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第八話:物々交換と小さな経済圏
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私たちの離宮の前は、さながら小さな市場のようになっていた。
朝夕の決まった時間になると、噂を聞きつけた侍女たちが次々と訪れ、私たちの工房で作られたハーブ製品を求めて列をなす。
「厨房から、少しだけ良質なバターを分けてもらいました。こちらのハーブティーと交換していただけないかしら」
彼女たちが持ってくるのは、お金ではない。自分たちの持つ「スキル」や、職場から融通してもらった「現物」だ。私たちはそれらを快く受け取り、代わりに癒しの品々を手渡した。
「妃様、すごいですわ……」
工房の片隅で、アンナが興奮気味に帳簿を指さした。それは、私が彼女に教えた簡単な複式簿記の帳面だ。
「私たちの作ったものが、こんなにたくさんのものに変わっています! 繕い物の布、バター、少しだけ質の良い小麦粉、それに……まあ、厨房の裏で育てている鶏の卵まで!」
帳簿には、物々交換によって私たちの組合にもたらされた「資産」が、日に日に増えていく様子が記されている。
私はその帳簿を満足げに眺めながら、組合のメンバーたちに告げた。
「よく見てちょうだい。これが、『経済』の始まりよ」
私の言葉に、皆がきょとんとする。経済なんて、自分たちとは縁遠い、難しい言葉だと思っていたのだろう。
「難しく考えることはないわ。経済とは、価値と価値の交換のこと。私たちは、自分たちの手で『癒し』という価値を生み出し、それを他の人たちが持つ『食料』や『労働』という価値と交換している。ただそれだけのことよ」
そして私は、交換で手に入れた小麦粉と卵、バターを指さした。
「そして、手に入れた価値を元に、私たちは新しい価値を生み出すことができるわ」
「新しい、価値……?」
きょとんとする皆の前で、私はにっこりと微笑んだ。
「そう。次は、私たちの手で、後宮一美味しいお菓子を作りましょう」
その日の午後は、急遽「製菓工房」へと姿を変えた。
新鮮な卵と良質なバター、そして私たちの畑で採れたカモミールの花びらを練り込んだ、香り高いクッキー。作り方を指導するのは、もちろん私だ。
最初は戸惑っていたメンバーたちも、甘く香ばしい匂いが工房に立ち込め始めると、瞳を輝かせて作業に没頭し始めた。
焼き上がったクッキーは、サクサクとした食感と、口の中に広がる優しいハーブの香りが絶妙な、素朴ながらも極上の味わいだった。
「おいしい……! お店で売っているどんなお菓子よりも、ずっと美味しいです!」
「これが、私たちの手に入れたもので作れたなんて……」
メンバーたちは、自分たちの手で成し遂げた「価値の再生産」に、感動で打ち震えていた。
翌日、私たちはハーブ製品に加えて、「組合特製・カモミールクッキー」を交換の品として並べた。当然、侍女たちの間でたちまち大評判となり、私たちの組合の価値はさらに高まっていく。
私たちの活動は、もはや単なる慈善事業ではなかった。
後宮の片隅で、誰にも気づかれず、しかし確実に、私たちの手による小さな経済圏が回り始めていたのだ。
そんなある日のこと。
いつものように大図書館で読書に耽っていた私の元に、一人の侍女が慌てた様子で駆け込んできた。
「妃様っ、大変です! 皇帝陛下が……! 皇帝陛下が、私たちの離宮へ向かわれたと……!」
「なんですって?」
私は思わず立ち上がった。
皇帝アレクシス。この後宮の絶対的な支配者であり、私が最も避けてきた存在。
彼が、なぜ今、寵愛ランク最下位の妃が住む離宮へ?
静かに回り始めた私たちの小さな歯車が、今、大きな力によって動かされようとしている。
私は胸騒ぎを覚えながら、急いで離宮へと向かった。私の穏やかな日常が、終わりを告げようとしていた。
朝夕の決まった時間になると、噂を聞きつけた侍女たちが次々と訪れ、私たちの工房で作られたハーブ製品を求めて列をなす。
「厨房から、少しだけ良質なバターを分けてもらいました。こちらのハーブティーと交換していただけないかしら」
彼女たちが持ってくるのは、お金ではない。自分たちの持つ「スキル」や、職場から融通してもらった「現物」だ。私たちはそれらを快く受け取り、代わりに癒しの品々を手渡した。
「妃様、すごいですわ……」
工房の片隅で、アンナが興奮気味に帳簿を指さした。それは、私が彼女に教えた簡単な複式簿記の帳面だ。
「私たちの作ったものが、こんなにたくさんのものに変わっています! 繕い物の布、バター、少しだけ質の良い小麦粉、それに……まあ、厨房の裏で育てている鶏の卵まで!」
帳簿には、物々交換によって私たちの組合にもたらされた「資産」が、日に日に増えていく様子が記されている。
私はその帳簿を満足げに眺めながら、組合のメンバーたちに告げた。
「よく見てちょうだい。これが、『経済』の始まりよ」
私の言葉に、皆がきょとんとする。経済なんて、自分たちとは縁遠い、難しい言葉だと思っていたのだろう。
「難しく考えることはないわ。経済とは、価値と価値の交換のこと。私たちは、自分たちの手で『癒し』という価値を生み出し、それを他の人たちが持つ『食料』や『労働』という価値と交換している。ただそれだけのことよ」
そして私は、交換で手に入れた小麦粉と卵、バターを指さした。
「そして、手に入れた価値を元に、私たちは新しい価値を生み出すことができるわ」
「新しい、価値……?」
きょとんとする皆の前で、私はにっこりと微笑んだ。
「そう。次は、私たちの手で、後宮一美味しいお菓子を作りましょう」
その日の午後は、急遽「製菓工房」へと姿を変えた。
新鮮な卵と良質なバター、そして私たちの畑で採れたカモミールの花びらを練り込んだ、香り高いクッキー。作り方を指導するのは、もちろん私だ。
最初は戸惑っていたメンバーたちも、甘く香ばしい匂いが工房に立ち込め始めると、瞳を輝かせて作業に没頭し始めた。
焼き上がったクッキーは、サクサクとした食感と、口の中に広がる優しいハーブの香りが絶妙な、素朴ながらも極上の味わいだった。
「おいしい……! お店で売っているどんなお菓子よりも、ずっと美味しいです!」
「これが、私たちの手に入れたもので作れたなんて……」
メンバーたちは、自分たちの手で成し遂げた「価値の再生産」に、感動で打ち震えていた。
翌日、私たちはハーブ製品に加えて、「組合特製・カモミールクッキー」を交換の品として並べた。当然、侍女たちの間でたちまち大評判となり、私たちの組合の価値はさらに高まっていく。
私たちの活動は、もはや単なる慈善事業ではなかった。
後宮の片隅で、誰にも気づかれず、しかし確実に、私たちの手による小さな経済圏が回り始めていたのだ。
そんなある日のこと。
いつものように大図書館で読書に耽っていた私の元に、一人の侍女が慌てた様子で駆け込んできた。
「妃様っ、大変です! 皇帝陛下が……! 皇帝陛下が、私たちの離宮へ向かわれたと……!」
「なんですって?」
私は思わず立ち上がった。
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彼が、なぜ今、寵愛ランク最下位の妃が住む離宮へ?
静かに回り始めた私たちの小さな歯車が、今、大きな力によって動かされようとしている。
私は胸騒ぎを覚えながら、急いで離宮へと向かった。私の穏やかな日常が、終わりを告げようとしていた。
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