クレイオの箱庭

青空顎門

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エピローグA 争い満ちる箱庭の中で

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「それでアエルはどうしたんです?」

 外から聞こえてくる、会話を妨げる程ではないが激しい雨音を耳にしながら問う。
 あの後船室で取った睡眠から目覚めてみれば、翌々日の朝。
 いつの間にか見知らぬ部屋で横になっていた。
 どうやら眠っている間に検査やら整備が行われていたらしい。
 勿論、麻酔なども使用されてはいたのだろうが、それだけ疲労が蓄積されていたこともまた事実であるのだろう。
 今は丁度、その辺りの経緯アナレスに聞いていたところだった。

「これから先アシハラで暮らすための様々な手続きを行っているところだ。……あの娘のことが気になるのか?」
「ええ、まあ。ちょっと想像を超えた馬鹿でしたからね」

 まさか仇を許すなどと言う輩に出会うとは正直思わなかった。

「確かにな」
「……ああ。全部筒抜けだったんですよね」

 となると、互いに正体を知らずにアエルとした会話も聞かれていた訳だ。
 アナレスの同意も納得できる。

「想像力があれば、歴史や偏見には囚われない。だったか」
「そして、その果てには憎しみの連鎖のない世界が……なんて、本当にそんなものが実現すると思っているんでしょうかね」
「そう思ったから、お前は彼女を殺さなかったのではないのか?」
「違いますよ。俺がアエルを殺さなかったのは、彼女が単純に俺が殺すべき悪じゃなかったからです。アホな理想の影響も受けていません。俺は法で裁かれない悪やケダモノを殺す悪として戦い続けるだけです」

 それが既に罪を背負い、力を持つ者の責務だと思うから。

「ただ……まあ、その果てにアエルの夢想染みた理想が実現して、それが俺を裁くなら、それはそれでアリかもしれません。けど、難しいでしょうね。何だかんだ言って、人は歴史や偏見を殺せずにいますから」

 その挙句、選択の責任をそれらに押しつけようとする。
 突き詰めて見れば、歴史の流れなど所詮は個人の選択の積み重ねに過ぎないにもかかわらず。

「そして、その果てに争いを繰り返している」
「そうだな。……戒厳。一つ興味深い話をしようか」

 アナレスは少し間を取ってから静かに口を開いた。

「地球とテラは一万年前に分岐した世界だ。そのため、神話などにも共通する部分が多々見られる。当然細部は異なっているが。例えば、テラのある地域に伝わる神話では戦争を司る神の名をクレイオと言う」
「クレイオ……」

 その名はアエルとの会話の中で聞いた覚えがあった。

「そして、地球の神話の一つ、ギリシア神話に登場する文芸を司る女神達ミューズの中には歴史を司る女神が存在するが、彼女の名もまたクレイオと言う」

 続いた言葉に少し驚く。
 恐らく余り知名度のある方ではない神の名をテラ出身のアナレスが知っている事実と、それが異世界の神と同じ名であることに。

「クレイオの名はこちらでは歴史を司る女神を表し、あちらでは戦争を司る神を表す。何とも面白い符合だとは思わないか?」

 そんなアナレスの問いかけに、戒厳は何となく納得していた。

(思えば、これまで学んできた歴史は争いと興亡が軸にあった気がするな)

 神の権能は人の連想によって変遷するものだ。歴史が争いの始端となるのなら、そうした神の性質の違いも生まれるのかもしれない。

「人が歴史に流される己に気づかず、自身の選択に責任を持てずにいる限り、その世界はクレイオが支配する箱庭となるのかもしれない。歴史に翻弄され、争いを繰り返していく歪んだ物語のような世界だ」
「クレイオの箱庭、ですか。……成程、あるいは、それこそが俺達が本当に復讐すべき敵なのかもしれませんね」

 そして、それをなすために必要な第一歩こそ、アエルの言う想像力なのかもしれない。

「さて……話は終わりだ。サクラに顔でも見せてやれ。たかだか二日眠っていただけで、あれは随分と心配していたからな」

 呆れたようにアナレスは言うが、それは案の定というか仕方のないことだろう。
 この作戦で知ったことだが、どうもサクラは数時間兄たる戒厳と話せなかっただけで寂しがる子らしいのだから、二日ともなれば禁断症状が出ていてもおかしくはない。

「はい。分かりました」

 その答えに頷いて部屋を出ていったアナレスから遅れること数分、戒厳もまたその部屋を出た。そして、サクラの許へと向かうことにする。
 扉を開けた先、その廊下の窓から見える光景は、慣れ親しんだ日本のものだった。
 たった八日間見ていなかっただけにもかかわらず、何となく懐かしく感じられる。
 当然のように車道があり、そこを走る車が水飛沫を上げている。
 少々季節外れの感がある天候だが、恐らくここ最近晴れが続いていたため気温が上がっていたのだろう。
 北海道での一週間だけでなく、冬に入ってから久しく見なかった雨とそれが道路を叩く光景はいずれも、いつものように戒厳の心象など表していない。
 それは当然のことだ。もし、この世界の現象が何かの心象を表すのなら、それは世界そのものの心象に他ならないはずだから。
 あるいは、その世界を超えた何かが自らの心象を示そうとしているのか。

(なら、この雨は――)

 アナレスの話を聞いて、戒厳にはそれがまるで今はまだ世界を支配しているだろう歴史クレイオの心象を示しているように感じられた。

「お兄様っ!」

 そんな思考を遮るようによく通る声が響き、廊下の端からサクラが短めの黒髪とエプロンドレスのスカートを激しく揺らしながら走ってきた。
 彼女の表情には安堵の感情がはっきりと見て取れる。
 だから、戒厳は自分の想像を一先ず打ち消しながら、そんなサクラに体を向けると手を広げ、勢いよく抱き着いてくるだろう彼女の衝撃に備えたのだった。
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