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第1章/

第30話:皆とのデート、そして……

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「じゃあ、ことり、また明日」
「うん、守」
 家の前で手を振る、ことりと別れる。
 麻実は僕の背中で、可愛い寝息を立てている。
 栄から帰り着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「あ、ことり」
 不図訊きたい事が有るのを思い出して、玄関のドアを開けようとしていることりを呼び止めた。
「何?」
「さっき、電車の中で、何か言い掛けなかった?」
 麻実の寝言に遮られてしまった、ことりの言葉。
「ううん、何でも無いから。気にしないで! じゃあ、おやすみなさい!」
 ことりは逡巡した後、そう言って灯りの点いた家の中に入って行った。
 玄関灯も点いていたけれど、その時の表情は良く見えなかった。

   ○○〇

 麻実の部屋のベッドに、起こしてしまわない様にと静かにその身を横たわらせると、麻実は「ん……」と小さく声を漏らした。
 布団を掛けて、ベッドの縁に腰掛けてその頬を軽く撫でると、麻実の手が布団の中から徐に伸びて来て、僕の服の袖を掴んだ。
「ちょっと、麻実……」
その手を解こうとしても、思いの外しっかりと掴んでいるらしく、離してはくれない。
 土日の2日間共ガッツリとデートをしてしまったので、せめて明日の予習だけでもしたかったんだけど……。

 ……デート。
 まさか、ことりとのカモフラージュの為のデートを皮切りに、ミモと中村先輩と立て続けにする事になるとは、思ってもみなかったけど。
 これは、前を向き始めた事によって、運が向き始めたって云う事なんだろうか。
 ……いや、運なんて言葉は使いたくないな。
 きっとこれは、必然的な連鎖。
 でも。
 それにしても、本当に今日のデート迄見られていたとは思わなかった。
 子供の頃にことりと2人で出掛けていた時は未だそれを“デート”とは名付けていなかったから、人生でカモフラージュを含むデートの3回中3回共見られていた事になる。
 ……本当にどうなっているんだろうか、僕の青春は。
 変なへきが出来たらどうしてくれる。
 でも、……ことりがそれだけ今の僕を気にしてくれているって、自惚れても良いのだろうか。
 少し位、…………1ミクロン位は。

「ヒーロー、……か……」
 帰りの電車の中での、麻実の寝言を反芻する。
 少なくともここ4年程はカッコ良い所なんて見せて来なかったのに、それでもそう言ってくれるのは、素直に嬉しい。
「お兄ちゃん……」
 静かな寝息を立てている麻実の唇が、微かに動いた。

   ○○〇

 翌朝1人で家を出ると、丁度ことりも家から出て来た処だった。
「あ、守、おはよう」
「おはよ、ことり」
「今日は、このまま一緒に行かない?」
 挨拶を交わした後駆け寄って来たことりは、上目遣いに言って来た。
 そんな風に言われて断る理由は無いけど、……珍しい。
 ここ数年、家の前であったとしても無機質に挨拶を交わすだけで、直ぐに1人で足早に行ってしまっていたのに。
「……ダメ?」
 ……少し考え過ぎていたのか、ことりが不安気な顔で訊いて来た。
「良いに決まっているでしょ。こっちからお願いしたかった位だよ」
 抑々、どうして訊いて来る必要が有ると云うのだろうか。
 今や、僕の方が、ことりを追い掛けている立場なのに。
「良かった! でも、今の守だから一緒に登校しても良いかなって思うんだよ?」
「分かっているって。頑張り続けるよ」
 僕のその言葉を聞いたことりは「うん、よろしい、期待しているからね」と楽しそうに笑い、その笑顔を、爽やかな朝陽が照らした。

   ○○〇

「あれ? 珍しいな、2人一緒なんて」
 ことりと一緒に教室に入ると、先に来ていた信行が驚きの声を上げた。
 信行のその声に反応したクラス中の視線が、僕達に集まる。
 怯みそうになったけど、すんでの所で踏み止まる。
 ……負けるものか。もう負けないって、決めたんだ。
「うん、信行と知り合ってからは初めてかな」
「じゃあね、守、清須君」
「うん」
「おう」
 ことりは僕達だけに見える様に小さく手を振り、窓際の自分の席に向かって行った。
 皆の視線が、それにつれて移動する。……余りにも不躾過ぎないだろうか。
 大丈夫かな、あいつも視線が苦手なんだけど。……男子のそれ限定で。
 今は僕が変に何かをしようとすると、余計注目を浴びる未来しか見えないから、どうしようも無いけど。
 ……これが多分、今のクラス内での僕とことりの扱いの差なのだろう。
 これからずっと、僕とことりが一緒に居ても不自然に思われない様に、頑張って行かないとな。

 1人で心配したり決意を新たにしたりとヤキモキしている内に、ことりは席に座るなり話し掛けて来た飛島とびしまさんと談笑を始めたので、取り敢えずは大丈夫そうだ。

   ○○〇

 そして1日分の授業が終わり、緊張の部活動の時間がやって来た。
 昨日は先輩に良い様に言われてその気になっていたけど、良く考えれば、まだ演劇を始めたばかりの僕が、先輩達を差し置いて主役を張ると云う事に他ならない。
 中村先輩が言う程、簡単に受け入れて貰えるのだろうか。
「……守、急に顔色が悪くなってるけど、どうしたんだ?」
 2人で柔軟をしている時に、信行は心配気な顔で僕の顔を覗き込んで訊いて来た。
 やっぱり、こいつはちゃんと気付いて来るんだよな。
「……ん、いや……」
 先輩が発表する前に口外して万が一にも問題が起きたら大変だと思い、言葉を濁す。
 ……尤も、こいつをこれ位で誤魔化せるとは思えないけど。
「……そうか? 部室に来る迄はそんな事無かったんだけどな。部活で何か有んの?」
 ほら、分析が始まった。
「今日と言えば、部長、来月下旬の地区大会の事を話すって言っていたな。……お前昨日、部長とのデートだったんだよな?」
 ニヤニヤと笑う信行の顔に、思わず視線を逸らしてしまう。
「……成る程な。別にお前を追い詰めたい訳でも無いし、どうせこの後直ぐに分かるし、今は訊かないでおいてやるよ」
 満足気な笑みを浮かべた信行は喋るのを止め、前屈を始めた。

「では、全員集合!」

 部長の声に、それぞれがしていた柔軟や発声を止め、部員全員が部長の前に集まって座った。
 僕と信行は少し出遅れ、一番後ろにちょこんと座る。
「では、かねてしていた通り、演劇大会の話になるのだけれど」
 中村先輩の言葉に、先輩達は皆「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」と猛々しい声を上げた。
(……あれ? そう云う感じ? 僕、生きて帰れるのかな……)
 室内に響く声に、唇から血の気が一気に引いて行くのを感じた。
「前は、先月の5月中に台本を用意するって言ったんだけどね、実はまだ出来ていないんだ」
 部長の発言に、室内が一気に静まり返る。
 『スン…………』と云う音が聞こえて来る様だ。
「……と云うのも、今年は少し趣向を変えてみようと思ってね」
 中村先輩は、部員の反応を気にせず、喋り続ける。
 演出好きの先輩の事だ。静まらせる為に敢えてやったのだろう。
「ほら。今年は面白い才能が入って来てくれたしさ」
 そう言った先輩の視線に釣られ、一同の顔がこっちを向いた。ひっ。
「皆、知っているよね、美浜守君のエチュード力。尤も彼は、台本上の役を演じろって言うと、途端にポンコツになるらしいけれど。……そうだったよね、岩倉さん」
 不意に話を振られた岩倉さんは、慌てて首を何度も縦に忙しく振った。
 ……ひょっとして、報道部室に乗り込んでいた時に訊いていたのかな。
 チラリとこっちに振り向いた岩倉さんと視線が合う。
 その口が、“ご”・“め”・“ん”・“ね”、と動いた。……はて、何がだろう。
「だから、その大まかな性格と、起点と終点を決めたエチュードで人格を作って貰って、それを元にメインの盛り上がりのシーンまでを書いてみたいと思う」
 信行はそれを聞いて、僕の肩を小突いた。
 と、その時に座って部長の話を聞いている部員の中から、一本の手が上がった。
「ちょっと良いか?」
 3年生の、弥富祐介やとみゆうすけ先輩だ。
「何かな、祐介君?」
「今の話だと、そのまま美浜が主役って事になるのか?」
「うん、そうなるね」
「別に年功序列とか1年が主役をやるのが気に食わないとか言う訳じゃ無くて、……俺も部活で何回かは観た事が有るけど、実際そんなに言う程美浜のエチュードは凄えのか?」
 弥富先輩の言葉に乗って、信行と岩倉さんを除いて、座っているほぼ全員が頷いて同意を示した。
 ……本当にさっきから、生きた心地がしてくれない……。
「その質問は尤もだね。でもね、それについては私が昨日確認させて貰ったよ」
 中村先輩がそう言うと、「あの……」と他の部員がおずおずと手を上げた。
「昨日、友達が、部長が栄で男子と仲良さそうに手を繋いで歩いているのを観たらしいんですけど、それってひょっとして?」

「なっ?!!!!」
 …………とは、先程の弥富先輩の野太い声。
 若しかして弥富先輩、中村先輩の事が……。
「……うん、そうだよ」
 部長には、是非とも答える迄に変な間を開けない様に続きをお願いしたかった。
 どんな感情からか、弥富先輩が凄い形相で僕を見ている。
「彼には1日、私の彼氏役を演じて貰ったんだ。守君はね、それまでは凄い照れたりしてくれていたんだけど、先輩とか名字とかじゃなくて名前で呼んでって言ったら、一気に顔付きが変わってね。それはもう完璧に彼氏になり切って、私をエスコートしてくれたよ。……思わず、本気で惚れてしまいそうだった位にね」
 中村初江さんはそこで両頬に手を当てて、恥じらって見せた。
 ――はっちゃん、お戯れはお止め下さい。眼力で殺されそうです。
 弥富先輩の方はもう見る事が出来ず、意識して視界から外した。
 僕の横で信行は、声を殺して笑っている。
「そんな訳で、彼のエチュード力は私が保証するよ。その場を見ていた彼の幼馴染さんや妹ちゃんでさえも、本気だと思っていたみたいだしね。……まあ、それでも納得が出来ない人は、隙を見てエチュード勝負を挑むが良いよ。勝った方を主役にしよう」
 ――ちょっと中村初江部長、僕の青春はいつの間にバトル物に移行したんですか。
 思わず声を出しそうになった処を、ぐっとこらえる。
「ただ、台本ホン作りは予定通り美浜君でやらせて貰うね。どんなものが出来るかが個人的に楽しみなんだ。……と、皆、これで良いかな?」
 室内は一気に静まり返り、中村部長はそれを持って同意とした。
 弥富先輩が未だにこっちを睨んでいるのは、……さっき自分でも言っていたけど……、僕が主役になりそうだからでは無いのだろう。
 何はともあれ、今日も信行が楽しそうで何よりだ。

   ○○〇

「ああ、守君。この後、ちょっとだけ、良いかな?」
 部活後に制服への着替えも終えて信行と一緒に部室を出ようとした僕を、中村先輩が呼び止めた。
「おお、じゃあ先に昇降口に行ってるわ」と、信行は僕の横を擦り抜け様に肩を軽く小突いて部室を出て行った。
「あれ?! 弥富先輩、どうしたんですか?」
「い、いや、何でも無い! 今、帰る処だ!」
 信行が閉めた扉の向こうで話し声が聞こえた後、野太い笑い声が凄い勢いで遠ざかって行った。
 ……先輩、廊下は静かに歩きましょう……。

「中村先輩、それで、何の用ですか?」
 外であった事は気にしない事にして、話を切り出した。
「守? もう、初江って呼んでくれないのかい?」
 前髪を掻き上げながら、優しく流し目をして来る中村先輩。
「……部長、それだと、どれかと言うと某歌劇団の男役です」
「アハハ、それもそうか。話と言うのはね……」
 僕のツッコミにカラカラと笑った先輩は、ツカツカと歩いて引き戸を少しだけ開け、廊下に顔を出して左右を見回した。
「うん、祐介君ももう居ないようだね」
「あの、先輩と弥富先輩の関係って?」
「あれ? 気にしてくれているの?」
「いや、気にしていると言うか……」
 戻って来る先輩に聞くと、揶揄う様な笑いが返って来た。
 ……気にしていると言うか、気にさせられたと言うか、視線で殺されそうな体験をさせて貰えたと言うか……。
「ふうん、そう? ……まあ、良いや。祐介君とは、只の中学からの友達だよ」
 中村先輩の返答は、それはあっさりとした物だった。
 向こうはそうは思ってはいなさそうだと感じたけど。
「それより、今は私達の話だよ」
「そうですね……」
 ……と、私“達”とはどう云う事だろう。
 窓の方に徐に歩いて言った先輩は、カラカラと窓を開けた。
 吹き抜ける優しい風が、先輩の髪を遊ばせる。
「……恥ずかしい話、さっき皆に昨日の話をしている内に、私自身、寂しくなっちゃってね。もう一度、きちんと伝えておきたくてさ」
「は、はい……」
 いつの間にか溜まっていた生唾を、ゴクリと飲み込む。
「私は、君自身に興味を持っているんだよ。だからさ……」
 そして先輩は、窓の手摺を掴んだまま、こちらに振り向いた。
「今度は、素のままの君とデートしたいな」
 そう言った中村初江先輩の少女の様な微笑みを、夕陽のスポットライトが、赤く照らした。

   ○○〇

「おう、早かったな、守。じゃ、帰ろうぜ」
 昇降口に着くと、壁に凭れてスマホを弄っていた信行が僕に気付いて、外に向かって歩き出した。
 慌てて靴を履き替え、その後を追う。
「……なあ守、お前、何か最近凄えな」
「えっ?」
「いや、何か頑張り始めてからこっち、クラスの皆からの評判も少しずつ上がって来てるしさ。俺は中学からのお前しか知らないから驚きしか無いんだけど、元々は凄い奴だったのか?」
 やっぱり信行にそう言われると、何だか嬉しい。
 クラス内での評判も、それでも上がってはいるのかと。
 でも。
「凄くないって。……もし凄いって思われているのなら、……本人には伝えたけど……、全部、ことりに『凄い!』って言って貰う為に頑張っていた結果だから」
「そうか……。じゃあ、もっと頑張り続けないとな」
「分かっているよ」

 信行が出して来た拳に、自分の拳をコツンと当てた。


 ――まずは、来月の期末テストに、高校生演劇大会か。
 この夕陽に誓う。
 テストでは、出来る限りの結果を出す様に頑張ると。
 部活では、誰に挑まれようとも主役を勝ち取って見せる、と。


 ――いつの間にか付き過ぎていた、幼馴染との差を覆す為に。
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