【進路には勝てないと悟った調理師志望女子のゴールデンウィーク】

カズト チガサキ

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三日目

第11話 三日目 2/2

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 ビル校舎の自動ドアをくぐり出るときも、私の気分はまだ晴れなかった。
 その足でスーパーに寄る道すがら、今日の実習と、明日からの実習のことを思った。

 とっきー先輩曰く、明日も同じ品目が課される。そこでの課題は手際の遅さを改善すること、だ。

 じゃあ晩御飯はハンバーグとポテトサラダにしよう。少しでも練習して、明日までに手順をたたき込まなくちゃ。

「出来ることはしないとっ」

 スーパーに到着。買うものはすでに決まってるから迷うことないけど、考えることがなさすぎて退屈だった。

(挽き肉は麻婆茄子豆腐でストック切らしちゃったはず。買い足さなくっちゃ)
(ハンバーグソース用の調味料……は大丈夫だよね。初日に買ってあるし)
(ああ、あと野菜だ、ポテトサラダ用に必要なものは……いや、野菜も充分足りてるんだったっけ)

 たしか調味料も野菜も、昨日シンタローと買いに行ってたんだっけ。空っぽで寂しかった冷蔵庫のために、ストック多めに買うんだって。

(……なーんだ。まだそれなりに余りがあるなら、明日は買いに来なくていいかもね)

 お会計を済ましてレジを過ぎる。結局、私は挽き肉以外たいしたものを買わずに店を出た。

 普段なら、今日は何にしようかな~とまったり食材を手に取ったり眺めたりする。
 そうするうちに、私の中でピカッと電球が閃くの。

 その電球が照らす晩御飯を作れば、食べた人は喜んでくれる。
 お母さんやお父さんの笑顔が自然と思い描かれて、自分の料理に確信が持てる。

 だから、昔はしょっちゅう怒られてたな。たっくさん食べてもらいたくて、つい買い過ぎて、作り過ぎて。お父さんはしきりに食費が、食費がぁ~って唸ってた。

 だけど、今日の買い物はレジ袋一個で事足りちゃった。それがちょっぴりもの悲しいというか。

(食材が余ってるんだからっ、買う必要ないのは当たり前)

 そう、当たり前のはず。シンタローの家に来る前だって、ちょっと買い足すだけの日はあった。

 なのに今日は、何かが胸に引っかかったままレジを通っただ。灰汁ごと鍋をかき混ぜたときみたいに、なんかもやもやする。

 もやもやを抱えたまま、ついにシンタローの部屋まで帰り着いちゃった。整理がつかないまま玄関ドアノブに手をかける。

 がつっ。あれ? 当然開くと思っていたドアが、思いがけない手ごたえを見せる。手に返ってくる感触は固く、このまま引っ張ったってドアは決して開かないとわかる。

「シンタロー……私にカギ渡しそびれたんだ……もぅ」

 とりあえずスマホにメッセージ送って抗議する。あとは特にできることもないので、私はしばらく途方にくれるのだった。


――――――――


 振り向いた彼方の空に、影のように暗く濃い藍色が落とされる。玄関前という立ち位置的にマンションに阻まれて望めないが、その向こう側では、きっと鮮やかな夕陽が地平線の下へと落ちているのだろう。

 そろそろ遅めの夕暮れ時だというのに、玄関はいまだしっかりと施錠されていた。閉じたドアの奥に日乃実ちゃんの気配もない。

「日乃実ちゃん、まだ帰ってきてないのか……?」

 鍵を開けて部屋を歩くが、どこにも姿が見当たらない。実習が長引きでもしたのだろうか。

 玄関に彼女の靴もないし、やはり――――あ。

 僕は靴入れより上、玄関端の棚にそれを見つけてしまった。
 日乃実ちゃんに預ける予定だった、キーホルダーのように括り付けられる金具付きの、玄関の鍵。

「もしや渡しそびれた? ……としたら日乃実ちゃんは今どこに?」

 僕も年なのだろうか。忘れないようにと、わざわざ玄関に用意していたのにも関わらずの失態。

 ズボンのポケットからスマホを取り出す。心配になって電源を付けたそのとき、玄関ドアが勢い良く開いた。

「ここだよシンタローっ! たっだいまー」

 開かれたドアの向こうには小ぶりな買い物袋を下げ、ピースを掲げて堂々の帰宅をせしめる少女。その笑顔に不機嫌の色はなさそうで、僕は安堵する。

「お、おかえり……」
「『お、おかえり』じゃないって。な~に~かーっ、大事なこと忘れてないっ?」
「ああこれだな。忘れないうちに渡しとくよ」

 ピースする指に棚の鍵を引っ掛けてやる。

「っもぅ、呆れた。シンタローのせいで晩ごはんの準備が全部今からしないとなんだよっ? そこんとこ、申し訳なく思っといてよ?」
「ごめんごめん」

 どうやら鍵は財布に取り付けとくらしい。これで明日から忘れることもないだろう。

「でもまっ、ちょうどいいか。シンタローはお風呂入っといでよっ。今日はその間にパパっと作っちゃうから」
「ん、ああ……」

 そんなすぐに作れるもんなのか? と訊こうと思ってやめた。今までのボリューミーな料理たちのことを思い浮かべると、パパッと作ったという感じでもない。

 気を遣わせてしまったな。疲れた身体に風呂という提案も悪くないし、お言葉に甘えて入浴準備に取りかかる。

 二日ぶりに浴槽を洗ってやり、あとは自動で湯が満ちるのを待つ。

 そうだ、風呂が沸くまでに記事の組み立てだけでも済ませてしまおう。
 こういうのは、取材のやり取りが新鮮な記憶として残っているうちにやっておくものだ。考えるコストも減って、あとの作業がぐっと楽になる。

 洗面から書斎に向かう途中の廊下から、調理支度中の日乃実ちゃんの様子をちらりと見ると、彼女は挽き肉と野菜をいくらか調理台に並べているところだった。

「もう遅いし、そんな凝ったものを作ってくれなくてもいいんだぞ?」

 空模様はすでに夕方から夜に変わり果てた。どうせ仕事が残っているので、僕としれは少しくらい遅めの晩ごはんでもかまわないけど、日乃実ちゃんはその限りではないだろう。

「いいのいいのっ、私が作りたくて作ってるんだからっ。……それに……」
「? それに?」

 言いかけて、支度をしていた手が止まる。

「誰のせいで遅いんだってハナシだしっ」
「ぐっ……それは、すみませんでした」

 ぷははっ、と笑い飛ばされる始末。もう全部全部お言葉に甘えて風呂も入るし美味しいモノを作ってもらおう。

 書斎で記事作成の準備に取りかかる。いつも通りパソコンの起動を待っていると、いつもの料理中の物音が書斎まで聞こえてきた。

 その音に耳を傾けているとき、ふとこれからの話が脳裏をよぎった。
 日乃実ちゃんがここへ来て今日で三日目だ。あと二日で彼女は地元へ帰るという事実。

 あっという間だった、と思う。

 彼女とは一時的な上京が始まる以前から多少のやり取りはあったので、実際に出会ってからの三日間よりも知り合ってからの期間は長い。

 にも関わらず、あっという間だったと感じずにはいらない。日乃実ちゃんをそばで見守っていたこの三日間だけでも、そんな感慨に耽るだけの鮮やかさがあったと思えてしまう。

 勝手に聞こえてくるだけのはずだった料理の物音が、僕の中で名残惜しいモノへと変わる。

 野菜に刃が通る音。
 包丁がまな板を叩いて響く。
 注意深い一拍の後、熱で水滴が迸る。おそらくは肉を焼いている。

 僕以外の誰かが、僕のために手を動かしてくれている。

 一人暮らしではまずあり得ない、そんな温かい気配が、二十余年を一人で過ごしていたはずの部屋に今はある。

 他人の娘を預かれと聞いて懸念も悩みもあったが、そんなものはこれまでの人生からは得難かった温もり、日々の施しのありがたさに悉く吹き飛んでいった。

 正直、日乃実ちゃんとの生活が惜しくなる。自分のご飯をもうしばらくの間だけ作ってほしいと考えてしまう。いや、絶対に言葉にはしないが。

 ……落ち着こう。明日と明後日の実習が終われば日乃実ちゃんは地元へと帰る。ならばできるだけ、それまでの時間を大事にすればいいんだ。

 頭が冷えた頃、パソコンが十全に起動完了した。作業をこなしつつも、キッチンにいる日乃実ちゃんの気配に自然と意識が向く。

 どうやら火を扱ってるらしく、熱せられた水分の破裂音が旨味を想起させた。
 さらに並行して野菜でも切っているのか、さきほどからずっと包丁が忙しく鳴り続けている。

 ゆったり楽しげに作っていた昨日までとは異なり、少し慌ただしく聞こえる。ゴキゲンな鼻唄もなかった。

(これはあれだな。鍵を渡しそびれたせいだな、きっと。僕からは何も言わんとこう)

 僕は仕事、日乃実ちゃんは料理、自動で沸かされる風呂。しばらくの間、それぞれが作業を進めていた。

「はいできたっ! シンタローどうする? ごはんオアおふろ、だよっ」

 キッチンから溌剌と声が飛ぶ。取り組んでいた構成の作業もキリが良かったので、答えは決まり切っていた。

 作業画面はスリープにして、伸びをしつつキッチンへ歩く。

「それじゃあ、出来立てのうちにいただきたく――」

 ――ピーッ。ほぼ同時に風呂が沸いたようだ。

「……どうする?」
「いや、先にご飯で。せっかく美味しそうなんで」

 キッチンには大皿と小皿でハンバーグとポテトサラダが用意されていた。

 ハンバーグを覆うトマトソースは自分で調合したのだろうか、良い色味だ。ポテトサラダもなかなか手間がかかるだろうに、ハンバーグと合うってことでせっせと作ってくれたのだろう。

「急いでたから、若干品薄というか……具体的にぶっちゃけると、みそ汁が作れてないんだよね」

 日乃実ちゃんは頭を搔いて、参っちゃったねー、なんて素振りをしているが、目の前にはポテトサラダとトマトソースハンバーグの二品。

「これだけ用意してくれただけでも幸せもんだって」

 素直にそう思える。まぁ万が一ボリューム不足でも、そこは豆腐ときゅうりがあれば腹は膨れる。

 テーブルに二人で手料理を並べていく。途中、余っていた白米をレンジで温め直し、それから僕は野菜室の豆腐パックを漁った。

「あ……そうか、日乃実ちゃん」
「んー?どしたの」
「もしや豆腐って使い切っちゃった?」
「…………。あちゃー私ってば買い忘れちゃった。せーっかくスーパー寄って帰ったのにっ」

 昨日は麻婆茄子豆腐だったので、おそらくそのときからなくなってたのだろう。僕は豆腐を諦めた。

 というか豆腐などなくとも、ハンバーグとポテトサラダ、あと白米があれば、結局は満足なのだ。

「「いただきます」」

 今日も今日とて、日乃実ちゃんの手料理はどれもが筆舌し難いほどに美味しい。

 一つだけ、変わったところがあるとすれば。

「そ、そうかなっ。ならオッケーなんだけど」
「え、何その反応。実は塩と砂糖間違えてたり……」
「それはベタすぎ。さすがにない」

 美味しいと言われて、日乃実ちゃんはなぜかしどろもどろになる。普段の彼女の反応としては、胸を張るか照れドヤるかの二択くらいなのだが。

「味付けとかジャガイモの潰し加減とかがね、ちょ~っと詰めが甘かったかな~……なんて思ったり?」
「なるほど、急いで作ってくれていたわけだ。でも美味しいんだから堂々としていればいいんだって」

 彼女はイタズラがバレなかった子供みたいなカオをするので、ハンバーグをもう一切れ口に運んでやる。

 うん、やっぱり美味しい。普通に自信を持っていいだろうに。

「実習で何かあったのかいね?」
「エ″ッ!? なんでっ」
 なぜか驚いて箸を取り落とす。
「玄関に着いてからメッセージが届くにしてはずいぶん遅かったからさ、居残り実習でもあったのかと思って」
「あ、なにそーいうことねっ、あーねっ! そういうんじゃないよ…………多分、居残りとかしてまで私ばかり面倒見てらんないだろうしっ」

 箸を拾おうと面が下を向く。その表情は見えなかった。

「じゃあ日乃実ちゃんクイズ第三問っ。シンタローに締め出され途方に暮れた私は、一体どこで身を休めることが出来たのでしょーかっ?」
「料理以外でもやるんだ? その遊び」

 食べ終わる頃には、日乃実ちゃんにいつもの清々しさが戻っているようだった。

 曰く、「だってホント美味しそうに食べてくれるんだもんっ」とのこと。そんな傍目にもわかりやすいほど美味しそうに食べていたか、僕は。

 二人で食器を片付ける。僕が最後の食器を運んだときには、日乃実ちゃんは洗い物を始めていた。

「片付けご苦労っ。お風呂、先入ってていいよっ」

 こんな日が、あと二日で終わってしまうのか。
 いや、ゴールデンウィーク最終日は半日で帰る予定らしいから、もっと正確には一日半か。

「じゃあ、お言葉に甘えて。でもまぁ、なるべく早くに明け渡すよ、浴槽」

 とはいえ、日乃実ちゃんの実習は残っているし、本当に調理師科に進学するかどうかも、まだ日乃実ちゃんの口からハッキリ聞いたわけじゃない。

 大事な話だ。いますぐ決断できずともいい。

 ただ、ゴールデンウィーク期間だけと言わず、その決断を最後まで一緒に考えてあげられる立場でいたいと、このとき密かに思っていた。
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