錆びない自転車

ユウ6109

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錆びない自転車

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父は、僕が小学生のときに死んだ。事故だった。父の乗っていた自転車が、トラックと衝突したのだ。父は自転車が好きだった。休日になると、いつもピカピカに磨いていた。チェーンからサドルまで、すべて手入れが行き届いており、まるで新車のように輝いていた。
母は、父の遺品である自転車を、庭の物置にしまい込んだ。一度も乗ることはなかった。ただ、僕が「なんで捨てないの?」と尋ねると、母はいつも寂しそうな顔で首を横に振った。自転車は、物置の奥で少しずつ錆びていった。
高校生になった僕は、新しいロードバイクを買った。バイト代をすべてつぎ込んで買った、念願の一台だ。休日は、友人と連れだって遠くまで走りに行った。風を切る爽快感。新しい世界が広がっていくような高揚感。僕が自転車に魅了されたのは、きっと父の背中を見ていたからだろう。
ある日、母が唐突に言った。「そろそろ、お父さんの自転車を処分しようかと思うの」。僕は少し寂しくなったが、黙って頷いた。いつか来ると思っていたことだ。
週末、僕は物置を開けた。ひんやりとした空気が、埃っぽい匂いとともに流れ出てくる。父の自転車は、ほとんど原型を留めていなかった。ハンドルは曲がり、タイヤは潰れ、チェーンは錆びて固まっていた。
「ひどいな…」
僕は思わず呟いた。父が大切にしていた自転車が、こんなにも無残な姿になっているのがショックだった。僕は、解体する前に、せめてもう一度きれいにしようと思い立った。
まず、ホースで全体についた泥と埃を洗い流す。次に、ワイヤーブラシで錆びを落とし始めた。固くこびりついた赤茶色の粉をひたすら磨く。すると、錆の下から、父がいつも磨き上げていた銀色のフレームが現れた。
その作業は、まるで父の記憶を掘り起こしているようだった。小学生の僕が、父の自転車の後部座席に乗せられて、二人で買い物に行ったこと。父が、僕に補助輪を外した自転車の乗り方を教えてくれたこと。「よし、もう大丈夫だ」と、僕の背中を押してくれたときの、父の温かい手。
錆を落とし終えた僕は、今度は油を差した。固まっていたチェーンが、少しずつ動き出す。軋んだ音が、だんだんと滑らかな音に変わっていく。まるで、自転車が再び息を吹き返したようだった。
「もう一度、動かしてあげよう」
僕はそう決心した。近くの自転車屋に持ち込み、パンクしたタイヤを交換してもらい、曲がったハンドルを直してもらった。店主は「これはずいぶん古いものだね。でも、すごくいい自転車だよ」と目を細めた。
修理を終え、再び家に戻った父の自転車は、見違えるようにきれいになっていた。僕は、玄関先にそれを置き、母を呼んだ。
「お母さん、見て」
母は、一瞬息をのんだ。そして、自転車に近づくと、錆びひとつない銀色のフレームをそっと撫でた。
「お父さん、よく磨いてたわね。まるで、あの頃みたい」
母の目が潤んでいる。
「僕、これに乗ってみるよ。ちょっと行ってくる」
僕は、父の自転車に跨った。少し重いが、不思議と乗り心地はよかった。僕は、子供の頃に父と走った道をたどった。見慣れた風景が、特別な景色に変わっていく。
風が頬を撫でる。その風は、どこか懐かしい匂いがした。僕の隣で、父が微笑んでいるような気がした。
僕が帰ってくると、母は玄関先で待っていた。
「おかえり」
その声は、優しく、そして、少しだけ泣いていた。
僕は、これから、この自転車を乗り続けるだろう。そして、僕が父から受け継いだ大切な思い出を、風に乗せて運んでいく。
父がこの自転車を愛したように、僕もこの自転車を愛する。それは、錆びない、永遠の思い出だから。
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