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第五話:北の辺境と灰色の瞳
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王都を後にしてから、三週間が過ぎた。
荷馬車に揺られる日々は、私の想像を絶するほど過酷なものだった。舗装もされていない荒れた道は容赦なく体を打ちつけ、日に日に食料は尽きていく。夜は焚き火のわずかな温もりだけを頼りに、獣の遠吠えに怯えながら仮眠を取る毎日だった。
「父さん、お薬です。少しでも口にしてください」
父の容態は、良くも悪くもならず、ただ静かに衰弱の一途を辿っていた。意識は朦朧とし、時折、私の名をか細く呼ぶだけ。私は道中で見つけたなけなしの薬草を煎じては、彼の唇を湿らせることしかできなかった。
「クララ……すまない……」
父がうわ言のように繰り返す謝罪の言葉が、私の胸を締め付ける。
違うのです、父さん。
謝らなければいけないのは、私の方なのに。
そして、長い旅路の果てに、私たちはついに北の峠を越えた。
眼下に広がる光景に、私は息をのむ。そこは、王都の華やかさとは何もかもが違う、荒涼とした世界だった。ごつごつとした岩肌の山々、痩せた大地、そして谷間には、まるで生き物のように灰色の霧が渦巻いている。
「あれが……スターリング領……」
御者が唾を飲み込む音が聞こえた。長い旅の終わりと、本当の始まりが、同時にやってきたのだ。
領地へと続く道を進むと、私たちはすぐに噂の「魔霧」に包まれた。ひんやりと湿った空気が肌を撫で、視界は瞬く間に白く閉ざされる。気味の悪い静寂の中、馬のいななきだけが響いた。
「へ、へんてこな霧だ……なんだか息が詰まるぜ」
御者が不安そうに呟く。だが、私は恐怖よりも先に、別の感覚を覚えていた。
この霧には、何かが含まれている。ただの水蒸気ではない。肌を刺すような微かな刺激、そして、嗅いだことのない植物と鉱物が混じり合ったような、特有の匂い。
父の手記にあった通りだ。ここは、薬師にとって聖地にも、地獄にもなりうる場所なのだ。
霧を抜けた先に、ようやく小さな村が見えてきた。しかし、そこに暮らす人々の姿を見て、私の心は再び冷えていく。誰もが痩せこけ、土気色の顔で、ぼろをまとっている。彼らは遠巻きに私たちの荷馬車を眺めるだけで、その瞳には深い疲労と、よそ者へのあからさまな警戒心だけが浮かんでいた。
「あのう、どなたか……」
声をかけても、誰も答えず、さっと家の中に姿を隠してしまう。
途方に暮れ、荷馬車のそばで立ち尽くしていると、背後から地響きのような馬の蹄の音が聞こえた。
振り返ると、数人の従者を連れた、一人の男が馬に乗ってこちらに向かってくるところだった。風にはためく黒いマント、陽光を弾く銀色の髪、そして、全てを見透かすような、鋭い灰色の瞳。厳しく引き結ばれた口元は、彼が容易な人物ではないことを物語っていた。
男は私たちの目の前で馬を止め、その馬上から、値踏みするように私たちを見下ろした。
「何者だ」
低く、温度のない声が響く。
「こんな場所へ、何の用だ」
彼の厳しい視線が、荷馬車で弱々しく咳き込む父に向けられる。私は父をかばうように一歩前に出て、必死に声を絞り出した。
「わ、私どもは旅の者で……薬師です! この地で、病に苦しむ父を療養させたく……」
だが、男の灰色の瞳は微塵も揺るがない。彼はまるで、私の言葉の裏にある嘘と真実を、全て見抜いているかのようだった。
「薬師、だと?」
男――この地の領主、リアン・スターリングは、嘲るでもなく、ただ静かに、冷たい声でそう繰り返した。
彼の瞳が、私という存在そのものを拒絶している。それが、痛いほどに伝わってきた。
荷馬車に揺られる日々は、私の想像を絶するほど過酷なものだった。舗装もされていない荒れた道は容赦なく体を打ちつけ、日に日に食料は尽きていく。夜は焚き火のわずかな温もりだけを頼りに、獣の遠吠えに怯えながら仮眠を取る毎日だった。
「父さん、お薬です。少しでも口にしてください」
父の容態は、良くも悪くもならず、ただ静かに衰弱の一途を辿っていた。意識は朦朧とし、時折、私の名をか細く呼ぶだけ。私は道中で見つけたなけなしの薬草を煎じては、彼の唇を湿らせることしかできなかった。
「クララ……すまない……」
父がうわ言のように繰り返す謝罪の言葉が、私の胸を締め付ける。
違うのです、父さん。
謝らなければいけないのは、私の方なのに。
そして、長い旅路の果てに、私たちはついに北の峠を越えた。
眼下に広がる光景に、私は息をのむ。そこは、王都の華やかさとは何もかもが違う、荒涼とした世界だった。ごつごつとした岩肌の山々、痩せた大地、そして谷間には、まるで生き物のように灰色の霧が渦巻いている。
「あれが……スターリング領……」
御者が唾を飲み込む音が聞こえた。長い旅の終わりと、本当の始まりが、同時にやってきたのだ。
領地へと続く道を進むと、私たちはすぐに噂の「魔霧」に包まれた。ひんやりと湿った空気が肌を撫で、視界は瞬く間に白く閉ざされる。気味の悪い静寂の中、馬のいななきだけが響いた。
「へ、へんてこな霧だ……なんだか息が詰まるぜ」
御者が不安そうに呟く。だが、私は恐怖よりも先に、別の感覚を覚えていた。
この霧には、何かが含まれている。ただの水蒸気ではない。肌を刺すような微かな刺激、そして、嗅いだことのない植物と鉱物が混じり合ったような、特有の匂い。
父の手記にあった通りだ。ここは、薬師にとって聖地にも、地獄にもなりうる場所なのだ。
霧を抜けた先に、ようやく小さな村が見えてきた。しかし、そこに暮らす人々の姿を見て、私の心は再び冷えていく。誰もが痩せこけ、土気色の顔で、ぼろをまとっている。彼らは遠巻きに私たちの荷馬車を眺めるだけで、その瞳には深い疲労と、よそ者へのあからさまな警戒心だけが浮かんでいた。
「あのう、どなたか……」
声をかけても、誰も答えず、さっと家の中に姿を隠してしまう。
途方に暮れ、荷馬車のそばで立ち尽くしていると、背後から地響きのような馬の蹄の音が聞こえた。
振り返ると、数人の従者を連れた、一人の男が馬に乗ってこちらに向かってくるところだった。風にはためく黒いマント、陽光を弾く銀色の髪、そして、全てを見透かすような、鋭い灰色の瞳。厳しく引き結ばれた口元は、彼が容易な人物ではないことを物語っていた。
男は私たちの目の前で馬を止め、その馬上から、値踏みするように私たちを見下ろした。
「何者だ」
低く、温度のない声が響く。
「こんな場所へ、何の用だ」
彼の厳しい視線が、荷馬車で弱々しく咳き込む父に向けられる。私は父をかばうように一歩前に出て、必死に声を絞り出した。
「わ、私どもは旅の者で……薬師です! この地で、病に苦しむ父を療養させたく……」
だが、男の灰色の瞳は微塵も揺るがない。彼はまるで、私の言葉の裏にある嘘と真実を、全て見抜いているかのようだった。
「薬師、だと?」
男――この地の領主、リアン・スターリングは、嘲るでもなく、ただ静かに、冷たい声でそう繰り返した。
彼の瞳が、私という存在そのものを拒絶している。それが、痛いほどに伝わってきた。
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