選択可能な環境で彷徨う亡霊たち

ひいらぎ

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選択可能な環境で彷徨う亡霊たち

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「選択可能な環境で彷徨う亡霊たち」

 幼い頃に人格を形成するにあたって影響を与えるであろう環境。それは不可抗力であり、自分自身の力で変えることができないということは言うまでもない。意図して資産家の子どもに生まれることはできないし、たとえ意図しなくとも犯罪者の子どもに生まれてしまうことだってある。

 そういう環境は人格の形成やその人の将来には全く関係がないとする考えの人もいるだろう。しかしそれは単なる綺麗事だ。持つべきものを持つ者と、持たざる者がいるのは当然なのだ。なのにも関わらず、環境による影響は全くないとする考えは愚の骨頂であると言えよう。

 人は人生の出発地点の環境も、それから自我が芽生えるまでの環境も平等ではない。そのため自我が芽生えてからの人生というものも平等ではない。私は真の人生の出発地点は、自我が芽生えた瞬間にあると考えている。自我が芽生えたタイミングというのも人それぞれ違うことから、平等ではないことは目に見えて分かる。それは人生の出発地点の環境や自我が芽生えるまでのさまざまな環境が問題であり、それをここでは選択不可能な環境と呼ぶこととする。

 真の人生の出発地点でのステータスは、生まれ持った才能が、人生の出発地点の環境と自我が芽生えるまでのさまざまな環境によって育てられたもののことを指すと私は考えている。つまりは生まれ持った才能という選択不可能な運命と、選択不可能な環境によって真の人生の出発地点でのステータスは決められるのである。

 とするならば人生は選択不可能なステータスを持ってスタートするものであると言える。哀れだとしか言いようがない。世界人権宣言の第一条では、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と述べている。つまりは尊厳と権利については平等であっても、選択不可能な環境においては平等などとはこれっぽっちも言えないのである。 

 では自我が芽生えてからの環境というものは選択できるのだろうか。それがそうでもないというのが事実なのである。なぜなら、子供というのは圧倒的に自由であるが、未熟であるために不自由を強いられているからである。

 子供というのは当然未熟なものである。どこまでを子供と呼ぶか、人によって考えが分かれるかもしれないが、今回は小学生をイメージしてほしい。小学生というとだいたいの人は、子供と認識しているのではなかろうか。

 ではここであなた自身のことに置き換えて考えてほしい。あなたのこれからの選択が、見知らぬ小学生に委ねられるとしたらあなたはどう思うだろうか。単純に考えて嫌ではなかろうか。そもそも自分の選択を他人に任せるという時点で、ほぼ全ての人が嫌だと答えるだろう。では、小学生時代の自分に委ねるとしたらどうだろうか。自分であることに間違いはないのだが、子供の頃の自分に選択を委ねるというのは、それもかなり嫌ではないだろうか。もしこの質問に、嫌ではないと答えられる人がいれば、その人はおそらく自分に絶対の自信を持っているのだろう。しかし、多くの人が絶対の自信を持っているかというと話は変わってくる。たとえ子供の頃の自分といえど、選択を委ねるのは不安ではなかろうか。未熟で無知である子供の選択は不安なのである。

 これを前提として、選択における子供の2つのパターンを考えていく。自我が芽生えてから間もない時点であり、未熟で無知である子供の選択のパターンが見えてくるのだ。

 1つ目のパターンは、無知で未熟なことにより、難しいことや無謀であることを選択するパターンだ。当然、子供にはその選択の難易度など知るよしもない。それによって、高い難易度の選択をしてしまうことがある。これを選択におけるパターン1とする。

 2つ目のパターンは、無知で未熟なことにより、そもそも選択することが困難であるパターンである。子供にとって、選択というものは当然元々困難である。まだ無知で自立していない子供にとっては、自分で選択をするというのはハードルが高すぎる。これを選択におけるパターン2とする。

 これらのパターンに子供が陥ったとき、子供にはとある影響が及ぶことになる。その影響とは、親からの影響である。親からの影響も、及ぶ場合と及ばない場合の2つのパターンがあるだろう。

 1つ目の及ぶというパターンは、ここでは、子供の選択を親が否定して変えさせる場合、また子供に親が選んだ選択を強要する場合をいうこととする。これを影響におけるパターンAとする。

 2つ目の及ばないというパターンは、ここでは、子供の選択を親が尊重する場合、また子供に親が選んだ選択を提案するだけの場合、そもそも何も干渉しない場合をいうこととする。これを影響におけるパターンBとする。

 それぞれを2つのパターンに分類することで、4つのグループができる。それを一つずつ解き明かしていくことで、その人が選択可能な環境にいたのか、また不可能な環境にいたのかが判明してくる。また、これまでの自分の環境を顧みることで、これまでの自分の変遷を理解し、これからに生かすことができるのだ。

 まずはパターン1のAについて考えていきたい。子供がした難しく無謀な選択を、親が否定して変えさせるという場合だ。このパターンに関してはかなり筋が通っている。当然子供の無謀な選択に親は黙っていられないだろう。尊重するという親もいれば、当然子供のことを思って変えさせるという親もいるだろう。こうなった場合その人は別な道を歩み、子供の頃から選択に慣れているであろうことから、そのあとも自身で選択をできるだろう。その過程で、再び親に反対されることも応援されることもあるだろう。しかし、子供の頃から少しでも志がある人は、どんな道でも歩んでいけるだろう。

 しかし、自分が歩んできた道が間違いだったと後悔するときもあるのではないだろうか。だが、それは問題ではない。その責任は反対した親にもあるだろうから、行き場のない怒りやモヤモヤを抱えなくて済むのだ。責任の行き場があることによって、長い苦しみを味わわなくてすむ。

 このパターンの人は、選択できるという能力を持ちながら、選択不可能な環境にいるという辛い状況を強いられることになる。しかし、行き場のない怒りを抱えなくていいのだから途中で立ち止まることはない。さらに、選択の能力も元より備わっているのだから、後悔することはあっても道に迷うことはないだろう。

 次にパターン1のBについて考えていきたい。子供がした難しく無謀な選択を、親が尊重して応援してあげるという場合だ。1のAのパターンとは違い、親がかなり寛容なのだろう。それによって、自由という大きなものを得ることができる。その自分がしたいことに費やす時間が、今後どれだけ意味が生まれるかは分からない。しかし、その時点ではとても有意義で、これ以上ないほど幸せな時間であることに間違いはない。

 大変なのは、そんな夢が終わってしまったときである。もちろん、夢を追い続け一流のアスリートや職人になる人もいるかもしれない。しかし、子供の頃からの高い志というものには、大抵の人が折れてしまうタイミングがある。そんなときが訪れれば、まさにその人にとっては天国から地獄のような辛さを味わうことになるだろう。そこから諦めず追い続けるのか、諦めて別な道を進むのか、そんな選択を強いられるようになるだろう。しかし、どちらの選択をしようともその人がそれ以上辛い思いをすることはない。一度絶望の淵に立たされたところからもう一度追い続けるとすると、その人にそれ以上の絶望が訪れることはない。諦めて別な道を進むとしても、その経験は大きく今後に生きてくるだろう。もし後悔の念に苛まれても明らかに自分の責任のため、そこまで苦しむことはない。そもそも、有意義で幸せだった時代を後悔するというより、羨む人も多いのではないだろうか。

 このパターンの人は、選択できる能力を選択可能な環境で自由に大いに活かすことができる。がそのせいで人より辛い経験をすることもあるだろう。しかし、そうして再び選択を迫られたときに悩むこともあるだろうが、自身の選択できる能力で乗り越えられるだろう。

 次にパターン2のAについて考えていきたい。選択が困難な子供に、親が選んだ選択を強いる場合である。強いるというと言い方が悪いかもしれないが、選択が困難な子供に代わって選択をするというのは親として当然であろう。そんな選択を受けて、子供は自身で選択できるように成長していくのである。そうして自分の意志を持ったときに、親とぶつかり合ったりもするかもしれない。しかし、それでその意志を貫くことができてもできなくても、しっかりとした意志を持って自分なりの選択をしたということに意味がある。だから、そこで親に反対され違う道を歩むこととなっても、その道に迷わずにそして決してつまずくことなく進んでいくことができるだろう。そして、大人になったときには、その自分の意志を貫くべく選択をしていけるようになっているのである。

 問題なのは、自身で選択する意志を養えなかった場合である。大抵の人は子供の頃に縛られていたこともあって、大人になったときにしたいことが多い傾向にある。しかし、もし大人になってもしたいことがないという状況に陥ると事態は悪化する。その人にとって選択がとても重いものとなってしまう。そうした場合、行き場のない怒りをどこにやればいいか。そんなとき、親の責任にしてしまえば話は終わる。自分が親に強いられたものが問題なんだと思えば、その苦しみから逃れることができる。そしてそうすることで、もう一度自分の自由を再確認できる。そこから、その人がどうするかは人それぞれになってしまうが、誰かの責任にすることができれば必然的に苦しみから逃れることができる。

 このパターンの人は、選択する能力を選択不可能な環境において養うことができる。選択不可能な環境に縛られているからこそ、そこから解放されたときに強い意志で選択ができるのである。しかし、選択する能力が養われなかった場合、選択という言葉がその人にとってとても重いものとなるだろう。だが、責任の行き場があることで苦しみから逃れ、次に進むことができるのだ。

 最後のパターン2のBについて考えていきたい。選択が困難な子供に対して、親が最終判断を子供に任せるというものである。選択の提案などは出されるとしても、最後に選択するのは子供であるというパターンだ。つまり自分で選択をすることが困難で、親に強いられることもないので、今後の可能性や視野は無限にあると言っても過言ではない。選択を引き伸ばし、その間に色々な経験をしたり知識を身につけることで成長し、少しでも志が持てるようになったり自分で選択ができるようになるだろう。そうなったとき、その人を縛るものは何一つない。親の縛りもなければ、選択をしていないため過去に縛られることもない。大人になるまでの時間を、とても充実した時間に変えることができる。他のパターンの人と違い、より現実的な選択ができるため、道が険しすぎないというのもメリットである。

 しかしこのパターンには、地獄への落とし穴がある。もしも、いろいろな経験を経て、いろいろな知識を身につけたのにも関わらず、志が何一つ生まれなかったらどうなるだろうか。選択する力が何一つ備わらなかったらどうなるだろうか。まずは選択できない自分が恥ずかしくなってくる。他の人がほんとうは親に強いられただけの選択を、その人自身で選択したかのように見えてくるからだ。そこで焦りを感じてくる。自分に選択する力がないのを自覚しているからこそ、自分も選択せねばと焦燥感に駆られるのだ。そんなときに親は助けてくれやしない。結局はその決断を自分自身でしなければならない。そうなったときにどうなるか。適当な選択をしてしまうのだ。

 たとえばそれは、興味はないが自分のレベルに合った選択をしたり、興味はないがより楽な選択をしたりである。それを高校進学に置き換えるとすれば、自分と同レベルの高校を受験したり、家から近い高校を選択したりということである。実はこの選択自体が問題ではない。自分で適当に選択した道で、選択する力を養えばいい。適当に選択した道でも得られるものはある。その後の選択を自分でできるように、志を持てれば問題はないのだ。

 問題なのは、このパターンの人は努力する理由が欠如しているということである。適当に選んだ道でどうやってがんばるのか。それは永遠の課題である。適当に選んだ道でも、惰性で努力できるならいいだろう。最低限の努力や、当たり前のことをこなせる力があればかまわないだろう。

 しかし、それがなかったらどうなるだろうか。その人はその後も適当な道を選び続けるだろう。彼はその度につまずき、そのたびに自分の選んだ道を後悔するだろう。だとすると、その責任を誰に押し付ければいいのだろうか。志がなかった自分が悪いのか、干渉してくれなかった親が悪いのか。どれだけ必死に考えても、答えは一生出てこない。怒りのやり場を失い、責任を押し付ける場所も失ったとき、過去を振り返って彼は何を疑えばいい?どこで失敗したのか、どこで道を踏みはずしたのか、どの地点を疑えばいいのだろうか。もう一度言うが、答えは一生出てこない。

 それは彼が他の人に比べて、明確な階段を登ってきていないからである。自分でその階段を選択し登ってきた人や、その階段を登らざるを得ない選択不可能な環境にあった人とは違い、選択可能な環境にいるのにも関わらず適当な選択や楽な選択をして、何も考えずにスロープを上ってきたのだ。振り返って自分の進んできた道を見つめ直したとしても、スロープを上ってきた彼にはつまずいた場所など分かるはずもない。

 責任を押し付ける場所もなく、つまずいた場所さえも見失った彼は、当てもなく彷徨うことになる。選択可能な環境を自らの子供じみた思考回路で踏みにじり、挙げ句の果てにその責任を転嫁することしか考えていない。行き場を失った彼はまるで亡霊のように、選択可能な環境で彷徨うことになるだろう。













 
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