アイの間

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「タミくーん?今日は何が食べたい?」
「んー、何かこってりした物が良いなぁ…」
「いい加減、体のことを考えなよ?いつまでも若い気でいると、そのおなかに段々と…」
「その言い方、やめてほしいなぁ」

マミさんとタミ君の会話を聞きながら、僕は午後からリビングにいた。
少し前に買ったテレビゲームを操作しながら2人に背中を向けていた。
タミ君は同じ空間にいるからそうでもないが、キッチンにいるマミさんの声は少しだけ遠い。
マミさんは、お菓子作りをしているらしい。

「若い気って、同じ歳じゃないですか?」
「違うよ。肉体年齢が、ってこと。私、タミ君より絶対健康志向だからね?」
2人の表情は、見なくても容易く想像できる。
得意そうなマミさんに、呆れたようなタミ君。

「健康志向の人って、寝る前にお菓子とか食べるのかな?」
「なにー?」
「それに、その服…。仮にもレディなんですよね?」
「あれはー、タミ君がお土産あるよーってわざわざ寝室にまで持って来たからだし、それにこのパンツはオシャレなルームウェアなの!ゴム製万歳よ。快適で良いじゃない?家にいる時くらい、楽にさせてよ」

「わざわざって、押しつけがましいなぁ。本当にマミさんは都合が良いんだから。あの時は、僕に『嬉しーい、早く届けてくれてありがとう』とか言っていたのになぁ…」
ゆるやかに交わされる会話は、ただ聞いているだけで心地良い。
僕のお気に入りでもあるが、2人には言ったことはない。
調子に乗るのが目に見えているから、そんなこと言いたくないんだ。

「じゃ、カレーで良い?こってりしたの作るから」
「マミさん、考えるの面倒になったんだ?こってりしたカレーか、何かドロッとしてそうだなぁ」
「だって、それタミ君のご希望でしょ?大丈夫、きっとおいしいから」
「ま、カレーに外れはないかぁ…」
「そういうこと、決定!じゃ、雪?今日はカレーね?」
「うん、分かった」

僕が聞いていても、聞いていなくても2人は全く気にしていない。
僕も気にしているつもりはない。
だから、急に話の矛先を向けられても、慌てずに返事をする。
体の向きもテレビの方を向いたままだ。

テレビ画面で、僕の操作するキャラクターがあちこち探索をしている。
アイテムを回収するのが目的のはずなのに、すでに探すというよりただの散歩みたいだ。
操作をしているのは僕のはずなのに。
だけど、もうすでに僕の意識は離れていた。
2人の方に向いていた。

「ねぇー?雪」
「ん?」
マミさんの声も、いつも通りだ。
土曜日の午後、何もかもいつも通りだった。

「最近、何かあった?」
「…何で?」
キッチンから、コーヒーの香りが漂う。

「んーとね、ここ1週間、ちょい?少しだけ、雪の雰囲気が違うかなーって、ね…?」
僕はマミさんの声しか聞こえてないのに、咄嗟に“見つかっちゃった”という溜め息を付いてしまった。
マミさんの声には、笑みが混ざっていた。
穏やかな昼下がり。

僕が川野に振られてから、もう数日が経っていた。
あの日と同じで、日差しは柔らかい。
飽きたことも手伝って、ゲームのスイッチを切る。
「鋭いね?」

疲れてはいないけれど、体を伸ばしくるりと後ろを振り返る。
同じ空間にいたタミ君に、諦めたように笑って見せる。
タミ君からは、ずっと僕の背中が見えていたはずだ。
さっきの溜め息も、落ち込んでいたことも全て見られていたのかもしれない。

後ろを振り返った僕の真後ろにいたタミ君。
ソファに座って、タミ君は膝の上に雑誌を置いていた。
すごく大きめのソファは、コの字に配置されている。
真ん中のソファは座面が広くて、5人くらいが座れるようになっている。

左右のソファも、3人は座れるようになっている。
結婚してすぐの頃、マミさんが大きなソファが良いとタミ君におねだりして買った家具だったらしい。
少しだけお高かったからか、座面はメンテナンスをお願いすれば家具屋さんで安価に直してくれるらしい。
すでに何回か張り直して、その時の気分でカバーの色を変えているらしい。

僕が知っているのは、小さい頃に見覚えのあった水色のカバー。
そして小学生の途中で交換した、今現在使用している緑色のソファだけだ。
2人の時はオレンジとか、紺色もあったらしい。

真ん中のソファは、マミさんとタミ君のお気に入りの場所だ。
そこに2人で並んでいたり、時々横になっていたり…。
今もタミ君は、そこで寛いでいた。
膝に乗せた雑誌を閉じると、タミ君は“おいでおいで”と手招きをした。

少しだけ躊躇ったけれど、腰を浮かせてタミ君に近付く。
タミ君の前でまたラグの上に座る。
向き直る形になり、タミ君は口元に手を持って行き内緒話をするように口を開いた。

「だって、僕達は雪のお父さんとお母さんだからね?」
お父さんとお母さん。
この2人には、随分不似合いな言葉に思える。
でも、それで良いのだ。
タミ君のお茶目な笑顔に、僕もつられる。

「そういえば、そうだったね」
タミ君の真似をして、僕も囁き返す。
「なにー?男同士の内緒話?」
マミさんが、3人分のコーヒーを持ってやって来た。
タミ君が低めのテーブルを少しずらして僕との間に空間を作った。

マミさんはテーブルに小さなお盆を置いて、タミ君と僕の近くにコーヒーの入ったカップを置いた。
僕の分は牛乳と砂糖を足して、コーヒー牛乳になっている。
「ありがとう」
「どういたしまして」
僕のお礼に、マミさんはニコリと笑う。

そのままタミ君の隣に座り、マミさんはカップを手にした。
「で?どうしたの?」
「僕、振られたんだ」
僕の言葉に、マミさんは驚くという表情ではなく少し悲しい顔をした。
「そう、それは残念だったわね」

タミ君もマミさんに『いただきます』と言い、カップを手にする。
そのまま目の前にいた僕に苦笑を向けた。
マミさんと同じ、“残念だなぁ”と告げていた。
「でも、それだけじゃないでしょ?」

やっぱり鋭いマミさんの指摘に、僕は迷いながらも頷いた。
「その子、その…他に好きな子がいて…」
「んーまぁ、理由としては大道よね?」
マミさんの相槌に頷いた。
「うん、でも…その、何て言うか」
「何か他の問題でも?」

タミ君の言葉に、ドキリとする。
目の前のソファに座る2人。
その視線は少しだけ僕より高い。
「うん…」

少しだけ迷って、だけどこの2人なら良いかなと口を開く。
「…その子が好きなのは、えと、女の子だったんだってさ」
2人は顔を見合わせた。

そうだよね。
そうなるよね。
「1つ、雪が告白したのは、女の子?」
マミさんの探るような声に、僕は笑った。

「そうだよ。何で、僕が男子に告白なんて…」
「…いやぁ、だってそういうのもあるっちゃ…あるんだから、ねぇ?」
マミさんの問いかけに、タミ君はこくりと頷いた。
この2人って、本当に偏見とかがないのだろう。

男子が男子を好きでも、女子が女子を好きでも良いってことかな?
それもそれで変だけど。
マミさんもタミ君も、変だとは思っていない様子が見えた。

「そうだね、で?雪はどう思ったの?」
タミ君の問いかけに、僕は曖昧に首を傾げる。
「どうって…」

「その女の子が、他の女の子が好きだって知って、どう感じたの?」
マミさんの言葉に、少し考える。
「…おかしい、よね?」
考えた末に、僕の口から出た言葉。

僕の言葉に、マミさんはゆるやかに笑った。
僕のことなら、全部分かるんだっていう顔。
唯一、“お母さん”と思える表情だ。

「雪は、同性が同性を好きになるって、変だと思う?」
マミさんの言葉。
何を聞いているのかな?
「変に決まってる。だって、普通だったら、男女で恋愛するんじゃないの?」

「その女の子のことも、変だって思うのかな?」
タミ君の言葉に、頷こうとして少し止まる。
だけど、迷った後にゆっくりと頷いてしまった。
偏見がない2人に言うのは少し躊躇われるけれど…。

「僕、最初は揶揄われているんだと思って。でも、その子は冗談を言ったり、ふざけたりする子じゃなくて…」
「そう」
タミ君の相槌に、僕も小さく『うん』と答える。

「それから、何か気まずくて。文化祭まで、あと1週間もあるのに。同じ空間にいるのが、息苦しくて…。1人で思っているだけだけど…」
『ストレスってやつかな?』と小さく付け加え、僕は笑った。

「でも、もう良いやって。2人に言って、スッキリした」
僕の言葉に、マミさんとタミ君はもう1度顔を見合わせる。
「本当に?」
マミさんの確認に、しっかりと頷く。

「何か、あの日からずっとモヤモヤしてたけど、こうやって話したら落ち着いたよ。2人に、言えてなかったことも、何か気になっていたんだと思う。2人に言えなかったことが、もしかしたら嫌だったのかもね?」
「そっか」
タミ君の声も、いつも通りだ。

「2人に話そうか、僕なりに迷っていたわけ…」
「ね?雪」
マミさんの声は、いつもと同じだ。
「何?」

人間ひと人間ひとを好きになるって、そんなにおかしいこと?」
何も変わらない、マミさんの良く通る声。
さっきとわれていることは、変わらないのだろうが、人間が人間を好きになる、と、同性が同性を好きになる、は何か微妙に違う気がする。

「どういうこと?」
もう、その話は終わりにしたいのに、何でそんなことを言うのか僕には分からなかった。
「人が人を、って言えば聞こえは良いけど、やっぱり間違ってると思う。それじゃ、何かおかしいままだよ?」
返す僕に、マミさんはふふっと笑う。

「私が女の子を好きだって言っても?」
マミさんの揶揄うような、まるで試すような笑みに、僕は笑おうとした。
「何言ってるの?マミさん」

「私の好きな人が女の子だったら?」
突拍子もない言葉に、僕の顔は引きつった。
「やめてよ、マミさん。僕、今そういう冗談に付き合う気分じゃないの。ていうか、マミさんに好きな人がいるとかおかしいでしょ?タミ君はどうなるの?」

「ね?考えてみて」
マミさんの言葉に、僕はマミさんの隣にいるタミ君を見る。
タミ君はやっぱり穏やかに笑っているだけだ。
聞いているだけのタミ君に助けを求める。
「ね?タミ君?」

だけど、タミ君は穏やかにコーヒーを飲み、静かに笑っているだけだった。
「タミ君!一緒にふざけ過ぎだよ?もう、マミさんが変な道に入っちゃっても良いの?変態になっちゃうよ?」
「まぁまぁ、少し考えてみたらどう?」
ようやく困ったように、そう言ったタミ君。
「良い機会なんだし?」
追い打ちをかけるように、マミさんがそう付け加えた。

たまにこうやって、2人は僕に色々な“想像してごらん”を試す。
僕はその度に、良く分からない気持ちになる。
この間だっていきなり『雪が養子だったら?』と2人で聞いて来たんだ。

2人にしてみたら、悪ふざけの延長戦なんだろうけど、言われた方はたまったもんじゃない。
あの時も、1週間はしつこく絡まれて困ったんだから。
結局、僕が養子でも良いやって諦めたら急に2人が焦りだしたんだっけ。

『雪はうちの子!私が産んだ子。ごめんね!嫌なことを聞いて』
『もう聞かないから、嫌いにならないで、ごめんね雪?』
あの時も、2人はそう言って僕に愛してるを連呼していた。
そんなことを思い出す。

「良い機会も何も、2人は結婚して『愛し合って』僕が産まれた。だから、同性には興味を持つこともなかった。ハイ、おしまい」
言い切ると、マミさんはクスクスと笑った。

「やっぱりそう来たか。結構前にさ、雪が女の子だったら?て聞いた時のことを思い出した」
マミさんの言葉に、タミ君もつられたようにクスクス笑った。
「あの時も、僕は男だ!ってバッサリ切られたなぁ…」

「それなりに、タミ君たらノリノリになっちゃって、雪のこと怒らせてさー」
「いやいや、あの時のマミさんもきちんと共犯ですよ」
マミさんは、タミ君の肩を何回かバシバシと叩いていた。
痛そうではないので、タミ君の表情は変わらない。

「でも、雪は本当に可愛いから、女の子でも生きていけると思うんだよねぇ」
「まだ言ってる」
「だって、惜しいじゃないですか?マミさんもそう思っているでしょ?」
「ノーコメ!」

マミさんは、思い出したのか目に涙を浮かべていた。
「あー、おかしい。雪にかかっちゃ、全部常識的まともに片付いておしまいね?」
「本当にね」

2人で笑い合う姿に、僕はホッとした。
「マミさんとタミ君には、もう少し真面目さがあっても良いと思うけど…」
一瞬浮かんだ“まさか”と打ち消す。
マミさんも笑顔のままだった。

「でもね、雪。残念だけど、私は同性愛好者なんだ。多分だけどね」

笑ったまま、マミさんがそう言った。
今日はカレー、そう言った時と同じ雰囲気だった。
いつもと変わらない、マミさんのよく通る声がした。

さっき消した、“まさか”戻って来る。
頭の中を嫌な考えが占め始める。
「だから、『残念だけど』って言ったでしょ?」
「僕、今本当に疲れているんだけど?」

自分の目線よりも少し高い位置にいる2人をしっかりと見る。
2人も、僕のことを見つめていた。
じわじわと嫌な感情が、僕を包む。
違うと言ってほしくて、マミさんをじっと見る。

「ごめんね、雪」
どこまでも穏やかに、だけど『嘘ではないんだ…』と静かに言ったタミ君。
じわじわが、息苦しくなる。

まるで違う重力がかかったような気持ちになる。
芳の言う、宇宙の世界だ。
重力が急に変わるのは、イタズラ好きの宇宙人意識体が側にいる証拠。
そんな芳の言葉を思い出した。

ソンナワケナイ

響く声は、僕のものか他の何かか。
「本当の…こと、なんだ」
僕の声が自然と震える。

タミ君の声に冗談じゃないんだと、2人は本気なんだと思わざるを得なかった。
「待ってよ。じゃあ、僕は何なの?」
「正真正銘、僕とマミさんの子だよ」
「そうじゃなくて、タミ君…。そういうことじゃなくて!」
先が出て来なかった。

「良い機会っていうのは言い過ぎだけど、やっぱ雪には私達のこと、本当のことをしっかりと伝えておいた方が良いかなって思って」
マミさんの言葉に、タミ君が口を開く。
「雪が偏った考えを持たない内に、ね?」
ポツリと言った。

顔を見合わせる2人。
それでもどこか、いまいち真剣みが足りない気がする。
そして、それは僕も同じだった。
本当のことだと認めたくない。

分かっているのに、認めたくない気持ち。
否定の気持ちがどうしても大きい。
じりじりの中に、膿のようなドロッとした何かが通り過ぎた。

僕の中に、得体の知れない何かが居座る。
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