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下弦
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奥さんが、お芋を煮たものをもってきてくれて、余計にお釣り分の銀貨は受け取らずに押し付けた。
というか、私には“初物”なんだから金貨1枚だって十分だと思うんだけど。
私には物の価値が良く分からない。
奥さんは本当に銀貨を持ってきたから。
お釣りの銀貨7枚。
奥さんは『良いから良いから』と言ってる。
毎日のように、奥さんはそれでもたくさんの物をお裾分けしてくれるのに。
商売人なのに?
これじゃ、奥さんが損しかしない。
そんなこと!
このままじゃ、奥さんが生活に困ってしまう。
「今までのツケです!」
そう言うと、奥さんはポカンとした後、声を出して笑った。
え?
何で?
笑う所だった?
「ツケられた記憶はないけど、そこまでサーヤちゃんが言うならちゃんと受け取るよ!その代わり、向こう半年分位まで、このツケは生きるからね?」
「半年分、生きる?」
「本当に、何でこの子はこんなにぼんやりなのかね?心配になっちまうよ」
「フォンさん、何が心配なんですか?」
ランだった。
ノアさんはいない。
エリザさんも。
ランだけが戻って来た。
「おかえり、ラン!丁度、ごはんにする所だよ。タイミング良いね」
「サーヤ、ただいま。それは、丁度良い所だった。ところで、何の話をしていたんですか?フォンさんは、サーヤの何を心配してたんですか?」
「…どっかの馬の骨にでも、気が付いたら囲われてそうな所かね!」
囲われる?
囲われるって何だっけ?
何か、“くるまれる”みたいなことかな?
首を傾げた私に、ランがふっと笑った。
何で笑う?
「何を笑ってんだい?」
奥さんの言葉に、ランは少しだけ首を竦めた。
「それは心配ですね。肌身離さず身に着けて監視できる護符とか、常に側で見守りをしないと心配で仕方ないですね?護符ならすぐに付与できますが、側で見守り続けるのは難しい、ですが…出来なくはないですかね?」
え?私の話?
見守り?
子守じゃないんだから。
「怖いんだよ、その真面目さが!」
奥さんの言葉にも、ランはニコニコしてる。
「どうしてですか?サーヤの安全のためには、必要ですよね?」
私の安全?
「十分、安全じゃないの?このお家。危ないの?」
「いいえ、安全ですよ?この北の地で、一番防御力、攻撃力ともに抜群なので!」
ランがまたおかしいことを言ってる。
攻撃力?
家に?
必要なのかな?
「ラン君は、どこまでが本気なのか不明だから困るわ。この家だって…」
「あの選び抜かれた、護りの10軒よりも、確実に良い物件じゃないですか?サーヤが住むのに、これ以上の家はないと思いますけど」
「…本当に、ラン君こそどっかに良いお嬢様でもいないのかい?婚約者とかさ?このままじゃ、どんどんサーヤちゃんに…。拗らせるというか、募らせるというか…」
奥さんの言葉に、私は首を傾げる。
首を傾げた私に、ランはちらりと視線を送る。
何?
私、何かしたっけ?
「…フォンさん?それこそ、馬に蹴られるかもしれませんよ?」
「おー、怖い!早く、ご両親に婚約者でも見つけてもらいな!あんたに似合いの、とっても高貴でおしとやかなお嬢様とかね?ラン君は、そのままならカッコいいんだからさ!そもそも、いるんじゃないの?運命の婚約者とか、ね?」
確かに、ランはカッコいい。
「いませんよ?サーヤ、安心してください」
いないの?
意外…。
「ふうん?そうなんだ。確かに、ランはカッコいいから、すぐにでもお相手が見つかりそうだね」
「…俺としては、すでに運命の糸は繋がってると思うんだけど、ね?」
ランがお茶目にウィンクした。
「そうなんだ、素敵だね!」
運命の糸だって。
ランは、意外にロマンチストだったみたいだ。
「はーぁ、これだもの。何で、サーヤちゃんはこうなんだろうね?」
「何がどうなの?」
「…まんまる魚、そろそろ裏返そうかね」
コンロの中の魚は、とても良い焼け具合だった。
「あ、確かに。上手に焼けてるー。おいしそう」
魚を裏返した私に、2人も楽しそうだ。
上手に出来て、少しだけ誇らしい。
「今日は、煮物もあるし、せっかくだからごはんにしようね?」
「ごはんは、炊くの難しいんだもん」
口を尖らせてしまうけど、これは本当のこと。
「大丈夫!今日は私がしっかりとおいしいごはんを炊くから!」
「奥さんがいて良かったぁ」
好きだけど、私はいつも焦がすか半生だ。
だから、炊けた後の物しか食べない。
「だからだよ?今日の売り子は、本当に南の地の物が多かった。面白くて、サーヤちゃんを思い出して…。ついつい、仕入れ過ぎちゃったよ」
そんなに?
明日にでも、奥さんのお店覗きに行こうっと。
「嬉しいな。明日、奥さんのお店に行くね!後で、ピルク食べよっと。ラン?奥さんがね、ピルクをくれたんだ。とても甘いの、だから楽しみ。ランも一緒に食べよ?」
「うん、食べよう」
「あーぁ、うっかり馬に出くわすのは確かに私の方かもね?」
「…そんなことはないですよ?フォンさん」
さっきから、奥さんとランは馬のことばっかり言ってる。
「何で?馬?」
「さぁ、何でだろうね?」
クスクス笑うラン。
機嫌が良さそうだ。
「そういや、ノア君はどうしたんだい?」
思い出したように奥さんがそう言った。
「あぁ、ノアは…」
ランがクスリと笑った。
「エリザに半年分のカリキュラムを渡すために、本部でスケジュールを立ててますよ?」
「半年分?」
多くない。
「半月じゃなくて?」
「間違いじゃなくて、半年分」
「何をするの?」
「見習い生のおさらいが約2ヶ月分、候補生としての見通しが1ヶ月分、残りの3ヶ月は候補生として望ましい生活の見本、かな?」
すごそう。
「終わったら、こっちに来るんじゃないかな?大変ですね、統括者なんて」
「…ずいぶん他人事だね」
奥さんの言葉に、確かに他人事のようだと思った。
てことは、しばらくは帰って来れないってこと?
何しろ、半年分だ。
長い、長すぎる。
「じゃあ、ノアさんの分もまんまる魚、残しておこう?」
「優しいな、サーヤは。剥がした背骨付近でも残しておけば十分じゃないか?」
「え?背骨じゃ、食べる所ないよ?ちゃんと身の部分で、温めておけるあの保温庫に入れとこ?」
私の言葉に、ランは少しだけ不満そうだ。
「…はいはい、紡ぎ司の仰る通りに」
「心の狭い男は、その内嫌われる未来しかないよ?」
「ありがたいご助言ですね。しっかりと、身に受け止めますよ。フォンさん?」
「そうしとくれ」
コンロから、すごく良い匂いがしてる。
とてもおなかがすいてくる。
「良い匂いだね、これがあると春が来たなって思うよね?」
ワクワクする。
これから、もっとこの地で出来ることが増える。
嬉しいな。
「さ?じゃあ、まんまる魚があったかい内に食べるとしようかね」
奥さんが、てきぱきとテーブルに出来た物とか冷蔵庫内の物を並べていく。
「ごはん、よそりたい」
私は、お茶碗にごはんを入れていく。
「ほらほら、席に着いて?」
奥さんの言葉に、いそいそと席に着く。
ランとは、昨日から席が近い。
でも、それが日常になるんだろうな。
「いただきます!」
お魚、身がほろほろでとてもおいしい。
ごはんも、炊きたてだからおいしい。
「幸せ」
「そうかい?なら良かったよ」
「…エリザさんは、ご飯食べてるかな?」
さっきの、蒼褪めた顔が浮かぶ。
「ねぇ?ラン」
「何?」
「さっき、エリザさんに何をしたの?」
「…何、とは?」
「エリザさん、とても怖がってる顔してた。西の地でのお説教を思い出させたの?」
「そっちか…。そうだな、エリザには申し訳ないが…。学園生の見学のような気分から、きちんと卒業をしてもらわないといけないからな。その線引きはきちんとするように、厳しく注意をした、と言う所かな?」
「それで、朝も泣かせたの?」
「生意気候補生を泣かせたなんて、やるじゃないか!ラン君」
奥さんにも、ランは曖昧に笑った。
というか、奥さんの言い方。
エリザさんのことを知る前だったら、何とも思わなかったけど。
でも、今はもう知ってしまったからなぁ。
エリザさんという人のことを。
だから、そんなに酷い人のようなイメージはない。
純粋な、お嬢様と言う印象だ。
「でも、来たばかりで不安が大きいと思うから…」
自分が候補生の頃は、感じなかった。
だけど、他の候補生や見習い生は割と泣いていた。
寂しいとか、辛いとか、苦しいとか、恵まれないとか…。
色々な理由で、色々な子達が。
それを、ぼんやりと眺めていた。
私は、紡いでいる時間と、欠片を巻き直す方が重要だったから。
今思えば、薄情だった私。
あ、やっぱりあの薄情な幼馴染と同じなのかな?
え?
それはヤダな。
あの鉱物バカと同じにされたくない。
私には、今でも繋がってる幼馴染もいる。
親とも連絡を取ってる。
ランも、奥さんもいる。
あの、1人で完結してる子とは違うんだ。
「ちなみに、何て言って泣かせたんだい?」
奥さんの言葉に、ハッとする。
完結してるあの子とは違うはずなのに、また違うことを考えてる私。
そうだった。
今朝、ランはエリザさんを連れて西の地に行って…。
目を真っ赤にしたエリザさんを思い出した。
思わず笑ってしまった。
ランは今朝のことを思い出してるのかな?
「下弦を紡ぐか、再度上弦の儀をやり直すか選ぶように言いましたよ」
「…そりゃあまた、酷な選択だね」
「そうですか?仮にも紡ぎ司になりたいのであれば、行わないといけないことですから」
下弦か。
削りすぎてしまう、あの不思議な引きつるような感覚。
毎月来る、あの意識ごと引きずられるような下弦の日。
「下弦の儀は、紡ぎ司への最終試験に遣われるものだから。上弦すら紡げなかったエリザには、確かに酷ですね」
ランが、そんなことをエリザさんに言ってたなんて。
ちなみに、下弦の儀についての記憶はない。
何故なら、下弦の儀を私はしていないから。
紡ぎ司への最終試験のはずなのに…。
あの不思議研修の後に、自然と北の地への異動が決まっていた。
北の地に来て、紡ぎ司となった。
あっという間に、紡ぎ司だ。
試験もパスしてないのに。
ある意味、エリザさんと同じ気がする。
いや、違うのか?
もう、分からないや。
だって、今でも上弦・下弦とも紡げている。
今の私は、ちゃんと紡いでいる。
それから、もう丸3年が経った。
4年目で新しい生活の中に、少しだけ入った今までと違うこと。
「下弦の儀は、確かに重圧が違いますからね。上弦とは比じゃないくらいの流れが…」
ランの言葉に、私もコクリと頷く。
毎月経験してるけど、あの時間は焦りもある。
削り過ぎないように注意しないといけない時間。
まぁ、今月も下弦は来るからなぁ。
考えても仕方ない。
今は、このおいしいごはんをしっかりと食べたい。
「サーヤちゃん、ごはんはまだあるから!落ち着いて!そんなリスみたいに、口いっぱいにしたら、のどに詰まるよ!」
奥さんの言葉に、もぐもぐしながらもコクリと頷く。
確かに、少しだけ口に入れ過ぎたけど、喉に詰まったことなんて今まで1度もない。
昔からの癖。
好きな物は、口いっぱいに入れたくなる。
ピルクも、口の中に丸々1個入れてたくさん出て来る甘い汁を飲むのが好きだ。
後でデザートにしよっと。
野菜だけど。
食後のデザートにできるのは嬉しい。
今日は涼しいから、裏で涼みながら食べようっと。
ついでに、お昼寝とかしちゃおうかな?
考えながら、すごくワクワクしている私。
涼しい空間で、好きな食べ物を食べるなんて何て至福の時だろう。
あ、単純だな。
だから、候補生で見ず知らずの土地でも、落ち込むことがなかったんだろうな。
泣いている子とは、根本的に違う生き物なのだろう。
同じ人間とは思えない。
「本当に、サーヤはこの魚が好きだね?たくさん買い溜めしても良いし、冷凍保存なんてしなくても新鮮に保管できる保管庫あるからな。キッチンに追加しても良いな、スペースはあるし…」
「ラン?」
「…あぁ、何でもないよ?」
ランの言葉に、首を傾げるけどランが何でもないと言うのなら何でもないのだろう。
「これだもの、サーヤちゃんのための家がどんどん完成してくはずだわ」
奥さんの言葉は、遠くて良く聞こえなかった。
おいしい。
幸せ。
それしかない。
下弦のことも、考えていたけどどっかにいっちゃった。
後で食べるピルクのことだけ。
食後の楽しみ。
すごく、楽しみ。
「ピルク、か」
「…何だい?今度はピルクでも買い占めようってのかい?怖いねぇ、お貴族様の考えることは…」
「サーヤが、気持ち良く過ごせるためなら、何でもしますよ?」
「そうかいそうかい、その無茶振りで私の店は繁盛してるんだから、ありがたいってもんだけどね?」
「何がですか?東の地で大成功している、老舗のリート商会の大奥様が…」
「ラン君?本当に政略相手が送り込まれるような発言は、身を滅ぼすよ?」
「…そうですね。確かに由緒ある商会から送り込まれたお見合いなんか、お断りするのにどれだけの損害が発生するのか、考えただけで恐ろしいですね」
ランと奥さんは、本当に仲が良いなぁ。
というか、私には“初物”なんだから金貨1枚だって十分だと思うんだけど。
私には物の価値が良く分からない。
奥さんは本当に銀貨を持ってきたから。
お釣りの銀貨7枚。
奥さんは『良いから良いから』と言ってる。
毎日のように、奥さんはそれでもたくさんの物をお裾分けしてくれるのに。
商売人なのに?
これじゃ、奥さんが損しかしない。
そんなこと!
このままじゃ、奥さんが生活に困ってしまう。
「今までのツケです!」
そう言うと、奥さんはポカンとした後、声を出して笑った。
え?
何で?
笑う所だった?
「ツケられた記憶はないけど、そこまでサーヤちゃんが言うならちゃんと受け取るよ!その代わり、向こう半年分位まで、このツケは生きるからね?」
「半年分、生きる?」
「本当に、何でこの子はこんなにぼんやりなのかね?心配になっちまうよ」
「フォンさん、何が心配なんですか?」
ランだった。
ノアさんはいない。
エリザさんも。
ランだけが戻って来た。
「おかえり、ラン!丁度、ごはんにする所だよ。タイミング良いね」
「サーヤ、ただいま。それは、丁度良い所だった。ところで、何の話をしていたんですか?フォンさんは、サーヤの何を心配してたんですか?」
「…どっかの馬の骨にでも、気が付いたら囲われてそうな所かね!」
囲われる?
囲われるって何だっけ?
何か、“くるまれる”みたいなことかな?
首を傾げた私に、ランがふっと笑った。
何で笑う?
「何を笑ってんだい?」
奥さんの言葉に、ランは少しだけ首を竦めた。
「それは心配ですね。肌身離さず身に着けて監視できる護符とか、常に側で見守りをしないと心配で仕方ないですね?護符ならすぐに付与できますが、側で見守り続けるのは難しい、ですが…出来なくはないですかね?」
え?私の話?
見守り?
子守じゃないんだから。
「怖いんだよ、その真面目さが!」
奥さんの言葉にも、ランはニコニコしてる。
「どうしてですか?サーヤの安全のためには、必要ですよね?」
私の安全?
「十分、安全じゃないの?このお家。危ないの?」
「いいえ、安全ですよ?この北の地で、一番防御力、攻撃力ともに抜群なので!」
ランがまたおかしいことを言ってる。
攻撃力?
家に?
必要なのかな?
「ラン君は、どこまでが本気なのか不明だから困るわ。この家だって…」
「あの選び抜かれた、護りの10軒よりも、確実に良い物件じゃないですか?サーヤが住むのに、これ以上の家はないと思いますけど」
「…本当に、ラン君こそどっかに良いお嬢様でもいないのかい?婚約者とかさ?このままじゃ、どんどんサーヤちゃんに…。拗らせるというか、募らせるというか…」
奥さんの言葉に、私は首を傾げる。
首を傾げた私に、ランはちらりと視線を送る。
何?
私、何かしたっけ?
「…フォンさん?それこそ、馬に蹴られるかもしれませんよ?」
「おー、怖い!早く、ご両親に婚約者でも見つけてもらいな!あんたに似合いの、とっても高貴でおしとやかなお嬢様とかね?ラン君は、そのままならカッコいいんだからさ!そもそも、いるんじゃないの?運命の婚約者とか、ね?」
確かに、ランはカッコいい。
「いませんよ?サーヤ、安心してください」
いないの?
意外…。
「ふうん?そうなんだ。確かに、ランはカッコいいから、すぐにでもお相手が見つかりそうだね」
「…俺としては、すでに運命の糸は繋がってると思うんだけど、ね?」
ランがお茶目にウィンクした。
「そうなんだ、素敵だね!」
運命の糸だって。
ランは、意外にロマンチストだったみたいだ。
「はーぁ、これだもの。何で、サーヤちゃんはこうなんだろうね?」
「何がどうなの?」
「…まんまる魚、そろそろ裏返そうかね」
コンロの中の魚は、とても良い焼け具合だった。
「あ、確かに。上手に焼けてるー。おいしそう」
魚を裏返した私に、2人も楽しそうだ。
上手に出来て、少しだけ誇らしい。
「今日は、煮物もあるし、せっかくだからごはんにしようね?」
「ごはんは、炊くの難しいんだもん」
口を尖らせてしまうけど、これは本当のこと。
「大丈夫!今日は私がしっかりとおいしいごはんを炊くから!」
「奥さんがいて良かったぁ」
好きだけど、私はいつも焦がすか半生だ。
だから、炊けた後の物しか食べない。
「だからだよ?今日の売り子は、本当に南の地の物が多かった。面白くて、サーヤちゃんを思い出して…。ついつい、仕入れ過ぎちゃったよ」
そんなに?
明日にでも、奥さんのお店覗きに行こうっと。
「嬉しいな。明日、奥さんのお店に行くね!後で、ピルク食べよっと。ラン?奥さんがね、ピルクをくれたんだ。とても甘いの、だから楽しみ。ランも一緒に食べよ?」
「うん、食べよう」
「あーぁ、うっかり馬に出くわすのは確かに私の方かもね?」
「…そんなことはないですよ?フォンさん」
さっきから、奥さんとランは馬のことばっかり言ってる。
「何で?馬?」
「さぁ、何でだろうね?」
クスクス笑うラン。
機嫌が良さそうだ。
「そういや、ノア君はどうしたんだい?」
思い出したように奥さんがそう言った。
「あぁ、ノアは…」
ランがクスリと笑った。
「エリザに半年分のカリキュラムを渡すために、本部でスケジュールを立ててますよ?」
「半年分?」
多くない。
「半月じゃなくて?」
「間違いじゃなくて、半年分」
「何をするの?」
「見習い生のおさらいが約2ヶ月分、候補生としての見通しが1ヶ月分、残りの3ヶ月は候補生として望ましい生活の見本、かな?」
すごそう。
「終わったら、こっちに来るんじゃないかな?大変ですね、統括者なんて」
「…ずいぶん他人事だね」
奥さんの言葉に、確かに他人事のようだと思った。
てことは、しばらくは帰って来れないってこと?
何しろ、半年分だ。
長い、長すぎる。
「じゃあ、ノアさんの分もまんまる魚、残しておこう?」
「優しいな、サーヤは。剥がした背骨付近でも残しておけば十分じゃないか?」
「え?背骨じゃ、食べる所ないよ?ちゃんと身の部分で、温めておけるあの保温庫に入れとこ?」
私の言葉に、ランは少しだけ不満そうだ。
「…はいはい、紡ぎ司の仰る通りに」
「心の狭い男は、その内嫌われる未来しかないよ?」
「ありがたいご助言ですね。しっかりと、身に受け止めますよ。フォンさん?」
「そうしとくれ」
コンロから、すごく良い匂いがしてる。
とてもおなかがすいてくる。
「良い匂いだね、これがあると春が来たなって思うよね?」
ワクワクする。
これから、もっとこの地で出来ることが増える。
嬉しいな。
「さ?じゃあ、まんまる魚があったかい内に食べるとしようかね」
奥さんが、てきぱきとテーブルに出来た物とか冷蔵庫内の物を並べていく。
「ごはん、よそりたい」
私は、お茶碗にごはんを入れていく。
「ほらほら、席に着いて?」
奥さんの言葉に、いそいそと席に着く。
ランとは、昨日から席が近い。
でも、それが日常になるんだろうな。
「いただきます!」
お魚、身がほろほろでとてもおいしい。
ごはんも、炊きたてだからおいしい。
「幸せ」
「そうかい?なら良かったよ」
「…エリザさんは、ご飯食べてるかな?」
さっきの、蒼褪めた顔が浮かぶ。
「ねぇ?ラン」
「何?」
「さっき、エリザさんに何をしたの?」
「…何、とは?」
「エリザさん、とても怖がってる顔してた。西の地でのお説教を思い出させたの?」
「そっちか…。そうだな、エリザには申し訳ないが…。学園生の見学のような気分から、きちんと卒業をしてもらわないといけないからな。その線引きはきちんとするように、厳しく注意をした、と言う所かな?」
「それで、朝も泣かせたの?」
「生意気候補生を泣かせたなんて、やるじゃないか!ラン君」
奥さんにも、ランは曖昧に笑った。
というか、奥さんの言い方。
エリザさんのことを知る前だったら、何とも思わなかったけど。
でも、今はもう知ってしまったからなぁ。
エリザさんという人のことを。
だから、そんなに酷い人のようなイメージはない。
純粋な、お嬢様と言う印象だ。
「でも、来たばかりで不安が大きいと思うから…」
自分が候補生の頃は、感じなかった。
だけど、他の候補生や見習い生は割と泣いていた。
寂しいとか、辛いとか、苦しいとか、恵まれないとか…。
色々な理由で、色々な子達が。
それを、ぼんやりと眺めていた。
私は、紡いでいる時間と、欠片を巻き直す方が重要だったから。
今思えば、薄情だった私。
あ、やっぱりあの薄情な幼馴染と同じなのかな?
え?
それはヤダな。
あの鉱物バカと同じにされたくない。
私には、今でも繋がってる幼馴染もいる。
親とも連絡を取ってる。
ランも、奥さんもいる。
あの、1人で完結してる子とは違うんだ。
「ちなみに、何て言って泣かせたんだい?」
奥さんの言葉に、ハッとする。
完結してるあの子とは違うはずなのに、また違うことを考えてる私。
そうだった。
今朝、ランはエリザさんを連れて西の地に行って…。
目を真っ赤にしたエリザさんを思い出した。
思わず笑ってしまった。
ランは今朝のことを思い出してるのかな?
「下弦を紡ぐか、再度上弦の儀をやり直すか選ぶように言いましたよ」
「…そりゃあまた、酷な選択だね」
「そうですか?仮にも紡ぎ司になりたいのであれば、行わないといけないことですから」
下弦か。
削りすぎてしまう、あの不思議な引きつるような感覚。
毎月来る、あの意識ごと引きずられるような下弦の日。
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ランが、そんなことをエリザさんに言ってたなんて。
ちなみに、下弦の儀についての記憶はない。
何故なら、下弦の儀を私はしていないから。
紡ぎ司への最終試験のはずなのに…。
あの不思議研修の後に、自然と北の地への異動が決まっていた。
北の地に来て、紡ぎ司となった。
あっという間に、紡ぎ司だ。
試験もパスしてないのに。
ある意味、エリザさんと同じ気がする。
いや、違うのか?
もう、分からないや。
だって、今でも上弦・下弦とも紡げている。
今の私は、ちゃんと紡いでいる。
それから、もう丸3年が経った。
4年目で新しい生活の中に、少しだけ入った今までと違うこと。
「下弦の儀は、確かに重圧が違いますからね。上弦とは比じゃないくらいの流れが…」
ランの言葉に、私もコクリと頷く。
毎月経験してるけど、あの時間は焦りもある。
削り過ぎないように注意しないといけない時間。
まぁ、今月も下弦は来るからなぁ。
考えても仕方ない。
今は、このおいしいごはんをしっかりと食べたい。
「サーヤちゃん、ごはんはまだあるから!落ち着いて!そんなリスみたいに、口いっぱいにしたら、のどに詰まるよ!」
奥さんの言葉に、もぐもぐしながらもコクリと頷く。
確かに、少しだけ口に入れ過ぎたけど、喉に詰まったことなんて今まで1度もない。
昔からの癖。
好きな物は、口いっぱいに入れたくなる。
ピルクも、口の中に丸々1個入れてたくさん出て来る甘い汁を飲むのが好きだ。
後でデザートにしよっと。
野菜だけど。
食後のデザートにできるのは嬉しい。
今日は涼しいから、裏で涼みながら食べようっと。
ついでに、お昼寝とかしちゃおうかな?
考えながら、すごくワクワクしている私。
涼しい空間で、好きな食べ物を食べるなんて何て至福の時だろう。
あ、単純だな。
だから、候補生で見ず知らずの土地でも、落ち込むことがなかったんだろうな。
泣いている子とは、根本的に違う生き物なのだろう。
同じ人間とは思えない。
「本当に、サーヤはこの魚が好きだね?たくさん買い溜めしても良いし、冷凍保存なんてしなくても新鮮に保管できる保管庫あるからな。キッチンに追加しても良いな、スペースはあるし…」
「ラン?」
「…あぁ、何でもないよ?」
ランの言葉に、首を傾げるけどランが何でもないと言うのなら何でもないのだろう。
「これだもの、サーヤちゃんのための家がどんどん完成してくはずだわ」
奥さんの言葉は、遠くて良く聞こえなかった。
おいしい。
幸せ。
それしかない。
下弦のことも、考えていたけどどっかにいっちゃった。
後で食べるピルクのことだけ。
食後の楽しみ。
すごく、楽しみ。
「ピルク、か」
「…何だい?今度はピルクでも買い占めようってのかい?怖いねぇ、お貴族様の考えることは…」
「サーヤが、気持ち良く過ごせるためなら、何でもしますよ?」
「そうかいそうかい、その無茶振りで私の店は繁盛してるんだから、ありがたいってもんだけどね?」
「何がですか?東の地で大成功している、老舗のリート商会の大奥様が…」
「ラン君?本当に政略相手が送り込まれるような発言は、身を滅ぼすよ?」
「…そうですね。確かに由緒ある商会から送り込まれたお見合いなんか、お断りするのにどれだけの損害が発生するのか、考えただけで恐ろしいですね」
ランと奥さんは、本当に仲が良いなぁ。
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