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第十一章

夢の途中のメモリアル①

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 ウチは、神様は信じない。
 実家も無宗教だし、棚から牡丹餅が落ちて来るのを、ボケッと口を開けて待っているヒマがあったら、自分で棚の上まで取りに行って食べた方が早いわ、という考えだ。
 良く言えば積極的。
 悪く言えば「せっかち」である。
 自分自身の事はそれで良い。
 でも他人の願いは、ウチはどうしてあげる事も出来ない。
 リハビリにしてもそうだ。
 ウチらが目指す目標と、患者さんのここまで治りたい、という希望が同じとは限らない。
 キリスト教の教会ではこう教えるそうだ。
「病は、神様に愛されている証拠である」と。
 ツッコまさせて貰う、別に愛していらんわ!
 嫌ってくれてもええから、彼らを病から解放したってくれ!
 それなりの深い意味があるのだろうが、実際に医療の現場で、患者さんの痛み、苦しみ、もがき、泣き叫ぶ姿をリアルに見ているウチから言わせて貰えば、好い加減な事をぬかすな、と言いたくなる。
 じゃあ、あんた代わってくれよ、と。
 しかも布教活動と称して、この考えを他人に押し付けようとする。これもうちが宗教を嫌う理由の一つだ。
 と、これだけ神様にさんざん喧嘩を売っておきながら、今日だけは神様を信じない、という禁を破ろうと思う。
 自分ではどうしようもない事があるから。
 例え自己中心的とか、手のひら返しとか、何と思われようと構わへん。
 ばちが当たるんなら、いくらでも当たったる。まあ、死なん程度になら…
 そんなもん、痛くもかゆくもない。
 
 だから、哲坊の、昴の、夢を叶えたって下さい。お願い致します…
 
 明日はいよいよ哲坊の初試合。
 午前中、リバイバル上映の、日系移民野球チームを描いた映画を見て、少し遅めの昼食を食べたあと、勝負運に御利益があるという神社へ向かった。最近は増えていると聞いていたが、特に日本らしい場所だからなのか、繁華街のど真ん中にあり立ち寄るのに都合が良いからなのか、外国人観光客がとても多かった。
「神社なんて、高校の受験前以来だよ」
「あんた、甲子園の前とか、必勝祈願せんかったんか?」
「ああ。うちの野球部はしなかったな。なんか、タナボタみたいで嫌だったんだ。自分達の欲しい物ぐらい自分達の力で手に入れたかったから」
「今回は、違うんか?」
 ウチは、自分の事を棚に上げて聞いてみた。
「今回は、望月さんの分だ。もし自分が選ばれなくても、オリンピックで金メダルが取れる様に。あと、ここまで世話になった人達へのお礼参りに来たんだ」
 と、そばにいる昴に気付かれない様に、ウチにこそっと耳打ちをする哲坊が、何だか可愛くもあり、凄く大人になった様に見えた。
 病は、神様に愛されている証拠である。
 この言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。 
 神社の石畳の上を、バスケ用ではない車椅子で進む。ハンドルを押そうとした小田ちゃんとウチを制して、哲坊と昴は自分で漕いで行く。多少の凸凹はあるが、普段鍛えている彼らには問題ない路面状態の様だ。
「僕らは大丈夫でも、タイヤが心配ですよ」
 体育館の様なフラットな面を走っていても、試合中に突然パンクする事がある。
 尖った石などを踏んでしまったら、一溜まりも無い。スペアタイヤは用意をしていないので、路面を気にしながらゆっくりと進んでいく。
「あ…」
 黄昏前の晴れた空をバックに、威風堂々とした佇まいの本堂が見えて来た。だけど階段の上にあり、哲坊達には上がれない。まるで本堂に祀られている神様に見下されている様にさえ思えた。
(しまった。これはウチのミスや。こんなんちゃんと調べとけよ、ウチのアホ!)
 一同、言葉を失った。
「しょうがねぇな。いくら俺の肩が強くても、この距離で賽銭をぶん投げる訳にはいかないよ。外しても外さなくてもバチが当たる。江戸さんと真希、行ってこいよ。俺達の分も手を合わせて来てくれよ…」
 哲坊は分かり易い作り笑顔をウチらに向けて、掌で行った行った、と大げさにやると自嘲気味に呟いた。
「さっきディスったから…俺は、神様に嫌われたのかもな…」 
 ウチは、たかが賽銭を入れられないだけの哲坊に「バチが当たる」とまで言わせたこの神社を創ったヤツと、祀られている守銭奴の神様を心から恨んだ。
(御立派なんは、見かけだけや。やっぱり神様なんて当てにならへん)
 昴も何か言いたそうやったけど、彼の高い声よりも、もっと高い声が先に届けられた。

「あ~、良かった。哲也君が神様に嫌われて」

 重い空気には似合わない高く明るい声で、小田ちゃんが言った。
「だって、神様が哲也君の事大好きで、お願いをみ~んな叶えちゃったら、私が応援する事が無くなっちゃうでしょう?それって、私がここにいる意味が無いって事なんだよ。そんなの私、絶対嫌だもん。私はずっと…いたい。哲也君のそばに、いたいよ。だから、良かった。神様が哲也君を嫌ってくれて。私の居場所をくれて…」
 普段おとなしい彼女の放った言葉に一瞬唖然としたが、すぐに彼女の想いに気付いた。
「と、勝利の女神様が申しておりますが。で、あんたはどうなんや?」
「どうって?」
「あほ!女神様がそっぽ向かん様に、捕まえとかなあかんに決まっとるやろ!ここの神社の神様よりよっぽどええ神様で御利益あるわ!よう拝んどき!」
 と、落ち込ませた原因の一端であるウチが言うのもあれやけど、鈍感な哲坊の頭をパンッと叩きながら、車いすのストッパーを外して少々乱暴に、階段を一段だけ昇って大演説をしていた彼女に向かって、哲坊を押してやった。
「うわっ、危ねぇ!」
 よろめきながら近付く哲坊を、小田ちゃんは満面の笑みで迎えた。
「絶対、行こうね、オリンピック」
「ああ!」
 哲坊が、石段の一段だけ上に昇って、大演説をしていた小田ちゃんの所に、ゆっくりと車椅子を進めていった。
 哲坊の車椅子が、石の階段にコツン、と当たった(様に、見えた)。
 たったの一段だが、今の哲坊には登れない。
 自分が行けないその場所にいる小田ちゃんを見て、哲坊はどう思っただろう。
 ウチはまた哲坊が機嫌を損ねるのではないかと、はらはらしながら見ていた。
 小田ちゃんが、ここまでのトレーニングで100キロのバーベルを持ち上げられる程になったという哲坊の上腕から背中に、それに比べるとあまりにもか細い腕を回した。
 哲坊の太い腕が、しっかり受け止めていた。
 それを見届けると、ウチは遠く離れた本堂に向かって、掌を合わせて頭を下げた。

(哲坊の、昴の、小田ちゃんの、そしてウチの夢を叶えて下さい。お願い致します…)

 そしてお参りを済ませると、気付かれない様に二人を置き去りにして、こっそりと駅へ向かおうとした。昴も同じ考えだった様で、丁度一歩目を踏み出した時ぶつかりそうになり、お互い顔を見合わせて、妙な苦笑いを浮かべてしまった。
「僕、結局お参り出来ませんでしたよ」
「ウチは、ちゃんとしたで。大丈夫や、あんたの分もちゃんとしといたさかい」
 でもあの二人残して大丈夫ですかねぇ、ちゃんと帰って来られますかねぇと言う昴に、子供かい!とツッコミを入れつつ、
「まあその時は若い人同士で何とかするやろ」
と、見合いをセッティングした世話焼きおばさんの様な気持ちで言った。
 夕焼け空が美しかったが、置き去りにしたウブな二人の頬の色は、それ以上に真っ赤っ赤なんやろうなと想像したら、またなんか笑けてきた。


 (後日聞いた話だが、あのあと観光で来ていたらしい、めっちゃノリの良い外国人達が見ず知らずの哲坊を担いで本堂まで連れていってくれたそうだ。捨てる神あれば拾う神あり、やなぁ) 


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