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2日目
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朝の気配に、目が覚める。
今度は、窓の外は明るい。
窓を開けて、顔を出す。
「朝だ」
当たり前のことを言い、村を見る。
下では畑にいる人や、散歩する人などが遠くに見える。
「早いなぁ」
日が昇る前だろうに、もう働いている人。
「寒くはないか」
風はひんやりしているが、寒さは感じない。
というか、さっき起きたのって。
「夢?」
まだ暗い中、目が覚めて水を飲んで、ランがいて…。
そうだ、ランがいた。
多分。
泊まったんだよね?
あれ、勘違い?
夢だった?
ランが兄だったら良いなと思って、見た夢だった?
部屋のドアを開ける。
他の2部屋は開いていた。
階段を降りて、下に行く。
顔を洗わなきゃなんだけど、ランを探す。
「ラン?」
いないかな?
「ラン?いる?」
扉がないから、作業場とキッチンとチラリと覗いて行く。
「いないか」
夢にしてはリアルだったなと思い顔を洗いに行く。
口を漱いで、髪を梳かして。
お風呂場から戻ろうとした時、裏口がガチャリと開いた。
「サーヤ、早いね。おはよう」
ランだった。
「ラン!」
「どうしたの?」
何て言う?
ランは昨日いたの?って。
夢に出て来た?って。
「昨日、ラン、家にいた?」
自分でもおかしい聞き方をした気がする。
しかし、ランはいつもの穏やかな表情だった。
「いたよ」
「だよね!」
ランは何を当たり前のことを、と言いそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「さっき?まだ暗い時に、いたのがランだったなって思って」
「誰かさんが、ふらふら玄関を開けて外に行こうとするから」
「駄目だった?家の中じゃもう息が白くないから、外なら白くなるかなって思って」
ランは苦笑する。
「そんな理由?」
「だって、窓は2重だから、玄関なら1枚だし。ランのこと起こしたら、ヤダなって」
「…でも、朝になる前にやらなくても」
「何か、思いついたから」
「まぁいいや。サーヤ、着替えておいで」
ランの言葉に、コクリと頷く。
「そうする」
ランの言葉に、2階に戻る。
ランはいたんだ。
今日の暗い内に。
「ふふ」
夢じゃなかった。
ちゃんといた。
ふと、さっき掴まれた腕を思い出す。
痛くはなかった。
だけど、絶対に外れない力だった。
まるで鍛えている騎士みたいに。
男の人は、力が強い。
「良いなぁ」
私も力持ちになりたい。
「重いものとか、ひょいって持ちたい」
考えて、笑う。
体の小さい私が、私くらいのものを持ち上げたらランは驚くかな?
「ま、出来ないけど」
着替えて下に行くと、ランがミルクを出していた。
「サーヤ?今日は温める?それとも、このまま?」
昨日はホットミルクにした。
でも、今日は冷たいままが良いな。
「そのままでいいや」
「分かった」
ランの言葉に頷きそうになり、慌ててキッチンに行く。
「違うよ。ラン?自分でやるよ?」
「良いから」
ランは、本当に面倒見が良いなぁ。
甘えている内に、何も出来なくなっちゃいそう。
いつか、紡ぎ司を辞めた時、本当に何も出来ない私になってそう。
「サーヤ?」
「ランも食べよ?」
「サーヤが良いなら」
「何で?良いに決まってるじゃん。一緒に食べよう?」
「サーヤのお望み通りに」
ランは棚からコップを2つ出して、ミルクを入れる。
「あ、じゃあ薄めた蜜を入れるね?」
キッチンに置いたままの寸胴を探し、昨日片づけたことを思い出した。
「冷蔵庫」
そうだ。
ランが昨日片づけてくれたんだった。
「はい、どうぞ」
ランが大きい牛乳瓶を、冷蔵庫から出してくれた。
大きい瓶に、これでもかと入っている薄めた蜜。
ここからスプーン1杯は難しいな。
考える私に、ランは笑った。
「サーヤ、2人でやれば良いんだよ」
「2人で?」
「ほら、俺が傾けるから、サーヤがスプーンで受けてくれれば」
「良いなぁ」
私の言葉に、ランが首を傾げる。
「何が?」
「力持ちで」
「…力持ち?」
「この瓶、重いよね?」
「…重い?特別に作ってもらっているから、そこまでは感じなかったけど…。そうか」
「ラン?」
「サーヤ、ごめん。今日の内に、中の瓶に分けておくから」
「何で?」
「サーヤの力を考えてなかった俺のミスだ」
「何が?」
「これじゃ、遣い勝手が悪かったなって思っただけ」
大きい瓶が?
別に悪くないけど。
「1個で済むから、良いんじゃないの?」
私の言葉に、ランは困ったように笑った。
「サーヤが使いやすい方が大事」
「そうなの?」
「そうなの」
「それに、冷蔵庫だってスカスカなんだし。2本くらい入れたって困らないよ」
ランの言葉に、まぁそうかと納得する。
「まぁ、ランに任せればいっか」
結局、ランに甘え考えることを止めた。
ランは大きい瓶を傾ける仕草をした。
片手で。
底の方を持って、こちらに少し傾けている。
何だろう。
全部の仕草が流れるようだった。
レストランにいる、準備してくれる人みたいな。
カッコ良いなぁ。
そのカッコ良い人が、もう片方でスプーンを渡してくれた。
「やりたい」
「はい」
受けるだけなのに、スプーンを持つ手が震える。
「サーヤ、真剣な顔」
ランが笑う。
「笑わないで、真面目にやってるんだから」
「はいはい」
「真剣なんだよ」
「うん、大丈夫」
ランは笑っていても、瓶は揺れていない。
やっぱり力持ち。
今度は瓶を両手で支え、本当に少しずつ傾けてくれる。
安心感が違うなぁ。
ランは上手だな。
私の持つスプーンに、少しずつ薄めた蜜が流れて来る。
「わぁ」
怖いなぁ。
でも、丁度良い所でランが瓶を戻した。
スプーンからは零れてない。
だけど、スプーンが震える。
下にあるミルクに入れるだけなのに。
もう少し近付けて、コップの入り口でスプーンを傾ける。
零さないで入れることが出来た。
「出来た」
少しだけ誇らしい気持ちになる。
「はい、もう1回」
ランの言葉に、そうだったとスプーンを持つ手に力を入れる。
「うん」
私はスプーンを持つだけ。
大変なのは、ランの方だ。
「サーヤ、力抜いて。震えちゃうよ」
「え?」
ランの言葉に応えようと思ったら、スプーンが傾いた。
折角ランが上手に注いでくれてたのに。
「あぁ!」
下に置いたコップの中に、薄めた蜜が零れる。
でも、テーブルは濡れてない。
ランが上手にしてくれたからだろうか?
少し多く注がれた薄めた蜜。
こっちは、ランに飲んでもらおう。
今日起こしてしまったから。
「多い方がランね」
「何で?」
「元気にお仕事するために」
私の言葉に首を傾げるけど、ランは「はいはい」とコップを持って行った。
「パンは温めようっと」
コンロに行き、火を入れる。
すぐに温かくなり、籠から白パンを取り出す。
「ランは何個食べる?」
私は1個。
ランは2個かな?
「サーヤが好きなパンだから、俺は良いよ」
「良くないよ」
「でも」
「今日は、奥さんのお店に行く予定なの。だから良いの。それに、おなかが空いてると、お仕事に集中できないよ?2個?3個?」
私の言葉に、ランは少しだけ考えると「2個」と答えた。
コンロに3つの白パンを入れる。
すぐに、香ばしい香りが広がった。
「おいしそう」
「サーヤ、野菜も食べようか?」
ランが冷蔵庫から葉っぱみたいなものを取り出した。
少し苦いやつだ。
「食べなきゃダメ?」
「駄目」
ランの優しい口調。
「…分かった」
「偉い偉い」
まるで子どもを褒めるような口調。
「本当は毎朝食べた方が良いんだろうけど」
毎朝はやだ。
「だって、苦いんだもん」
「その苦味がおいしいのに」
誰だっけ、そんなこと言ってたの。
あぁ、お父さんだ。
仕事終わりに飲むお酒のことだ。
「ランはお酒を飲むの?」
私の問いかけに、ランが目を丸くする。
「…どうして?」
「苦いのがおいしいって、お父さんがお酒を飲む時に言ってたから」
言うと、声に出して笑われた。
「飲まない、かな?」
「何で?」
「おいしいと思うのはワインの方だから、かな?」
「ワイン?」
「サーヤは、来年成人だろう?」
「うん」
「そうしたら、苦くないワインを飲もう」
「苦くないワイン?」
「そ、甘いワイン」
甘いワイン。
「おいしい?」
「おいしいよ」
「ふふ」
つい笑う。
「どうしたの?」
「成人のお祝い、してくれるんだ?嬉しい」
「そうだね。サーヤの大事な日だから、盛大にお祝いしないと」
「盛大に?何で?」
「大事だから」
「紡ぎ司の私が大事だから?」
「紡ぎ司じゃなくて、サーヤが大事だから」
「私だから?」
私の問いかけに、ランが笑った。
「サーヤ、パンは?」
「え?」
慌ててコンロを開ける。
「あー!」
触ろうとすると、いつの間にか来ていたランが私の手を止める。
「火傷してしまうから」
「でも!パンが!」
真っ白な白パンの天井が黒く焦げていた。
「もったいないよ!」
「何だい何だい、朝日も昇らない内に…」
「奥さん!」
「昨日、サーヤちゃんが疲れてたみたいだから気になってね。おはよう。それより、どうしたんだい?」
後ろからランに手を万歳されている私。
「パンが…」
「あぁ、こりゃまた盛大に焦がしたね」
奥さんが笑ってる。
「折角奥さんがくれたのに。もったいない」
「それで、サーヤちゃんはコンロに手を入れようとしたのかい?危ないね」
でも、ランが止めてくれたから、コンロに手は入れてない。
入れられない。
「はいはい、こういうのは主婦に任せとくれ」
奥さんがキッチンにあるトングを取り、白パンを3つ出した。
「もったいない」
何度目か分からないけど、思わず口から出てしまう。
「サーヤちゃんは、本当に白パンが好きだね」
「うん、奥さんが作ってくれた白パンがおいしいから好き」
「そうかいそうかい」
奥さんは、白パンをトングで挟む。
力は入ってないようだけど、その反対から薄いパン包丁を取り出す。
「何するの?」
「こうやって、カリカリになった部分に切り目を入れてね」
奥さんは道具を上手に使ってる。
焦げ目ではない焼き目が入った部分に、切込みが入る。
思わずその光景をじっと見つめる。
焼き目が付いた部分でぐるりと1周、切込みが入った。
「ほら」
上を剥がすように、黒く焦げた部分がぺろりと剥がれた。
「すごい!」
「これならまだ食べられる!奥さんすごいね!ありがとう」
剥がれた焦げ目に視線を送る。
「ごめんね、焦がして」
食べられなくてごめんなさい。
「そうしたら、そのおこげはもらおうかね?」
「何にするの?」
「畑に撒くのさ」
「畑?」
「そうさ。炭はね、土を浄化してくれるんだ。良い働きをしてくれるんだよ」
「そうなんだ。良かった。無駄にならなくて」
奥さんは残りの2つも、上手に焦げた部分を剥がしてくれた。
「さぁ、どうぞ」
「わぁ、ありがとう!そうだ、今日ね、奥さんのお店に行きたいんだけど、忙しいかな?何時頃が良いかな?」
「あぁ、昨日言ってた南の地の特産物だね。いつでもおいで、サーヤちゃんが来るならお店を貸し切りにしても良いくらいだ」
「大袈裟だなぁ」
「そのくらい、紡ぎ司様には感謝してるんだ。サーヤちゃんがこの地の紡ぎ司で良かったよ。毎日ありがとうね」
「…ふふ」
照れるけれど、こうやって奥さんが喜んでくれるなら嬉しい。
「私こそ、いつもありがとう」
「そうそう、手ぶらで来るんだよ?サーヤちゃんの前借りのツケが、たんまりあるんだから」
「えー、いいのに」
「良くないよ!こういうのはね、しっかりとしないと。お金のことは後に遺恨を残しちゃいけないんだ」
「いこん?」
難しいなぁ。
「そういうけど、奥さんも余った物とか、残り物とかおまけでくれるよね?」
「それは、お隣さんのよしみだよ」
何が違うんだろう?
昨日のピルクも、奥さんがくれたんだ。
タダで。
「サーヤちゃん」
奥さんの声に、我に返る。
「いつまでもラン君と遊んでないで、ご飯食べちゃいな」
「…うん」
万歳ではないけれど、ランに手を握られたままだった。
「じゃ、奥さんまた後で行くね。ありがとう」
「はいよ。ゆっくり食べるんだよ?」
「うん」
奥さんは、ひらひらと手を振りながら裏口から出て行った。
「サーヤ」
「うん?」
「食べようか」
「うん」
「卵でも焼こうか?」
「うーん。ランが食べたいなら」
「サーヤは?」
「白パンと牛乳で十分」
「あと、野菜ね」
「…うん」
ランと椅子に座って『いただきます』と手を合わせる。
奥さんが救ってくれた白パンは、焦げた部分がなくなってふわふわの部分が見えている。
「サーヤ?」
ランの言葉に、首を振る。
「ごめんね、ラン。私、パンも上手に焼けない。薄めた蜜も零したし、何も出来ない。ランがいないと、ダメ人間だ」
「サーヤ」
ランの優しい声が、横から聞こえる。
「サーヤは、立派な紡ぎ司だ」
ゆっくりと、大事なことを言うランの声。
「…それしか出来ない」
私は、紡ぐことしか出来ない。
「それで、十分なんだ」
「そんなわけない」
「そんなことある」
でも、それじゃ私は生きていけない。
「でも、それじゃ一生ランに迷惑をかける」
「かけて良いよ」
「駄目だよ」
「駄目じゃないよ。俺は、嬉しい」
ランの声は、本当に優しい。
錯覚しそうになる。
「サーヤが俺を頼ってくれるのはすごく嬉しい」
ランがそう言ってくれるから、私はどんどんダメになりそう。
「ランが優しくて、私は助かる」
「うん、ありがとう。俺を頼ってくれて。じゃあ食べよう」
「…うん」
もう1回、『いただきます』と手を合わせる。
お礼なんか言う必要ないのに、ランの言葉に救われる。
今度は、窓の外は明るい。
窓を開けて、顔を出す。
「朝だ」
当たり前のことを言い、村を見る。
下では畑にいる人や、散歩する人などが遠くに見える。
「早いなぁ」
日が昇る前だろうに、もう働いている人。
「寒くはないか」
風はひんやりしているが、寒さは感じない。
というか、さっき起きたのって。
「夢?」
まだ暗い中、目が覚めて水を飲んで、ランがいて…。
そうだ、ランがいた。
多分。
泊まったんだよね?
あれ、勘違い?
夢だった?
ランが兄だったら良いなと思って、見た夢だった?
部屋のドアを開ける。
他の2部屋は開いていた。
階段を降りて、下に行く。
顔を洗わなきゃなんだけど、ランを探す。
「ラン?」
いないかな?
「ラン?いる?」
扉がないから、作業場とキッチンとチラリと覗いて行く。
「いないか」
夢にしてはリアルだったなと思い顔を洗いに行く。
口を漱いで、髪を梳かして。
お風呂場から戻ろうとした時、裏口がガチャリと開いた。
「サーヤ、早いね。おはよう」
ランだった。
「ラン!」
「どうしたの?」
何て言う?
ランは昨日いたの?って。
夢に出て来た?って。
「昨日、ラン、家にいた?」
自分でもおかしい聞き方をした気がする。
しかし、ランはいつもの穏やかな表情だった。
「いたよ」
「だよね!」
ランは何を当たり前のことを、と言いそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「さっき?まだ暗い時に、いたのがランだったなって思って」
「誰かさんが、ふらふら玄関を開けて外に行こうとするから」
「駄目だった?家の中じゃもう息が白くないから、外なら白くなるかなって思って」
ランは苦笑する。
「そんな理由?」
「だって、窓は2重だから、玄関なら1枚だし。ランのこと起こしたら、ヤダなって」
「…でも、朝になる前にやらなくても」
「何か、思いついたから」
「まぁいいや。サーヤ、着替えておいで」
ランの言葉に、コクリと頷く。
「そうする」
ランの言葉に、2階に戻る。
ランはいたんだ。
今日の暗い内に。
「ふふ」
夢じゃなかった。
ちゃんといた。
ふと、さっき掴まれた腕を思い出す。
痛くはなかった。
だけど、絶対に外れない力だった。
まるで鍛えている騎士みたいに。
男の人は、力が強い。
「良いなぁ」
私も力持ちになりたい。
「重いものとか、ひょいって持ちたい」
考えて、笑う。
体の小さい私が、私くらいのものを持ち上げたらランは驚くかな?
「ま、出来ないけど」
着替えて下に行くと、ランがミルクを出していた。
「サーヤ?今日は温める?それとも、このまま?」
昨日はホットミルクにした。
でも、今日は冷たいままが良いな。
「そのままでいいや」
「分かった」
ランの言葉に頷きそうになり、慌ててキッチンに行く。
「違うよ。ラン?自分でやるよ?」
「良いから」
ランは、本当に面倒見が良いなぁ。
甘えている内に、何も出来なくなっちゃいそう。
いつか、紡ぎ司を辞めた時、本当に何も出来ない私になってそう。
「サーヤ?」
「ランも食べよ?」
「サーヤが良いなら」
「何で?良いに決まってるじゃん。一緒に食べよう?」
「サーヤのお望み通りに」
ランは棚からコップを2つ出して、ミルクを入れる。
「あ、じゃあ薄めた蜜を入れるね?」
キッチンに置いたままの寸胴を探し、昨日片づけたことを思い出した。
「冷蔵庫」
そうだ。
ランが昨日片づけてくれたんだった。
「はい、どうぞ」
ランが大きい牛乳瓶を、冷蔵庫から出してくれた。
大きい瓶に、これでもかと入っている薄めた蜜。
ここからスプーン1杯は難しいな。
考える私に、ランは笑った。
「サーヤ、2人でやれば良いんだよ」
「2人で?」
「ほら、俺が傾けるから、サーヤがスプーンで受けてくれれば」
「良いなぁ」
私の言葉に、ランが首を傾げる。
「何が?」
「力持ちで」
「…力持ち?」
「この瓶、重いよね?」
「…重い?特別に作ってもらっているから、そこまでは感じなかったけど…。そうか」
「ラン?」
「サーヤ、ごめん。今日の内に、中の瓶に分けておくから」
「何で?」
「サーヤの力を考えてなかった俺のミスだ」
「何が?」
「これじゃ、遣い勝手が悪かったなって思っただけ」
大きい瓶が?
別に悪くないけど。
「1個で済むから、良いんじゃないの?」
私の言葉に、ランは困ったように笑った。
「サーヤが使いやすい方が大事」
「そうなの?」
「そうなの」
「それに、冷蔵庫だってスカスカなんだし。2本くらい入れたって困らないよ」
ランの言葉に、まぁそうかと納得する。
「まぁ、ランに任せればいっか」
結局、ランに甘え考えることを止めた。
ランは大きい瓶を傾ける仕草をした。
片手で。
底の方を持って、こちらに少し傾けている。
何だろう。
全部の仕草が流れるようだった。
レストランにいる、準備してくれる人みたいな。
カッコ良いなぁ。
そのカッコ良い人が、もう片方でスプーンを渡してくれた。
「やりたい」
「はい」
受けるだけなのに、スプーンを持つ手が震える。
「サーヤ、真剣な顔」
ランが笑う。
「笑わないで、真面目にやってるんだから」
「はいはい」
「真剣なんだよ」
「うん、大丈夫」
ランは笑っていても、瓶は揺れていない。
やっぱり力持ち。
今度は瓶を両手で支え、本当に少しずつ傾けてくれる。
安心感が違うなぁ。
ランは上手だな。
私の持つスプーンに、少しずつ薄めた蜜が流れて来る。
「わぁ」
怖いなぁ。
でも、丁度良い所でランが瓶を戻した。
スプーンからは零れてない。
だけど、スプーンが震える。
下にあるミルクに入れるだけなのに。
もう少し近付けて、コップの入り口でスプーンを傾ける。
零さないで入れることが出来た。
「出来た」
少しだけ誇らしい気持ちになる。
「はい、もう1回」
ランの言葉に、そうだったとスプーンを持つ手に力を入れる。
「うん」
私はスプーンを持つだけ。
大変なのは、ランの方だ。
「サーヤ、力抜いて。震えちゃうよ」
「え?」
ランの言葉に応えようと思ったら、スプーンが傾いた。
折角ランが上手に注いでくれてたのに。
「あぁ!」
下に置いたコップの中に、薄めた蜜が零れる。
でも、テーブルは濡れてない。
ランが上手にしてくれたからだろうか?
少し多く注がれた薄めた蜜。
こっちは、ランに飲んでもらおう。
今日起こしてしまったから。
「多い方がランね」
「何で?」
「元気にお仕事するために」
私の言葉に首を傾げるけど、ランは「はいはい」とコップを持って行った。
「パンは温めようっと」
コンロに行き、火を入れる。
すぐに温かくなり、籠から白パンを取り出す。
「ランは何個食べる?」
私は1個。
ランは2個かな?
「サーヤが好きなパンだから、俺は良いよ」
「良くないよ」
「でも」
「今日は、奥さんのお店に行く予定なの。だから良いの。それに、おなかが空いてると、お仕事に集中できないよ?2個?3個?」
私の言葉に、ランは少しだけ考えると「2個」と答えた。
コンロに3つの白パンを入れる。
すぐに、香ばしい香りが広がった。
「おいしそう」
「サーヤ、野菜も食べようか?」
ランが冷蔵庫から葉っぱみたいなものを取り出した。
少し苦いやつだ。
「食べなきゃダメ?」
「駄目」
ランの優しい口調。
「…分かった」
「偉い偉い」
まるで子どもを褒めるような口調。
「本当は毎朝食べた方が良いんだろうけど」
毎朝はやだ。
「だって、苦いんだもん」
「その苦味がおいしいのに」
誰だっけ、そんなこと言ってたの。
あぁ、お父さんだ。
仕事終わりに飲むお酒のことだ。
「ランはお酒を飲むの?」
私の問いかけに、ランが目を丸くする。
「…どうして?」
「苦いのがおいしいって、お父さんがお酒を飲む時に言ってたから」
言うと、声に出して笑われた。
「飲まない、かな?」
「何で?」
「おいしいと思うのはワインの方だから、かな?」
「ワイン?」
「サーヤは、来年成人だろう?」
「うん」
「そうしたら、苦くないワインを飲もう」
「苦くないワイン?」
「そ、甘いワイン」
甘いワイン。
「おいしい?」
「おいしいよ」
「ふふ」
つい笑う。
「どうしたの?」
「成人のお祝い、してくれるんだ?嬉しい」
「そうだね。サーヤの大事な日だから、盛大にお祝いしないと」
「盛大に?何で?」
「大事だから」
「紡ぎ司の私が大事だから?」
「紡ぎ司じゃなくて、サーヤが大事だから」
「私だから?」
私の問いかけに、ランが笑った。
「サーヤ、パンは?」
「え?」
慌ててコンロを開ける。
「あー!」
触ろうとすると、いつの間にか来ていたランが私の手を止める。
「火傷してしまうから」
「でも!パンが!」
真っ白な白パンの天井が黒く焦げていた。
「もったいないよ!」
「何だい何だい、朝日も昇らない内に…」
「奥さん!」
「昨日、サーヤちゃんが疲れてたみたいだから気になってね。おはよう。それより、どうしたんだい?」
後ろからランに手を万歳されている私。
「パンが…」
「あぁ、こりゃまた盛大に焦がしたね」
奥さんが笑ってる。
「折角奥さんがくれたのに。もったいない」
「それで、サーヤちゃんはコンロに手を入れようとしたのかい?危ないね」
でも、ランが止めてくれたから、コンロに手は入れてない。
入れられない。
「はいはい、こういうのは主婦に任せとくれ」
奥さんがキッチンにあるトングを取り、白パンを3つ出した。
「もったいない」
何度目か分からないけど、思わず口から出てしまう。
「サーヤちゃんは、本当に白パンが好きだね」
「うん、奥さんが作ってくれた白パンがおいしいから好き」
「そうかいそうかい」
奥さんは、白パンをトングで挟む。
力は入ってないようだけど、その反対から薄いパン包丁を取り出す。
「何するの?」
「こうやって、カリカリになった部分に切り目を入れてね」
奥さんは道具を上手に使ってる。
焦げ目ではない焼き目が入った部分に、切込みが入る。
思わずその光景をじっと見つめる。
焼き目が付いた部分でぐるりと1周、切込みが入った。
「ほら」
上を剥がすように、黒く焦げた部分がぺろりと剥がれた。
「すごい!」
「これならまだ食べられる!奥さんすごいね!ありがとう」
剥がれた焦げ目に視線を送る。
「ごめんね、焦がして」
食べられなくてごめんなさい。
「そうしたら、そのおこげはもらおうかね?」
「何にするの?」
「畑に撒くのさ」
「畑?」
「そうさ。炭はね、土を浄化してくれるんだ。良い働きをしてくれるんだよ」
「そうなんだ。良かった。無駄にならなくて」
奥さんは残りの2つも、上手に焦げた部分を剥がしてくれた。
「さぁ、どうぞ」
「わぁ、ありがとう!そうだ、今日ね、奥さんのお店に行きたいんだけど、忙しいかな?何時頃が良いかな?」
「あぁ、昨日言ってた南の地の特産物だね。いつでもおいで、サーヤちゃんが来るならお店を貸し切りにしても良いくらいだ」
「大袈裟だなぁ」
「そのくらい、紡ぎ司様には感謝してるんだ。サーヤちゃんがこの地の紡ぎ司で良かったよ。毎日ありがとうね」
「…ふふ」
照れるけれど、こうやって奥さんが喜んでくれるなら嬉しい。
「私こそ、いつもありがとう」
「そうそう、手ぶらで来るんだよ?サーヤちゃんの前借りのツケが、たんまりあるんだから」
「えー、いいのに」
「良くないよ!こういうのはね、しっかりとしないと。お金のことは後に遺恨を残しちゃいけないんだ」
「いこん?」
難しいなぁ。
「そういうけど、奥さんも余った物とか、残り物とかおまけでくれるよね?」
「それは、お隣さんのよしみだよ」
何が違うんだろう?
昨日のピルクも、奥さんがくれたんだ。
タダで。
「サーヤちゃん」
奥さんの声に、我に返る。
「いつまでもラン君と遊んでないで、ご飯食べちゃいな」
「…うん」
万歳ではないけれど、ランに手を握られたままだった。
「じゃ、奥さんまた後で行くね。ありがとう」
「はいよ。ゆっくり食べるんだよ?」
「うん」
奥さんは、ひらひらと手を振りながら裏口から出て行った。
「サーヤ」
「うん?」
「食べようか」
「うん」
「卵でも焼こうか?」
「うーん。ランが食べたいなら」
「サーヤは?」
「白パンと牛乳で十分」
「あと、野菜ね」
「…うん」
ランと椅子に座って『いただきます』と手を合わせる。
奥さんが救ってくれた白パンは、焦げた部分がなくなってふわふわの部分が見えている。
「サーヤ?」
ランの言葉に、首を振る。
「ごめんね、ラン。私、パンも上手に焼けない。薄めた蜜も零したし、何も出来ない。ランがいないと、ダメ人間だ」
「サーヤ」
ランの優しい声が、横から聞こえる。
「サーヤは、立派な紡ぎ司だ」
ゆっくりと、大事なことを言うランの声。
「…それしか出来ない」
私は、紡ぐことしか出来ない。
「それで、十分なんだ」
「そんなわけない」
「そんなことある」
でも、それじゃ私は生きていけない。
「でも、それじゃ一生ランに迷惑をかける」
「かけて良いよ」
「駄目だよ」
「駄目じゃないよ。俺は、嬉しい」
ランの声は、本当に優しい。
錯覚しそうになる。
「サーヤが俺を頼ってくれるのはすごく嬉しい」
ランがそう言ってくれるから、私はどんどんダメになりそう。
「ランが優しくて、私は助かる」
「うん、ありがとう。俺を頼ってくれて。じゃあ食べよう」
「…うん」
もう1回、『いただきます』と手を合わせる。
お礼なんか言う必要ないのに、ランの言葉に救われる。
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王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
ぴょんぴょん騒動
はまだかよこ
児童書・童話
「ぴょんぴょん」という少女向け漫画雑誌がありました 1988年からわずか5年だけの短い命でした その「ぴょんぴょん」が大好きだった女の子のお話です ちょっと聞いてくださいませ
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