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山南さん脱走事件

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 血に塗れ薄汚れたこんな俺でも、愛とかいう言葉の意味を探してみていいのだろうか。ふとそんなことを思うときがあるんだ――。

 季節は流れ、春。

「山南さんが失踪した」

 という騒ぎが起こった。維新志士どもに人質にでもとられたか? などの憶測が新撰組内でまわり、局長はじめ俺たちは心配した。

 三日ほどたってから「山南さんは常々故郷へ戻りたいと話してた」と、一人の隊士が言いにくそうに告げ口をした。近藤さんから報酬が出た。

 自分可愛さに恩人を売ったか。沖田はそういうの好きじゃねえことわかってきたからそいつはあとで痛い目見るのは確実だろう。沖田が芹沢さんにしたのも裏切りといえばそれまでだが、芹沢さんに可愛がられていたがもともと近藤さんとの昔からの絆が深いうえでのことだがこいつは違う。とくに山南さんに腰巾着のようにがっつり懐いて山南さんに気に入られ助手みてえな役職にのし上がったような野郎だ。もし山南さんが故郷へ帰るため脱走したというそれが、

 “リアル”だったのなら、気の毒だが無事じゃ済まされねえだろう。

 ちなみに道行く外人が我々の旗を指差してきて「リアル、リアル!」と目を剥いていたことで疑問に思い、「りあるとはなんのことだ?」と問い詰めたときに覚えた横文字だ。

「酷だが。見つけて従わぬならその場で斬れ」という近藤さんの命に対し、

「はい」と即返事したのは沖田だった。

 山南さんが新撰組を脱走し、居所がだいたい割れている以上探すというより連れ戻せという役割は俺と沖田が任された。

「なにも殺すことはないと思うんだが。抵抗したから処罰したってことにして山南さんのことは逃さぬか?」

 と、俺は沖田を横目に言ってみた。

「半分同意だ」

「ふ、半分か。ならその残りの半分の意見をきこう」

「隊士への見せしめもあるだろうな。近藤さんからは武士でありたい気概が伝わるだろう。生まれも武家の侍に小馬鹿にされてるのを常に感じてんだ。規律を守るなら誰であろうと同じように切腹させなければ」

 旅路の途中で祭があり、屋台で賑わっていた。

 何か食って腹ごしらえしてからゆくかと言う話になり立ち寄ると、いかの姿焼を買おうと並ぶ。偶然にも満足気にすぐかぶりついていた前の客は見覚えのある顔だった。

 探し人の山南さんはそこにいた。

「山南さん」

 と、呼びながら沖田が肩を軽く叩く。当然首だけで振り返った当人はみるみるうちに青い顔になった。

「帰りますよ」

 と沖田がいたってこれまで普通に山南さんと会話する柔らかい口調で言うと、山南さんは黙ってうなずいた。

 屯所に連れ戻ってから間もなく、山南さんは切腹させられた。

 告げ口をした人物は間もなく何者かに斬られて屯所の敷地内で見つかった。死体の切り傷は沖田に斬られたときの特徴だった。

 そんなことがあった数日後、俺は首元に刀の刃でないほうをつきつけられた。まさか……な。

 だが俺はそのままあのときと同じように例の空き家に連れられた。外は真っ昼間なせいかところどころ陽が差し込んでいる。
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