1 / 1
錆びない自転車
しおりを挟む
父は、僕が小学生のときに死んだ。事故だった。父の乗っていた自転車が、トラックと衝突したのだ。父は自転車が好きだった。休日になると、いつもピカピカに磨いていた。チェーンからサドルまで、すべて手入れが行き届いており、まるで新車のように輝いていた。
母は、父の遺品である自転車を、庭の物置にしまい込んだ。一度も乗ることはなかった。ただ、僕が「なんで捨てないの?」と尋ねると、母はいつも寂しそうな顔で首を横に振った。自転車は、物置の奥で少しずつ錆びていった。
高校生になった僕は、新しいロードバイクを買った。バイト代をすべてつぎ込んで買った、念願の一台だ。休日は、友人と連れだって遠くまで走りに行った。風を切る爽快感。新しい世界が広がっていくような高揚感。僕が自転車に魅了されたのは、きっと父の背中を見ていたからだろう。
ある日、母が唐突に言った。「そろそろ、お父さんの自転車を処分しようかと思うの」。僕は少し寂しくなったが、黙って頷いた。いつか来ると思っていたことだ。
週末、僕は物置を開けた。ひんやりとした空気が、埃っぽい匂いとともに流れ出てくる。父の自転車は、ほとんど原型を留めていなかった。ハンドルは曲がり、タイヤは潰れ、チェーンは錆びて固まっていた。
「ひどいな…」
僕は思わず呟いた。父が大切にしていた自転車が、こんなにも無残な姿になっているのがショックだった。僕は、解体する前に、せめてもう一度きれいにしようと思い立った。
まず、ホースで全体についた泥と埃を洗い流す。次に、ワイヤーブラシで錆びを落とし始めた。固くこびりついた赤茶色の粉をひたすら磨く。すると、錆の下から、父がいつも磨き上げていた銀色のフレームが現れた。
その作業は、まるで父の記憶を掘り起こしているようだった。小学生の僕が、父の自転車の後部座席に乗せられて、二人で買い物に行ったこと。父が、僕に補助輪を外した自転車の乗り方を教えてくれたこと。「よし、もう大丈夫だ」と、僕の背中を押してくれたときの、父の温かい手。
錆を落とし終えた僕は、今度は油を差した。固まっていたチェーンが、少しずつ動き出す。軋んだ音が、だんだんと滑らかな音に変わっていく。まるで、自転車が再び息を吹き返したようだった。
「もう一度、動かしてあげよう」
僕はそう決心した。近くの自転車屋に持ち込み、パンクしたタイヤを交換してもらい、曲がったハンドルを直してもらった。店主は「これはずいぶん古いものだね。でも、すごくいい自転車だよ」と目を細めた。
修理を終え、再び家に戻った父の自転車は、見違えるようにきれいになっていた。僕は、玄関先にそれを置き、母を呼んだ。
「お母さん、見て」
母は、一瞬息をのんだ。そして、自転車に近づくと、錆びひとつない銀色のフレームをそっと撫でた。
「お父さん、よく磨いてたわね。まるで、あの頃みたい」
母の目が潤んでいる。
「僕、これに乗ってみるよ。ちょっと行ってくる」
僕は、父の自転車に跨った。少し重いが、不思議と乗り心地はよかった。僕は、子供の頃に父と走った道をたどった。見慣れた風景が、特別な景色に変わっていく。
風が頬を撫でる。その風は、どこか懐かしい匂いがした。僕の隣で、父が微笑んでいるような気がした。
僕が帰ってくると、母は玄関先で待っていた。
「おかえり」
その声は、優しく、そして、少しだけ泣いていた。
僕は、これから、この自転車を乗り続けるだろう。そして、僕が父から受け継いだ大切な思い出を、風に乗せて運んでいく。
父がこの自転車を愛したように、僕もこの自転車を愛する。それは、錆びない、永遠の思い出だから。
母は、父の遺品である自転車を、庭の物置にしまい込んだ。一度も乗ることはなかった。ただ、僕が「なんで捨てないの?」と尋ねると、母はいつも寂しそうな顔で首を横に振った。自転車は、物置の奥で少しずつ錆びていった。
高校生になった僕は、新しいロードバイクを買った。バイト代をすべてつぎ込んで買った、念願の一台だ。休日は、友人と連れだって遠くまで走りに行った。風を切る爽快感。新しい世界が広がっていくような高揚感。僕が自転車に魅了されたのは、きっと父の背中を見ていたからだろう。
ある日、母が唐突に言った。「そろそろ、お父さんの自転車を処分しようかと思うの」。僕は少し寂しくなったが、黙って頷いた。いつか来ると思っていたことだ。
週末、僕は物置を開けた。ひんやりとした空気が、埃っぽい匂いとともに流れ出てくる。父の自転車は、ほとんど原型を留めていなかった。ハンドルは曲がり、タイヤは潰れ、チェーンは錆びて固まっていた。
「ひどいな…」
僕は思わず呟いた。父が大切にしていた自転車が、こんなにも無残な姿になっているのがショックだった。僕は、解体する前に、せめてもう一度きれいにしようと思い立った。
まず、ホースで全体についた泥と埃を洗い流す。次に、ワイヤーブラシで錆びを落とし始めた。固くこびりついた赤茶色の粉をひたすら磨く。すると、錆の下から、父がいつも磨き上げていた銀色のフレームが現れた。
その作業は、まるで父の記憶を掘り起こしているようだった。小学生の僕が、父の自転車の後部座席に乗せられて、二人で買い物に行ったこと。父が、僕に補助輪を外した自転車の乗り方を教えてくれたこと。「よし、もう大丈夫だ」と、僕の背中を押してくれたときの、父の温かい手。
錆を落とし終えた僕は、今度は油を差した。固まっていたチェーンが、少しずつ動き出す。軋んだ音が、だんだんと滑らかな音に変わっていく。まるで、自転車が再び息を吹き返したようだった。
「もう一度、動かしてあげよう」
僕はそう決心した。近くの自転車屋に持ち込み、パンクしたタイヤを交換してもらい、曲がったハンドルを直してもらった。店主は「これはずいぶん古いものだね。でも、すごくいい自転車だよ」と目を細めた。
修理を終え、再び家に戻った父の自転車は、見違えるようにきれいになっていた。僕は、玄関先にそれを置き、母を呼んだ。
「お母さん、見て」
母は、一瞬息をのんだ。そして、自転車に近づくと、錆びひとつない銀色のフレームをそっと撫でた。
「お父さん、よく磨いてたわね。まるで、あの頃みたい」
母の目が潤んでいる。
「僕、これに乗ってみるよ。ちょっと行ってくる」
僕は、父の自転車に跨った。少し重いが、不思議と乗り心地はよかった。僕は、子供の頃に父と走った道をたどった。見慣れた風景が、特別な景色に変わっていく。
風が頬を撫でる。その風は、どこか懐かしい匂いがした。僕の隣で、父が微笑んでいるような気がした。
僕が帰ってくると、母は玄関先で待っていた。
「おかえり」
その声は、優しく、そして、少しだけ泣いていた。
僕は、これから、この自転車を乗り続けるだろう。そして、僕が父から受け継いだ大切な思い出を、風に乗せて運んでいく。
父がこの自転車を愛したように、僕もこの自転車を愛する。それは、錆びない、永遠の思い出だから。
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
【bl】砕かれた誇り
perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。
「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」
「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」
「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」
彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。
「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」
「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」
---
いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話
家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。
高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。
全く勝ち目がないこの恋。
潔く諦めることにした。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる