宙の蜜屋さん

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候補生

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巻き直しが終わり、小さく息を吐いた。
詰めていたものが抜け、とりあえず紐で欠片を結わく。
籠に入れ直し、その場にいた3人の視線が手元に来ていたことに気付く。

終わったらと言ったのは私だけど。
でも、こんなにじっと待たれること?
何か、ごめんなさい。

え?
気まずい。
ただの作業なのに、待たせていたことを少しだけ後悔する。
「すみません」

「いいえ。変わらず、お見事な工程でした。では、ノア…」
ランの声に、ノアさんが『あぁ』とエリザさんを政務机側に誘導する。
私も、作業机から離れてノアさんのテリトリーに近付く。
昨日、増えたばかりの広がった空間。

不思議な気持ちになる。
同じ空間なのに、少しの違和感。
あれ?
これって、どこかで見たような。

同じ空間のはずなのに、違うように感じること。
この空間、この作業場でのこと。
でも、昨日ではない…。

何か既視感。
思い出せないけれど…。
最近、こういうことが増えた。

でも、それでも流れていくのだろう。
気にしているけれど、紡ぐことには関係ないことだから。
紡ぐことしか、私には出来ないから。
そう、私にはそれしか出来ない。

「早速だが、エリザ?先ほどのクローツ殿の件は、いつ頃聞いたことだ?」
ノアさんの言葉に、エリザさんは少し視線を彷徨わせる。
わたくしが学園に通う頃には、耳に覚えがありましたわ」

この世界では、貴族たちの学校がある。
勿論、平民も通える。
でも、それは裕福な一部の子ども達だけだ。
私のような、平民には無縁の場所。

そこは、6歳から通うことが出来る。
エリザさんは、学園に通いながら紡ぎ司の見習いを並行していたということ?
すごいなぁ。
私は紡ぎ司の見習い生と候補生しかしていない。
学園に通うこともなかった。

あ、候補生の時に、本部の人に言われたか。
『学園に特待生として通えるが?』と。
その時は11歳。
即答で「行きません」って言ったなぁ。

だって、学びたいことがないのに、学園に行ってもねぇ?
それに、何か場違いな私が行っても浮きそうだし。
平民は、邪魔にされそう。
あ、違う偏見だ。

ランみたいな人もいるはずだ。
平民でも、差別しない人。
だけど、それはこの4年で知って覚えたこと。

と、いけないいけない。
また1人で考えてしまう所だった。
これは、もう癖だろう?

エリザさんは、今年で16歳と言っていた。
そのエリザさんが、学園に行く頃ということは10年位は前ということ?
計算ができないのも、平民だから仕方ないけど。

あ、そんなことを言うと商家に嫁いだ姉に怒られてしまう。
平民でも、計算はできるのだと。
努力次第なだけのこと。
『ともかく』というノアさんの声で再度意識を戻す。

「クローツ殿の任期は確か2年ギリギリだったはずだ。辞める前の数ヶ月は散々で、その後の消息も今では静かなものだ。ということは、見習い生の時にはすでに、神聖な紡ぎ司を侮っていたということになるな」

ノアさんの言葉に首を傾げる。
「侮る?」
私の呟きに、ノアさんは頷いた。
「侮っている以外の何物でもない発言だ。誰が紡いでも同じなどと、そんな眉唾話を信じるとは…」
ノアさんの視線に、エリザさんは少しだけ視線を下にした。

「それをそのまま鵜呑みにする人間も同様」
ランの言葉は、ずっと固い。
エリザさんの表情もずっと硬い。

気まずい空間。
候補生の時を思い出す。
いつでも、空気が重く何が正解なのか分からない。
だけど、紡ぐことだけは絶対だった。
日々紡ぐことは、間違いがなかったから。

紡いでいれば、それで良かった。
だから、私は毎日繰り返し紡いでいた。
いや、それしかできなかった・・・・・・
ノアさんの咳払いで、我に返る。

「そもそも、紡ぎ司が1人で全ての作業を行う必要はない。欠片の加工や処理も、本部に資格持ちがいるからな」
そうだ。
西の地の宙屋には、たくさんの人がいる。
巻き直しや蜜抜きの処理、糸の加工など。
それぞれの、職人とでもいうのだろうか?
色々な人達が分担して作業を行っているはずだ。

だけど、私は1人の方が気が楽だ。
それは東の地で効率の良い紡ぎ方と、無駄のない処理作業を習得できたから。
候補生時代の忙しい時間は、とても有意義な時間だった。

「サーヤが東の地で行っていたことは、紡ぎ司の仕事量を遥かに超えるものばかりだ」
ランの言葉に、今更だが“まさか”と思う私。
「そんなことは…」
「いや、ランの言う通りだ」
はっきりとしたノアさんの言葉。

「…そうなんですか?」
あの地では、当たり前と言われていたのに?
「そもそも、その時の紡ぎ司がクローツ殿だったからな」

「そうでしたっけ?」
あの、無茶振り紡ぎ司が?
厳しくて、細かくて、注意事項ばかりだった、あの?
もう、顔も思い出せないけど。
それが、エリザさんのおじさん…。

「これだからな、サーヤは」
ランの言葉に、『え?』と隣にいたランを見る。
「丸々2年の記憶すら、過ぎてしまったらそれで良いんだものな…」
「…何かゴメン」

「良いですよ。俺とのことを忘れないでくれれば…」
「忘れないよ?」
もう4年も一緒にいたんだし。
「どうだか?」

ランの意地悪な言葉。
思わず口を尖らせた。
これじゃ、まるであの幼馴染じゃないか。
薄情者みたいな扱いはやめてよね。

「すみません。公私混同しました」
ランがノアさんとエリザさんを見て、少しだけ咳払いした。
「サーヤが候補生の時の紡ぎ司が、クローツ殿だったのは、偶然?」
どうなんだろ?

だけど、不思議な縁。
「そうですわ!確か、おじさまが紡ぎ司をしていた2年は、とても東の地が潤っていたとわたくしも聞きました」
「…それは、全部サーヤのおかげだ。サーヤが候補生で紡いだことが、とても評価されたんだ。表向きは、クローツ殿の功績として。彼の者たちには、誰が紡いだなどとすぐに分かることだから」

そうなんだ?
ていうか、『かのもの』って誰?
本部の人じゃないの?
西の地の、格式の高い誰かのこと?

「サーヤに、このまま候補生をさせておくのはよくないと、数ヶ月の間サーヤを東の地から西の地で研修に入ってもらっただろう?」
「…はい」
北の地に紡ぎ司として来るまで、1~2ヶ月だけ。
思い出しても、不思議な時間。

イジメなどなかった。
幼馴染のおかげで、私も気まずいのだろうと思い込んでいた。
でも実際、気まずさは感じなかった。
格式の高い人たちは、確かに気難しいことを言っていたけれど理不尽ではなかった。

東の地での候補生のような、理不尽だと思うような時間は訪れなかった。
西の地の人達も、私に対して差別するようなことはなかったと思うし。
だって、西の地の人は毎日気にしないように私に声をかけてきた。
忙しいはずなのに…。

紡ぐことも、お祈りも日々の清掃や片付けなども平気だった。
本部の人と過ごす時間が、ただ長いなぁと感じていた。
途中で急に来る「お茶」という時間。
私は作業をしたいのに。

本当に、不思議な時間。
会話などない、のんびりとした空間。
ただ、過ごすだけの時間。
あれは、後にも先にも分からなかった時間だ。

だけど、定期的に誘われる。
いや、誘うという名の命令だったはずだ。
それに付き添い、ただ1時間程度お茶を飲む時間。
おばあちゃんや、おじいちゃん達と一緒に。

今でこそ、ほんわかして思い出せるけど。
あの頃の私は、ただただ言われるまま動いてた。
言われたことに、頷いたり首を傾げたり。
それを、過ごすのみ。

そして、『さぁ、終わりにしましょうか』と言われるまで、じっとしているのみ。
「サーヤ?」
ランの言葉に、ハッとする。

「サーヤがいたことで受けた恩恵、それでクローツ殿は紡ぎ司として大分良い思いをしていたからな。本人は紡いでいないのにも関わらず、だが?」
ノアさんの言葉に、エリザさんが驚いた顔をする。

「それは…」
「それに、残りの数ヶ月はサーヤがいなくなったことで、他の候補生に厳しく“指導した”ことが問題視されて、紡ぎ司を解任されている」

解任?
私がこの地に来て、すぐに紡ぎ司を退いたのは引退ではなく…。
「厳しく、とは?」
私の声が、少しだけ遠く感じる。
「うまく紡げない見習い生や候補生に罵声を浴びせたり、修行や躾と称して体罰もあったのだろう」
ノアさんの厳しい口調は変わらない。
その視線はエリザさんにだけ注がれている。

「ですが…」
エリザさんは悲しそうなままだ。
「君がどういう話を聞いているのかは知らない。だが、クローツ殿は確かに本部から解任の意を伝えて、降りてもらった。紡ぎ司としての資格など、とうに失っていたのだから当然のことだが」
「そんな…」

「エリザ?君は本気で紡ぎ司になりたいと思っているのか?それとも、その先にある未来のために通過だけすれば良いと思ってここに来たのか?」
ノアさんの言葉に、悲しそうだったエリザさんが顔を真っ赤にさせた。

わたくしは、紡ぎ司になるために来ましたわ!おじさまのような、立派な紡ぎ司になりたいと…。私の産まれた地を豊かにするために、ここに来たのですから!」
「ならば、来月の上弦の儀を改めて紡ぎ直しなさい」
ノアさんではない、はっきりとしたランの言葉。

「そうしなければ、資格など有することはできない」
ランの言葉に、エリザさんは今度は真っ青になった。
「…そんな」
「君が候補生となったのは、君が虚偽の申請をしたからとなっている」

「虚偽なんて!」
「しただろう?サーヤが紡いだ上弦を、自分が紡いだように申請した」
「いいえ、わたくしは『上限はきちんと紡がれた』としか言ってませんわ」
「サーヤが紡いだ上弦が、だろう?」
「…そう、ですわ」

「それじゃ、意味がないんだ」
「何でですの?」
「エリザ?何のために、上弦の儀があると思う?」
「技術を認めてもらうためではないんですの?」
「誰に?」
「誰、に…?とは」

ノアさんとエリザさんのやりとりは、ずっとピリピリしている。
『聞きたい』と言ったのは私なのに、どうしよう。
…もう、飽きてきちゃった。

「サーヤ」
ランの声に、ビクッとする。
「ノア、エリザ、その話はまだ続く?」
ランの雰囲気の変わった声。
驚いたのは2人も同じだろう。

「もっと簡潔に。…サーヤが、眠そうだ」
「はぁ?」
よりにもよって、子どもみたいなことを。
「…眠そう?」

ほら、ノアさんも困ってる。
「知らないのか?紡ぎ司は、その膨大な処理に魔力と体力を持っていかれる。だから意味のない会話や、無駄なお喋りに割く時間なんて何もないんだ」

「無駄?」
ノアさんは不機嫌そうになった。
「…意味のない?」
エリザさんも、怒って、る?

ばっさり。
大事な話をしていたはずなのに。
てか、私魔力なんてないよ。
知ってるはずなのに。
ランは、おかしいことを言う。

「ラン?」
「良いですから、サーヤはそのままで」
何でさ?
また、仲間外れ?

「じゃあ、結論の前段階から伝えよう。エリザ?紡ぎ司は、各地に数多いる者たちに認められないと、紡ぐことを認められない」
「何でですの?」
「それが、“資格”だからだ。彼の者たちに認められないと、紡ぎ司など到底できないと思え」

「じゃあ、わたくしはどうすれば良いんですの?」
「本題だ。来月の上弦の儀を紡ぐんだ」
エリザさんは、また顔を強張らせた。

「じゃあ、お喋りの時間に戻ろうか」
ノアさんの笑顔が怖い。
というか言ったのランじゃん。
無駄とか、意味がないとか。

「補足だが、エリザ?今の東の地の現状を知っているか?」
ノアさんの言葉に、エリザさんは首を振った。
「実際に、東の地では現在“紡ぎ司”はいるものの、候補生や見習い生総出で日々交代で紡いでいる。これでは、紡ぎ司を名乗ることはできない」

え?
どういうこと?
候補生の頃、私がほとんど紡いでいたのに?
「ノア、サーヤには…」

ランの言葉に、ノアさんがハッとした。
え?
私が何?

「何ですか?私が何かしましたか?」
自分の知らない内に、何かやってしまっていたのだろうか?
しかも、ランは知ってる口調だ。
どうして?

「サーヤが、東の地で評価を上げ過ぎたということだ」
ノアさんの言葉に、今度は私が首を傾げた。
「…はい?」
上げ過ぎた?
何がさ?

「それは、追々話していこう」
ノアさんは、歪めた表情を元に戻した。
「サーヤが、ちゃんと元気な時に、だが」
「…すみません」

「それで、エリザ?クローツ殿のことは、どこまで知っている?」
「どこまで?とは?」
「エリザが幼少期には、すでに紡ぎ司を自分の意に出来ると思っていたのだろうが…。辞めた後のことは?」

「…はい。紡ぎ司を辞めてから、おじ様は以前のおじ様とは変わってしまいましたもの…」
エリザさんの言葉は、悲しそうだった。
「だから、わたくしは紡ぎ司になって、おじ様に元気になっていただきたくて…」
なるほど。

「ならば、尚更避けては通れない道だ」
ランのしっかりとした言葉。
「エリザ?君が本当に紡ぎ司になりたいと思っているのなら、だが?」
「…なりたいですわ」

今度は、しっかりとエリザさんが頷いた。
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