しなしな

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この気持ちは?

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「ねえねえ、空さんこれっていつもの方が良い?」
私が買って来たのは、歯ブラシ。
いつも空さんが使っているのと、少しバージョンアップしたもの。
「ん」

変わらず、いつもの方を選ぶ空さん。
少し変わった方が、使いやすいと思うんだけどなあ。
でも、空さんは迷うことなくいつもの方を選ぶ。

「でもね、これって」
「ん」
いらない方を、私に突き返す。
もう、話を聞かない。
え?昭和の人ですか?

お母さんが言う、おじいちゃんの話みたい。
言葉が足りないとは言うけれど、これは足りないとかの話じゃない。
「そっか、いらないのね。じゃ、私が使ってみるね」
「ん」

空さんは、いつもそう。
私の話を聞いているのかいないのか。
分かっているのかいないのか。
変わらない、オタクのようにずっとパソコンの画面に齧りついている。
これは、空さんのお仕事。

図面を引く空さん。
空間を決める空さん。
私がいても、いなくてもそこでずっとお仕事をしている。
「空さん」

「ん」
「私、ここにいるの迷惑?」
「ん?」
「お仕事、終わっていないよね?リビングにいるね」

空さんのマンションに居座る私。
いつもは、その空さんの寝室兼仕事部屋で一緒にいる。
その時によって、ラジオをかけていたり、スマホを操作しながら動画を観ている。
でも、ここ最近は何か居心地が悪くて、リビング兼キッチンにいることにした。

いつでもそう。
この少し年上の空さんは、それを受け入れてくれていた。
実家の部屋でも、1人暮らしした部屋でも。
私はまだ学生だから、そんな空さんの邪魔にならないようにしたいんだけど。
良く考えてみ?

趣味も仕事も、常に監視されているような空気。
落ち着かないよね?
お母さんにも言われている。
「男の人にだって、プライバシーはあるのよ」って。
そうだよね、言わないけれど、実は気まずいからパソコンに向かっているのかもしれない。

そう考えると、何か居心地が悪くなるような気がした。
だから、必要な時以外はいない方がいいのではないかと、気を遣うようになった。
こうした方が、空さんもお仕事が捗るのではないかと、気付いちゃっただけ。

私の意味を考えて、少し虚しくなる。
私ができるのは、数えるくらいしかない。
だって勝手に押しかけているだけだから。
空さんのお父さんとお母さんも、私に合鍵を預けておいた方が良いと、あっさり渡してくれた。

だから、私がこうやって毎日のように来ているんだけど。
やっぱり、私って考えが足りないんだよな。
空さんは言葉が足りないけれど、私は考えが足りていない。

でも、考えるのは苦手だから、すぐに放棄する。
だって体を動かしていた方が楽だもん。
「さて、今日のお昼は…」
昨日の夜は、焼きそばだったでしょ?

冷凍庫に、お魚もお肉もあるから、何でも良いか。
もう「おいしい?」とか「味大丈夫?」とは聞かなくなった。
だって、おいしくてもまずくても、空さんは黙々と食べているから。

「朝と昼は、少しボリュームがあった方がいいからなあ」
冷蔵庫を開けて、しなしなになった野菜をいくつか見つけてしまった。
ヤバい、食べなきゃいけない。
空さんは、何でも食べてくれるけど野菜は苦手みたい。
それを思うから、空さんに盛る時は少し野菜を少し減らしてしまうんだよね。

だからか、野菜は少しだけ余ってしまう。
お昼は、お魚にしよう。
野菜をたくさん乗せて、ホイル焼きとか良いな。
私が食べたいから、それにしよう。

しなしなになった野菜を見て、今の私も同じなんじゃないかって思ってしまった。
空さんに相手にされなくて、水が足りない野菜と一緒。
思ってから笑ってしまう。
相手にされていないのは、今も昔も変わらない。
今更のことだ。

考えても、仕方ない。
だから、体を動かそう。
今は、お昼ごはんのことに集中。

味は、醬油?味噌?
醤油でバターも良いし、味噌でちゃんちゃん焼きみたいにするのも良いな。
わくわくしながら、味について考えていると気配を感じた。
何の気なしに、振り返りびっくりする。

「どうしたの?空さん」
そこには表情こそ変わらないけれど、少し所在なさげな雰囲気の空さんがいた。
「あ、喉渇いた?コーヒーで良い?それともお茶?」
飲み物かなと思うけれど、違うらしい。

「え?おなか空いちゃった?朝のホットサンドじゃ足りなかった?」
結構ボリュームを出したつもりだったけど、やっぱりパンは消化が早いのかな?
私、まだおなかいっぱいなんだけど…?
「どうしたの?」

空さんが何も言わないのは、もう数年変化がない。
「コーヒーで良い?私もそうしよっと」
「ん」
私の言葉に頷く空さん。
やっぱり、喉が渇いたのかな?
「お菓子もいる?昨日焼いたクッキーあるよ?」

「ん」
首を振って拒否をする。
いらない?おいしくなかった?まだおなかいっぱい?
もう分からないけど、とりあえずコーヒーを落とす。

良い香り。
落ち着くな。
バニラコーヒーの良い香りが、空間に広がる。
好きだな、このコナコーヒー。

空さんの家で、おばさんが好んで飲んでいるコーヒーは私が初めて飲んだドリップして淹れるものだった。
小学生の私には、すごい新鮮で楽しかったのを覚えている。
「はい、どうぞ」
「ん」
カップを渡すと、そのまま受け取る。

でも、そのままステイ。
何でしょうか?
もう、空さんの言いたいことは私には分からない。

「?」
言葉で聞くのも、もう分からない。
良いか。
私も、自分の分をカップに入れる。
今日は、砂糖とミルクを足す。

本当はブラックが良いけど、今日は何か甘い物が良い。
食べ物はもう入らないから、飲み物で補おう。
気にしても仕方ないけど、私も気を逸らして淹れたばかりのコーヒーを飲む。

「ん」
立ったまま飲み始めた私の背中をそっと支え、ソファに座るよう促された。
「あ、お行儀が悪かった。ごめんね」
流れで、一緒にソファに座る。

「休憩?」
私の言葉に「ん」と頷く。
こういう所が良いな。
のんびりする空気。
空さんもコーヒーをゆっくりと飲む。

「お昼は、ホイル焼きですよ」
「ん」
「野菜もしっかり食べてくださいね」
「ん」

ふふっと笑い、一息つく。
「良い時間ですね」
「ん」
幸せ。

こういう時間が良くて、空さんの側にいることが増えたんだ。
従妹の空さん。
私が学校で浮いてしまって、学校に行けなくなった時。
自分の部屋なのに、落ち着かなくなって、外にも出られなくなった。
そんな時おばさんと家に来た空さん。

何を言われるのかと思っていたけれど、何も言われないし何も聞かれないことが、思いの外ほっとしたのを覚えている。
そうしている内に、空さんの側ならゆっくりと息が吸えることが増えていった。
自然と懐く私に、空さんは特に嫌がる素振りもなく受け入れてくれた。

私は空さんの側にいたいんだけど、空さんがそれをどう思っているのか聞くのは躊躇われる。
だから、このままで良いんだ。

コーヒーを飲みながら、そんなことを考える。
でも、この先もし空さんに恋人とかができたらどうしよう。
私、その時はちゃんと「おめでとう」って言えるかな。
そうだ、先に言っておかなきゃ。

空さんに好きな人ができたら教えてねって。
私はちゃんと協力するって。
空さんの幸せを願っているって。

言う前から、しんみりしちゃう。
「空さん」
「ん?」
「もし、空さんにね…」
「ん」

「好きな人とか、大事にしたい人とかができたら…さ」
「ん?」
「ちゃんと私に教えてくれる?」
「んん?」
「わたし、ちゃんと空さんと好きな人のことを応援するから」

「…それは」
「空さんの、幸せをずっと願っているから」
「それは、困る」
え?

「願っているだけでも迷惑?」
「ん?」
「邪魔なんかしないよ、勿論」
「いや、違う」
「違くないでしょ。空さんの邪魔をしないように、ちゃんと応援するから。だって、空さんのこと困らせたくないもん。良いの?彼女さんに怒られても」

「ん?」
「ん?じゃなくて」
「そうじゃなくて、お前は…」
「何?」

じっと見る空さん。
私も見返す。
もう、ここにもいられなくなるのかな?
それは、悲しい。
でも、もう引きこもっていた私じゃないもん。

少しは悲しい時間が続くかもしれないけど、学校にだって行けるようになったし、友達だってできたし。
だから、ちゃんと受け入れるもん。
「良いよもう」
空さんの言葉のなさは。

もう、諦めたよ。
空さんの言葉の足りなさは。
少し冷めたコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「空さんの幸せを勝手に願っているから」

「違う」
立ち上がった私に合わせて空さんも立ち上がる。
「願われても困る」
「何で?」
「俺の幸せは、サチといることだから」

…?
「私?」
「そうだ」
「私といること…?」
「そうだ」

どういうこと?
私が勝手にいるだけなのに。

「お前は、どういうつもりで、ここにいる?」
「どういうつもり?って言われても、好きだから」
「ん」
この空間も、時間も何もかも。

「それなら、そんなことを言わなくても」
「何で?」
「一緒にいれば良いんだから」
「一緒に…?」

どういうこと。
私が、空さんの側にいることは、邪魔じゃないの?
「邪魔じゃない?」
「何で?」

「お仕事しているのに」
「ん」
「プライベートとかないのに?」
「ん」
「いつでも、うるさいのに?」
「そうだな」

それには肯定を示すんだ。
笑ってしまう。

「空さん」
「ん?」
「空さんこそ、私のことどう思っているの?」
「大事だと思っている」

言葉が足りないくせに、そういうことははっきり言うんだ。
「大事って?」
「ん?」
「どんな風に?」
「大事にしたい、と思う」

「私も、空さんを大事にしたい、よ?」
「ん」
空さんと私は、同じ気持ちだったのかな?
少し違う気もするけど、一緒にいても良いのならそれで良いのか。

離れなくても良いのなら、それに甘えよう。
願ったり叶ったり。
私にとっては。

ついでに、私の幸せのためにもね。
「お仕事、大丈夫?」
「ん」
「じゃ、お昼は呼んだらすぐに来てね?」
「ん」

そういうこと。
しなしなになった気持ちに、栄養が入ったみたい。
空さんという満点な栄養が。

「じゃ、お昼ご飯までまた頑張って」
「ん」
まだ、何か言いそうな空さん。
でも、待っていても言ってくれないかもしれない。
だから、自分で言っちゃおう。

「部屋にいても良い?」
「ん」
少し笑った空さん。
聞いて良かった。

お昼ご飯まで、少し時間があるから。
この気持ちについて考えよう。
空さんの側で。
私の幸せと、空さんの幸せについて。

また、しなしなになることがあるかもしれない。
でもそうなったら、空さんの側に来よう。
そうしたら、また元気になれるから。

考えることは苦手だけど、これは考えないといけない。
だから、諦めないでちゃんと考えるようにしよう。
空さんの側にいることが、好きだから。
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