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青空顎門

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四 自分は自分でしかない③

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 無機質で抑揚の乏しい口調が、小さな声であるにもかかわらず、しっかりとした響きを持って耳に届く。
 藍色の髪と瑠璃色の瞳が特徴的な彼女は全体的に小柄で、顔立ちはレオンとは違って日本人らしく、少しだけ佳撫に似ていた。
 見た目はとても幼く愛らしいが、余りの無表情さにそれを感じさせない。
 それに加え、巫女装束の上に簡易な鎧を身にまとった姿は清廉さと厳格さを兼ね備えている。

「ど、どういう、こと?」

 呆然とした様子の姫子がその言葉を終えるよりも早く、優司は異常復号体として完全な姿となり、獣染みた雄叫びを上げて猛進してきた。
 どれだけの備えを持とうとも、それは確実に致命の威力を秘めているのだ。
 対処を誤れば一撃で殺されてしまうことだろう。その事実は身の竦みを導く。

「ルナ!」

 しかし、徹はそう叫ぶことで内なる恐れを振り払い、大地を踏み締めた。

「了解致しました、主様」

 ルナ、正式名称奇剣インカルナツィオンは溶けるように姿を消し、徹の左手にはネイビーブルーのガントレットが現れる。
 それは腕を守るだけの単純なものとは違い、手の甲側が大きく膨れ、その部分に巨大な穴が存在していた。

『奇剣「八咫烏」』

 発せられたルナの言葉に合わせるように、徹は左手を固く握り締め、向かってくる巨躯へと突き出した。
 瞬間、連続して無数の黒い手裏剣がその穴、射出口から超高速で飛び出し、優司の土の鎧を襲う。

『こ、これは!?』

 先程の小刀と同等以上に、正に機関銃の射撃の如く絶え間なく襲いかかるそれに、優司はその進行をほとんど止められていた。
 徹よりも遥かに速く、強大な体躯も動けなければ意味を成さない。

「徹、それ、何で――」
「何故も何も、雪村さんも言っていたことだろ? 俺とこの世界の徹は別人だ。たとえ遺伝子的に同じであっても、双子程度には別人なんだ。だから、俺の固有呪法は別にある」

 徹は左手の射出口、その照準を優司に合わせたまま姫子を僅かに振り返った。
 すると、姫子は驚愕の表情を浮かべる。

「その目、色が」

 濃紺色。ネイビーブルー。左手を包むガントレットと同じ色。
 それはまるで青に青を重ねたような深く濃い青。
 森羅の徹とは別人である証だ。

「俺はレオンをこの世界の俺程には扱えない。何故なら、レオンはこの俺自身のための武器じゃないからだ。レオンはこの世界の俺の強さ、本質に則した力だった。つまりこの剣はある種の極まった一つの形、特殊形なんだ」
『そして、このルナという存在は、こいつの弱さ、未熟さの象徴と言える。だからこそ逆に何にでもなれる不確かさを表している一般形、という訳だな』

 己自身の固有呪法。
 これこそ徹の考えついた策。レオンを使用できたが故の短絡的な思い込み、間違いに気づいたことから生まれた方策だった。
 そして、符号呪法の扱い方を学び、それによって生じた己の力は、望み通りに優司を倒す道を開いてくれた。
 だからこそ、優司に勝てる可能性が極限まで高まったからこそ、徹はこの場に参じたのだ。

『だが、この、程度では――』

 連続する衝撃を身に受けながらも、優司は一歩ずつ確かに歩みを進め始める。
 化物と呼ぶに相応しい形相と、化物と呼ぶに相応しい力強さで。

「そう。この程度ではさっきと変わらない。次からが本番だ」

 優司の言葉にそう応じながら、余裕があるからこその酷薄な笑みを浮かべてやる。
 それでも尚心の奥底にある大き過ぎる恐怖を抑え込むように。
 直線的な攻撃だけでは何も変わらない。素人が放つ愚直なだけの攻撃など達人には決して届きはしないのだから。
 だが、それこそ円と楕円の話のように、直線はあくまでも特殊形に過ぎないのだ。それは特定の条件下においてはそれ相応の力を発揮するだろうが、決して普遍的なものではない。そして、直線を特殊形とするなら、一般形は曲線だ。

『奇剣「龍」』

 ルナの冷たい声が響くと同時に無数の手裏剣は止み、その代わりに射出口からは極薄の両刃が急速に優司へと伸びていく。

『こんなもので!』

 優司は村正を振り上げ、その刃目がけて振り下ろした。
 レオンのような特性を持たないそれは、村正に触れれば打ち消されてしまう
 。しかし、それは消滅することなく優司へと向かい続けていた。

『な、何!?』

 目論見が破れ、驚愕の声は上げる優司。目の前の光景が信じられないのだろう。
 それもそのはず、常識ではあり得ないことに、極薄の両刃は意思を持ったように優司の刃を直前で避けて急激な曲線を空に描いたのだ。
 そして、次の瞬間には、その刃は土の鎧に深く突き刺さっていた。
 符号呪法、それも固有呪法で生成されたそれは、通常の物質では強度や切れ味を保てないレベルの薄さでも剣として成立している。
 故に相応の強度を持つだろう優司の鎧をも貫くことを可能にしていた。
 本来的に生成方法によって限定されてしまう剣として形という枠を外すことができる。それがルナの無形の剣という形なのだ。

『だが、まだだ!』

 胸元に突き立てられた刃を優司は村正で無理矢理に切り裂いた。
 瞬間、刃はその場で溶けて虚空に消え去る。
 と同時に優司は再び徹へと猛然と突っ込んできた。
 その様子はもはや形振り構わずという感じで、猪突猛進と表現するに相応しい。

「ルナ、任せる」
『はい、主様』

 体の支配権はルナに委譲され、徹の体は右半身を前に出した構えを取る。
 左利きのボクサーのようなスタイルだ。

『主様を傷つけた報い、ここで受けて頂きます』
『ほざくな!』

 巨体が小細工抜きに猛然と押し迫る様は大型車が真正面から迫り来るかのようで、圧迫感は恐ろしいまでに強かった。
 しかし、ルナはそんな感覚など容易く受け流しているかのように、静かにその構えのままそれを待ち構える。

『……奇剣「麒麟」』

 小さく呟くと同時に、ルナは優司の猛烈な突進に合わせて左の拳を突き出した。
 それと共に射出口から巨大な杭が爆発的に撃ち出され、土の鎧に襲いかかる。

『がはっ!?』

 それこそ大型車が正面衝突したような巨大な音を場に響かせると同時に、優司の巨体はいとも容易く宙を舞っていた。
 砕かれた鎧の欠片を地面に降らせながら。
 その間に体の支配権は徹に戻り、初速のみに特化した丸太のような杭もまた消滅した。

「ルナ、次で詰みだ」
『はい。最終奇剣「万頭之龍」』

 無数の首を持つ大蛇の如く、複数の極薄の刃が射出口から飛び出すのと同時に。
 徹はレオンの剣を右手でしっかりと握り締め、背中から大地に落下した優司へと駆け出した。

『ぐ、おおお』

 縦横無尽に駆け巡る刃は、何とかそれを消滅させようとして足掻く優司が振り回す村正を的確に避け、次々と彼の体に突き刺さっていく。
 突き刺さり、その体を貫いて地面に深く縫い止める。
 頭部も四肢も胴体も、刃はその体の全てを何度も何度も雁字搦めにするように巻きついては、また貫く。
 無数の刃によって幾重にも貫かれた優司は、もはや微動だにすることもできない。

『こ、これは――』

 地面に仰向けになるように拘束されながら、優司の村正を手にした右手はその切っ先を空に向けるように固定されていた。
 しかし、ルナではここまでだ。その力で生成された剣は村正に当たれば、消え去ってしまう。だから――。

「レオン、頼む」
『ああ。これで終わりだ!』

 徹は拘束された優司の胸部の上に乗り、左手以外の肉体の支配権をレオンに移譲した。

『や、やめろ!』

 無防備な村正の刀身、鎬の部分を狙い、レオンによって力任せに振り下ろされ、一直線の軌道を描くメタルブルーの片手剣。
 レオンが変じたこの剣は、特性として村正を遥かに上回る耐久力を有している。
 それはどのような状況下に陥ろうとも最後の最後まで戦い続ける不屈の意思、森羅の徹の本質を表しているからだ。
 単純な切れ味についてはともかく、そのような決して破壊され得ない剣を相応の速度で叩きつければどうなるかは想像に容易い。
 果たして村正は、それのなした大き過ぎる災禍に対して余りにも呆気なく、圧し折れて砕けたのだった。

『あ、ぐが、はっ』

 レオンの一撃によって優司の手から離れて地面を転がった村正が、徐々にその形を失っていく。
 それと共に優司の体を覆っていた土の鎧が脆くも崩れていった。
 地面に降り立つと同時に、剣の切っ先を彼に向けたままの状態で体の支配権が戻ってくる。徹はその体勢のまま静かに彼の様子を見守った。

「主様」

 無機質ながら美しくよく通る声に振り返ると、いつの間にか人間化していたルナが徹を守るように傍らに立っていた。

「ルナ……ありがとう、助かった」
「いえ、ルナは主様の剣ですから」

 そうとだけ言うと、仰向けの優司を警戒するように注意深く見据えるルナ。
 そんな彼女に頷いて、それから優司に視線を戻す。
 やがて土の鎧は完全に消え去り、優司本来の姿が現れる。
 彼の表情は憑物が落ちたかのように険がなくなり、いっそ晴れ晴れとしていた。

「やはり、徹には敵わなかった、か」
「優司……終わった、のか?」
「ああ。今度こそ、終わりだ」

 よく見ると、優司は四肢の先から砂となって崩れ始めていた。

「俺は村正に食われた時に命を失った。村正が破壊されてしまえば、正しい形に戻るだけだ」

 その様子に戦いの終わりを感じたのか、佳撫と姫子が傍に寄ってきた。

「ほ、本当に?」

 佳撫に肩を借りて立つ姫子の問いに、優司はふっと力なく微笑んで頷いた。

「どうして、優司さんは異常復号体なんかに……」

 佳撫はまだ用心しているのか、その手には折り紙が握られている。

「俺がどこまでも愚かだったというだけの話だ」

 優司は自嘲するように弱々しく笑った。

「徹との差を痛感する度に嫉妬が胸の奥に積み重なり、何もかもを狂わせてしまった。俺はただ、徹のようになりたかっただけなのに、な」
「……ああ、本当に、馬鹿だ。お前は」

 徹はどうしてか酷く悲しい気分になり、思わずそう呟いていた。

「誰かのようになりたいなんて思った時点で、お前は既にその誰かに屈服している。敗北しているんだ。競い合う前から自分自身で勝手に、な」

 元の世界の優司に言われた言葉をほとんどなぞって聞かせる。

「そんなあり方はつまらないと思わないか?」

 この世界の徹と比べられ、そのようになりたいと全く思わなかった訳ではない。
 どれだけ己とはかけ離れ、完全に別の道を歩んでいると分かっていても尚だ。
 しかし、やはり本質としてどうしようもなく違うのだ。
 それは決して変えようのない事実だ。だから――。

「どう足掻こうと誰も他の誰かになんてなれはしない。自分はどこまで行っても自分でしかないんだ。俺がこの世界の徹になれないように、誰もが自分の本質に沿ったあり方しかできないんだから」
「そう、だな。ああ、その通りだ。分かっていたさ。でも、どうしようもなく、俺は、弱かったんだ。だから、屈服してしまったんだ。本質すら歪ませてしまう程にな。……そして、本質を歪ませた者の末路は、こうなる訳だ」
「優司……」

 頭では元の世界の優司とは別人だと分かっていても、さすがに徹は親友と同じ顔の人間の最期を前にして冷静ではいられなかった。
 自分の右手を固く握り締め、唇を噛み締めてただ彼を見続ける。
 だが、優司はそんな徹とは対照的に満足そうに穏やかな表情を浮かべていた。

「ありがとう、徹。お前に倒されるなら本望だ」
「……だから、俺はお前の知っている徹じゃないって、言っているじゃないか」

 徹がそう言うと優司は、そうだったな、と幼馴染の面影そのままの苦笑を返した。
 そうしている間にも彼の体は少しずつ、だが、確実に崩れていく。

「一騎打ち、なんていう茶番を繰り返していたのも、お前のような奴に倒されたかったからなのかもしれないな、徹もどき」

 その言葉はきっと、森羅の徹を殺してしまってから今まで抱き続けていた本音だったのだろう。そう徹は思った。
 あの狂い歪んだ感情もまた本心の一つだったことは間違いないだろうが、それでも彼の言葉もまた心の奥底には確かにあった本音だと信じる。

「お前は徹よりも酷く弱かった。だが、結局勝ったのはお前だった。もしかしたら徹よりも弱いからこそ、徹よりも強い別の何かになれるのかもしれない」
「それは、買い被り過ぎだ」

 現状、弱さを自覚している振りをしている状態から、やっと本当に弱さを自覚し、自分の今を把握できた程度のものなのだ。
 夢も持てず手探り状態の今は、むしろ情けない望みを抱いていた時よりも後退しているようにも見えなくもない。

「まあ、どっちの言うことが正しかったかは、お前自身が見届けることだな」

 その言葉を最後に優司は口を噤み、目を閉じてしまった。
 既に四肢は完全に崩れ去っており、崩壊は頭部にまで及んでいる。
 残された時間はないに等しい。もはや誰の言葉も届かないに違いない。

「ゆ、優司」

 しかし、緩やかに、音もなく崩れていく優司は、その呼びかけに応じて微かに笑ったように見えた。
 徹はそんな彼が塵となって風と共に消え去ってしまうまで、その様子を見守り続けていた。
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