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第4章 ストーカー、情報収集をする。

52.ストーカー、逃げる。

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「クィール……」

「アンタ、クィール好きだね。まあ分かるけどさぁ、あの子、綺麗だし」

「分かる? つまり一緒にいたい訳だよ。だからコレ外してよ」

「やだね」

 逃げ出したのが悪いのは分かっている。しかし、足枷は酷くないか……?

 ベッドに腰掛けたテオバルドが足を軽く動かせば、鉄製の枷とベッドの足を繋ぐ小さな鎖がチャラチャラと音を鳴らした。
 何故か枷にはそれなりに使用感が残っているため、対テオバルド用に新しく用意されたものではないようだ。

(どうしてこんなもん置いてんのかねぇ……ま、相変わらずカタギじゃ無さそうだしな。拘束具のひとつやふたつ、置いてあるか)

 表向きは普通の喫茶店、実際は『亜人保護団体ステフィリア』の後続組織……といったところだろうか。本拠地は二階で、恐らくは地下に拷問部屋か何かがあるに違いない。物騒な喫茶店だなぁとテオバルドは苦笑した。

「聞いて良いのか悩むんだけどさ」

「ん?」

 医療キットから体温計を取り出すエマの前髪が流れ、間から人肌とは違う硬質な部分が僅かに覗く。『別人』である可能性も考えたが、やはり『同一人物』で間違いなかったようだ――テオバルドは躊躇いつつも、エマに声を掛ける。

「エマさん、角どうしたの?」

「! ッ、あー……まあ、散々名前呼ばれてたしな、アタシ。名前くらい分かってるか」

 角云々の前に、エマは名を呼ばれたことに対して驚いたようだ。苦笑し、頭を振るい、彼女は口を開く。

「アンタと同じように、妙な組織に捕まっちゃってね。暴れたら根元からポッキリいっちゃったんだよ。まあ、角無しの一角獣人なんて値が付かないからって、そのまま捨てられたのはラッキーだったかな?」

「……。一角獣人にとって、角は命みたいなものだって聞いた、けど」

 エマの角はガラスのごとく透き通った、角としては非常に特殊なものだった。まるで繊細な飾りのようなものだったから、折れてしまったという話は分かる。

 しかし彼女を『知る』者としては、簡単には納得出来ないというのも事実である。エマは微かに頬を赤くして笑い、体温計をテオバルドの口に押し込んだ。

「それ以上に大事なものが出来たからってトコ……かな? 柄にも無いね」

(……オンナの顔だなぁ)

 相変わらず男勝りで、豪快な彼女でもこんな表情をすることがあるのかとテオバルドはほうと息を吐く。

 恐らく相手は、どう見てもエマに気があったルーシオとかいう羊男ではないのだろう。可哀想に。
 ついでに多分ユウとかいう、クィールを見るのに邪魔で仕方が無かった隻翼も違う……誰だ?

(『アイツ』も多分違うよなぁ……つーか、情報収集しときたいな)

 思い浮かべたのは、『ラザラス』と呼ばれていた金髪の男だ――どのようにして彼の話を自然に切り出すべきか。
 悩むテオバルドの顔を覗き込み、エマはまじまじと青の瞳を見つめながら口を開いた。


「アンタさぁ、もしかしなくても『元』があったキメラドールだよな?」

「……」

「一応説明しとくけど、脳が移植されたキメラドールじゃないかって聞いてるの。延命措置とかに使うアレね」

 言われずとも、知っている。
 ヴォルフガングが息子を救おうと手を出してしまった禁忌の医療だ。本当によく知っている。むしろ、医療行為ではなく愛玩ペットや生物兵器の開発に使われているということも――自分自身が後者のタイプで生み出されたということも、テオバルドはよく知っている。

「ご名答、俺には『元』があるよ。だが、記憶がかなり曖昧で……何とも言えない。『元』の出来事とか聞かれても、ほとんど答えられないと思う」

「アタシの知り合いだったりする?」

「言いたくないね」

「それは肯定と取るよ。信じがたいけど……何となく、察したし」

 意識している年齢と、外見は二十歳くらい。肉体年齢は五歳くらい。幸いにも、ヴォルフガングのように外見と精神年齢の乖離が発生するようなことはなかったから楽だった……しかし、何もかもが元の身体とは違っていた。

「……」

 テオバルドは黙り込む。エマはしばらく彼を見下ろしていたが、埒があかないと判断したのだろう。カルテに文字を刻み、軽く息を吐く。

「クィールのことは置いといて……アンタがじっと見てた綺麗な男。アレ、ラザラスな。旧姓のマクファーレンの方は聞いたことあるかい?」

 勝手に色々察したらしいエマは、勝手に色々語る方に方向転換したようだ。呆れつつもテオバルドの肩を持つことにしてくれたのだろう。テオバルドはただただ、彼女の雑な優しさに感謝する。

「なんで姓、変わったんだ? 婿入りしたワケじゃないだろう?」

「色々あって公開処刑されたんだよ。未成年だったし、一応被害者だったから顔はセーフだったんだが、悪ふざけしたメディアのせいで名前は国中に流されちまったのさ」

「生活難が理由の改姓ってとこか……胸糞悪い話だな。それで、ラザラスはどうしてこっち側に?」

「仇討ちって奴だね、一応止めたんだけどさ。ちなみにアイツは魔力じゃなくて身体能力が化物だったよ、『母親』の能力を強く引き継いだんだね」

「そうか」

 現状に至る経緯は詳しく聞かず、余計な先入観無しにラザラスという人物を見てみたい。テオバルドの思いに気付いたのか、エマはそれ以上を語らなかった。

 それにしても、ラザラスの身体能力が母親並みなら、『この身体の使い方』を教えてもらうことも出来そうだ……どちらにせよ、隣国送りにされるのは困る。どうしたものか。


「なあ。色々治ったら、俺は隣国に送られるのか? グランディディエの横って言ったら、スピネル連合王国か? あそこ、内戦ラッシュで治安最悪じゃなかったか?」

「スピネルは革命成功して今は完全な亜人国家になってるんだよ。再建に人手が必要ってことで、キメラドールでも抜群の人権を保証されてるんだ。だから何も問題なし、アンタも楽しく暮らせると思うよ」

「ここに残りたいんだが」

「やだよ。クィールが可哀想だろう?」

 ストレートに言ってみる作戦は余裕で失敗してしまった。
 エマは先程とは打って変わった汚物を見るような視線をテオバルドに向ける。

「大体何でストーカーしたんだよ。『新手のアプローチです』とか言わないだろうな?」

「男の気配が無いか気になって」

「色々ツッコミどころあるけど一旦放置。じゃあ、もうストーカーしないって誓えるか?」

「……」

「やっぱ黙って隣国に送られてくれ」

「違ッ、俺はただ、クィールと一緒にいたいんだ!」

「ストーカーだもんな」

 テオバルドは何とかストーカー行為を正当化しようとしているが、残念ながら犯罪である。
 やってしまったことは覆らないし、彼の場合はロゼッタとは違って周りに理性を保っている存在がちゃんといるため、普通に否定的な意見が飛んでくる。

「駄目なのは分かってる。彼女を一秒でも長く見ていたくて……離れたくないんだ」

「うん、警察にしょっ引かれたストーカーもそう言うと思うんだよ」

「クィールが好きなんだよ!!」

「嫌いな人間をストーカーする奴はいないから安心してくれよな」

 衝動的にやってしまった、理性なんて消し飛んでいた。
 目覚めたばかりで、てっきりあの世に行ってしまったのだと思っていた。
 もう現実だと分かっているからストーカーなんてしない、正攻法でクィールを落とせるように頑張る。

……と、テオバルドが言わないのは、ストーカー行為をやめられる気がしなかったからだ。

 この男、根っからのストーカー気質だった。変に取り繕わない分、非常に質が悪い。

「クィールが本気で嫌がってなきゃ、面白いから放置したんだけどさぁ……」

 あの真顔で人を斬り殺し、時には我を失って殺戮マシーンと化すクィールが生娘の如く悲鳴を上げて半泣きでヴォルフガングに助けを求めたというのだから、この男の罪は重い。

 ヴォルフガングの通報を受けて突撃したのは、『この手の話題アレルギー』なところがあるユウだった。クィールのストップが入らなければ、テオバルドは再びボコボコに……それどころか五体満足ではいられなかったことだろう。

「ラザラスにくっ付いてる子はOKなのに!?」

「ロゼッタは合意の上だから良いんだよ」

 テオバルドは「合意の上のストーカーってどういうことだ」と首を横に捻った。これに関しては多分誰も意味が分からない、永遠の謎である。

(どうすれば俺もストーカー許可してもらえるかな……)

 ラザラスがおかしいだけで、普通そんな許可は降りない。

 テオバルドがこれを口に出していれば、エマから鋭いツッコミが入ったことだろう。好き好んでストーカーされたがる人間はそうそういない。


 しばしの沈黙を破ったのは、コンコンという控えめなノックの音。エマが返事をすれば、恐る恐るといった様子でドアが開き、これまた恐る恐るといった様子でクィールが入ってきた。

「熱烈な告白を聞いてしまったので……」

 下にいたらしいクィールは、テオバルドの「クィールが好きなんだよ!!」を聞いてしまい、わざわざやってきてしまったようだ。
 クィールは左の手袋を外し、薬指に嵌めたプラチナリングをテオバルドに見せた。変に逃げ回らず、さっさと振ってしまうことにしたようだ。

「テオバルドさん、私には心に決めた方がいるんです。どう転んだってあなたに靡いたりしません」

「……。結婚、してたの?」

「いえ、婚約の段階です」

「でも相手はもういない、と……じゃあ良いじゃん。破棄しちゃいなよ」

 どこまでも軽薄なテオバルドの言葉。それを聞き、クィールはきっと眉尻を上げて男を睨み付ける。
 ひゅう、と口笛を吹き、テオバルドは俯く。奥歯を噛み締め、生唾を飲み込む。ぐっと拳を握り締め、顔を上げる。

「テオバルドさん?」

「……」

 軽薄な笑みを顔に貼り付け、テオバルドは口を開いた。


「要は君、置いてかれたんでしょ? そんなひっどい男のどこが良いのさ?」

「ッ!」

「現実見なよ。一生ひとりでいるつもり? そんなの、あまりに――」

 パシン、と乾いた音が響く。
 頬に走る痛みに、それ以上に張り裂けそうな程に痛む胸に気付かないフリをして、テオバルドは笑う。

 クィールが、泣いている。銀の瞳に涙を浮かべ、彼女は何も言わずに踵を返し、部屋を飛び出した。

「アンタねぇ……」

 今度のため息は深かった。エマはゆるゆると首を横に振るい、黙って部屋を出て行ってしまった。呆れた云々の前に、クィールを放っておけなかったのだろう。酷いことを言ってしまった自覚はある。

「……そりゃ、こうなるわな」

――大体五年程度だとは思うのだが、『あれから』何年経ってしまったのだろう。

 魔法に特化させるはずが、出来上がったのは中途半端な魔法しか使えない、不良品のキメラドール。それが、テオバルドだ。
 殺処分されなかっただけ、マシだった……その代わりに、時間の流れすら曖昧になるような酷い扱いを受けてきたわけだが。

「クィール……」

 好きだと言ってもらえなくても良い。
 愛されなくとも良い。ただ、彼女を見ていたい。
 幸せになった彼女の笑顔を見ることが出来たら、それで満足だ。

 彼女の隣に立つのは、自分でなくとも構わない。
 むしろ、自分であってはならない……これは、自分が犯した罪への、罰だ。


(影に隠れるって、言ってたっけな。俺も、一瞬なら出来るかな)

 この身体は無駄に怪力だった。そこに付与魔法【肉体強化】を乗せれば、枷の部分は無理でも、鎖部分なら引きちぎることが出来るだろう。

 音を立てないように、鎖を壊す。窓の外の影に狙いを定め、『飛ぶ』――悲しみから目を背けたまま、テオバルドは喫茶店から姿を消した。
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