62 / 65
第六十二話:毒入りの果実と、母の逆鱗
予言の的中から数日。帝都の社交界は、急速に聖女ミイナの色に染まりつつあった。
彼女が夜会で披露する神の叡智の話は、刺激的で甘美だったからだ。
「リディア様のやり方は、あまりに古臭くて時間がかかりすぎますわ。私が授かった神の農法を使えば、作物は一晩で育ち、病気など祈りと聖水で消し飛びますのに」
ミイナは扇子で口元を隠し、取り巻きの貴族たちにそう囁く。
汗水垂らして土を耕すことの尊さを説く私に対し、彼女は「魔法のような効率化」を謳う。どちらが耳触りが良いかは、明白だった。
そして今日、彼女は後宮の庭園で、その奇跡の実演を行っていた。
集まった貴族たちの前には、数日前までただの苗木だった果樹が、不自然なほど青々とした葉を茂らせ、見たこともないほど巨大な赤い果実をたわわに実らせていた。
「ご覧ください! これが神より授かりし『祝福の砂』を与えた木です。本来なら三年かかる成長を、たった三日で成し遂げました!」
ミイナが得意げに掲げた小瓶には、青白く光る結晶の粉末が入っている。
貴族たちが「おお、素晴らしい!」「これぞ神の御業!」と歓声を上げる中、少し離れた回廊からその様子を見ていた私は、眉間の皺を深くした。
「……あれは」
「リディア、わかるか?」
隣に立つアレクシスの問いに、私は重々しく頷いた。
賢者の書庫の封印区画に記述があった。特定の鉱石を化学処理して作る、即効性の強力な肥料。現代で言うところの、高濃度の化学肥料に近いものだ。
だが、彼女の使い方は異常だった。あんな短期間で無理やり成長させるほどの量を投与すれば、土壌のバランスは崩壊し、その土地は二度と作物が育たない荒れ地になる。
「彼女は、土地を殺す気ですわ。それに……」
私が言いかけた、その時だった。
庭園の隅で遊んでいたレオが、騒ぎを聞きつけてトコトコとミイナの方へ近づいていった。
「あ、ミイナお姉ちゃん。すごいね、おっきなリンゴ!」
レオの無邪気な声に、ミイナが振り返る。
彼女の瞳に、獲物を見つけた蛇のような、冷ややかな光が走ったのを私は見逃さなかった。
彼女はしゃがみ込み、猫撫で声でレオに手招きをした。
「あら、レオ様。いいところに来ましたね。……ほら、ご覧なさい。これは神が選ばれし者に与える『奇跡の果実』ですよ。これを食べれば、レオ様も私のように賢くなれるの」
ミイナは木から巨大な赤い実をもぎ取ると、それをレオの小さな手に握らせようとした。
「さあ、お食べなさい。今のママが作るパンなんかより、ずっと甘くて美味しいから」
「ほんと?」
「ええ。一口食べれば、誰が本当のママにふさわしいか、きっと神様が教えてくれるわ」
レオが、その真っ赤な果実を口元へと運ぼうとする。
その瞬間、私の頭の中で何かが切れる音がした。
「――おやめなさいッ!!」
私はドレスの裾を翻し、弾丸のように駆け出した。
貴族たちが驚いて道を開ける中、私はレオの元へ滑り込み、彼の手から果実を叩き落とした。
べちゃり、と音を立てて、果実が地面に潰れる。
そこから溢れ出したのは、芳醇な果汁ではない。ドロリとした、鼻をつくような刺激臭を放つ液体だった。
「か、母様……?」
「大丈夫よ、レオ。怖かったわね」
私は震えるレオを背に隠し、ゆっくりと立ち上がった。
目の前のミイナを射抜くように見据える。私の視線に、ミイナは一瞬怯んだように後ずさったが、すぐに挑発的な笑みを浮かべた。
「あらあら、リディア様。せっかくの神からの贈り物を粗末にするなんて、罰が当たりますわよ? 嫉妬ですか? それとも、レオ様が私の味方になるのが怖いのかしら」
「……無知とは、これほどまでに罪深いものなのですね」
私の声は、自分でも驚くほど低く、静かだった。
「ミイナ様。あなたは、その『祝福の砂』とやらの成分を理解していて? それは高濃度の窒素化合物。適量なら薬になりますが、あなたがやったように過剰投与すれば、植物体内に硝酸態窒素として蓄積されます」
私は地面に落ちて変色し始めた果実を指さした。
「その果実は、毒の塊です。食べればチアノーゼを引き起こし、最悪の場合、幼い子供なら命を落とすこともある。……あなたは今、自分の功名心のために、レオに毒を盛ろうとしたのです」
私の指摘に、周囲の貴族たちが青ざめて後ずさる。
ミイナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「う、嘘よ! 予言書には、これは『楽園の食べ物』だと書いてあったわ! これは奇跡の技術なのよ! あなたが神の言葉を信じない異端者だから、そんな難癖をつけるのでしょう!?」
「いいえ、信じるからこそです。神が与えた自然の理を無視した行いは、必ず破滅を招く……それが、賢者の教えです」
私は一歩、また一歩とミイナに詰め寄る。
今、私はただの研究者ではない。子を脅かされた、一人の母親としての激情が、私を突き動かしていた。
「あなたは言いましたね。私の知識は偽物だと。……いいでしょう」
私は、集まった全ての貴族、そして駆けつけたアレクシスに向かって、高らかに宣言した。
「来週の建国祭。その式典の場で、公開討論会を開くことを提案します。あなたのその『神の叡智』と、私の『人の知恵』。どちらが真に帝国を救い、民を富ませるものか――白黒つけましょう」
ミイナが息を呑む。
しかし、引くに引けない彼女は、引きつった笑みを浮かべて頷いた。
「の、望むところですわ! その時こそ、神の怒りを知るといいでしょう、偽りの賢者妃!」
彼女は捨て台詞を残して逃げるように去っていった。
残された庭園で、私は足元のレオを抱き上げ、強く、強く抱きしめた。
「……絶対に、渡さない。この子も、この国の未来も」
私の背後で、アレクシスが静かに頷く気配がした。
夫の絶対的な支持と、母としての覚悟。
最強の武器を手にした賢者妃の、容赦なき反撃の時が来た。
彼女が夜会で披露する神の叡智の話は、刺激的で甘美だったからだ。
「リディア様のやり方は、あまりに古臭くて時間がかかりすぎますわ。私が授かった神の農法を使えば、作物は一晩で育ち、病気など祈りと聖水で消し飛びますのに」
ミイナは扇子で口元を隠し、取り巻きの貴族たちにそう囁く。
汗水垂らして土を耕すことの尊さを説く私に対し、彼女は「魔法のような効率化」を謳う。どちらが耳触りが良いかは、明白だった。
そして今日、彼女は後宮の庭園で、その奇跡の実演を行っていた。
集まった貴族たちの前には、数日前までただの苗木だった果樹が、不自然なほど青々とした葉を茂らせ、見たこともないほど巨大な赤い果実をたわわに実らせていた。
「ご覧ください! これが神より授かりし『祝福の砂』を与えた木です。本来なら三年かかる成長を、たった三日で成し遂げました!」
ミイナが得意げに掲げた小瓶には、青白く光る結晶の粉末が入っている。
貴族たちが「おお、素晴らしい!」「これぞ神の御業!」と歓声を上げる中、少し離れた回廊からその様子を見ていた私は、眉間の皺を深くした。
「……あれは」
「リディア、わかるか?」
隣に立つアレクシスの問いに、私は重々しく頷いた。
賢者の書庫の封印区画に記述があった。特定の鉱石を化学処理して作る、即効性の強力な肥料。現代で言うところの、高濃度の化学肥料に近いものだ。
だが、彼女の使い方は異常だった。あんな短期間で無理やり成長させるほどの量を投与すれば、土壌のバランスは崩壊し、その土地は二度と作物が育たない荒れ地になる。
「彼女は、土地を殺す気ですわ。それに……」
私が言いかけた、その時だった。
庭園の隅で遊んでいたレオが、騒ぎを聞きつけてトコトコとミイナの方へ近づいていった。
「あ、ミイナお姉ちゃん。すごいね、おっきなリンゴ!」
レオの無邪気な声に、ミイナが振り返る。
彼女の瞳に、獲物を見つけた蛇のような、冷ややかな光が走ったのを私は見逃さなかった。
彼女はしゃがみ込み、猫撫で声でレオに手招きをした。
「あら、レオ様。いいところに来ましたね。……ほら、ご覧なさい。これは神が選ばれし者に与える『奇跡の果実』ですよ。これを食べれば、レオ様も私のように賢くなれるの」
ミイナは木から巨大な赤い実をもぎ取ると、それをレオの小さな手に握らせようとした。
「さあ、お食べなさい。今のママが作るパンなんかより、ずっと甘くて美味しいから」
「ほんと?」
「ええ。一口食べれば、誰が本当のママにふさわしいか、きっと神様が教えてくれるわ」
レオが、その真っ赤な果実を口元へと運ぼうとする。
その瞬間、私の頭の中で何かが切れる音がした。
「――おやめなさいッ!!」
私はドレスの裾を翻し、弾丸のように駆け出した。
貴族たちが驚いて道を開ける中、私はレオの元へ滑り込み、彼の手から果実を叩き落とした。
べちゃり、と音を立てて、果実が地面に潰れる。
そこから溢れ出したのは、芳醇な果汁ではない。ドロリとした、鼻をつくような刺激臭を放つ液体だった。
「か、母様……?」
「大丈夫よ、レオ。怖かったわね」
私は震えるレオを背に隠し、ゆっくりと立ち上がった。
目の前のミイナを射抜くように見据える。私の視線に、ミイナは一瞬怯んだように後ずさったが、すぐに挑発的な笑みを浮かべた。
「あらあら、リディア様。せっかくの神からの贈り物を粗末にするなんて、罰が当たりますわよ? 嫉妬ですか? それとも、レオ様が私の味方になるのが怖いのかしら」
「……無知とは、これほどまでに罪深いものなのですね」
私の声は、自分でも驚くほど低く、静かだった。
「ミイナ様。あなたは、その『祝福の砂』とやらの成分を理解していて? それは高濃度の窒素化合物。適量なら薬になりますが、あなたがやったように過剰投与すれば、植物体内に硝酸態窒素として蓄積されます」
私は地面に落ちて変色し始めた果実を指さした。
「その果実は、毒の塊です。食べればチアノーゼを引き起こし、最悪の場合、幼い子供なら命を落とすこともある。……あなたは今、自分の功名心のために、レオに毒を盛ろうとしたのです」
私の指摘に、周囲の貴族たちが青ざめて後ずさる。
ミイナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「う、嘘よ! 予言書には、これは『楽園の食べ物』だと書いてあったわ! これは奇跡の技術なのよ! あなたが神の言葉を信じない異端者だから、そんな難癖をつけるのでしょう!?」
「いいえ、信じるからこそです。神が与えた自然の理を無視した行いは、必ず破滅を招く……それが、賢者の教えです」
私は一歩、また一歩とミイナに詰め寄る。
今、私はただの研究者ではない。子を脅かされた、一人の母親としての激情が、私を突き動かしていた。
「あなたは言いましたね。私の知識は偽物だと。……いいでしょう」
私は、集まった全ての貴族、そして駆けつけたアレクシスに向かって、高らかに宣言した。
「来週の建国祭。その式典の場で、公開討論会を開くことを提案します。あなたのその『神の叡智』と、私の『人の知恵』。どちらが真に帝国を救い、民を富ませるものか――白黒つけましょう」
ミイナが息を呑む。
しかし、引くに引けない彼女は、引きつった笑みを浮かべて頷いた。
「の、望むところですわ! その時こそ、神の怒りを知るといいでしょう、偽りの賢者妃!」
彼女は捨て台詞を残して逃げるように去っていった。
残された庭園で、私は足元のレオを抱き上げ、強く、強く抱きしめた。
「……絶対に、渡さない。この子も、この国の未来も」
私の背後で、アレクシスが静かに頷く気配がした。
夫の絶対的な支持と、母としての覚悟。
最強の武器を手にした賢者妃の、容赦なき反撃の時が来た。
あなたにおすすめの小説
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。
しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。
「離縁状の印が乾く前に、王太子殿下から花束が届きました」〜五年間「置物」と呼ばれた侯爵夫人、夫が青ざめるのは王家との縁が切れてからでした〜
まさき
恋愛
侯爵夫人として過ごした五年間、夫に名前を呼ばれたことが一度もなかった。
愛人を夜会に連れてきた翌朝、私は離縁状を置いて屋敷を出た。
夫は「すぐ戻る」と思っていたらしい。
でも届いたのは、王太子殿下からの白薔薇だった。
「五年、待ちすぎました。今度こそ私の隣に」
幼馴染の殿下は、いつも私を「アメリア」と呼んでくれた。
ただそれだけで、五年分の何かが、ほどけていった。
夫が全てを失うのはこれからの話。
私が本当の笑顔を取り戻すのも、これからの話。
【完結】私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜
恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」
不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。
結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、
「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。
元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。
独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場!
無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。
記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける!
※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる
物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
【コミカライズ決定】愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
【コミカライズ決定の情報が解禁されました】
※レーベル名、漫画家様はのちほどお知らせいたします。
※配信後は引き下げとなりますので、ご注意くださいませ。
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています
もちもちほっぺ
恋愛
侯爵家の地下室に住み、姉の食べかけで飢えをしのぎ、婚約者には初対面で「老婆のようだ、姉の方がよかった」と言われた令嬢リリアーナ。
ある日その婚約者に問答無用で公爵邸に連れ帰られた。
庭の恵みを口にするたびに肌が輝き、髪が艶めき、体に力が満ちていく。首に巻いたお守りの秘密、十数年続く国の不作の真実、虐げられ続けた令嬢の出生の謎。
全てが明かされる時、地下室令嬢の逆転劇が始まる。
なお婚約者は今日も庭でグルメリポートを最後まで聞いている。