上 下
21 / 31
生徒会・消えた優勝旗

9月10日(2)

しおりを挟む
「四持!」

 会長が僕に緊迫した表情で声をかけた。
 彼女の視線に僕が無言で頷くと、会長は僕と書記先輩を除く役員全員と古沼高生徒会を招集して足早に校舎に入っていく。恐らく生徒会室で善後策を話し合うのだろう。

「じゃあ四持君、とりあえずこっちは頼むわ」

 書記先輩もそれだけ言い残すと放送席に駆けていき、実況役の放送部女子に何事か話しかけている。

「え、なになになに?」

 ぽつんと置き去りにされた岩崎さんは、僕と旗竿だけになった優勝旗を交互に見てきょとんとしている。

「あ、岩崎さん、写真を撮りますんで、残っているそのペナントをこちらに向けてもらえますか?」
「え? ええ……」

 僕は岩崎さんにお願いして、垂れ下がっていたペナントを文字がはっきり見えるように両手でピンと張ってもらう。そこには、古びてかすれかけてはいるが、〝第三回緑古戦 優勝 緑陵高等学校〟とあった。
 と、思う間もなくスマホが震えた。優里先輩だ。

『何があった?』

 画面にはそんなメッセージが表示されていた。
 送信された写真を見てすぐに異常を察したのだろう。話が早くて助かる。僕はLAIMを音声通話に切り替えて簡単に事情を説明した。

『で、犯行の目撃者はいないのか?』
「どうでしょう? 今のところ誰も名乗り出ていないようですね。生徒会役員全員が本部を離れているタイミングを狙われたみたいです」
『なるほど。残されているペナントはそれ一枚か?』
「ええ、確か、朝見たときは何十枚もぶら下がっていたはずですから、それも優勝旗と一緒に犯人が持って行ったことになりますね」
『ふむ……しかしなぜ一枚だけ……』

 しばらく声が途絶えた。

「ねえ太陽君、その人は誰?」

 通話が終わったと勘違いしたのか、そこに岩崎さんが口を挟む。
「しーっ」と指を立てたのだが間に合わなかった。

『む、女の声、しかも名前呼び! そこにいるのは誰だい? 四持、ビデオ通話を要求する!』

 先輩は案の定変な風に食いついてきた。仕方ないのでビデオ通話を許可して、彼女の顔も見えるように画面の向きを変える。

「初めまして、古沼高写真部マネージャーの岩崎と申しますぅ」

 岩崎さんはにこやかにあいさつし、なぜか余計なことまで口走る。

「……太陽君にはいつもお世話になっております」
「え? ちょ、特にお世話になってないよね? 会うのは打合せの時と……今日が二回目だと思うけど?」
「ええ、二回会えば充分親しい間柄でしょう?」

 にこやかに笑う岩崎さん。対照的に画面の向こうでは先輩の顔がみるみる曇り、口調が途端に冷たくなる。

『なるほど。ボクは比楽坂優里、二年生。そこのボンクラの……いわば師匠のような存在だ」
「師匠?」
「ああ、彼が校内の面倒ごとに次々と首を突っ込んでは大やけどしてるのを見ていられなくてね」
「ああ、なるほど」

 岩崎さんはフフッと小さく笑うと、「相変わらずですね」と小さくつぶやいた。

「え? 何か——」
『四持、そんなことより優勝旗だ。その一枚だけ残されているペナントにはきっと意味がある。犯人からのメッセージかも知れない。司書先生ばあさんに頼んでその年の体育祭について調べろ。何かあったらすぐに知らせるように』
「えー、でも先輩、僕は撮影係なんですよ。勝手に持ち場を離れるわけには……」
「あのっ!」

 またもや岩崎さんが口を挟む。

「それだったら何とかできると思います。太陽君を含め、今日稼働しているカメラマン全員のタスク割り当ては私の担当です。調整は任せて下さい」

 岩崎さんがどんと胸を叩く。調度そのタイミングで、グラウンドの周囲に立てられたトランペット型のスピーカーからアナウンスが発せられた。

『ご来場の皆様にお知らせいたします。スターター機器の不具合のため、本日の競技スタートを三十分繰り下げます。繰り返します。機器の不具合のため、本日の競技スタートは九時四十五分からとさせていただきます』

 ざわざわとざわめきはじめる応援席。どうやら、少しでも対策を練る時間を稼ぐため、書記先輩が放送委員に調整をかけたらしい。

『四持、ほら、この隙に図書館に走れ!』
「あ、はい!」

 僕はスマホの向こうの優里先輩に急かされて慌てて走り出した。

◆◆

「あなたもなの?」

 司書先生はいきなり三十年前の体育祭の資料を出せと言われ、面食らったように両手のひらを頬にあてた。

「あなたも? 他に聞いてきた人間がいるんですか?」
「ごめんなさい。利用者の秘密を守るのが決まりだから答えられないわ。それに記録って言っても、あなたも知ってる校誌〝緑陵〟の他に何かあったかしら……」
「〝緑陵〟には競技ごとの成績も載ってるんですよね」
「ええ確かに、でも……」

 司書先生はしばらく考えていたが、不意に表情を明るくして両手をパチンと打ち合わせた。

「そう言えば、視聴覚資料に体育祭の記録ビデオがあったはずよ」

 言いながら僕の先に立って書庫に向かう。入ってすぐの階段を上り、天井の低い中二階にずらりと並んだストッカーを指さす。

「年号順に並んでるわ。三十年前だったら正面の左側あたり。でもねえ……」

 早速ストッカーに書かれた年号を目で追いかける僕に、司書先生は再び困ったように付け加える。

「その当時ならば保管しているのは八ミリビデオのテープなんだけど、二年ほどまえに再生用のプレーヤーが壊れちゃって。メーカーでももう生産していないし、もしテープを見つけられても見ることはできないわよ」
「それならきっと大丈夫です。比楽坂先輩なら——」
「ごめんなさい、ビデオテープ資料は〝禁帯出〟なの。それがたとえ比楽坂さんでも、特別扱いはできないわ」

「えー、何とかなりませんか?」
「駄目よ。一つでも例外を認めると際限がなくなるから」

 きっぱり断られ、僕はため息をついた。
 この先生は、僕が優里先輩の事情についてたずねた時にも頑なに口を閉ざした人物だ。普段の物腰は柔らかだが、決まりごとにはとことん忠実で、絶対に曲げようとしない。
 図書の番人としてはとても頼りになるが、こんな時には融通が利かずにちょっと困る。

「……わかりました。では、記録の有無だけでも先に確認させて下さい」

 僕はストッカーに書かれた年号を指で追い、該当年度の引き出しを開く。中には文庫本の半分ほどのサイズのプラスチックケースがずらりと並び、〝第三回緑古戦No.1〟から〝No.8〟までのラベルがついた八本のビデオが収まっていた。
 とりあえず外観だけ撮影して優里先輩に送る。同時に再生手段が無いこともメッセージしておく。先輩にも少しは悩んでもらおう。

「ちなみに、〝緑陵〟のページを写真に撮ることもNGですか?」

 ふと思いついて聞いてみる。
 司書先生は顔をしかめてしばらく考え込んだ末、しぶしぶ、といった感じで頷いた。

「あくまで個人利用に限って、だけど、普段から図書室でコピーサービスはやってるし、今回はそれと同じ枠組みで考えることにするわ」

 頭を下げ、僕は彼女の気が変わらないうちにそそくさと閉架書庫に向かう。
 目的の記録はかなり詳細だった。選手の名前まではわからないが、ウチと古沼高それぞれについて、各競技ごとの得点や順位が詳しく記載されている。
 僕は数ページにわたる記録を全て写真に収めた。これで先輩の元に必要な資料が届くはずだ。

「さて、次は……」

 その時、腰のトランシーバーが呼び出し音を響かせた。応答ボタンを押すと会長の緊張した声が流れ出す。
『四持、今どこにいる?』
「はい、四持、今は図書室です」
『古沼高生徒会との申し合わせで、競技は三十分遅れで再開することになった。詳しい段取りを説明したいから本部テントに戻ってください』
「え、でも、優勝旗はどうするんです?」
『最悪の場合、授与式は省略するしかありませんが……』

 無線ごしでもわかる。その声はずいぶん悔しそうだ。

『極力それは避けたいですね。できるなら、いや、なんとしても閉会式までに見つけ出したいんだ』

 僕はスマホを取り出して時刻を確かめる。閉会式まですべて三十分押しで進むとすれば、タイムリミットは十六時三十分だ。
 つまり、残りはたったの七時間しかない。

◆◆

 本部に戻ると、会長が厳しい表情のまま、腕組みをして待っていた。

「四持、あなたの任務はさっき無線で話した通り、閉会式までに優勝旗を見つけ出すことです。やり方は問いません。お前に全面的に任せます」
「はぁっ!?」

 いきなりとんでもないタスクが降ってきた。
 もちろん、優勝旗発見のため何かしらの働きはするつもりだったが、さすがに荷が重過ぎはしないだろうか。

「しかし、会長――」
「四持、あなたのこれまでの実績は高く評価してます。生徒会関係者の中で、発見の可能性があるとすればそれはあなたしかいないでしょう」
「……ありがとうございます」

 いきなり褒められてクラっと傾きかけるが、いやいや、これが会長のいつものやり方だと気を取り直す。

「せめて誰が助手をつけて下さいよ」
「無理です。生徒会役員はそれぞれ担当の業務がりますから。わかっているとは思いますが、体育祭の円滑な運営が第一、そのための人員を割くわけにはいきません」
「いえ、しかし――」
「比楽坂がいるでしょう?」
「優里先輩はここには来ませ――」
「あの~」

 その時、僕のすぐ脇で手が上がった。

「その、助手って、私がつとめては駄目でしょうか?」
「え?」
「いえ、これは合同体育祭でのトラブルですし、緑陵高そちらだけにご面倒を押し付けるのってなんだか申し訳ないというか……」
「でも、岩崎さん」

 僕は慌てて彼女の言葉をさえぎった。彼女の気持ちは嬉しいが、優里先輩のさっきの様子を考えるとかえって面倒なことになりそうな気がしたのだ。

「君は写真部のマネージャーだろ? そっちの仕事は大丈夫なのか?」
「それなら多分平気です。もともと私は競技が始まれば暇になる予定でしたし、さっき太陽君を撮影シフトから外したような大きな変更はもうないでしょう?」
「いや、でも」
「四持、彼女とは前から知り合いなのですか?」
「え? いえ――」
「ええ、良く存じ上げております」
「なるほど、では二人で動いて下さい。任せました」
「いや、あので――」
「了解しました。それでは捜査にかかります」

 岩崎さんはさっと敬礼をすると、困惑する僕を引きずるようにして、さっと本部を飛び出した。

「岩崎さん、どういうつもりだよ!」

放送席の後ろあたりまで引きずられたところで、僕はようやく彼女の腕を振りほどいた。

「え、だって助手は必要なんでしょう? 私、お役に立つと思いますよ」

 岩崎さんはそう言ってニコリと微笑んだ。


 
しおりを挟む

処理中です...