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演劇部・失われた舞台衣装

6月3日(3)

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「ばあさん、生徒会が配った職員紹介、ここにもあるかな?」
「あら、相変わらず口の悪いこと」

 教師を教師とも思わない優里先輩だが、司書先生はそんな毒舌にも慣れているのか、さほど気にする様子もない。
 片手で紅茶のカップをつまみ、空いた手でカウンター横のパンフレットラックをちょいちょいと指さした。

「確かまだ残ってたと思うわよ」

 僕は先輩の目配せを受けてスイングドアを抜け、先週発行された生徒会の広報誌を一部抜き取って席に戻る。

「あ、これですよ、僕が撮影を手伝わされたの。先生の数が多いから移動が慌ただしくて大変でした」

 ウチの学校職員は多い。
 実際に教鞭をとる教師に加え、校医や、今、目の前で優雅に紅茶を飲んでる司書先生のような専門職まで含めると五十名を越える大所帯だ。
 その全員の顔写真をわずか二日で撮りおろせと言われた時には一瞬目の前が暗くなった。
 結局、生徒会の役員がコーディネーターとして僕に張り付き、LAIMで先生たちの居場所とスケジュールをリアルタイムに調整しながら校内を走り回って撮影した。一人あたりにさける撮影時間はわずか一、二分という、まるでスポーツカメラマンのような荒行だった。

「なるほど。それで名前までは把握してないのか」

 優里先輩は小さく頷きながら意味不明のつぶやきをもらすと、司書先生のペン立てから勝手に赤色のサインペンを抜き取って二人の女性教師にキュッと丸印をつけた。

「さっきの〝緑陵〟と照らし合わせてみろ」
「はぁ……?」

 わけがわからないまま演劇部名簿と見比べる。

「あれ、これって?」
「そういうことだ」

 誌面には、当時唯一、演劇部に残った女生徒と同姓同名の教師がにっこり微笑んでいた。

「宮本明日美、担当英語……園芸部顧問」
「そしてもう一人、この女教師」

 キャップをしたサインペンの先でつつく先は新任教員の紹介コーナーだった。

「ぇ? でもこの人は……」
「退部した男子生徒の姓、女子生徒の名前、二つを組み合わせてみろ」
「あっ!」

 メタルフレームのメガネをかけ、生真面目な表情で写っているのは、吉見あずさ、担当は国語、生徒会顧問。

「この二人、結婚、したんですかね?」
「そう考えるのが妥当だろ? 高校生にもなれば将来を見すえた男女交際をしていてもおかしくはない」
「……それはまあ、そうですが」
「年齢的に見て他校からの転任だろう。転任早々生徒会顧問を任されているところから見て、前任校での評価もそれなりに高かったんだろうな」

 説明しながら慣れた様子で書棚の隅に置かれているストッカーをゴソゴソとあさり、カップとソーサーを二つ取り出す。

「吉見は卒業後ずっと本校を離れていて、十数年ぶりに母校に戻った。そして、演劇部の陥っている危機的状況に気づいたんだよ」
「危機的?」
「そう。数年がかりの遠回しな陰謀で潰されようとしている状況に、な」

 優里先輩はそこで言葉を切ると、ティーポットから紅茶を自分のカップに注いでぐいと飲んだ。

「やっぱり、わかりません」

 僕は、先輩が紅茶を飲み終えるまでの数分間、ずっと広報誌を睨みつけながら考えた。でも、先輩が簡単に見抜いているであろうことを察することがどうしてもできなかった。

「そんなわけないだろ? 君なりの推理を聞かせてくれ」
「……笑わないでくださいよ」
「笑う? そんなことはしない。ただ愚か者とさげすむだけだ」
「だからそれが嫌なんですって。誰もが先輩みたいな鋼の心臓を持っているわけじゃないんですからね」
 
 その瞬間、先輩はまるでその言葉がショックだったかのように、仰々しく左胸を押さえ、顔をしかめて小さく唸る。その様子がなんともあざとかわいく、僕は思わず唾を飲んだ。

「し、仕方ないですね。じゃあ、僕の思いつきを話します」

 頭の中を整理しながら小さく指を折ると、ゆっくりと口を開いた。

「まず、十五年ほどまえ、演劇部で何らかの不祥事があった」
「ふむ」
「結果として、不祥事に関与したとされる二名が退部させられた。活動休止も恐らくそれに関する理由でしょう」
「なるほど。それで?」
「ただ、演劇部の活動は実質、退部した二人が中心的に担っていた。男子生徒が脚本・演出、そして女子生徒は主役級の役者でしょうか」
「……そこは気付いていたんだな」

 先輩は〝緑陵〟の記述を読み直しながら小さく感嘆のため息をつく。
 〝緑陵〟には、その年に行われた学外の高校生論文コンテスト結果も書かれており、優秀賞の項に吉見の名があった。

「活動の主力を失った演劇部は実質開店休業、ただ一人残った三年生の宮本には立て直せず、新たなメンバーが入部するまで活動は再開されなかった」

 僕は半眼に閉じていた目を開き、先輩の反応をうかがう。

「と、ここまでが僕の推理です。ただ、それが今起きている事件にどう結びつくのかがさっぱり……」

 僕が話し終えると、先輩は無言で僕の前に湯気の立つティーカップを押しやった。

「……まあ悪くない推理だ。間違ってるけどな」
「な!」
「褒めてるんだよ。君は動き回るのが本分で知恵働きは苦手なタイプだと思ってたんだが、意外にいい線ついてる。やっぱりカメラをやってるだけあって目の付けどころがいいんだろうな」

 先輩なりの不器用な賛辞を受けて思わず頬が熱を持つ。

「だが、実はもっとドロドロしてる。本当は、君にそこまで踏み込んで欲しくはなかったんだがな」

 先輩は司書先生と顔を見合わせて寂しげに眉尻を下げた。

◆◆

「君は、演劇部の部室の前にプランターが十個以上も固め置きされているのを見て変に思わなかったか?」

 先輩は予想外の質問を僕に投げてきた。 

「へ? 園芸部の活動では?」
「そうなんだが、何であんな人気のないところに花を飾る?」
「確かに邪魔でしたね。先輩危うく転びかけてましたし」
「む、転んでなんかいないぞ!」

 とたんにぷくっと頬をふくらませる先輩。

「そうじゃない、あそこは部室棟の一番端。演劇部とその備品倉庫しかない。完全に行き止まりだ」
「それが何か?」
「あのなあ、部活動である以上、実績が求められるだろう。君が入りたかった写真部が潰れたのはなぜだ?」

 言われてドキッとした。確かに、僕だって実績はなるべく目立つように積み重ねる。そうでなくては写真部復活に向けた評価に繋がらない。

「園芸部だって同じだ。部費に限りがある以上、あんな誰も見ないようなどん詰まりにいくつもプランターを置くのは意味がない。校門からの園路とか、中庭とか、花を置いた方が映えそうな目立つ場所はいくらでもあるんだ。なぜそこは放っておいてなぜあの場所なんだ?」
「確かに……何ででしょうね?」

 僕が首をひねっているのを見て先輩は口を尖らせた。

「そこがボクの一番気にいらない部分なんだ。あのプランターに植えられていたのはマーガレット。最初からあの場所に特定の虫を呼び寄せるために配置されたんだよ」
「え!?」

 瞬間、僕の背筋に寒気が走った。

「と、いうことは……」
「ああ、演劇部の衣装がヒメマルカツオブシムシの幼虫に食い荒らされたのは単なる偶然じゃない。何年もかけて、そうなるように仕向けた人物がいるんだ」

 僕は広報誌に目を落とし、赤丸で囲まれた顔写真を改めて凝視する。
 にこやかに笑うベテラン英語教師、宮本明日美は〝園芸部〟顧問だ。

「まさか、そんな……」

 僕がショックを受けているのを見て、先輩はますます機嫌が悪そうな顔になる、が、話はやめない。

「イヤな話はまだある。ウチの演劇部は名門だ。かつては部室に入りきれないほど部員がいた。だが、ここ数年入部者が絶えた。仮にいても夏までに辞める。なぜここまで凋落したと思う?」
「え?」
「演劇部の大会は毎年秋に行われる。十月が地区大会、十一月が県大会。だが、この時期、もう一つ生徒全員が参加を義務づけられている重要な必修行事があるな」
「あ、英検ですね」

 先輩は大きく頷いた。

「生徒の英語力向上という名目で始まった特別補習と英検の受験。どちらも参加しないと成績評定に大きく響く。しかも補習日や英検受験日は担当の教師が決めるんだ。これが毎年絶妙に演劇部の重要な大会にかぶる。果たして偶然だと思うか?」
「まさか、そんな!」

 僕は、特に大きな権力もない一教師の冷たい悪意が、まったくそれと悟られることなく、これほど執拗に一つの目標に向けられるものなのだと知って愕然とした。

「あ、念のため付け加えておくけど、どちらも証拠はない。ボクの単なる妄想かもしれない。それはふまえて——」
「でも、そんな偶然、あり得ない」

 先輩の説明は理路整然としていた。
 動機が不明だというただ一点だけを別にすれば。

「でもね、彼女をいくら追求しても、単なる偶然の一言でいくらでも言い抜けられるよ。表向き、彼女は何も悪いことをしていないんだ」

 先輩はまるで苦いものでも口にしたように顔をしかめる。

「ボクら生徒がヒエラルキー上位の教師を糾弾するにはあまりに決め手に欠ける。いや、同じ立場の教師でも彼女を追い詰めることは恐らく無理だったんだ。だから、彼女は実力行使に出たんだよ」
「彼女?」
「そう、国語科教諭、吉見あずさ、だ」

 先輩は迷いのない口調でそう言い切った。

「興味深いお話ですね」

 突然背後から呼びかけられてドキッとした。
 振り返ってよく見てみれば、相変わらず広い閲覧室に利用者は皆無で、そんな中にぽつんと立っているのは若い女性だった。

「あ、あの、先生?」

 来訪者は全体的に地味、かつメリハリの少ない細身の体型だった。英語教師宮本の、明るくはつらつとした印象とはある意味対局、動と静に位置する。

「おかしいな」

 僕は職員全員の写真を撮ったはずなのに、この先生にはなぜか印象がない。

「三年生の現国を主に担当しています、吉見あずさです」

 ぺこりと頭を下げる彼女の姿に、僕は目を丸くした。恐らく髪型を少しいじってメガネをかけていないだけなのだが、職員写真のそれとはまるっきり別人に見える。

「お、待っていたよ吉見先生。さあ、どうぞ」

 相変わらず先輩は先生を先生とも思わず、まるで我が家のリビングに招くように吉見先生をカウンター内に誘った。吉見先生もまた、先輩の態度を特に咎めもせず、ぬるりカウンターに入ってきて司書先生の隣に座る。ちょうど僕らと対面する位置取りだ。

「比楽坂さんがまだこのようなことに関わっているとは意外です」
「ボクの案件じゃない。この……」

 と、先輩は僕を軽く小突くようにして苦笑いを浮かべた。どうやら先輩は吉見先生とも何かしら因縁があるらしい。

「四持が持ち込んできた面倒だ。ボクは手伝っているだけだ」
「それでも、聞いた話では——」
「今ボクのことはいいよ。今日はあなたの話だよ、吉見先生。演劇部の倉庫から衣装を持ち出したのはあなただね?」

 いきなりズバリと核心を切り出した先輩に、吉見先生はまったく気負いのない態度であっさり「ええ」と答えた。

「え……先生?」
「緊急避難のつもりでした」

 吉見先生は言葉を切り、司書先生の差し出したカップを受け取って小さくため息をつく。

「あのままでは、早晩そうばん全ての衣装が虫のエサに成り果ててしまう。かつてあの衣装の一部を手がけた者として、それは避けたかったのです」

 吉見先生は淡々と言葉を紡ぐ。
 
「せ、先生が、作った?」
「ええ、一から作った物ももちろんありますし、それ以外でも、あの三分の一程度は何らかの形で私の手が入ってます」
「三分の一! ……せ、先生、何者ですか?」
「ああ……」

 吉見先生は照れくさそうに笑うと、ポケットからスマホを取り出して僕らに差し出した。

「見ての通り。私、自作系コスプレーヤーなんですよ」

◆◆

「先輩は、最初から先生が犯人だと目星がついていたんですか?」

 司書先生の「さて、そろそろお三時おやつにしましょう」のかけ声で、僕らは一旦休憩することにした。どこからともなくクッキーの缶が出現し、紅茶が再び全員に振る舞われる。

「ああ、キーボックスの貸出簿には記録がなかったんだろ? だったら、そんなことが許されるのは教職員だけだ。わからなかったのは、誰が、の個人名と、なぜか、の部分だ」
「だったら、出し惜しみせずに早く教えてくれればいいのに」

 ブチブチ文句を言う僕に先輩は苦笑する。

「そんなことしたら、君はきっと一直線に職員室に突っ走っただろう?」
「でも……」

 さらに食い下がる僕に、先輩は遠くを見るような目つきになってポツリとこぼす。

「本当は、人のイヤな部分を君に暴いて欲しくなかったんだよ。教師だろうが人には違いない。そこにはいさかいもあればねたみもそねみもある。希望を抱えて高校ウチに入ったのに、入学早々教育者の醜く、どす黒い部分を見ることもないだろう?」
「まるで比楽坂さん自身が教師のようなことを言いますね」

 クッキーをパクつきながら、吉見先生が半ば他人事のように感想を漏らす。
 
「うるさいな、そもそもあんたが情けないからこうなるんだろう? あんたたちはどうして揉めてるんだ? 一体どんなトラブルを十五年も引きずってるんだ?」
「ああ、ありふれた、つまらない話ですよ」

 吉見先生はうんざりといった表情でため息をつく。

「あの子が吉見に恋慕して、相手にされないもんだから、ある日自分で制服の襟元を乱して職員室に駆け込んだんです」
「え? 何で?」
「さあ、吉見の気を引きたかったんじゃないでしょうか」

 吉見先生はさらりと言った。

「吉見が何を言おうと、こういうときには女性の肩を持つ人がほとんどです。当時は今ほど生徒の交際に大らかじゃなかったですからね。即刻部活動停止、大会の出場は辞退、と、トントン拍子にことが進みまして」

 当時を思い出してか、苦笑する吉見先生。

「疑いが晴れたときには何もかも手遅れでした」

 カップをソーサーに戻し、吉見先生は小さく肩をすくめた。

「吉見と私はあまりの理不尽に嫌気がさして部を辞めましたが、あの子は勝ち誇ってましたね。私達さえいなくなれば部を自分のいいように操れると思ったんでしょう。結果はご存知の通り。どうです? ご想像と合ってましたか?」

 クスリと笑ってマジシャンの種明かしのように両手を広げて見せる吉見先生。
 僕は先輩と顔を見合わせた。

「じゃあ……」

 口を開きかけたものの、何と言っていいのかわからなかった。

「私がこの学校で生徒会の顧問についたのは、もう二度とあの頃のような理不尽を生徒たちに感じて欲しくないからです。思いは比楽坂さん、あなたと同じですよ」

 吉見先生はするりと立ち上がると、まるで謎かけのようにそれだけを言い残して図書室を出て行った。

◆◆

 それから三週間。
 演劇部の文化祭特別公演は人気を博し、人気投票でステージ部門二位を獲得した。結果、生徒会は約束通り演劇部の活動から〝暫定〟の制限を取り払った。
 僕らのクラスの〝アリスカフェ〟はもちろん大盛況で、延田のアリスコスはもちろん、あの妖怪のようなチェシャ猫も大好評で、どちらもツーショット待ちが列を成した。
 僕は入店者に頼まれスマホのシャッター係をつとめながら、なんだか釈然としない気持ちを抑えることができなかった。
 そして。
 学校中が浮かれたお祭り騒ぎに包まれる中、そこに優里先輩の姿はなかった。
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