていないロゼッタは驚く程にあっさりと彼女ら、特にラザラスに懐いてしまっていた。

 あの後も残っていた毒の二次的な影響で高熱を出したり、再び意識が朦朧としたりと散々な目にはあったが、それでもロゼッタはどこかで「ずっと毒が抜けなければ良いのに」と思わずにはいられなかった。

「ロゼッタさん。経過、どうかな?」

 コンコン、とドアがノックされる。返事をすれば、クィールが切って器に並べられた果物を手に入ってきた。

「もう元気です」

「良かった。はい、これ。差し入れね」

 ベッドサイドの机に器が置かれ、クィールも近くの椅子に腰掛ける。そのため、異様に長い彼女のシスターベールは、彼女が床に少しだけ接触してしまっていた。

「そんなに長くて……汚れちゃいません? その、ベール」

「ん? ああ。気にはなるけど、あまり短いと被ってる意味が無くなってしまうんだ。私のこれは宗教的な理由ではなくて、頭を隠す目的のものだからね」

「頭を隠す……」

 ロゼッタが首を傾げていると、クィールはにこりと微笑んでから頭のベールを外してみせた――顕になったのは、通常ヒトの両耳がある位置から生えている、カモメのような白と黒の大きな翼だった。

「え……っ」

「んー、なんか、遺伝子組み換えの途中で失敗したっぽくて、よく分からない感じになったみたい。生えてる位置は意味不明だけど、普通に飛べるよ」

 クィールは畳んでいたそれを広げ、ふわふわと軽く動かしてみせる。曰く、耳と翼が一体化してしまっているそうだ。彼女の容姿と相まって幻想的で美しいが、完全に常識外れの姿である。彼女は一体、何という種族なのか。

「種族、とかそういうのじゃないよ。私は『キメラドール』。生きたお人形だね」

 顔に出ていたのだろう。ロゼッタが何かを口にするよりも早く、クィールは悪戯めいた笑みを浮かべてみせた。

「細胞弄ったりとか、色々移植したりして作る金持ち御用達の違法な人造ペットだね。やろうと思ったら、竜人っぽい見た目のキメラドールも作れちゃうから、そういう子達はもっと大勢いるよ」

「え……、あ……」

「ちなみに、一週間前に君と一緒に捕まってた火竜の皆様は全員キメラドール。本物の竜人は君だけだった……しかも、君は突然変異体だから、知ってる人には高値で売れたと思う。突然変異体は見た目が犬と天使を足して二で割ったみたいな感じで凄く可愛らしいし、魔力量が多いからね」

 クィールは横髪を上げてみせ、ロゼッタに首筋を見せてきた。そこには『CA0157』という焼印が小さく入れられていた。
 そういえば、彼女はラザラスに抱えられていたロゼッタの首筋を触っていたが、あれは恐らくこの焼印があるかないかの判別をするためだったのだろう。

「君が捕まっていた組織の人間は、ちゃんと君の価値を知ってる人達だった。だから、君にだけ毒を盛ったんだろうね」

 クィールはベールを被り直し、軽く小首を傾げてみせる。そして彼女は胸元に左手を当てた。普段は服の袖に隠れて見えにくい彼女の手、その薬指で銀色のシンプルな指輪がきらりと光った……彼女、聖職者ではないのだろうか?

「なるべく、気を付けるんだよ。価値を知る人間からしてみれば、君は歩く大金みたいなもの。隣国では身の危険もないだろうけど、一応ね」

「はい。気を付けますね」

 どうやらクィールはロゼッタにここを出た後の振る舞いについて忠告しに来たらしかった。キメラドール故に特異な容姿で、さらに捕獲されていた時のロゼッタの様子を知っているからこそ、この役目を彼女が担ったのだろう。


「ところで……今更なのですが。クィールさんって、女性……ですよね?」

 それにしても、クィールは声もなのだが、見た目もかなり中性的である。顔立ちは女性的だが、『綺麗な男性』という線もあるし、体格はパッと見たところだと『男性の割には華奢過ぎるが女性の割には直線的』という感想を抱かせる。
 もう会うのも最後になる可能性が高いと思い、ロゼッタは思い切ってこんなことを聞いてみた。

「私かい? ふふ、どちらに見えるかな? 言っておくけど、姿隠しにこの格好がちょうど良いからシスター服ってだけで、シスター=女って考えてもらっては困るかな」

「え、そこ、伏せちゃいます? しかも、シスターじゃなかったんですか?」

「そうだよ。どう足掻いても羽耳が目立つからね。まだシスターのコスプレやってる痛い人で目立った方がマシかなって思ってたら、案外普通のシスターとして見てもらえて、助かってるんだ」

「クィールさん、お綺麗ですからね……」

「それはどうも。君も可愛いよ」

 さてと、と呟き、クィールは席を立つ。もう行ってしまうようだ。


「容態も安定してるみたいだし、天候的にも今日で確定だろうね」

「え?」

「ラズ君は別件で仕事があるから、お見送りはできそうにないんだけど……まあ、君はウォルツさんの言うこと聞いといたら大丈夫。元気でね」

 お見送り。
 そういえば、一週間後には自由になれるとエマは言っていた。それはつまり、今日、この家を『出なければいけない』ということだ――。

「あ、あの……っ、わたし……!」

「だめだよ」

 響いたのは、いつも通りの中性的な声。しかし、そこには確かな威圧感があった。

「……ッ!!」

「君は、だめ……私はラズ君のこともまだ完全には認めていない。こんなの、普通に生きられる人間が足を踏み入れて良い領域ではない……君が私達とここまで接触してしまったことだって、本当は良くないことなんだ。口封じに殺されないだけ、良かったと思いなさい」

――これは、脅しだ。

 自分達の事情に踏み込みすぎれば、隣国に送るのではなく、あの世に送ることになるからもうやめろ、という“優しい”脅しだった。
 しかしロゼッタ視点では彼女らは完全なる味方として映っている。自分達のような竜人や珍しい亜人が商品として流通している時点で、嫌でもこの国の司法はゴミなのだと分かる。警官や政府はあてにならない……だから、彼女らのように自らも罪を被る断罪人がいるのだということも、ちゃんと分かっている。

「わたしは……皆さんに感謝しています。皆さんにご迷惑が掛かるようなことは、したくありません」

「うん、それで良い。分かってくれて嬉しいよ」

「ただ、その……ラズさんって……」

「……。あの子は訳あって私達側に転がり込んできた。確かに『才能』はあるし、何より気迫が違う。それでも私としてはどうにか足を洗わせたいし、なにせ色々不安定な子だから、傍で支えてくれる存在がいたら良いな、とは思ってる」

 流石にこの流れで「じゃあわたしが支えます!」とは言えなかった。言えない雰囲気をクィールが作り出している。よくよく考えてみると、ロゼッタが暴走した相手・ラザラスにはこれが無いのだ。だからあそこまで暴走出来たのだろう。

「うん、そこまで馬鹿じゃないか」

「……そこまで馬鹿じゃないです」

 考えていることを察されたらしい。
 クィールはくすりと笑い、ドアノブに手を掛けた。


「忘れなさい。忘れて、向こうで幸せになりなさい……君にとっても、きっとラズ君にとっても、その方が幸せだ」


 忘却。
 ここであったことを忘れ、隣国で第二の人生をスタートする――魅力的な話ではある。しかし、本当にそんなことができるのか。

(……ごめんなさい、クィールさん。わたしは忘れるなんて、できないです)

 答えは、否だ。
 きっと、何をしていても脳裏を過るに違いない。

 それを見て見ぬフリをして生きていくなんて、自分には出来ないだろうとロゼッタは考える。常に命懸けな生活を強いられてきたロゼッタは、『今』を考えることは出来ても『未来』を考えることは出来ない。

 何より、せめて最後にラザラスに会いたかった。出来ることなら、初めて『優しさ』を与えてくれた彼に、何かを返したかった。


――だからロゼッタは、未来の安泰よりも、今、後悔しない行動を取ることに決めた。


「皆さん、ありがとうございました。ごめんなさい」

 点滴の針を外し、窓を開く。窓から見える風景で察してはいたが、ここは二階だった。
 ロゼッタも翼を持つが、突然変異体である彼女の翼はあまりにも小さく、空を飛ぶ能力は皆無である。だが、彼女は空を飛ぶために窓を開けたのではない。それ以前にここの窓には柵が付いており、普通に逃げ出すことは困難だ。
 だが、太陽が真上に来る今の時間帯ならばむしろ、柵だろうが壁だろうが『影』を生み出す存在が多い方が好都合だった。

「【隠影いんえい】」

 目標を目の前の『影』に定め、ロゼッタは全身の魔力を振動させる。すると、まるで溢れたコップの中の水が風呂桶の中の水と混ざるように、彼女の身体は外の影に溶け込んでしまった。
 後は、影が傾き、移動できるのを待つだけだ。申し訳なさを感じつつも、ロゼッタはじっと息を潜めてタイミングを見計らう。


 途中、部屋を訪れたエマによってロゼッタがいなくなったことは周知され、特にこの家――カモフラージュのためか、一階で喫茶店をしていたエマ、レヴィ、ルーシオとやはり人前には出ないらしいユウがロゼッタを店内外問わず探し回って大騒ぎしていたが、背に腹は代えられない。世話になった分、非常に申し訳ないとは思ったが。

 時が過ぎ、深夜になる。随分と仕事が忙しかったようで、なかなかこちらに来られなかったらしいラザラスが一階の喫茶店に飛び込んで来た。

「ロゼッタが消えたって!?」

「ああ、柵はそのままだったし、荒らされた形跡も無いんだ……一体どうやって逃げ出したんだが、アタシ達も分からなくて」

 この時間帯ならばロゼッタは周囲の闇に溶け込むことが出来、強い光源がある場所を除いて好き勝手に動き回ることが可能だ。

 視覚的にも魔力的にも周囲に気付かれることなく、文字通り『闇に溶け込む』――これが、ロゼッタの能力だ。
 光源が多い場所に誘導されてしまうと強制的に影から引きずり出されてしまうが、それさえなければ、まず気付かれない。幸いにも、彼らは懐中電灯等を使い、影を照らすようなことはしなかった。


「少し、俺も探してみます!」

「無理はするなよ。何も見つからなければ、そのまま真っ直ぐ帰りな」

 ラザラスが喫茶店を出て、走る。
 明かりのついた喫茶店から漏れる光から逃れ、建物の影に入り込んでいたロゼッタは、その影とラザラス自身の影が重なる瞬間を見計らい――彼の影の中目掛けて、『飛んだ』。
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